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第16話 リアルな傷

 モンスターが湧出しない烏丸通に面した蛤御門から、モンスターが待ち構える京都御苑に踏み込んだ九人のプレイヤーに対し、付近に湧出していた小鬼たちは一斉に反応した。

 プレイヤー側の一番槍はテルヤだった。

 テルヤは襲いかかってきた小鬼の左胸を何の躊躇も見せずに、アルカイックスマイルを浮かべたまま影貫手で貫いた。

 鮮血のエフェクトがテルヤの右腕を染め上げる。

 左胸を貫かれた小鬼の頭上に表示されているHPゲージがゼロを示して赤く点滅すると、無数の紫色にテカる粒子となって霧散した。

 死亡したモンスターの消え方は、チュートリアルの時と同様に静かなものだった。


「おらあっ!」


 テルヤに続くように一声を発したのはイツキだった。

 イツキは難無く最初のモンスターをほふったテルヤを横目で見つつ、襲いかかってくる小鬼に対して虎振を発動した。

 右手に握ったナイフを振り下ろす小鬼を踏み替えで躱し、がら空きの腹部を太刀で斬りつけるイツキ。

 血飛沫を示す鮮やかに紅いエフェクトを飛び散らせた小鬼が霧散する。

 イツキの視界の上方に獲得経験値が表示される。数値は三十二。多いのか少ないのかを現時点では判断しようもない数値を一瞥いちべつしたイツキは、すぐに周囲を見回した。


「火炎球!」「落雷!」


 イェンリンとヒジリがほぼ同時にスキルを発動させ、小鬼を一体ずつ燃えカスと焦げカスにして霧散させた。


「ああぁぁぁ!」


 アオの音波砲が一体の小鬼に命中する。音波砲を喰らった小鬼は耳を押さえてうめきを上げた。

 呻くゴブリンの頭にイツキが太刀を振り下ろす。

 動きが止まった小鬼を屠るのはイツキにとって簡単な作業だった。手に残る嫌な感触を振り払うようにイツキが太刀を振る。

 獲得経験値は二十七と最初に倒した小鬼より少し減っていた。個体によって経験値に幅があるのか倒し方によって増減があるのかすら現時点ではイツキに判断しようがなかった。


「思ったより簡単に当たるね……火炎球!」


 イェンリンが感想を口にしながら、五メートルほど離れた小鬼に火炎球を放つ。

 標的となった小鬼は為す術無く燃えカスとなった。


「なんか、ぜんぜん余裕でいけそうだよ? 落雷!」


 ヒジリも軽い口調で感想を言いながら、七メートルほど離れた小鬼に落雷を放った。

 標的になった小鬼が一瞬で焦げカスとなり霧散する。


「わたしのスキルは……」


 音波砲の威力に納得がいかない様子のアオに気付いたイツキが声をかける。


「アオのスキルは、これから必要になってくるタイプのスキルだと思う」

「うーん……そうだね、そう思っておく」


 イツキの言葉にとりあえずの納得を見せてから、アオは周囲に視線を移した。


「水斬!」「光弾!」「鎌鼬!」「土爪!」


 ウブとハルミ、そしてミツとアラタのスキルが、それぞれ六メートルほど離れた小鬼に命中する。

 両断され、風穴を開けられ、千切れ、分断されて、鮮血のエフェクトを残し霧散する小鬼たち。

 そこで九人のレベルが同時に上がった。

 【LEVEL UP】という明るいオレンジ色の表示が、各々の視界の上方に現れた。

 視界の左上に透過した状態で固定表示されているレベルの表記が二に変わる。

 レベルアップと同時に、わずかに減っていたマジックポイントの残量を示す青いバーが全回復した。


「なんや、思ったより楽勝なんかもしれへんな」


 アラタが楽観的な感想を隠さず口にした。


「気を付けるとすれば、MPの残量ぐらいですかね……」


 イツキは自分が心配性であることをあらためて感じながら、注意を促すように付け加えた。

 マジックポイントの残量に注意しながら、各々がスキルによる攻撃で次々に小鬼を霧散させていく。

 四十五分ほどの戦闘を経て、九人のレベルが四まで上がった。

 イツキは小鬼を屠る感触に慣れ始めていた。

 他のメンバーも新たなスキルを習得することこそなかったが、マジックポイントの総量が若干とはいえ増えることに加え、レベルアップの時点でマジックポイントが全回復することで安心感を持った。

 すばしっこい小鬼の動きにも慣れた九人は、スムーズに小鬼を倒し続けた。

 生身でモンスターと戦闘するという特殊な状況にも順応し始めた九人は、レベルが上がることで俊敏性や腕力、スキルの攻撃力といったステータスも同時に上がっていると実感した。


