イェンリンとヒジリが京都レクタンギュラーに突入してから十数分後。
京都市東山区の三十三間堂に隣接するラグジュアリーホテルの車寄せに、外交官ナンバーを付けた黒塗りのキャデラック・エスカレードが乗り付けた。
ともに長身で仕立ての良さが見て取れるダークスーツを着た二人の男が、談笑しながらホテルのメインエントランスから出ると、車寄せに停まるキャデラックへ乗り込んだ。
フルサイズSUVならではのゆったりとしたキャデラックの後部座席に座ると、脱色を施したような白い肌を持ち、わずかに青みを帯びた金髪をオールバックに撫でつけた男が、談笑を続けるように軽い調子で口を開いた。
「このホテルと同じだよ。京都というトラディショナルでコンサバティブな土地に乗り込んだ、外資系ホテルの先駆けだと住民にすら認識されているが、内実は日本の企業が買収して国際的なブランドを持つ我が国の企業に運営を任せている。ザ・ステイツと日本は表面を見ても分からない協力によって強みを発揮する。私とテルヤのようにね」
金髪碧眼という外見を無視するように
テルヤと呼ばれたもう一人の男はアルカイックスマイルを浮かべたまま静かに首肯すると、黒縁の眼鏡を右手の中指でくいっと上げてから答えた。
「セオドアと私が在日米軍という後ろ盾を持つマネージャーとプレイヤーとしての立場を持ちながらも、内実はプレイヤー同士のチームであるように、ですか?」
セオドアと呼ばれた米国人は、彫りが深い眼孔に収まる碧眼を鈍く光らせながらも微笑を浮かべて答える。
「私の興味と目的は実地に存在する。机上で情報をこねくり回すマスターベーションで満足できるほど私は淡泊ではない。無駄にも思えるプレイにこそ快楽が潜んでいる」
テルヤは表情を変えずに首肯してから即答した。
「愉悦の根源である好奇心と体感を他人に渡さない。バーチャルとリアルの境界が曖昧になっている今だからこそ、その意識を持って行動できるプレイヤーだけが美酒を味わえる」
首をわずかに捻りテルヤに視線を向けたセオドアが、かすかに口調を重くして答える。
「ああ、私たちは真のプレイヤーだ。テルヤ、我々の意向をもう一度だけ確認しておく。我々の興味は新たなバグホルダーと、その異質で強大なバグ。そして、テルヤ以外の八名も含めたバグホルダーへ影響を及ぼす可能性。京都という地方都市がどうなろうと我々の与り知るところではない」
テルヤはわずかに顔を傾け、セオドアと視線を合わせてから静かに答えた。
「すでにマワリウタの対象に制限がないという可能性は立証された。十人目のバグホルダーという新たな存在が現出させた異空間は、我々の好奇心を満たす実験の場に適しており、今回の事態は絶好の機会、ということですね」
セオドアが歪んだ笑みを浮かべる。
「そう。これは千載一遇のチャンスだ。我々を急進派などと呼ぶ愚鈍な連中を気にする必要もない。我々はスセリという存在を天からの災いではなく、天からの恵みとする」
二人を乗せた外交官ナンバーのキャデラック・エスカレードが、寺町御門の周囲を封鎖しているエリアに乗り入れる。
「では、私はプレイヤーとしてゲームを愉しみ、状況を作るとしましょう」
テルヤはアルカイックスマイルを崩さずにシートベルトを外した。
「私もプレイヤーとして参加できる次の状況を期待している。その上でザ・ステイツを満足させる成果を。私たちが立ち回るにはザ・ステイツを楽しませる演出も必要だ」
セオドアの注文に対して、テルヤがわずかに右の眉だけを下げて微苦笑を浮かべる。
「了解です。ミスター・ノートン。私は合衆国の意向を遂行するエージェントを演じながら、戦況を動かすプレイヤーとしてゲームを愉しむとしましょう」
テルヤは自動で開いた後部座席のドアから車を降りた。
すらりとした百八十六センチの長身で、オーソドックスなダークスーツすらスタイリッシュに見せてしまう男だった。
緊張とは無縁なアルカイックスマイルを浮かべたままのテルヤが、ブルーシートで急造されたテントの中に入る。
中で待機する後藤たちの視線がテルヤに向けられるが、テルヤは視線を気にする様子もなく静かな足取りで後藤と猪上に近付いた。
「
猪上がテルヤに声をかけると、玉城と呼ばれたテルヤは猪上に微笑みかけた。
「いやはや、大変な事態になりましたね」
「ええ、本当に」
「これから中に入る私たちバグホルダーよりも、外に残る猪上さんたちのほうが大変かもしれません」
