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第6話 京都レクタンギュラー

 スセリが消えたことで二人きりに戻ったイツキとアオは、どちらからともなく顔を見合わせた。

 先に口を開いたのはアオだった。


「なんか変なことになったけど、もうこうなったらゲームをクリアするしかないね」


 イツキは異常な事態にも適応しようとするアオに、どっしりとした芯の強さを感じながら首肯した。


「うん。それしかなさそうだ」

「消える直前に、エニアドって言ってたね。ゲームのタイトルってことかな」

「そうじゃないかな……何か意味を含んでそうだけど……」


 イツキは言いながら左手首に装着した情報端末で「エニアド」を検索した。


「ギリシア語で九人組って意味らしい」

「意外と単純なネーミングなんだね。やっぱあれかな、わたしたち九人が顔合わせで京都に集まった今日を狙ったのかな?」

「どうかな……たしかにタイミング良すぎな気もするけど、偶然って、タイミングが合ってるだけで必然だと感じちゃうこともあるし……」

「推理するには材料足りないもんね。今は目の前にあるタスクを処理してくしかないか……ゲームが始まるのは明日の正午って言ってたけど、どうする?」


 アオの口調は既に、異常な事態を受け入れている落ち着きを含んでいた。

 あたふたした姿をアオに見せる訳にはいかないと思ったイツキは、冷静に考えろと自分に言い聞かせながら答えた。


「ゲームの開始までにチュートリアルは済ませるとして……それは全員が揃った後のほうがいいだろうし、いま俺たちにできるのは休んでおくことぐらいじゃないかな」

「だね。じゃあ、ちょっと心苦しい気もするけど、ホテルを使わせてもらおっか」

「ああ、クリアするのに何日かかるか分からないけど、無断でホテルやレストランなんかを使うことは避けられない状況だしな……」

「イルリヒトなり政府なりが補償? で合ってるのかな? 代金は後から払ってくれるんじゃない?」

「次の連絡で後藤さんに確認しとくよ」


 二人はスセリがセーフティーエリアに設定したというホテルに入った。

 ホテルは京都の景観に沿う控え目な外観のシティーホテルだった。ホテル内はすでに無人で、二人はフロントにあったパソコンで空室となっていたツインルームを探し出した。

 客室に入ると二人は備え付けのナイトウエアに着替えた。ログインすることで着ることになったコスチュームは、通常の服と同じように着替えることが可能だった。

 てきぱきと歯を磨いてメイクも落としたアオは、迷わずベッドに直行した。


「なんか色々ありすぎたけど、意外と寝れそ……おやすみ」

「うん。おやすみ」


 異常な状況に置かれてもいつものように寝入るアオを見て、自分も見習って寝ようと思ったイツキが歯を磨くためにバスルームへ入った時、左手首の情報端末が電話の着信をバイブレーションで報せた。

 イェンリンからの電話だった。


「もしもし」


 イツキが電話に出ると、イェンリンの切迫した声が返ってきた。


「無事なのっ……!」

「無事です。いまは安全な場所で休んでます。イルリヒトから連絡がいきましたか」

「ええ……安全なのね?」

「はい。スセリ……この空間の支配者がセーフティーエリアだと断言したホテルなので、安全だと信じるしかありません」

「そう……なら、ひとまずは良かった……すぐに向かうから」

「いえ、朝になってからでいいですよ。俺も寝ることにしましたから」


 イェンリンが若干の間を置いた。


「寝れるような状況なのね?」

「はい。どうやら長丁場になりそうです。寝れるときには寝ておかないと」

「なら、いいんだけど……アオさんも一緒なんだよね」

「ええ、一緒に休んでます」

「そう……ずいぶんと落ち着いてるみたいで、ちょっと安心した」

「自分でも驚いてます。普通に考えれば、すぐに受け入れて落ち着いてられるような状況じゃない。バグっていう異能に触れてきたせいで、異常なものに対して耐性があったのかもしれません」

