各々にスキルの内容と発動方法を確認した九人は、誰かが呼び掛けるでもなく各々の距離を保ちながら自然と集まった。
「エニアドをゲームとして単純に捉えるなら、基本操作のチュートリアル完了といったところですね」
テルヤが現状を確認するように言うと、それを受けるようにイェンリンが提案した。
「やることやったところで、ちょうど頃合いですし、みんなで昼食にしません?」
「そうですね……」
イツキが賛成を口にした時、左手首に装着している情報端末が電話の着信をバイブレーションで報せた。
小型モニターの表示で後藤からの電話であることを確認したイツキは「後藤さんからです」と断わってから電話に出た。
「いま大丈夫か?」
後藤の落ち着いたバリトンボイスが情報端末の超小型スピーカーから出力される。
「はい。ちょうど落ち着いたところです」
「どうだ、中の状況は」
「九名の合流と顔合わせは無事に済み、エニアドに関する情報を共有。エニアドの攻略で必要となる動作などの確認を終えたところです」
要点だけを端的に報告するイツキが普段通りであることに安堵した後藤の声がわずかに柔らかくなる。
「そうか。適時のバックアップができる状況にないことは変わらないが、報告は密に頼む」
「はい。物資の現地調達を既に行っています。今後も事後処理をお願いする案件が増えると思われます」
イツキの思慮が異常な事態の
「そこは全く気にしなくていい。必要ならば物でも施設でも存分に使ってくれ。遠慮は無用だ」
「了解です」
「身の安全を最優先としつつ攻略に当たってくれ。全員の無事を祈っている」
「分かりました。では」
イツキが電話を切ると、イェンリンが電話の内容について感想を漏らした。
「
「そうですね……今回ばかりはその手腕を発揮しようがないですから……祈っているなんて言葉、後藤さんの口から初めて聞きましたよ」
イツキが微苦笑を浮かべたタイミングで、アラタが軽く右手を挙げながら発言した。
「ちょいと皆さんに提案っちゅうか、相談があるんやけど、ええですかね?」
「なんでしょうか」
テルヤが即座に答えると、右手を下ろしたアラタが腕組みしながら言った。
「エニアドをクリアするまで、バグの発動を禁止するっちゅうのはどうでしょう。命懸けのゲームを進める上で疑心暗鬼のもとになる思うんですわ」
イツキは胸の内でアラタに
自分が提案しなければと考えていた内容だった。各々が持つバグの特性を考慮すれば信頼関係が十分に醸成される前の使用は避けたい。できるならバグを使用せずにエニアドをクリアしてしまいたいと考えていた。
そんなイツキの考えを見透かすように、テルヤは静かな口調のままで反論した。
「私たちはデスゲームの
イツキは胸中で逡巡した。確かにテルヤの意見にも一理あることは否定できなかった。
アラタはうなずきながらも持論を曲げなかった。
「ゲームを攻略するパーティーとして協力してくには、バグは邪魔やと思うんですわ……異能の特性っちゅうか作用を考えると」
テルヤは全く動じる素振りを見せずに、用意していた原稿を読むように反論した。
「そうとも限らないでしょう。バグと一言で括ってもその作用はそれぞれ大きく異なります。モンスターとの戦闘に有効な使い方があるかもしれないし、攻略の助けとなる場面があるかもしれない。今はあらゆる可能性を考えるべきです」
理路整然としたテルヤの反論を受けて、アラタが「うーん」と唸りながら首を傾げる。
「バグの発動を感知できるんはアシナヅチであるイツキさんだけやし、常にバグに対して気を張ってなくちゃならんのは、イツキさんの負担も大きいでしょう」
アラタが絞り出した理由に、テルヤはすぐさま反論した。
「その点を考慮に入れても、この不測の事態に際して力を削ぐような方策は得策ではないかと」
「不測の事態やからこそ、疑心暗鬼が怖いんちゃいますか?」
そこまでアラタとテルヤの意見を黙って聞いていたイェンリンが割って入った。
「両者の言い分はもっともだと思います。どうでしょう。パーティーを組むメンバーは九人いますし、多数決で決めるというのはどうですか?」
仲裁役を買って出たイェンリンの提案に、先に応じたのはアラタだった。
「ええでしょう」
アラタが短く同意するのを受けて、テルヤは微笑を浮かべるとイェンリンに向かって首肯した。
「それじゃ、バグの発動を禁止するのに賛成の人は手を挙げてください」
イェンリンはそう言うと、まず自らが手を挙げた。
間を置かずにアラタも手を挙げると、ウブ、イツキ、アオが続けて手を挙げる。
「賛成多数ですね。承知しました」
テルヤはあっさりと多数決での決定を受け入れた。
イツキはひとまず安堵した。状況がどう変化するか分からない現時点でイツキが事態を楽観することはなかったが、取り敢えずはバグの発動を禁止するという形になったことで、考える時間は得られたと思った。
パンッとイェンリンが両手を打ち合わせる。
