夕食のために連れ立ってホテルを出た九人は、烏丸通沿いに建つマンションの一階が店舗となっている日本料理店へ入った。
厨房に入って旬の食材や足が早い食材を選び出し、食材に見合ったレシピを話し合いながら、すでに息の合った様子でてきぱきと調理するのは、チュートリアルを済ませた後の小料理屋での食事と同様にイェンリンとアラタの二人だった。
前回の食事の際に、調理の担当は交代制にしようとイツキは提案したが、イェンリンは「自分が作った料理を人が食べてるとこ見るの好きだし」と言い、アラタは「単純に料理するんが楽しい」と言って自ら調理の担当を買って出た。
イェンリンとアラタが次々に仕上げる料理を、イツキとテルヤが配膳する。
出来上がった料理をどんどん平らげていくメンツの中で、小柄なアオと
パクパクと小気味好く食べるアオとヒジリを見ながら、イツキは「食べたものはどこに消えているのか……」と不思議に思った。
配膳も落ち着いた頃合いでイツキが席に着くと、ミツがイツキのグラスにビールを注いだ。
「お疲れさん。まあビールで景気でもつけて、ゆっくり食べよし」
「ありがとうございます」
イツキは礼を言ってからビールに口をつけた。
普段はあまり好んでは飲まないビールを美味いと感じたイツキは、味覚やアルコールに対する耐性なんかもエニアドの影響を受けているんじゃないかと考えてしまう自分の性格を、胸の内で自嘲した。
「この前も思ったんやけど、イツキさんは少食やんねえ……まあ最近の男子は少食なんが普通なんかもしれへんけど」
煮魚と焼き魚をリズム良く交互に口へ運んでいたヒジリが、イツキより先にミツの言葉に反応した。
「ミツさん。僕も男子だけど、結構食べるよ?」
「そやったねえ。ヒジリさんはほんまに可愛いもんで、ついつい性別なん忘れてまうわ」
「ありがとです」
ヒジリが慣れた仕草でミツに向けてウインクを返した。
イツキは何の気なしにヒジリを見た。確かにミツが言うように、ヒジリの見た目はゴシックアンドロリータがこの上なく似合ってしまう完璧と言っていい美少女である。そんな感想をあらためて持ったイツキの視線に気付き、ヒジリが指先を口元に当ててポーズを作ってみせた。
「なに、なに? 僕に惚れ直しちゃった?」
「それはない」
イツキが即座に否定すると、ヒジリはぷくっと頬を膨らませた。
「素直じゃないなあもう、イツキはもう、ほんとにもう」
ヒジリの隣に座っているアオは箸を置くと、ヒジリをまじまじと見てから口を開いた。
「でも、ヒジリさんって、ほんとに美人さんなんですよねえ……」
「アオさんは素直だなあ……そこの
一通りの調理を済ませて席についたイェンリンが、会話に混じるように一言だけ口にした。
「そうでもないよ?」
イェンリンの意外な一言に、ヒジリとアオが同時に「「え……?」」と反応する。
「イツキって、あたしのちょっとした変化にも気付くし、その都度しっかり褒めるし、ね」
イェンリンがイツキに向けてウインクする。
「「そうなのっ!?」」
見事なシンクロをみせて声を上げたアオとヒジリが、イツキに顔を寄せて詰め寄る。
「髪形とかメイクとか変えるとすぐに気付くし、必ずちゃんと褒めてくれるよ」
イェンリンが愉快そうに畳み掛けた。
「「えー……!」」
非難の声もシンクロさせたアオとヒジリが、同時にイツキを
「私んことも、細かくようけ褒めてくれはるねえ」
ミツがここぞとばかりに乗っかると、ヒジリが糾弾の声を上げた。
「おっぱいかっ! おっぱいの差なのかっ!」
ヒジリの見解を鵜呑みにしたアオが自分の胸に手を当てる。
「ふーん……そっかあ……そうなんだあ……へええ……」
唇を尖らせるアオに、イツキはどう応じるのが正解なのか分からず困惑した。
けしかけたイェンリンとミツは、互いの顔を見合わせて笑っている。
イツキは苦笑いを浮かべてやり過ごすしかないと思いつつ、異常な事態の中にいながらも存外に楽しい食事だと感じた。
料理上手で世話焼きなところがあるイェンリンと、常に度量の大きさを感じさせるアラタ。場を和ませる術に長けているミツと、場の空気を明るくする素養を持ったヒジリ。四人のおかげで保たれている和やかな雰囲気。
異空間に閉じ込められている現状にあって、この雰囲気は貴重なものだろうとイツキは考えながら、この雰囲気を維持するために自分が出来ることは何かと自問した。
ゆっくりと夕食の時間を取った九人は、連れ立ってホテルへ戻った。
