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第6話 京都レクタンギュラー

 スセリが消えたことで二人きりに戻ったイツキとアオは、どちらからともなく顔を見合わせた。

 先に口を開いたのはアオだった。


「なんか変なことになっちゃったけど、もうこうなったらゲームをクリアするしかないよね」


 イツキは異常な事態にも適応しようとするアオに、どっしりとした芯の強さを感じながら首肯した。


「うん。それしかなさそうだ」

「消える直前に、このゲームのこと、スセリがエニアドって言ってたね。ゲームのタイトルってことかな?」


 最も興味と期待を持っているのは自分だと言ったスセリの言葉に気を取られ、エニアドという新しい単語にまで気が回らなかったイツキは、それをアオに気付かれないように急いで返答した。


「あ、うん。そうじゃないかな……何か意味を含んでそうな響きだけど……」


 イツキは言いながら左手首に装着した情報端末で「エニアド」を検索した。


「……ギリシア語で、九人組って意味らしい」

「意外と単純なネーミングなんだね。やっぱあれかな、わたしたち九人が顔合わせで京都に集まったタイミングを狙ったのかな?」


 二〇三一年三月二十三日という年度が替わる直前の日曜日に、バグホルダーとしてイルリヒトの監督下にある九人の顔合わせが京都で行われる予定だった。

 東京都港区南麻布に所在する在日米軍の施設であるニュー山王ホテルに本部機能を持つイルリヒトの意向と、戦後にGHQの主導で設置されたイルリヒトの前身となる谷中機関より以前に、帝国陸軍と密接に結び付き異能を監理・研究していた白川協会の流れを汲む妙理教導会の本部が京都市左京区北白川に所在するという背景を考慮し、兼ね合いを図った結果としてバグホルダーは東京と京都に分かれて在住している。

 東京組のイツキとアオを含む五人は、前日の二十二日には京都へ前乗りしていた。


「どうかな……たしかにタイミング良すぎな気もするけど、偶然ってタイミングが合ってるだけで必然だと感じちゃうこともあるし……」


 イツキの語り口が普段のものに戻っていると感じて、アオは安心した。


「推理するには材料が全然足りないもんね。今は目の前にあるタスクを処理してくしかないかあ……ゲームが始まるのは明日の正午ってスセリは言ってたけど、どうする?」


 アオの口調は既に、異常な事態を受け入れてた落ち着きを含んでいるとイツキは感じた。

 あたふたした姿をアオに見せる訳にはいかないと思ったイツキは、冷静に考えろと自分に言い聞かせながら答えた。


「ゲームの開始までにチュートリアルは済ませるとして……それは全員が揃った後のほうがいいだろうし、いま俺たちにできるのは休んでおくことぐらいじゃないかな」


 真っ先に休息を選択して提案するのはイツキらしいと思ったアオは、すぐさま提案を受け入れた。


「だね。じゃあ、ちょっと心苦しい気もするけど、ホテルを使わせてもらおっか」

「このゲームをクリアするのに何日かかるのか分からないけど、無断でホテルやレストランなんかを使うことは避けられない状況だし、慣れるしかないな……」


 気が乗らない口調のイツキを促すために、アオは軽い口調で返すことにした。


「イルリヒトなり政府なりが補償? で合ってるのかな? まあ、代金なんかは後から払ってくれるんじゃない?」

「そうなるのかな……次の連絡で後藤さんに確認しとくか……」


 独り言のようにつぶやいたイツキは、アオと一緒にスセリがセーフティーエリアに設定したというホテルに入った。

 ホテルは京都の景観に配慮した控え目な外観のシティーホテルだった。ホテル内はすでに無人で、二人はフロント内で客室管理のアプリが開いたままだったパソコンを見つけ、空室となっていたツインルームを探し出した。

 客室に入った二人は、すぐさま備え付けのナイトウエアに着替えた。

 ゲームにログインすることで着ることになったコスチュームは、通常の服と同じように着替えることが可能だった。

 てきぱきとメイクを落としてから歯も磨いたアオは、迷いなくベッドに直行した。


「なんかもう色々ありすぎたけど、意外と寝れそ……おやすみ」

「うん。おやすみ」


 異常な状況に置かれてもいつものように寝入るアオを見て、自分も見習って寝ようと思ったイツキが、歯を磨くためにバスルームへ入った時に左手首の情報端末が電話の着信をバイブレーションで報せた。

