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第24話 髪が伸びたら

 ローレンスとリリアーヌが衝突した日から、二人は顔を合わせていなかった。

 リリアーヌは翌日もまだ体調が悪く、一日のほとんどをうつらうつらとして過ごした。


 二日後の朝、アランが運んで来た朝食のお盆の上に小さな箱が載せてあった。

 白い包み紙に淡いブルーのリボンが結ばれた、手の平に乗るぐらいの可愛らしい箱だった。

「アランさん、これは?」

「旦那様からお見舞いです。これなら食べられるのではないかと仰って。後でゆっくり開けて御覧なさい」

 相変わらず食欲がなく、げんなりした顔でお盆の料理を見つめているリリアーヌに、アランはいつもと変わらぬにこやかな態度で答えた。

(ローレンス様から?これなら食べられる? 何かしら……)


 午後になり、うたた寝から目覚めたリリアーヌはリボンと包み紙を外して箱の蓋を開けてみた。


「わ……あ……」


 その箱には、色とりどりの砂糖菓子がぎっしりと詰まっていた。

 スミレやバラの砂糖漬けや、木苺やスモモの果汁を煮詰めたゼリーや、淡い色合いのボンボン、チョコレートで包んだチェリー、甘く香ばしいキャラメルで固めたナッツなど……


(なんて綺麗なの……)


 思わずリリアーヌはボンボンを一つ摘んで口に入れてみた。

 外側の砂糖の衣がほろりと崩れ、花で香りをつけたシロップが口の中に広がる。


(美味しい……)


 それは久しく忘れていた感覚だった。ふと見ると、箱にはカードが添えてあった。恐る恐る広げてみると、短い文が書かれていた。


 "また貴女の淹れた茶が飲みたい。 L "


 リリアーヌの頬を涙が伝って落ちた。


(ローレンス様……ローレンス様……リリアーヌは、この気持ちが何なのか、今はっきり分かりました……わたくしは、貴方を……)

 カードを胸に抱きしめ、しゃくり上げるリリアーヌの胸に昨夜のコンスタンティンの言葉が蘇る。そこには今までの彼女とは全く違う、湧き上がるような強い気持ちが生まれ始めていた。