「さて、と。話も済んだし、ここらで昼食にしません?」
イェンリンが空気を変えるように明るい口調で提案した。
「さんせーい! もう、おなかペコペコだよお……!」
両手をだらりと下げたヒジリが真っ先に賛同する。
九人は宿泊するホテルからほど近い烏丸通沿いにある小料理屋へ移動した。
こぢんまりとした店で、九人で貸し切りの様相を呈した。
料理が得意だというアラタとイェンリンが調理役を買って出て、コンパクトながら整頓されている厨房に入った。
「けっこう豪華な食材が揃ったはるわ。調度の趣味もええし、中々な高級店やなあ」
アラタは感心を口にしながら、旬の桜鯛を手際良く捌いた。
「魚介類は今のうちに食べておかないと、ですね」
イェンリンも立派なハマグリを見つけて機嫌が良かった。
厨房に入った二人がてきぱきと調理する姿を見ながら、イツキは人数分の飲み物を用意した。
「今日やらなあかんことは済んだことやし、私はビールもらおかなあ」
ミツが注文するように言うと、イェンリンも「じゃあ、あたしもビールで」と同調した。
アラタとテルヤ、そしてヒジリが乾杯に付き合った。
調理を終えたアラタはテーブルの席に腰掛けると、ふうと小さく息を吐いた。
「明日っからパーティー組む九人での、最初の食事やなあ」
アラタと一緒に厨房を出たイェンリンが、グラスを手に乾杯の音頭を取った。
「それじゃ、全員の無事とゲームクリアを祈って、かんぱいっ!」
「かんぱーい!」
「乾杯」
「……かんぱい」
不揃いな乾杯で、九人での最初の食事が始まった。
旺盛な食欲をみせるアオとヒジリ。対照的に少食なウブとハルミ。
まだ日が高いというのに、豪快に
そろそろ十三時を指そうとする壁の時計を見て、アラタが壁掛けのテレビをつけた。
程なくして緊急放送を告げるチャイムとともに、男性アナウンサーが呼びかけた。
「京都および近県の視聴者のみなさんに、これから緊急放送をお送りします。テレビをご覧の方はできるだけ多くの人に声をかけ、放送をご覧になるよう、ご協力をお願いします。繰り返します……」
男性アナウンサーの抑制された声で告げられる聞き慣れない呼びかけに、九人は手を止めた。
「今から十五分前、福中官房長官は緊急記者会見を行い、京都の治安を維持し予想される最悪の事態に備えるため、自衛隊内の一部部隊に出動を要請した、と発表しました。繰り返します……」
テレビから流れる緊急放送に、アラタが低い声で反応した。
「なんや、えらい早う、伝家の宝刀、抜きよったな……」
「これって……治安出動ってことですよね?」
イェンリンは確認する口調で、アラタに訊いた。
「そうでしょうな……
アラタの言葉を聞きながらもイツキはテレビの画面から目が離せなかった。
「これは、突如として出現した巨大不明空間について、充分な検討を行った結果、現在の警察力のみでは予想される最悪の事態に対応できないという判断に、基づくものであり……」
異常な状況に置かれていても、どこか和やかに進んでいた九人での食事が止まる。
焼きハマグリの香ばしい香りがイツキの鼻腔をかすかにくすぐる。
その平和な香りと緊急放送のミスマッチに、イツキは現実感の喪失をあらためて感じた。
「壁の外は大騒ぎやな……」
アラタがぼそりと呟く。
イェンリンは喉を鳴らしてビールを飲むと、ふうと短く息を吐いた。
「今回ばかりは、イルリヒト単体での処理はもう無理ですね」
グラスのビールを一息で飲み干したミツが、イェンリンの言葉を受けるように口を開いた。
「バグの存在を秘匿したまんまで事を収めるんに、どないな理由つけるんやろねえ」
アラタが瓶ビールを手に取り、イェンリンとミツの空になったグラスへビールを注ぐ。
「俺らバグホルダーのことは何としても隠すつもりやろうし、スセリのことも隠しおおせるつもりやろうけど、さすがに難しいかもしれへんなあ」
アラタの予想を受け取って即答したのはテルヤだった。
「全てはスセリ次第ですね」
アルカイックスマイルを崩さないテルヤの断定を聞いて、箸を持ったまま手を止めていたイツキが箸を置いて腕組みする。
「東京を人質に取るスセリが、おとなしくゲームの推移を見守るでしょうか……」
アラタもイツキにつられるように腕組みした。
「本体っちゅうか、核か胚みたいなもんかもしれへんけど、とにかくスセリにとってきっかけにはなっとるらしいスパコンへの対処次第かもしれへんな」
考え込む空気が漂う中で、ヒジリは軽い調子を崩さなかった。
「うーん。まあ、外で何があっても、僕たちがとにかくエニアドをクリアするしかないってことは変わってないでしょ?」
ヒジリの端的な言い分に、アラタとテルヤが即座に同意した。
「そのとおりやな」
「ええ、そうですね」
イツキはエニアドのクリアが前提条件となっていることに危うさを感じたが、口には出さずに黙ってテレビを見つめた。
テレビの緊急放送は同じ内容を繰り返し伝えていた。