 イェンリンからの電話だった。


「もしもし」


 イツキが電話に出ると、イェンリンの切迫した声が返ってきた。


「無事なのっ……!」

「無事です。いまは安全な場所で休んでます。イルリヒトから連絡がいきましたか」


 イェンリンの心配と不安を静めるように、イツキは冷静さを強調した声で応じた。


「ええ、今さっき……安全なのね?」

「はい。スセリ……この空間を支配する存在がセーフティーエリアだと断言したホテルなので、まあ、今は安全なんだと信じるしかありませんよ」


 イツキが軽さを意識した口調で言うと、イェンリンも落ち着きを取り戻した。


「そう……なら、ひとまずは良かった……すぐそっちに向かうから」

「いえ、朝になってからで大丈夫ですよ。俺も取りあえず寝ることにしましたから」


 イツキの言葉を受け入れるように深く息を吸い込んだイェンリンは、ゆっくりと息を吐き出しながら訊いた。


「寝れるような状況なのね?」

「はい。どうやら今回は長丁場になりそうです。寝れるときには寝ておかないと」

「そう。なら、いいんだけど……アオさんも一緒なんだよね」


 信じがたい状況に身を置いても落ち着いているイツキを頼もしいと感じたイェンリンは、アオの名前を口に出した。


「ええ、一緒に休んでます。俺より先に、もう寝息たててますよ」

「そう……ずいぶんと落ち着いてるみたいで、ちょっと安心した」

「自分でも驚いてます。普通に考えれば、すぐに受け入れて落ち着いてられるような状況じゃない。バグなんていう異能に触れてきたせいで、異常なものに対して耐性があったのかもしれません」