 夜になり帰宅したローレンスは、最近では定位置となった仮の執務室の椅子に座って新聞を広げていた。字面を目で追うが、内容は全く入ってこない。

 その時、隣のリリアーヌの部屋からチリン、と小さな音がした。

 はっとしたローレンスは立ち上がった。今のベルの音は……今まで一度も鳴らされたことのない、リリアーヌがローレンスを呼ぶ合図だ。

 ローレンスは慌てて立ち上がると、それでも必死に心を落ち着けて、普段通りの様子でドアをノックした。

「どうぞ、お入り下さい」

 静かな声が返って来るのを待って、部屋に入る。


 リリアーヌは寝台の上で枕を重ねて半身を起こしていた。


「起きて大丈夫なのか」


 どう切り出せば良いのか分からず、いつものようにぶっきらぼうな口調で話しかける。

「今日は少し調子が良いのです」

 リリアーヌも少し困惑したように答えながら、突っ立ったままのローレンスに気づいて続けた。

「あの、ローレンス様? お座りになっては?」

「あ、ああ。では失礼する」


 以前のように寝台の脇の椅子に腰をかけてはみたが、どうにも落ち着かず、リリアーヌと目線を合わせることができない。

 何とも言えない沈黙が流れる。


 すると突然リリアーヌが腕を伸ばして、ローレンスの膝に置かれた手の上に自分の手をそっと重ねた。

 そして毅然とした落ち着いた声で言った。


「ローレンス様」

「ああ」

「わたくし、元気になります」


「え?」


 リリアーヌはローレンスの目を見つめて、ゆっくりと繰り返した。

「わたくし、元気になります。ちゃんと元の身体に戻って、もう一度、自分の人生を生きます。死ねば良かったなんて、もう二度と申しません」


 ローレンスはしばし沈黙していたが、やがて一言だけ答えた。

「そうか」

 リリアーヌが続けた。

「でも、少し時間がかかるかもしれません。ですからローレンス様……待っていて下さいますか?」

「ああ、勿論だ」

 そしてリリアーヌの手を握り返すと、口の端で少しだけ微笑んだ。いつも、リリアーヌだけに見せる、微かな微笑みで。

「待っているから。焦らず、ゆっくり」

「はい。……あと、お菓子ありがとうございます。……カードも」

 それを聞いた瞬間、ローレンスの目線が不自然に宙を泳いだ。

「ん、あ、ああ……菓子は気に入ったか」

「ええ!とっても綺麗!あんなお菓子初めて見ましたわ。やっぱり王都のお店は違いますのね」

「あれなら食欲がなくても口に入れられるのではないかと思ってな」

「美味しくて食べ過ぎてしまいそうですわ。毎日一つだけ、少しづつ頂くことにします」

「そんなケチ臭い食べ方するな。好きなだけ食えばいいじゃないか」

「嫌です、無くなってしまうのが勿体ないもの」

「無くなったらまたいつでも買って来てやるから」

 そういう二人の会話は以前と全く変わっていなかった。


 少し話を続けてから、ローレンスがそろそろ引き上げようとして、ふとまた真面目な表情で言った。

「きつい言い方をしてすまなかった。……俺のことを怖いと思わないでいてくれると良いのだが」

 リリアーヌは殺してやると言われたことには触れず、さらりと悪戯いたずらっぽく答えた。

「レディにあんな物騒な言い方をなさるのは良くありませんことよ、ローレンス様。……でもわたくし実を言うと、ローレンス様が裏のお仕事をされてるお姿を一度拝見したくなってしまいましたわ」

 ローレンスは真剣に飛び上がった。

「ぜぜ絶対にダメだ! だいたい、裏の仕事って何だ、人聞きの悪いことを言わないでくれ」

 そして足をもつれさせながらようよう部屋を出て行き、寝台に一人残ったリリアーヌは枕に頭を埋めながら今日の会話を思い出していた。

(うまくできたかしら……)

 そして、口には出さなかった一言を噛みしめたのだった。

 本当はこう言いたかったのだが、今はまだ、胸の中にしまっておこう。


 "もう一度、自分の人生を生きます。"


 翌朝、朝食を運んで行ったアランは寝台の上で起き上がっているリリアーヌを見て驚いた。

「随分顔色が良くなられましたな」

「ありがとうございます。アランさん、ご心配をおかけしました。もうこれからは良くなっていく一方だと思います」

「それは良かった」

 そして温めた牛乳と茶をカップに注ぎながら続けた。


「旦那様のお菓子は効果てきめんでございましたか」

「……ええ、とても嬉しゅうございました」

 それを聞いたアランは、カップをリリアーヌに渡すタイミングで少し身を屈め、秘密めいた口調で囁いた。

「旦那様、1時間近く探されたのですよ。リリアーヌ殿が喜んで元気になってくれるものは何だろうかと。何軒も何軒も回られて」

「えっ、そうだったのですか? ローレンス様が?」

「そうですよ。ああいうお菓子のお店など、旦那様のような男性のお客など一人もおられませんでしょう? だから入るのにかなり勇気がお入り用だったみたいで、店の前で熊みたいにウロウロウロウロされて。しまいに堪忍袋の緒が切れた店員が店の外まで出て来ましてね、何か欲しいものがあるならさっさと入ってくれとお尻を叩かれて、ようやく」


 リリアーヌは目を丸くしてアランの話を聞いていたが、遂に堪え切れなくなって声を上げて笑った。

 そんなリリアーヌの様子を見ているアランも笑っていたが、突然背筋をびしっと伸ばした。後ろから聞き覚えのある声がしたのだ。


「アラン、余裕だな。もう朝の仕事は終わったのか?」

「はいっ、失礼いたしました! すぐ戻ります!」


 あたふたと去って行くアランと入れ違いにローレンスが入って来て、椅子に腰かけて尋ねた。

「食べられそうか?」

「全部は無理かもしれませんが、頑張りますわ」

「無理しなくていい。少しづつにしておきなさい」


 ふとリリアーヌはローレンスに朝日の降り注ぐ中でまじまじと見られていることが急に恥ずかしくなって俯いた。

「あの……あまり見ないで下さい、ローレンス様」

「どうしてだ?」

「だってわたくし、痩せこけて、髪もこんなになってしまって……きっと今、とても醜いですから……」


 ローレンスの長い腕が伸びてきて、リリアーヌの頬から髪を撫でた。ざんばらになってしまった髪を。

 そして静かに言った。

「髪などすぐ伸びる。それにこの髪は、貴女が勇敢に闘ったことの証だ。俺は貴女を誇りに思うし、今の姿が醜いなんてこれっぽっちも思わんよ」

「ローレンス様……」

「もう少し伸びたら、王都で一番の髪結いに整えてもらおう。……さあ、冷める前に食べなさい。俺は隣で仕事をしているから」


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