バスルームに入ったアオがシャワーを浴びている間に、イツキは後藤へ電話をかけた。
「連絡ご苦労。全員、無事か?」
すぐに電話に出た後藤は真っ先に安否を尋ねた。
「はい。ゲームも今のところ順調に進んでいると思います」
「そうか……尋常ならざる怪物を相手に、生身での戦闘ともなれば心身ともに疲弊するだろうな……」
後藤の口振りがこれまでと違うように感じたイツキは、つい本音を漏らした。
「……はい。正直に言って、想像したより疲れます」
「真剣勝負は、精神力はもとよりカロリーも存外に消費するものだ。充分な休息を取ってくれ」
「そうさせてもらいます」
後藤が若干の間を置いてから、話題を次に進めた。
「少し話は変わるが、玉城は素直にゲームの攻略に加わっているか?」
「今のところ、これと言った動きはありません」
「この異常な事態にあって、負担をかけるのは避けたいんだが……玉城の動向には注意してくれ。バグの発動はないな?」
イツキは後藤の不安をやわらげる材料があることに安堵を覚えながら答えた。
「一応の取り決めとして、エニアド攻略の間はバグを発動しないという形にはなりました」
「……それは上手くやったな」
後藤は静かな語調の中に、わずかな驚きを含ませた。
「いえ、俺は坂木さんの提案に乗っかっただけです」
「そうか。京都組の坂木、児玉の両名と協力関係を築けるならそれに越したことはない。引き続きバグの発動にも留意してくれ」
後藤がアラタだけではなくミツの名前も挙げたことに、イツキは意外な人選だと感じたが口には出さなかった。
「はい、注意します。では」
「ああ、次も頼む」
そこでイツキは電話を切った。
考えなければならないことは山積しているのに、どうにも思考がクリアではない気がしたイツキは、紅茶を淹れながら考えをまとめることにした。
まず、バグを一切使わない方針のままエニアドをクリアできるのか。分からない。ゲームが始まったばかりの現時点では、ゲームの難易度すら読めない。
次に、バグを使う事態となった場合、真っ先に候補として浮かぶイェンリンのバグ「ハナガタミ」を使ってもらうか否か。これはイェンリンと相談する必要がある。どこかのタイミングに二人で話す時間を作るべきだろう。
そして、アオの「マワリウタ」をプレイヤーの誰かを対象として行使する可能性について。アシナヅチとして他のバグに耐性を持ってしまっている自分以外の誰かに……もし仮に、使うとなったら候補は誰か。
ゲームのクリアを確定できる可能性を持った「行動の結果の束縛」という共通の事象をもたらす、ハナガタミとマワリウタ。
ハナガタミは自身、マワリウタは他者と対象は異なるが、同様に「事象への干渉」というイルリヒトが最も警戒した特異な二つのバグについて考えているイツキの手は、いつしか完全に止まっていた。
アオがバスローブを羽織ってバスルームから出てきたことに気付いたイツキは、取り敢えず今は思考を棚上げすることにした。
「なんか、考え事?」
アオがタオルで髪を抑えながらイツキに訊いた。
「ああ、ちょっとね……でも大丈夫。髪、乾かそうか」
「うん!」
イツキはドライヤーをベッドサイドのコンセントにつなげた。アオが嬉々としてベッドの上にちょこんと座る。イツキは慣れた手つきでアオの髪をドライヤーで乾かし始めた。
「大丈夫だよね……わたしたち……」
ぽつりとつぶやいたアオに、イツキは「うん。大丈夫」とだけ答えた。
髪が乾いたアオはそのままの位置で倒れるようにベッドへ横になった。
「ありがと……もう、眠いやあ……」
静かに目を閉じるアオ。イツキはアオの頭を撫でて「おやすみ」と小さく声をかけた。
アオは安心した様子で、すぐに寝息を立てた。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
翌朝。小さな物音でイツキは目を覚ました。
アオがコーヒーを淹れている姿に安心したイツキは、ゆっくりと上半身を起こした。
イツキが目を覚ましたことに気付いたアオが、コーヒーカップをイツキの手元に差し出す。
「おはよ」
アオが自分に向ける笑顔と声に、日常の穏やかな時間でしか得られない温もりを感じたイツキは、現状を一瞬だけ忘れかけた自分にわずかな驚きを持った。
「うん。おはよ」
イツキはコーヒーカップを受け取ると、その温もりを両手のひらで確かめた。今日もこれからモンスターと生身での殺し合いをするとは思えない、静かで穏やかな朝だった。