 イツキの無事を確認したことで思考が回り始めたイェンリンは、一つの疑問を口にした。


「どうして異空間の中へ強制的に閉じ込めたのは、イツキとアオさんだけだったのかな? プレイヤーとして指名したバグホルダーなら全員、京都に揃ってたのに……」


 イェンリンの疑問に対する返答をイツキは既に用意していた。


「おそらく……ですけど、マワリウタを使わせるためにアオを最初にフィールドへ入れたかったんでしょう。アオと一緒にいた俺はおまけだと思います」

「アオさんも大丈夫なんだよね?」

「ええ、大丈夫です。これまでの実験とは比較にならない数を対象にしたマワリウタの発動も、負担ではなかったようです」


 イツキが示した事実に対しての思考を巡らせるために若干の間を置いてから、イェンリンは懸念を口にした。


「……それはそれで、後々のことを考えると厄介かもね」


 イェンリンの懸念はイツキも同様に持っているものだった。


「はい。この状況が解決したらイルリヒトの、特に急進派は何かしらのアクションを起こすと思います。ただ、今は目の前の状況を解決するために集中するしかありません」


 イツキの考えはもっともだと思ったイェンリンは、一旦はここで話を切り上げることにした。


「そうだね、うん……イツキの声を聞いて、あたしも少し落ち着いた。じゃあ、朝に。おやすみ」

「はい。おやすみなさい」


 イツキは電話を切った。

 姉のような存在であるイェンリンの珍しく切迫した声を聞いて、イツキは自分が思いのほか落ち着いていることに改めて気付いた。

 間を置かずに、左手首の情報端末が電話の着信をバイブレーションで報せた。

 次の電話はヒジリからのものだった。


「もしもし」


 イツキは普段通りな声の調子を意識して電話に出た。


「よかった……ほんとにつながるんだ」


 男性とは思えない女性的なヒジリのアルトな声が、情報端末の超小型スピーカーから出力される。


「ああ、通信は生きてる」

「そっかそっか、なんかもう落ち着いてるみたいだね。よかったよかった」


 ヒジリの口調はいつものように軽快なものだった。

 無理に演技をしている感じもないヒジリの声を聞いたイツキは、ヒジリが持つ特有の強さは今回の事態にすら有効なのかもしれないと感じた。


「ああ、こんな状況で落ち着いてる自分に、自分でも驚いてたとこだ」

「慌てておたおたしてるイツキなんて、らしくないしね。今どこにいるの?」

「御所に近い、蛤御門前のホテルで休んでる」

「そっか。すぐ行くから、待ってて」


 さも当然といった口調で即答したヒジリに対し、イツキも間を置かずに返答した。


「いや、急がなくても大丈夫だ。朝になってからでいい」

「そう? 朝まで休めそうなの?」


 ヒジリとの会話がいつもの調子なことで、イツキは不安を忘れることができた。


「大丈夫。今いるホテルはセーフティーエリアだしな。長丁場にもなりそうだし、とりあえず横になるよ」

「ならいいけど。アオちゃんも大丈夫なんだよね?」

「大丈夫だ。もう先に寝てるよ」


 ヒジリが電話口でくすりと笑った。


「やっぱスゴいね。肝が据わってるっていうかさ、さすがだね」

「だな。俺も感心してたとこだよ」


 電話口でくすくす笑うヒジリにつられて、イツキも笑みを漏らした。


「僕が行くまで無茶しちゃダメだよ! って、まあ慎重で心配性なイツキが無茶するとは思わないけどさ。一応ね」

「ああ、分かってる。ありがとう」

「じゃあね、考え込まないで、さっさと休むんだよ?」


 自分が考え込むだろうこともお見通しなヒジリに対して、イツキは微苦笑を浮かべて答えた。


「そうする。じゃあな、おやすみ」

「うん。おやすみい」


 最後まで軽い調子を崩さずに、ヒジリが電話を切った。

 唯一の親友といえるヒジリの声を聞いたことで、演技ではなく本当に落ち着けたような気がしたイツキは、ゆっくり歯を磨いてから情報端末のアラームを午前六時にセットして横になった。

 考えなくてはならないことは山積しているが、今は朝に備えて寝るべきだと、自分に言い聞かせながらイツキは目を閉じた。


 午前六時のアラームが鳴る直前に、イツキは自然に目を覚ました。

 音を立てないようにコーヒーを淹れ、テレビをつけたイツキはチャンネルをザッピングしてみた。どの放送局も京都に出現した巨大な異空間について報じていた。


「本日、午前零時過ぎに発生した、京都の巨大な正体不明の空間について、非常災害対策本部は……」

「その範囲は、平安京であった範囲とほぼ合致しており、東京ドームおよそ五百個分に及び、京都の中心部をすっぽりと覆うかたちに……」

「先程、政府首脳は非公式に、不明空間の呼称を京都レクタンギュラーとするとの談話を発表しました」


 イツキはコーヒーを一口すすると、この報道の渦中に自分がいるという感覚の希薄さを思った。どうにも現実感を置き去りにしているような感覚があった。

 現実とは思えない現状をイツキが改めて考えたタイミングで、アオが目を覚ました。

 イツキは思考を中断してアオに声をかけた。


「おはよう。コーヒーいる?」

「……おはよぉ……うん。もらうぅ」


 猫舌のアオに合わせて、イツキは淹れたコーヒーに低めの温度まで温めた牛乳を注いでカフェオレを作った。


「外は大騒ぎみたいだね」


 ちらりとテレビを見たアオは、静かに言ってからカフェオレに口をつけた。


「内側はこんなに静かなのにな……」


 イツキは窓から烏丸通を見下ろした。通りには人影がなく、既に住民や観光客のほとんどが壁の外に避難したものと思われた。

 飛び交うヘリコプターの音だけが上空から響いていた。

 テレビの映像が、報道ヘリによる中継映像に切り替わった。


「現在の上空からの映像です。空間を覆う黒い壁は、まさに巨大な黒い箱としか表現できない形状をしています。北端は一条通、南端は九条通、東端は寺町通、西端は葛野大路通から西に百五十メートルほどずれた位置にあり、現在は、その周囲を多数の警察車輌が囲うように警戒に当たっています」

「巨大な空間の範囲には京都駅が含まれており、JR東海道本線および東海道新幹線は始発より京都駅を含む区間の運転を見合わせております」

「不明巨大空間から避難した三十万を越える住民および観光客には、一様に短時間の記憶障害が見られ……」


 テレビを横目で見ながらカフェオレをすすっていたアオが、ぽつりと呟いた。


「なんかテレビを通しちゃうと他人事みたいに感じるな……」

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