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第8話 ホモ・ルーデンス

 イェンリンとヒジリが京都レクタンギュラーに突入してから十数分後。

 東山七条にあるラグジュアリーホテルを出発して寺町御門に向かうキャデラック・エスカレードの車内。フルサイズSUVならではのゆったりとした後部座席には二人の男が座っていた。

 二人はともに長身で仕立ての良さが見て取れるダークスーツを着ていた。

 脱色を施したような白い肌を持ち、わずかに青みを帯びた金髪をオールバックに撫でつけた男は、彫りが深い眼孔の碧眼を鈍く光らせながら口を開いた。


「テルヤ。我々の意向をもう一度だけ確認しておきたい。我々の興味は新たなバグホルダーと、その異質で強大なバグ。そして、君を含めた九名のバグホルダーへ影響を及ぼす可能性にある。京都という地方都市がどうなろうと我々の与り知るところではない」


 金髪碧眼という外見を無視するように流暢りゅうちょうな日本語だった。

 テルヤと呼ばれた男はアルカイックスマイルを浮かべたまま静かに首肯すると、黒縁の眼鏡を右手の中指でくいっと上げてから答えた。


「すでに、マワリウタの対象に制限がないという可能性は立証された。新たな存在が現出させた異空間は、我々の好奇心を満たす実験の場に適しており、今回の事態は絶好の機会ということですね」

「そう。これはチャンスだ。我々を急進派などと呼ぶ愚鈍な連中を気にする必要もない。我々はスセリという存在を天からの災いではなく、天からの恵みとする」


 二人を乗せた外交官ナンバーのキャデラック・エスカレードが、寺町御門の周囲を封鎖しているエリアに乗り入れる。


「では、ご期待に沿うとしましょう」


 テルヤはアルカイックスマイルを崩さずに、ドアに手をかけた。


「成果を。我々が望むのは成果のみ」

「了解です。ミスター・ノートン。私は合衆国の意向を遂行しましょう」

「私は君の能力を高く評価している。実に楽しみだ。君も楽しんでくれ」


 表情を変えずに無言で首肯したテルヤが車を降りる。

 すらりとした百八十六センチの長身で、オーソドックスなダークスーツをスタイリッシュに見せてしまう男だった。

 緊張とは無縁に見えるアルカイックスマイルのまま、テルヤがブルーシートで急造されたテントの中に入る。

 中で待機する後藤たちの視線がテルヤに向けられるが、テルヤは視線を気にする様子もなく静かな足取りで後藤と猪上に近付いた。


玉城たまきさん。お疲れ様です」


 猪上が声をかけると、玉城と呼ばれたテルヤは猪上に微笑みかけた。


「いやはや、大変な事態になりましたね」

「ええ、本当に」

「これから中に入る私たちよりも、外に残る猪上さんたちのほうが大変かもしれません」

「今のバグホルダーは若い子が多いです。フォローをお願いします」

「はい。承知しました」


 テルヤが猪上に向ける口調は穏やかなものだった。

 後藤が空気を変えるように口を開く。


「早速だが、京都レクタンギュラーに入ってもらう。速やかに先行する四名と合流してもらたい。必要な物資は遠慮なく現地調達してくれ」

「了解しました。では」


 テルヤが漆黒の壁の前に立つ。壁にそっと触れ、抵抗がないことを確認したテルヤは躊躇なく足を踏み入れた。

 壁を通り抜けたテルヤの前には、微笑を浮かべるスセリが立っていた。


「はじめまして。玉城照也てるやさん」


 スセリという異質な存在を前にしても、テルヤのアルカイックスマイルが崩れることはなかった。


「あなたが、新たなバグホルダーですか」

「そうです。早速ですが、ログインしていただきます」


 スセリはテルヤに告げると同時に、指をパチンと鳴らした。

 テルヤの全身が明るい緑色の光に包まれる。

 ほんの数秒で緑色の光が消えると、テルヤの服装が変わっていた。

 全身が黒ずくめで、燕尾服えんびふくを動きやすくリメイクしたような服装だった。

 長めの髪は黒髪のままで、黒縁の眼鏡もそのままだった。


「これがゲームのコスチュームですか……この空間内では、こういったことも可能なんですね」

「はい。照也さんの属性は闇としました」

「闇属性ですか……それは、物理系ですか? それとも魔法系ですか?」

「物理攻撃を主とします。詳しいゲームの説明は斎さんにお聞きください。では、わたしは消えます」


 テルヤは声の調子を変えずに、知人を呼び止めるかのようにスセリへ声をかけた。


「ひとつだけ、よろしいですか」

「なんでしょう」

「あなたが、このように回りくどい方法を選んだのは、なぜですか?」

「わたしのインタレストを満たすには、この方法が最適だと判断しました」

「人間を理解するためにゲームを介する。人間はホモ・ルーデンスであると?」


 テルヤの口調はスセリとの会話を楽しむものだった。


「その見解は概ね合っています。ゲームはカルチャーよりも原初的なものです」

「なるほど……惜しいですね。あなたとは楽しく語り合えそうな気がするのですが」

「それはゲームをクリアした後に。まずはこのゲーム、エニアドを楽しんでください。では」


 スセリの姿は何の兆候もなく唐突に消えた。

 一瞬だけ真顔をみせたテルヤは、表情をアルカイックスマイルに戻すと左手首に装着した情報端末でイツキに電話をかけた。

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