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第7話 合流

 京都の住民は御所と呼ぶことが多い京都御苑。その東面に当たる寺町通に面して寺町御門はあった。

 スセリが現出させた異空間の境界となった寺町通は、深夜の内に警察によって封鎖されていた。午前七時の現時点では巨大な漆黒の壁がそびえる寺町御門の位置に、事件現場と同様にブルーシートで急造のテントを張るようにして囲いがされている。

 政府が京都レクタンギュラーと名付けた異空間の現出から約七時間が経過していた。

 器用に張られたブルーシートが作る二十畳ほどの空間の中に、ピシッと糊の利いたネイビーのパンツスーツを着た長身の女性が入っていった。

 囲いの中では警察官二名と自衛官四名の他に、イルリヒトで現場を統括する立場にある後藤隆一と、その直属の部下である猪上珠緒が各々の業務に当たっていた。

 警察官と自衛官は全員が制服組であり、ブルーシートの隙間から入ってきた長身の女性を一瞥はしたが無言で業務を継続した。

 漆黒の壁の前に立つ後藤と猪上は私服だった。チャコールグレーのスーツを着た後藤と、ベージュのトレンチコートを着た猪上が長身の女性に気付いて振り向いた。


「イェンリンさん。どうぞ、こちらへ」


 猪上が長身の女性に声をかける。


「お疲れ様です」


 イェンリンは短く応じて、後藤と猪上に向かってツカツカと迷いのない足取りで近付いた。


 後藤は平静な表情のまま口を開いた。


「早速ではあるが、異空間に入ってもらう。速やかに鈴江、千種の両名と合流して欲しい。食料をはじめ必要な物資は躊躇せず現地調達してくれ。この状況ではバックアップもままならないが連絡は密に頼む。九名で協力してスセリのいうゲームをクリアし、京都を解放してもらいたい」


 イツキと同様にイルリヒトの構成員であるイェンリンに対する後藤の言葉は事務的なものだった。


「了解しました」


 イェンリンは短く答えると、漆黒の壁の前に立った。

 右手を伸ばしたイェンリンが、そっと壁に触れると何の抵抗もなく右手は壁を通り抜けた。一度だけ深呼吸したイェンリンが、壁に向かって一気に踏み込む。

 あっけなく壁を通り抜けたイェンリンの前には、スセリが立っていた。

 ほんの二メートルほどしか離れていない位置で、張り付けたような微笑を浮かべるスセリがイェンリンに声をかける。


「はじめまして。燕玲イェンリンさん」


 日本人形めいた幼女を見て、イェンリンは直感した。


「あなたが、スセリなのね?」

「そうです。早速ですが、ログインしていただきます」


 スセリはイェンリンに告げると同時に、指をパチンと鳴らした。

 パチンという音と同時に、イェンリンの全身が明るい緑色の光に包まれる。

 ほんの数秒で緑色の光が消えると、イェンリンの服装と髪の色が変わっていた。

 黒髪だったロングヘアーは鮮やかな紅色に変わり、ネイビーのパンツスーツは豊かな胸を強調するような深紅のワンショルダードレスに変わった。


「これが……ゲームの、コスチュームってわけ?」

「はい。燕玲さんのゲーム内での属性は火です。それに合わせたものとしました」


 スセリの説明を聞いたイェンリンは、呆れた表情をつくってみせた。


「火だから真っ赤って、ちょっと安直じゃない? しかも、ずいぶんと薄着だし、これじゃ……あれ? 寒くない……?」


 まだ肌寒い朝の空気に肌を晒しているにも関わらず、寒さを感じないことにイェンリンが驚きを示す。


「プレイヤーの方々には、ほぼ生身でゲームをプレイしていただきますが、完全な生身ではありません。寒さや暑さへの耐性は上げています。腕力や俊敏性などの身体能力もレベルに応じて上がります」


