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第15話 その手の温もりを

 薄く雪の積もった道をゆっくりと進む馬車の中で、二人は向かい合って腰かけた。


「俺は女性の着るものは全く分からないのだが、良い色のドレスだな」

「ありがとうございます……あの、ローレンス様」

「何だ?」

「機会を作って下さったのですよね? わたくし、ドレスがあっても着て出かけるところも思いつかなくて、仕立てたのを後悔し始めてましたの」

「見抜かれていたのか」

「でも、嬉しゅうございます」


(……こうでもしなければ見せてくれなかっただろうからな……)


「え? 何か仰いました?」

「いや、何でもない。王立公園は初めてか?」

「はい、お恥ずかしながら。ローレンス様はよくいらっしゃるのですか?」

 ローレンスの目がふと昔を思い出したように遠くなる。

「時々な。子供の頃から好きな場所だ」

 リリアーヌはローレンスがどんな少年時代を過ごしたのか知りたかったが、そっとその気持ちを胸にしまった。今はまだそれ以上訊いてはいけない気がしたのだ。

「楽しみですわ」


 馬車が止まると、ローレンスが先に降りた。

「少しぬかるんでいる。足元に気をつけて」

「ありがとうございます……まあ」

 馬車のステップから視線を移したリリアーヌは、目の前に広がる景色に息を呑んだ。


 王立公園の真ん中には大きな噴水があり、水がさらさらと音を立てて流れている。その噴水をぐるっと囲むように遊歩道が造られていて、脇に植えられた針葉樹の濃い緑には軽く雪がかかり、白さを引き立てていた。

 歩道の足元には冬でも黄色い花を咲かせる水仙や、背の低い冬薔薇の蕾があり、少し高いところには真っ赤な椿が今を盛りと咲き誇っている。


「どう思う?」

 ローレンスに肩を叩かれてリリアーヌは我に返った。

「美しいですわ……こんな景色が王都にあったなんて」

「気に入ってもらえて何よりだ。この先に温室がある。少し歩こう」

 ローレンスはごく自然にリリアーヌに左腕を差し出し、二人は腕を組んで歩き始めた。


「今年の王都は寒さは厳しいが、雪はそう多くないな」

「そうですわね。ローレンス様の商船は、雪は出航に影響がありますの?」

「雪の量はそれほど影響はない。それよりあまり寒いと港が凍ってしまう時があって、そうなるとお手上げだ」

「港が凍る……想像もつきませんけれど、きっと大変なことなのでございましょうね」


 ぽつりぽつりと言葉を交わしながら温室に辿り着き、ガラスのドアを開けるとふわっと暖かい空気が流れ出た。


「ここに入ると、やはり外は寒かったということが分かります」

「そうだな。ここに座るといい」

 小さなティーテーブルを挟んで向かい合って腰をかける。

「こちら側からだと、また景色が違いますのね」

「もう少し日が落ちるといいものが見られるから、楽しみにしていてくれ」

「あら、何かしら」


 給仕が運んできた茶と茶菓子をつまみながら、ローレンスが尋ねた。

「この公園に来るのは初めてだと言っていたが」

「実はほとんど王都のことを知りませんの」

「俺もそれなりに夜会にも出たことがあるが、貴女は一度も見かけたことがなかった」

 リリアーヌはカップに視線を落としながら答えた。


「わたくしが出歩くとあまり良い顔をされませんでしたので……」


「そうか」

「ですから、今日はとても嬉しいのです」

「それなら良かった」


 温室には他にも数組の貴族らしい服装をした者がいて、時折こちらに視線を投げかけながらヒソヒソと言葉を交わしている気配が伝わってきたが、ローレンスは気にも留めようとしなかった。

「あの、ローレンス様」

「気にしなくていい。俺の顔を怖がっているのと、平民風情がこんな場所にいるのが気に入らないだけだ」

「でも……わたくし、やはりご一緒して良かったのでしょうか」

「当たり前だ。そんなことより、ごらん」


 リリアーヌが促されて外に目をやると、噴水の端から沈みかけた夕日がダイヤモンドのように光を放ち、水面に反射していた。

 少し風が出てきたせいか、針葉樹の枝がゆっくりと揺れ、積もった雪が光りながら空を舞っている。

 空は半分茜色になり、ちょうどリリアーヌの目線のあたりで青と交じり合って雲を染めていた。

「すごいわ……」

「美しいだろう? 少し雪が積もり始めたこの時期のこの時間しか見られない、俺の一番好きな景色だ」

「こんな景色が王都にあったなんて……」

 気が付くとリリアーヌは、テーブルの上に置かれたローレンスの手に自分の手を重ねていた。

 そのまま二人はしばし無言のまま、外の景色に見入っていた。


「そろそろ帰るか」

 ローレンスの声にリリアーヌははっとし、慌てて手を引っ込めた。もう日はほとんど暮れかけている。

 帰りの馬車の中でも普段通りほとんど言葉を交わすことはなかったが、リリアーヌは王都に来て以来初めてと言って良いほどの幸福を感じていた。

「今日はありがとうございました、ローレンス様」

「いや、俺のほうこそ付き合ってくれて感謝している」

「本当に素敵な場所でしたわ。わたくし今日のこと、忘れません」

 ローレンスは横顔でかすかに微笑して言った。

「また来よう」


 その言葉通り、それ以来ローレンスは忙しい仕事の合間を縫っては時々リリアーヌを連れて出かけるようになった。

 王立公園だけでなく、図書館や博物館、またある時は街の市場などへ。

 時には遠慮するリリアーヌを半ば強引に引きずって、新しいバッグや靴などを買わせたり、買い与えることもあった。


「リリアーヌ殿は最近、明るくなられましたな」

 ある日、リリアーヌはすれ違いざまにアランにそう言われた。

「え?」

「この屋敷にいらした時はまるで表情に生気がなくて心配いたしましたが、その頃とは別人のようだ」

「アランさん……」

「私は旦那様のご決断に反対していたのです。年若い伯爵夫人を借金のカタに屋敷に住まわせて家事をさせるなど、正気の沙汰ではないとね。……失礼ながら、貴女のこともだと勝手に思っていたのです」

「そう思われても無理もありません」

「……だがあの日、馬車から降りて来た貴女を見て考えが変わりました。貴女は世界中から見捨てられてしまったような表情で、朝から晩までただただ怯えて私や旦那様の顔色を窺ってばかりいた。これでは旦那様が捨ておけなかったのも無理はないと思いましたね」

「あの時は、確かにそうだったかもしれません。初めてお会いした時のローレンス様は本当に恐ろしゅうございましたから。でもアランさんはわたくしに優しくして下さいました。お二人のお陰ですわ」

「それは良かった。それに貴女は実によく働いて下さる。私は本当に助かっていますよ」

「まあ、そう言って頂けると嬉しいですわ。借金返済まで、しっかり努めます」

 リリアーヌは嬉しそうにそう答えると、お辞儀をしてリネン室のほうへ消えていった。


「貴女が伯爵夫人などでなければ……」

 その後ろ姿を見送りながら、アランが悲しげな表情で呟いたことにリリアーヌは気づかなかった。

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