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第14話 ナイト

 形としては存在しても一度も振るわれることがなかった治安出動。

 政府にとって最後の切り札である治安出動が、スセリという一つの存在によって生み出された異空間を前にして発令されたことで、異空間の中にいる九人は否応なしに外界との隔離を強く感じることになった。

 九人は小料理屋での昼食を終えてホテルに戻ると、翌日正午のゲーム開始まで各々の客室で休むことにした。

 イツキとアオ、アラタとウブの二組は同室だった。

 アオは昨晩と同じ客室に戻るとすぐに、アオザイを脱ぎ始めた。


「まだ早いけど、もうシャワー浴びちゃうね」


 一刻も早くエニアドのコスチュームを脱ぐことでリラックスしたいんだと察したイツキは二つ返事で返した。


「うん。きょうは早めに休んだ方が良さそうだし、それがいいよ」


 イツキは肯定を口にしながら腰に差した太刀を外すと、窓際のソファへ身を預けるように腰を下ろした。

 テレビをつけようかと一瞬だけ迷ったが、今は情報過多になるのを避けたほうがいいと判断して目を閉じた。

 考えないといけないことは多いけど、今は考えた分だけ思考が迷路に入り込みそうだし、ゲームのクリアだけに集中したほうがいい。イツキは自分にそう言い聞かせた。

 パタパタとアオがバスルームへ向かう足音だけにイツキは耳を澄ました。

 俺が守らなければいけない足音だ。そう思ったイツキは、自分がやるべきことは意外にシンプルなんだと思考を切り替えた。

 アオがシャワーを浴びる音だけがかすかに聞こえる客室で、イツキは深呼吸してから目を開けて立ち上がった。


「さて、と……」


 イツキはコスチュームである詰襟の軍服を脱いで、客室に備え付けのナイトウエアに着替えた。

 給湯ポットで湯を沸かしてコーヒーを淹れる。自分を落ち着かせるようにゆっくりと淹れたコーヒーを片手に、イツキは窓から外を眺めた。

 無人の烏丸通と静かすぎる京都御苑の深い緑。

 千年の都と呼ばれる京都が都市として機能していない時間が流れている。千年の間にこんな時間はあったんだろうかと、ぼんやり日本史を思い出しながらイツキがコーヒーカップに口をつけた時だった。

 静寂を破る爆発音がイツキの耳に届いた。

 音の感じから爆発は離れた位置のもので寺町御門の方角だということは分かったイツキが、左手首に着けている情報端末の時計を確認する。

 時刻は十五時三十分。


 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇


 同刻の寺町御門前。

 周囲を封鎖する警察車輌に混じって、陸上自衛隊の高機動車や軍事仕様に改造を施された大型トラックが並んで停車していた。

 事件現場に見られるような急造のブルーシートであった囲いは、工事現場で設置されるものと似た鉄板のフェンスに変わっていた。


「寺町作業班より本部。指向性爆破薬による爆破を完了。効果は認められず。送れ」

「本部了解。その場で待機せよ」


 無線のやりとりを間近で聞いていた猪上は、少し離れた位置に立っている後藤のそばまで寄ってから口を開いた。


「指向性爆破でも傷ひとつ付かないという事実で、上は納得するでしょうか……?」


 つまらない見世物を見ている客のように退屈を隠さず作業班による爆破作業を眺めていた後藤が、ゆったりとした口調で答えた。


「相手は動かない壁だ。脅威を増す怪獣という訳でもない。ガトリングがダメなら次はミサイルとはならんだろう。物理的に破壊することは不可能という口実ができれば永田町も納得するさ」