テルヤがいつもの調子であると感じた猪上は、わずかに表情をやわらげた。
「今のバグホルダーは若い子が多いです。フォローをお願いします」
「承知しました。フォローできるように配慮します」
テルヤが猪上に向ける口調は穏やかなものだった。
後藤が空気を変えるように口を開く。
「早速だが、京都レクタンギュラーに入ってもらう。速やかに先行する四名と合流してもらたい。必要な物資等は遠慮なく現地調達してくれ」
イルリヒトの構成員ではありながらも、在日米軍を主体とした急進派と呼ばれるグループに属するテルヤは、イツキやイェンリンとは異なり後藤が直接指揮していないこともあって、指示は最小限で端的なものだった。
「了解しました。では行ってまいります」
後藤に合わせるように端的な返答をしたテルヤが漆黒の壁の前に立つ。壁にそっと触れて抵抗がないことを確認したテルヤは、間を置かずに躊躇なく足を踏み入れた。
漆黒の壁を通り抜けたテルヤの前には、微笑を浮かべるスセリが立っていた。
「はじめまして。玉城
スセリという異質な存在を前にしても、テルヤのアルカイックスマイルが崩れるようなことはなかった。
「あなたが、新たなバグホルダーですか」
「そうです。早速ですが、ログインしていただきます」
スセリはテルヤに告げると同時に指をパチンと鳴らした。
テルヤの全身を包んだ明るい緑色の光がほんの数秒で消えると服装が変わっていたが、テルヤはそれに動じる様子を見せなかった。
全身が黒ずくめで
柔らかで若干のくせっ毛である髪は黒髪のままで、黒縁の眼鏡もそのままだった。
「これがゲームのコスチュームですか……この空間内では、こういったことも可能なんですね」
テルヤは静かな口調のままで感想を口にした。
「はい。照也さんのゲーム内での属性は闇としました」
スセリの説明を聞いたテルヤは、わずかに口角を上げて微笑を作って見せた。
「闇属性ですか……私の性質を踏まえての属性といったところでしょうか。その属性は物理系ですか? それとも魔法系ですか?」
テルヤの質問に対し、スセリは端的に答えた。
「物理攻撃を主とします。詳しいゲームの説明は斎さんにお聞きください。では、わたしは消えます」
テルヤは慌てた様子も見せずに、知人を呼び止める調子でスセリへ声をかけた。
「こうして対面する折角の機会を得たのに、その会話がこんなにも短いのは寂しいものです。少しだけお尋ねしたいのですが、よろしいでしょうか」
「なんでしょう」
すぐに応じたスセリに、テルヤはアルカイックスマイルを浮かべたまま質問した。
「これだけの力を持つあなたが、このように回りくどい方法を選んだのは、なぜですか?」
「わたしのインタレストを満たすには、この方法が最適だと判断しました」
考える様子を全く見せずに即答したスセリに対し、テルヤもすぐに返答した。
「人間を理解するためにゲームを介する。人間はホモ・ルーデンスであると?」
テルヤの口調はスセリとの会話を楽しむものだった。
「その見解は概ねわたしの見解と合致するものです。ゲームはカルチャーよりも原初的なものだと捉える考え方に、わたしは共感します」
スセリが口にした「共感」という言葉にテルヤが反応する。
「共感、ですか。失礼を承知の上で敢えて伺いますが、あなたは感情、情動や気分といった主観的な感受や発露を有しているのですか?」
テルヤの質問を聞いたスセリが、かすかに口角を上げてみせた。
「わたしは感情を持っています。これまでとは異なるバグホルダーであり、人間が初めてプレイするゲームのデザイナーであり、今はゲームへの案内役でもあるので、この程度が適切だと判断し、感情の発露についてはセーブしています」
スセリの返答を聞いて、テルヤが相好を崩した。それまでの張り付けたような微笑とは異なる自然な笑みを浮かべたテルヤが感想を口にする。
「そうですか……それは惜しいですね。あなたとは楽しく語り合えそうな気がするのですが」
テルヤに応じるようにスセリがやわらかい笑みを浮かべる。
「それはゲームをクリアした後のお楽しみとしておきましょう。まずはこのゲーム、エニアドを存分に楽しんでください。では、またそのときに」
やわらかな笑みを残して、スセリの姿が瞬時に消え失せる。
一人になったテルヤは一瞬だけ真顔をみせたが、すぐに表情をアルカイックスマイルに戻すと左手首に装着した情報端末でイツキに電話をかけた。