挑発に全く動じないどころか、不敵な笑みを浮かべるローレンスの姿にマテオは怖気づいた。急にローレンスの姿が一回り大きく、マテオを見下ろすように感じたのだ。
「な、何をするつもりだ……?」
ローレンスは落ち着き払って廊下に声を掛けた。
「おい、連れてこい」
「!!」
屈強なローレンスの部下が連れてきた女の姿を認めると、マテオは腰を抜かさんばかりによろめいた。
「イ、イヴォンヌ!」
「あんたが彼女を放さないと言うなら、俺にも考えがある」
「いい、イヴォンヌを放せ! 僕を誰だと……」
ローレンスは大声を上げて笑った。
「あぁ? あんたが伯爵様だろうが何だろうが、この女は平民で、ただのメイドだ。違うか?」
「ひ、卑怯だぞ!お前……」
「卑怯も何も、俺を卑しい平民と罵ったのはあんただろう。だから俺は俺に相応しいやり方で望むものを手に入れるだけだ。……さてどうしようか、この女」
「やめろおおお……」
ローレンスは腰に下げていた鋭いナイフを取り出し、鞘を掃うとイヴォンヌの頬にあてた。
「んーっ、んん……ぐう……」
後ろ手に縛られ、猿轡を嚙まされたイヴォンヌの顔が恐怖に歪み、両目に涙が浮かぶ。
「やめろお、イヴォンヌには手を出すなあ……畜生……!」
「だったら彼女を放せ」
「あう、あああああ……嫌だ、いやだあああ」
最高にイラついたローレンスの声がマテオの喚き声を遮った。
「坊ちゃんよ、俺は気が短いんだ。さっさと決めろ。あんたが俺の言う通りにしないと言うのなら、俺もこの女を好きにさせてもらう。まあ、この女をいたぶっても俺は少しも楽しくはないがな」
「ぐ……う……」
既に立場は完全に逆転していた。動揺するマテオにいかにも楽しそうに畳みかける。
「……ああそうだ、俺は仕事柄、東方の商人なんかとも付き合いがあってね。奴が言うには、大陸の女はいい値で売れるんだそうだ。多少
イヴォンヌが白目をむいてそのまま失神しかけたが、ローレンスの部下が髪を掴んで引っ張り上げた。
「さあどうする、伯爵様よ?」
「ひああああ……やめろお……」
ローレンスの怒号が響き渡った。
「答えろ! 伯爵!」
「うああああ! 分かった、分かったから、イヴォンヌを連れていかないでくれえええええ……」
マテオは気が狂ったように泣き叫ぶと、リリアーヌをローレンスのほうへ突き飛ばした。ローレンスが咄嗟に抱き止めて両腕のロープを切り、自分の外套で
「ロ……ンス……さ……ま……?」
「遅くなってすまん。もう大丈夫だ」
濡れて頬に張り付いた黒髪を直しながら声を掛けると、リリアーヌは一瞬微笑み、そのままスウっと意識を失った。頭がガクンと落ち、左腕がだらりと垂れた。
「は、はやくイヴォンヌを放してくれえ……イヴォンヌ、イヴォンヌぅぅぅ……」
「放してやれ」
部下がイヴォンヌを自由にし、マテオのほうに突き飛ばした。マテオはイヴォンヌに縋りつきながら涙と鼻水でぐしゃぐしゃの顔で叫んだ。
「お、お前ら、こんなことしてタダで済むと思うなよ……そ、それに、この屋敷は僕が借りてるんだぞ! お前さっき窓とドアを……」
それを聞いたローレンスはリリアーヌを抱いて地下室から去ろうとしていたが、振り返って答えた。
「ああ、いつでも受けて立ってやる。もう少し相手を見て喧嘩を売れ。首洗って待ってろ、伯爵様よ」
そして思い出したようにクックっと笑いながら止めを刺した。
「そうそう、それからドアの心配をしてくれるのは結構だがな、この屋敷は今日俺が買い取った。相場の倍の値段で、即金で払うと言ったらあの不動産屋、二つ返事で承諾したぞ。俺の持ち物を俺が好きにして何が悪い? ということでさっさと出て行け。明日の朝になってもまだ貴様がここにいたら、不法侵入で警察に引き渡すからな」
そして悔しさのあまり金切り声を上げながら地団太を踏んで暴れるマテオを尻目に、振り返らず外へ出て行った。
「帰るぞ! 馬車はいるか!?」
「はい! 社長! 用意できてます!」
待ち構えていたエルヴィンが答え、ローレンスは馬車に乗り込んだ。
「なるべく揺らさないように、でも急いでくれ」
エルヴィンが御者に指示を出している声を遠くに聞きながら、少しでも自分の体温が移るようリリアーヌを胸に抱き締める。
(冷え切っているな……怪我も酷い……)
頬も唇も手も足も血の気がなくて真っ白だ。呼吸も細い。
上着のポケットからハンカチを取り出し、濡れて汚れた顔を拭いてやっても、全く反応がなかった。
(死なないでくれ……頼む……)
屋敷までの十数分がこれほどまでに長く感じられたことはなかった。
ようやく止まるのもそこそこにローレンスは扉を開けて馬車から降り、そのまま急ぎ足で屋敷に入った。
「帰ったぞアラン! コンスタンティンを呼んでくれ!」
すると階段の上からのんびりとした声が出迎えた。
「よお、遅かったじゃないか」
ローレンスが顔を上げると、コンスタンティンが片手を上げて挨拶をしている。
「お前、なんで……」
「アランに呼ばれたんだよ。急患が出そうだからってな。誰か腹でも壊したのか?」
「冗談言ってる場合か」
そこへアランが廊下の向こうからやって来てローレンスを促した。
「お部屋の準備ができております、旦那様」
「ああ」
リリアーヌが使っている客室の前まで来ると、ローレンスはアランとコンスタンティンに言った。
「まず体を洗ってやりたいから、少し待っててくれ」
「いいけど、お前が風呂に入れるのか? レディを?」
コンスタンティンの普段と変わらない口調にローレンスは少しむっとしながら答えた。
「他に人手がいないんだ、仕方ないだろう」
そのままドアを閉めるとリリアーヌを抱いたまま寝室を横切り、奥の浴室に向かう。バスタブには湯が満たされていた。
ぐったりと動かないリリアーヌを長椅子に寝かせると、ローレンスは一瞬ためらったがすぐに泥と血で汚れたリリアーヌのシュミーズとコルセットに手をかけた。
(なんと酷いことを……マテオ……許すものか)