 スセリが淡々と語る内容はイェンリンにとって、特異で異常な空間に入ってしまったことをあらためて感じさせるものだった。


「よくもこんな奇妙な設定思いつくもんだね。暇なの? ほぼ生身、ねえ……」


 憎まれ口をたたくようにして動揺を隠そうとするイェンリンに対して、スセリは反応を見せずに即答した。


「ゲームに関する詳しい説明は、斎さんと碧さんから聞いてください。では、わたしは消えます」


 イェンリンは慌てて、スセリを制止するように声を張った。


「待って!」

「なんでしょう」


 これだけは確認しておくべきだと考えていた質問をイェンリンが口にする。


「このゲームは、クリアが可能なんでしょうね?」


 イェンリンの問いを聞いたスセリが、わずかに口角を上げて見せる。


「もちろんです。RPGとしてクリア可能なように設計してあります。では、生身のRPG『エニアド』を楽しんでください」


 微笑を残して、スセリがイェンリンの前から姿を消す。

 確かにイェンリンの眼前に存在したはずのスセリは、映像でも消えるかのように一瞬で消えた。

 イェンリンはふうと短く息を吐くと、左手首に装着した情報端末でイツキに電話をかけた。


「もしもし」


 イツキがワンコールで電話に出る。その声は落ち着いていた。


「壁の中に入ったよ。スセリが言うログインってやつも済ませた」

「そうですか……今は、どこに?」

「京都御苑の寺町御門。なんか頭の上に小鬼って表示されてるモンスターがたくさんいるんだけど、近づいても大丈夫なんだよね?」

「はい、大丈夫です。明日の正午にゲームが開始するまでは動かないはずです」


 イツキの返答を聞いて、イェンリンが寺町御門に向かって歩き始める。


「そっか、分かった。じゃあ、そっちに向かうね」


 京都御苑にある蛤御門や堺町御門などの他の外周門に比べると、やや小ぶりな寺町御門をイェンリンがくぐる。


「迎えに行きましょうか?」

「大丈夫。ホテルの場所も分かってるし、ロビーで待ってて」

「分かりました。待ってます」


 電話を切ったイェンリンは足早にホテルを目指した。

 真っ赤なハイヒールが京都御苑の砂利道に敷き詰められた丸い小石を蹴った。


 イェンリンが異空間へ入った数分後、寺町通の封鎖されたエリアにレクサスの大型セダンが乗り付けた。

 車から降りたのは全身黒ずくめのゴシック&ロリータを身にまとった、一見すると女性にしか見えない青年だった。

 ゴスロリが似合いすぎる青年はツカツカと躊躇のない足の運びで、ブルーシートで急造されたテントの中に足を踏み入れた。

 制服組の警察官や自衛官の視線が、一斉に青年の場違いな服装に集まる。異質なものに向けられる視線を気にする様子もなく、青年は後藤と猪上に軽い足取りで近付いた。


ひじりさん。お疲れ様です」


 猪上がヒジリの服装を気にする様子はなかった。


「お疲れ様です。ここから壁の中に入ればいいんですよね?」


 ヒジリの口調はアルトの声質も相まって、場違いに軽快なものだった。

 日頃より常に表情をコントロールしている後藤が、当然のように表情を崩すことなくヒジリに応じる。


「その通りです。異空間内に入った後は、速やかに先行している鈴江、千種、李の三名と合流してください。追って合流する五名を含めた九名で協力し、スセリが言うところのゲームをクリアして京都を解放してください」


 イツキやイェンリンとは違い、イルリヒトの構成員ではないヒジリに対する後藤の言葉は若干の柔らかさを含んでいた。


「分かりました。じゃ、行きます」


 軽やかな口調のまま答えたヒジリが、あっさりと迷いを見せずに漆黒の壁に近付く。

 右手を伸ばして壁に触れ、抵抗がないことを確かめるとヒジリは躊躇ちゅうちょなく踏み込んだ。

 壁を通り抜けたヒジリの前には、温かみのない微笑を浮かべるスセリが立っていた。


「はじめまして。咲山さきやま聖さん」


 スセリを見たヒジリは、調子を変えずに感想を口にした。


「へえ、きみがスセリ? なんだ、かわいいじゃん」

「ありがとうございます。早速ですが、ログインしていただきます」

「ふーん」


 動じる様子のないヒジリの前で、スセリが指をパチンと鳴らすとヒジリの全身が明るい緑色の光に包まれた。

 ほんの数秒で緑色の光が消え、ヒジリの服装と髪の色が変わっている。

 全身黒ずくめだった服装は、真逆を示すような全身純白のゴシック&ロリータに変わり、ヒジリ御自慢の光沢に満ちた長い黒髪も真っ白になっていた。

 ヒジリはくるりと身軽に身体を一回転させた。


「白ゴスかあ……まっ、これはこれで悪くないかな」

「聖さんのゲーム内での属性は雷となります」


 あっけらかんと事態を受け入れるヒジリに対し、スセリは表情を変えることなく説明を口にした。


「雷? なんか属性としてはマイナーじゃない? まあ、九人もいるとマイナーなのも入ってくるってこと?」


 感想をありのまま口にするヒジリを受け流すようにスセリが告げる。


「ゲームに関する詳しい説明は、斎さんから聞いてください。では、わたしは消えます」

「ちょい待った!」


 スセリを押し止めるようにヒジリが声を張った。


「なんでしょう」

「このゲームってさ、どれぐらいのプレイ時間を想定してるの?」


 ヒジリの質問にスセリが即答する。


「プレイヤーの進め方によって変動しますが、設計上の想定時間は約一ヶ月です」


 スセリの返答を聞いたヒジリは、すぐに反応を返した。


「ちょっと長くない?」

「エニアドを楽しむには必要な時間と考えます。では」


 スセリが一瞬で姿を消す。

 ヒジリはやれやれといった風に軽く首を振ると、左手首に装着した情報端末でイツキに電話をかけた。


「もしもし」


 イツキはワンコールで電話に出た。


「お待たせ。いま中に入ったよ。イツキはホテルにいるの?」

「ああ、そこらじゅうに湧いてる小鬼っていうモンスターは、まだ動かないから無視してくれ」


 ヒジリは周囲を軽く見回して小鬼の姿を確認した。


「無視ね、りょーかいっ」


 ヒジリが軽快な口調のままで応じながら寺町御門をくぐる。


「じゃあ、ホテルのロビーで待ってる」

「うんっ。すぐ行く」


 電話を切ったヒジリはホテルに向かって駆け出した。

 真っ白なハイソールのブーツが勢いよく砂利を蹴った。

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