「順調だよね……? 心配しすぎだったかな……?」


 独り言のように感想を漏らしたアオにイツキが答えようとした時、アオの背後に小鬼が湧出した。

 それまで小鬼が湧出していなかった地点だった。

 突如として出現した小鬼に、アオは気付くのが一拍だけ遅れた。実際に殺し合う戦闘において一拍の遅れは死に直結する。


「アオ!!」


 イツキは叫びながらアオと小鬼の間に割って入った。

 小鬼の振るったナイフの切っ先が、イツキの左肩をえぐる。

 イツキは痛みを感じる余裕すらなく、咄嗟に出た動作のままにスキルを介さない太刀の一振りで小鬼を屠った。


「イツキ……!」


 動揺するアオを落ち着かせようと、イツキが努めて静かに答える。


「大丈夫。かすり傷だよ、大したことない」


 エニアドのコスチュームである軍服は、破けた部分が微かに発光すると自動で修復した。

 初めて見るコスチュームの仕組みに驚いたイツキは、左肩の裂傷からにじむ血の生温かさと、にぶく熱い痛みを遅れて感じた。

 リアルな傷の痛みに眉を寄せるイツキを見て、アオの声は自然と大きくなった。


「すぐ手当てしなきゃ……!」

「いや、大丈夫だよ。これぐらいのかすり傷なら出血もすぐ止まるだろうし」


 イツキが負傷は軽微なものだと強調するように言うと、アオは声のトーンを一段上げた。


「ダメっ!」

「分かった……そうしよう」


 アオはこうなると言うことを聞くまで折れない。そう思ったイツキは大人しくアオに従うこととした。


「モンスターはランダムな位置にも出現するみたいです! 注意してください!」


 イツキはそう言い残すと、京都御苑から出ることにした二人の護衛を買って出たヒジリとイェンリンとミツに小鬼の排除を任せ、アオと一緒に蛤御門から京都御苑を出てモンスターが湧出しない烏丸通へ戻った。

 その場で上着を脱いだイツキは傷の具合を確かめた。裂傷自体は浅いもので出血も止まり始めていた。

 傷の痛みよりも「敵の攻撃で傷を負う」という事実を目の当たりにしたショックの方が、イツキにとっては強かった。

 イツキの傷を実際に目で確認したことで、アオは落ち着きを取り戻した。


「ロビーに応急手当のキットが置いてあるから……」

「うん、戻ろうか」


 アオの言葉に従うことを決めたイツキが即答すると、護衛を買って出たことでイツキとアオに同行して京都御苑を離れる形となったヒジリが、イツキのそばに近寄った。


「ホントに、だいじょーぶなの!?」


 ヒジリが心配そうにイツキの顔を覗き込む。


「ああ、心配ない。本当にかすり傷だ」

「僕もついてく」


 ヒジリが言うとイツキが答えるより先にミツが提案を口にした。


「そやねえ、ゲームの感じも掴めたことやし私らも少し休もか」

「そうしましょう」


 イェンリンがすかさずミツの提案に同意し、五人は揃ってホテルのロビーへ戻ることになった。

 ロビーに戻るとアオがてきぱきと動き、物資を調達した際に用意していた止血パッドを裂傷の上に貼るだけで応急処置が済む。


「ありがとう」


 笑顔を作ってみせたイツキに対して、アオは首を横に振った。


「ううん……わたしをかばったせいだし……」

「俺は本当に大丈夫だから」


 うつむくアオの頭をイツキがやさしく撫でる。

 二人の様子を見ていたヒジリがぽつりと実感をそのまま素直に漏らした。


「傷は、リアルなんだね……」


 ヒジリの実感を受け取るように口を開いたのはイェンリンだった。


「そうだね。ほぼ生身って、こういうことなんだよね……」


 ヒジリは溜め息まじりにうなずくと、イツキを見つめて質問を口にした。


「痛みも、なんだよね……?」

「ああ、残念だけどな。そこもリアルだ」


 イツキが苦笑いを浮かべて端的に答えると、ミツが腕組みをしながら口を開いた。


「冒険は出来へんねえ……少なくとも今は慎重にいくしかあらへんわ」


 イツキは自分の左腕を見ながらミツの見解に同意した。


「そうですね。安全マージンは充分に取る必要がありそうです」


 イェンリンがロビーの大きな窓から見える烏丸通を挟んで正面にある京都御苑へ視線を向けてから口を開いた。


「ハルミさんたち大丈夫だよね」


 イツキはイェンリンにつられるように窓へ目をやってから答えた。


「アラタさんやテルヤさんが動じている様子もなかったし、大丈夫でしょう」

「これからどうする?」


 イェンリンが振り向きながら訊くと、イツキはソファから立ち上がった。


「御所に戻りましょう。もう痛みも引いたし、何より時間が惜しいです」


 立ち上がったイツキを見上げるアオは心配を隠さなかった。


「ほんとに、大丈夫なの?」


 イツキは微笑を浮かべてから答えた。


「大丈夫。こんな傷ぐらい大したことないって」


 ミツが言い聞かせるような口調でイツキに声をかける。


「そないに焦ることあらへんよ。今は少し休まはったほうがええ」


 イツキは短く逡巡したが、ミツの言葉を素直に受け入れてソファにゆっくりと腰を下ろした。


「はい、そうですね……ちょっと休みます」


 イツキはふうと小さく息を漏らした。

 ゲームの開始から一時間と経たずに軽傷とはいえ最初の負傷を経験したことで、これから近接戦闘の自分は傷だらけになるのかと思ったイツキの腰が重かったのは隠しようのない事実だった。

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