 後藤の返答を聞いた猪上は、もう一つの懸念を口にした。


「この行為は、スセリを刺激することにならないでしょうか……?」


 猪上を安心させるように、後藤が声にやわらかさを含ませる。


「こんな些末なことは気にする存在じゃないだろう。あの存在にとっては我々の反応なんざ全てが想定内だろうさ……さて、もう充分だ。出よう」


 後藤と猪上がフェンスの外に出ると、爆発音に驚いた付近の住民が野次馬となって、警察が引いた封鎖線に沿って群がっていた。


「やれやれ、だなまったく……秘匿をむねとしてきた俺たちが、今じゃ衆人環視の中にいるとはね」


 後藤は溜め息まじりにぼやくと静かに歩き出した。猪上も音を感じさせない足運びで後藤の後に続く。


「事務所に戻りますか?」


 猪上が後藤にだけ届く声で訊くと、後藤は迷うことなく即答した。


「いや、セーフハウスで少し休む。マンションが箱の外で助かった」


 京都市役所からほど近い木屋町通沿いにあるマンションの一室をセーフハウスとして押さえてある後藤の返答を聞いた猪上が、声に微かな色気を含ませる。


「では私もお供します。マッサージぐらいはできますので」

「そりゃあ助かるな」


 感情を込めずに返した後藤は、静かな足運びのまま等間隔に制服の警察官が並ぶ封鎖線に近付いた。

 後藤と猪上はその場の空気に素速く馴染むすべを身に着けており、封鎖線を越えると自然に野次馬として集まった付近の住民に溶け込んだ。

 歳の離れた夫婦を思わせる距離感で歩く後藤と猪上は、そのまま姿を消すように封鎖されたエリアから離れた。


 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇


 十六時七分。

 アラタとウブが宿泊する客室でシャワーを済ませたウブが、バスローブを羽織ってバスルームから出た。


「ほな、また」


 ウブが戻るのとタイミングを合わせるように、アラタは電話を切った。

 アラタはエニアドのコスチュームである芥子色の軍服を着たままだった。


「妙理……?」


 ウブがポニーテールをほどくと存外に長い瑠璃色の髪をバスタオルで拭きながらアラタに小さな声をかけると、アラタは首肯してから答えた。


「そや、事務局長は情報がないと落ち着かへんからな」


 実の父親を妙理教導会での役職で呼んだアラタに対して、ウブが感想を口にする。


「妙理の人たちも慌てたはるやろねえ」

「それが意外とそうでもないわ。異空間に取り込まれたんが会長か事務局長やったら、それこそ大騒ぎやろうけど」


 祖父のことも会長と呼ぶアラタが微苦笑を浮かべて返すと、ウブは若干の間を置いてからうなずいた。


「……そやねえ」

「ほな、薬の調達に行ってくるわ」


 アラタが微苦笑をカラッとしたいつもの笑みに変えてから言うと、ウブはわずかに目を伏せた。


「……堪忍かんにんな。まさか忘れるやなんて思わへんかった」

「気にせんとき。ほんまに眠剤みんざいだけで大丈夫そうなんか?」


 小腹が空いたときの軽食と同じ声のトーンで眠剤と口にするアラタに対し、ウブがこくりとうなずく。


「うん。大丈夫やと思う」

「この状況やと、日中に眠気のこす訳にはいかへんからなあ……朝に残らんタイプやと、やっぱトリアゾラムか」


 アラタが一般にはハルシオンの名で知られる睡眠導入剤の薬品名をサラッと口にすると、ウブがもう一度こくりとうなずく。


「うん。それでええよ」

「よし分かった。ほなな、すぐ戻るわ」

「うん。気いつけて」


 客室を出るアラタを見送ったウブの脳裏にふと、異常な状況に身を置く自分とアラタが現時点で気を付ける存在とは何なのかという思いが浮かんだ。


 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇


 十八時十九分。イェンリンが宿泊する客室をミツが訪れていた。

 既にシャワーを済ませてナイトウエアに着替えている二人は、缶ビールを片手に晩酌していた。

 つまみに用意したピスタチオを指で摘まみながら、ミツが心配を口にした。


「やっぱり心配なんはハルミさんやんなあ。私らでフォローできればええんやけど……」


 噛み砕いたカシューナッツをビールで流し込んだイェンリンが首肯する。


「ハルミさんにとってのナイトがいればいいんでしょうけどね」


 イェンリンが口にしたナイトという言葉を聞いたミツは、九人が顔を合わせた直後のことを思い出した。


「ウブさんにとってのアラタさん、みたいな?」


 同じ光景を思い出していたイェンリンが即答する。


「ええ、そうです。君は俺が守る。そう断言してくれる存在」


 殻を剥いたピスタチオを口に放り込んだミツが、噛み砕きながら少しの間を置いて考えを巡らせた。


「んー……テルヤさんとか、あかへんの?」


 ミツがテルヤの名を出すことは、想定できていたイェンリンがすぐさま否定する。


「一見して紳士的だし、振る舞いもナイト役が適しているように見えますが、残念ながら姫を守るようなキャラではないと思います」


 イェンリンの意見を素直に受け入れたミツは、落胆を表情に出しながら答えた。


「そうなんやあ……イツキさんは、アオさんで手一杯やろしねえ……」

「ええ、男性陣は全滅かと」


 ミツは次のピスタチオを摘まんで、わずかに思案する表情を浮かべた。


「まあ、このゲームがどないなもんか、始まってみいひんことには判断つかへんし、展開も読めへんけど……」


 ぼそりと言ったミツの言葉を、イェンリンが補うようにして続ける。


「ゲームというからには、難易度は設定されているでしょうし、それ次第ですかね」


 ミツは小さくうなずいてから答えた。


「多少は強化されとるみたいやけど、生身でモンスターと戦うやなんて埒外らちがいな状況やからねえ。まあ、男に期待するような時代なんとっくの昔に終わっとるし、私らでフォローするしかあらへんのとちゃう?」


 イェンリンはのどを鳴らしてビールを飲んでから、若干の諦めを含んだ声で同意を口にした。


「それしかないでしょうね……それにしても、男をあてにする時代ってやつを、一度ぐらいは経験してみたかった気もします」

「そやねえ。まあでも、そないな時代を否定して終わらせたんも、私ら女やけどねえ」


 お互いの言葉が含む男への落胆に、顔を見合わせた二人は揃って苦笑いを浮かべた。

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