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第9話 九人

 テルヤの到着から二十分ほど遅れて、寺町御門の封鎖エリアに純白のメルセデスベンツ・Gクラスが乗り入れた。

 元来は悪路を走破するために設計された自動車でありゲレンデとも呼ばれるが、芸能人が好むクルマとして知られるようになってから三十年ほど経過し、今ではすっかり高級車の定番となったGクラスから降りたのは、四人のバグホルダーだった。


「なんや事件現場みたいになったはるなあ……まあ、この事態も事件と大差あらへんか」


 助手席から降りたアラタが、急ごしらえが見て取れるブルーシートのテントを見て真っ先に口を開いた。

 百七十七センチとさほど長身というわけではないが、ハイブランドのカシミアセーターをざっくりと着こなす姿に余裕がもたらす品を伴う男だった。


「逆に目立ってる気いするわあ。もう隠す気いも起きひんのやろねえ」


 後部座席から降りたミツが、アラタの言葉に同調するようにゆったりとした口調で感想を口にする。

 落ち着いた栗色の髪を軽やかに切り揃えたショートボブが自然に似合う成熟した女性で、ダークブラウンのリブニットの上に同系色の薄手なカーディガンを羽織っている。


「…………」


 ミツに続いて後部座席から降りたハルミは無言だった。

 艶やかな黒髪を胸まで伸ばしており、前髪は眉の位置で切り揃えてある。整いすぎている容貌に肌の白さと手足の細さとが相まって、球体関節人形の少女が自我を持って動いているような印象を他者に与えることを自覚しているハルミは、その設定を再現する女優然として口をつぐみブルーシートのテントを見つめていた。


「野次馬はおらへんみたいやけど……どこに目があるか分からへんし、はよ入ろ」


 最後に後部座席から降りたウブがアラタに話しかけながら、シートで急造されたテントへ向かって黒髪のポニーテールを揺らしながらツカツカと歩いた。

 糸のように細いチタン製の眼鏡をかけたウブの切れ長で三白眼の目は、強い眼光をまっすぐに前へ向けていた。


「そやな。京都はどこに目があってもおかしないからなあ」


 アラタがウブの言葉に同意を示しながら、ウブに続いてブルーシートのテントへ入る。ミツとハルミも二人の後に続いた。

 四人の到着を待っていた猪上が、アラタに向けて声をかける。


「お疲れ様です。どうぞ、こちらへ」


 アラタは猪上に軽く会釈してから後藤の前へ進み出た。

 漆黒の壁を背にして立っている後藤は、表情を動かさずに口を開いた。


「ご苦労様です。早速で申し訳ないのですが、異空間の中へ入って先行する五名と速やかに合流してください」


 イルリヒトという特異な情報機関を構成するメンバーとして現場を統括する立場にある後藤ではあるが、普段は東京での業務に追われていることもあって、京都組のまとめ役であり協力者という立場にいるアラタへ対する後藤の対応は配慮を含むものだった。


「了解です。なんやえらい事態になってもうたけど、東京組の五人には鈴江さんもおることやし、連携に関してはまあ問題あらへんと思います」


 即座に了承したアラタの口調は、既に事態を受け入れている者の落ち着きを装ったものだった。

 後藤はわずかに首肯する仕草をみせてから指示の続きを口にした。


「ゲームのクリアを最優先としてください。物資の調達や施設の利用など必要となる行為に関する処理は我々が行いますので気兼ねは無用です。適時のバックアップもままならない状況ですが、九名の協力をもって京都の解放を」