「どうして空間内へ強制的に閉じ込めたのは、イツキとアオさんだけだったのかな? バグホルダーは京都に揃ってたのに……」


 イェンリンの疑問に対する答えをイツキは既に持っていた。


「おそらく、マワリウタを使わせるためにアオを最初にフィールドへ入れたかったんでしょう。アオと一緒にいた俺はおまけだと思います」

「アオさんは大丈夫なの?」

「ええ、大丈夫です。いまは、もう寝てますよ」

「そっか……イツキの声を聞いて、あたしも少し落ち着いた。じゃあ、朝に。おやすみ」

「はい。おやすみなさい」


 イツキは電話を切った。

 姉のような存在であるイェンリンの珍しく切迫した声を聞いて、イツキは自分が思いのほか落ち着いていることに改めて気付いた。

 間を置かずに、左手首の情報端末が電話の着信をバイブレーションで報せた。

 ヒジリからの電話だった。


「もしもし」


 イツキは平常な声の調子を意識して電話に出た。


「よかった……ホントにつながるんだ」


 男性とは思えない女性的なヒジリのアルトボイスが、情報端末の超小型スピーカーから出力される。


「ああ、通信は生きてる」

「なんかもう、落ち着いてるみたいだね」

「自分でも驚いてたとこだよ」

「今どこにいるの?」

「御所に近いホテルで休んでる」

「すぐ行くから、待ってて」

「いや、急がなくても大丈夫。朝になってからでいいよ」

「……休めそう、なの?」


 ヒジリを安心させるようと、イツキは落ち着いた声で答えるために一息置いた。


「ああ、大丈夫。今いるホテルはセーフティーエリアらしい。長丁場になりそうだし、とりあえず横になるよ」

「ならいいけど……アオちゃんも大丈夫なんだよね?」

「大丈夫だ。もう寝てるよ」

「すごいな……肝が据わってるっていうか……」

「だな。俺も感心してたとこだよ」


 ヒジリがくすりと笑う。


「僕が行くまで無茶しちゃダメだよって、まあ、慎重で心配性なイツキが無茶するとは思わないけどさ。一応ね」

「ああ、分かってる。ありがとう」

「じゃあね、考え込まないで、休むんだよ?」

「そうするよ。おやすみ」

「うん。おやすみ」


 ヒジリが電話を切った。

 唯一の親友といえるヒジリの声を聞いて、演技ではなく本当に落ち着けたような気がしたイツキは、ゆっくり歯を磨いた。

 情報端末のアラームを午前六時にセットしてからイツキは横になった。

 考えなくてはならないことは山積しているが、今は朝に備えて寝るべきだと自分に言い聞かせながら、イツキは目を閉じた。


 午前六時のアラームが鳴る直前に、イツキは目を覚ました。

 音を立てないようにコーヒーを淹れ、テレビをつけたイツキはチャンネルをザッピングしてみた。どの放送局も京都に出現した巨大な異空間を報じていた。


「本日、午前零時過ぎに発生した、京都の巨大な正体不明の空間について、非常災害対策本部は……」

「その範囲は、平安京であった範囲とほぼ合致しており、東京ドームおよそ五百個分に及び、京都の中心部をすっぽりと覆うかたちに……」

「先程、政府首脳は非公式に、不明空間の呼称を京都レクタンギュラーとするとの談話を発表しました」


 イツキはコーヒーを一口すすると、この報道の渦中に自分がいるという感覚の希薄さを思った。どうにも現実感を置き去りにしているような感覚があった。

 現実とは思えない現状をイツキが改めて考えたタイミングで、アオが目を覚ました。

 イツキは思考を中断してアオに声をかけた。


「おはよう。コーヒーいる?」

「……おはよ……うん。もらう」


 猫舌のアオに合わせて、イツキは淹れたコーヒーに低めの温度まで温めた牛乳を注いでカフェオレを作った。


「外は大騒ぎみたいだね」


 ちらりとテレビを見たアオは、静かに言ってからカフェオレに口をつけた。


「内側はこんなに静かなのにな……」


 イツキは窓から烏丸通を見下ろした。通りには人影がなく、既に住民や観光客のほとんどが壁の外に避難したものと思われた。

 飛び交うヘリコプターの音だけが上空から響いていた。

 テレビの映像が、報道ヘリによる中継映像に切り替わった。


「現在の上空からの映像です。空間を覆う黒い壁は、まさに巨大な黒い箱としか表現できない形状をしています。北端は一条通、南端は九条通、東端は寺町通、西端は葛野大路通から西に百五十メートルほどずれた位置にあり、現在は、その周囲を多数の警察車輌が囲うように警戒に当たっています」

「巨大な空間の範囲には京都駅が含まれており、JR東海道本線および東海道新幹線は始発より京都駅を含む区間の運転を見合わせております」

「不明巨大空間から避難した三十万を越える住民および観光客には、一様に短時間の記憶障害が見られ……」


 テレビを横目で見ながらカフェオレをすすっていたアオが、ぽつりと呟いた。


「なんかテレビを通すと他人事みたいに感じるな……」

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