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第2話 牙を剥いた獣

 そこにいたのは、先ほどまでの柔らかな物腰の男ではなく、冷酷で残忍極まりない高利貸しであった。

 その左の頬には大きな傷跡。鋭い刃物でざっくりと切られたのだろう。赤黒く盛り上がり、見るものは嫌でも底知れぬ恐怖感を抱いてしまう。


「あ……」


 明らかに狼狽しているマテオを守るようにイヴォンヌがマテオの肩を抱いて語りかける。

「大丈夫ですよ、坊ちゃま。この方が御用があるのは奥様にであって、伯爵様にではごさいませんわ。そうでしょう?」

「部外者は黙っててくれないか。俺は夫人と話をしている。夫人、どうなんだ?」

 夫人は体の前で両手を関節が白くなるほど握りしめて、消え入りそうな声で答えた。

「はい、間違いございません……」

 ローレンスは自分がとんでもない茶番に付き合わされているような気がしてきた。この伯爵夫人が街金から金を借りる? どう考えたっておかしいだろう? 先程から感じている違和感が、ゾワゾワと背中を這い上がって首筋に張り付く。


 そもそも貴族がローレンスの配下の街金から直接金を借りることはほとんどない。大体は宮廷で顔を合わせた時に辺りを窺いながらこっそり融資を申し込むか、酷い場合は何日までにこれだけの金を持って来いという書簡一通で呼びつけられることもある。だから今回、定期的に街金から上がってくる焦げ付き債務者リストの中にたまたま伯爵夫人という文字を見つけて不思議に思ったローレンスが直々に取り立てに訪れたのだった。


「そうですか。念のため申し上げると、借金は合計で金貨300枚。支払い期日はとうに過ぎてますし、最近は利息も入れていただけてないようですな?」

「申し訳ございません。お借りしたお金は必ず……きゃあっ!」

 リリアーヌの返事は短い悲鳴で中断された。マテオが手に持っていた酒瓶をリリアーヌに投げつけたのだ。だが相当酔っているようで手元が狂い、当たらなかったのは幸いだった。

「おま、お前、ど、どうするつもりだ! 伯爵夫人ともあろうものがこ、こんな高利貸しから借金だと? この男が誰か知らない訳がないだろうが! 伯爵家に泥を塗りやがって、この恥さらしが!」

 聞くに堪えない罵声だ。しかも隣にいるイヴォンヌは明らかに面白がって夫人に侮辱的な笑いを向けている。


(こんな、も何も、王都の街金はほぼ俺の配下だから、どこで借りようが結果的には俺からの借金になるのだが……)


 ヒステリックに喚き散らすマテオの姿に逆に冷静にローレンスは心の中で突っ込んだが、言葉にするのは止めておいた。言ったら言ったでまた面倒なことになるのが目に見えている。

「伯爵、少し静かにして頂きたい。私は奥方に貸した金さえ返してもらえればそれでいいんだ。夫人が返せないと言うなら夫の貴方……」

「な、何だと? この僕にこいつの借金を肩代わりしろだって? ふ、ふ、ふざけるな、僕のことを誰だと……う、うわあああ!」

 両手で頭を抱えて暴れ出したマテオをイヴォンヌが抱き締め、幼児をあやすように甘ったるく話しかけた。

「坊ちゃま、坊ちゃま。大丈夫ですよ。このイヴォンヌがついております。坊ちゃまは何も心配なさる必要はございませんわ。奥様がなんとかなさいますよ。ねええ、奥様?」

 その下卑た笑いを見ていたローレンスの背中が更に波立った。もう限界だ、さっさと終わらせよう。

「で、どうなさる、夫人?」

 ずっと震えながら立ち尽くしていたリリアーヌが小さな声で、しかしはっきりと答えた。


「働いてお返しします」


「伯爵夫人が? 冗談でしょう? 貴女がどうやって金を稼げる? ……まあ、その器量なら方法はなくもないが……貴女さえ良いなら働き口を紹介しますがね?」

 リリアーヌの顔がさあっと白くなった。

「いいえ! あの、どうにかして……そう、どこかの令嬢の家庭教師になるとか、それも難しいようなら料理人でも、下働きでも、何でもします。だからもう少しだけ」

「待てませんな」

 ローレンスが低い声できっぱりと拒絶すると、イヴォンヌの胸に抱き着いていたマテオが顔を上げて叫んだ。

「か、構わないから、そいつをどこへでも連れていって借金を返し終わるまで働かせろ!」

「……旦那様! あんまりです!」

「う、う、うるさい! お前の借金だろう、僕が知ったことか! さ、さっさと出て行け! 二度とその辛気臭い顔を見せるんじゃない!」

 ローレンスは溜息をついた。もうこうなると誰にもどうすることもできない。

 仕方ない、今日は引き上げよう。

「分かった。今日のところはこれで失礼する。明日答えを聞かせてもらおう。……ああ見送りは結構。では失礼」


「お見苦しいところを失礼いたしました。あの、今日のことはどうかご内密に……」

 客間を出て玄関に向かうローレンスを追いかけながら執事が取りすがった。

「心配いらん。心得ている」

 そうぶっきらぼうに言い捨てて馬車に乗り込もうとしたローレンスだったが、ふと足を止めると踵を返して庭の隅へ向かった。


「何をしている?」


 そこにいたのはリリアーヌだった。弾かれたように立ち上がった両手は泡だらけで、足元には盥が置かれていた。なんと、リリアーヌは洗濯をしていたのだ。

「あ、あの」

「伯爵夫人が洗濯? 使用人はどうした?」

 リリアーヌは蚊の泣くような声で答えた。

「あの、全員、暇を出したので……その……」

「給料が払えないからか?」

「はい……」

「さっき客間にいた中年の女は? どう見ても女中だろう」

 リリアーヌはますます蚊の泣くような声で答えた。

「イヴォンヌは……ずっと昔からこのお屋敷にいて……旦那様に……わたくしよりずっと……ですから……」

 ローレンスは眩暈がしてきた。一体どうなってるんだこの家は。

「全員、暇を出したと言ったが、洗濯以外の家事はどうしてるんだ? 食事だとか掃除は?」

「全部、わたくしがやっております」


「はあ!?」


 あまりの衝撃についつい声が大きくなる。

「貴女が? 料理を? まさか?」

「はい、あの、実家にいた頃からやっておりましたが、おかしいですか? 」


 何のためらいもなく答えたリリアーヌの姿を見ているうちに、ローレンスの頭にある考えが浮かんだ。


「貴女、料理人でも下働きでもなんでもいいから働いて借金を返すと言っていたな」

「はい」


「よし、貴女に働き口を紹介しよう。俺の家に住み込みで家事をやってくれないか。給料はきちんと払う」


「ええっ!?」


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