「分かりました」


 アラタは後藤に対して即答すると、後ろに立つ三人へ向かって声をかけた。


「ほな、京都を解放しに行くとしよか」

「さすがに妙理の御曹司は肝が据わったはるわあ。こないな状況でも調子が軽いんやから」


 ミツが感心と呆れが半々といった口調で返すと、アラタは微苦笑を浮かべた。


「重苦しゅうして事態が好転するんやったら、なんぼでも重い声ぐらい出したるけど、大抵そうはならへんからなあ」

「まあそうやんねえ。ほなさっさと行きましょ」


 ミツは同意を示すように微笑むと、前に進み出て漆黒の壁にそっと触れた。ミツの右手の先が抵抗なく壁を通り抜ける。

 それを見たアラタも同様に壁に触れた。


「ほんまに抵抗ないんやな、俺らは選ばれとるっちゅうわけか……ほな行くで。ウブ、ハルミさんも、ええな?」


 ウブは「うん」とだけ答えてアラタの横に立った。

 無言で首肯したハルミも、漆黒の壁の前に立つ。


「よっしゃ、突入や!」


 アラタの掛け声に合わせ、ミツとウブも揃って漆黒の壁に向かって足を踏み入れる。ハルミは一呼吸遅れて足を踏み入れた。

 漆黒の壁を通り抜けた四人の前には、微笑を浮かべるスセリが立っていた。


「はじめまして。坂木さかきあらたさん。尾花おばなうぶさん。大串おおぐし遥海はるみさん。児玉こだま美都みつさん」


 アラタは躊躇する様子もなく、スセリに向かって三歩近付いた。


「おまえさんがスセリ、この空間の神さんっちゅうことでいいんか?」

「そうです。まず、みなさんにはゲームにログインしていただきます」


 平坦な声で応対するスセリを制止するように、アラタはわずかに語気を強めた。


「ちょい待ち。その前にひとつ訊いてええか?」

「なんでしょう」

「おまえさんを、今ここで殺したら、この異空間はどうなるんや?」


 声を低めたアラタに対し、スセリは表情を変えずに即答した。


「わたしを殺傷するという前提が不可能です。すでにあなた方はわたしの支配下にあります」


 スセリの返答を想定していたアラタは動揺することもなく言葉を返した。


「動きを止めるどころか、俺を即座に消すぐらい朝飯前っちゅうわけか」

「その通りです。では、ログインしていただきます」


 アラタとの問答を切り上げるように告げたスセリが、指をパチンと鳴らす。

 四人の全身が明るい緑色の光に包まれ数秒で光が消えると、四人の服装と髪の色が変化していた。

 アラタはダブルブレストで芥子色の古風な軍服を着ており、短く刈り上げた髪はダークブラウンになっていた。


「なんや、武器やら防具の類いは無いんかい」


 軽い調子で突っ込むように感想を口にしたアラタは、他の三人に目を向けて変化した姿を確認した。

 ウブは太ももが覗く深いスリットの入った藍色のチャイナドレス姿だった。ポニーテールの黒髪は鮮烈な瑠璃るり色に変わっている。

 ミツは豊かに盛り上がった胸を際立たせるような淡い翠色のノースリーブのドレスで、ショートボブの髪は翡翠ひすい色に輝いていた。

 ハルミはストレートロングの黒髪が艶やかな金髪に変わっていた。服は光沢のあるパッションイエローでショート丈のワンピースドレス。


「これからバトルって感じのコスチュームには見えへんなあ」


 アラタの感想に対して何の反応も示さずにスセリは告げた。


「ゲームでの属性は、新さんは土、生さんは水、遥海さんは光、美都さんは風です。ゲームに関する詳細は斎さんに聞いてください。では、わたしは消えます。エニアドを楽しんでください」

「あ、おいっ!」


 アラタの制止を聞かずに、スセリが瞬時に消える。


「……生殺与奪を握っといて、自分は高みの見物ってわけかい。説明も人任せってなんちゅうやる気ない神さんや……鈴江さんに聞けってか」


 アラタは溜め息交じりに言いながら、左手首に装着した情報端末でイツキに電話をかけた。


「もしもし」


 イツキは三コール目で電話に出た。


「ああ、鈴江さん? お久しぶりです、坂木です。今しがた四人で壁ん中に入りましたわ」

「はい。猪上さんから連絡がありました。寺町御門ですよね。今そちらに向かっているところです」


 平時の何てこともない待ち合わせのように応じるイツキに感心したアラタは、この異常な事態に対する自身のスタンスを決めた。


「そですか。ほな、ここで待っときます」

「はい。では」


 イツキが電話を切ってから数分後、アラタたち京都組より先行して異空間に入った五人が寺町御門に到着した。

 真っ先に口を開いたのはアラタだった。


「なんやかんやで形はずいぶん変わってもうたけど、結局は顔合わせすることになりましたなあ」

「そうですね。形は本当に変わっちゃいましたが」


 すぐさま同意しながら微苦笑を浮かべるイツキに対し、アラタはイニシアチブを取る必要を感じながらも、それを表には出さないように注意しながら提案した。


「アシナヅチとしてイルリヒトの中枢におる鈴江さん以外は、初めて会うメンツも多いことやし、ここは自己紹介から始めましょか」


 イツキとアラタの会話を遮るように、ヒジリがバッと右手を挙げた。


「はーい! 提案があります!」


 全員の視線がヒジリに集まる。怪訝な顔を隠さずにイツキがヒジリに訊く。


「なんだよ急に」

「いきなり全員のフルネーム覚えるってめんどくさいからさ、名字は抜きにして名前だけにしよ。お互いの呼び方も名前だけにしてさ」


 ヒジリの提案を聞いて、すぐさま賛成したのはミツだった。


「たしかに一理あるやんねえ。省ける情報は省くんに越したことないやろし、それがええんとちがう?」

「でしょでしょ。これから一緒に戦う仲間なんだしさ、名前でいいよ名前で」


 ニカッと笑うヒジリに対して、反論を口にするバグホルダーはいなかった。

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