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第5話 人質

「斎さんと碧さんには、これからログインしていただきます」


 スセリは二人に告げると同時に、指をパチンと鳴らした。

 イツキとアオの全身が明るい緑色の光に包まれる。

 ほんの数秒で緑色の光が消えると、二人の服装と髪の色が変わっていた。


「これは……」


 ぼそりと呟いたイツキは、アオの変化した姿を見てから自身の姿を確認した。

 アオの髪は淡い紫色に変わっていた。

 服は紫色を基調とした布地のアオザイになっており、アンダーリムの眼鏡もフレームの色が紫色に変わっている。

 神代文字の一種であるヲシテでレを表す一文字が、首元に濃い紫色のタトゥーとして入っている。

 イツキの髪は青みを帯びた鈍色に変わっていた。

 服はチャコールグレーで詰め襟の古風な軍服になっており、腰には刃長が八十センチほどの太刀たちを差している。

 イツキはアオと顔を見合わせてから、スセリに視線を移した。


「これがゲームのコスチュームってことか?」

「はい。それぞれの属性に合わせています。視界の右上に表示されている半透明の青いバーがマジックポイント、左上に表示されている数字が今のレベルです」


 イツキは眼球だけを動かして、視界の右上と左上の表示を確認した。

 レベルは1。マジックポイントを表わすという青色のバーに数字は見当たらない。

 たしかにゲームとしてはシンプルにデザインされているらしいと感じたイツキは、スセリへの質問を続けることにした。


「それぞれの属性ってのは?」

「斎さんはかね。碧さんは音。燕玲イェンリンさんは火。遥海ハルミさんは光。アラタさんは土。美都ミツさんは風。ウブさんは水。ヒジリさんは雷。照也テルヤさんは闇です。レベルに応じて、それぞれの属性に合わせたスキルを習得します。チュートリアルを用意してあります。今からモンスターを湧出ポップさせます」


 スセリがゆっくりと右手を掲げる。

 周囲に淡い紫色の光が次々に現れては、一点に集中して弾けた。

 光が弾けた地点に、体長一メートルほどのゴブリンが出現する。

 イツキとアオがゴブリンに視線を向けると、ゴブリンの頭上に小鬼こおにというモンスター名が表示されていた。

 動かない小鬼が、そこかしこに湧出している光景にイツキは息を呑んだ。

 右手を降ろしたスセリが説明を続けた。


「周囲に湧出させたのは最初のモンスターです。チュートリアルに用いて下さい。モンスターはフィールド内にくまなく湧出しています。ゲームの開始時間である二十四日の正午に動き始めます。場所を変えましょう」


 瞬きの一瞬。

 イツキとアオ、そしてスセリは京都御苑の蛤御門はまぐりごもんの向かいに位置する、烏丸からすま通に面したホテルの入り口にある車寄せへ瞬間移動した。

 イツキとアオが周囲を見回す。黙々と北側の境界を目指して歩く人々の姿が見えた。

 スセリに視線を戻したイツキが口を開く。


「今度は何だ? このホテルに何か用でも?」

「最初の宿泊に最適と思われるホテルです。基本的に生身であるプレイヤーにとって寝食は必須です。フィールド内のホテルは全てセーフティーエリアに設定してあります。宿泊に利用してください。また、コンビニエンスストアやスーパー、デパートなどの小売店、レストランや居酒屋などの飲食店、病院と薬局、公衆トイレもセーフティーエリアとして設定しています。食料の調達などに利用してください」


 スセリの説明をイツキは冷静に聞き始めていた。

 火事場泥棒みたいな真似をしろってことか……と気が滅入る余裕すら持ち始めていた。

 スセリの説明は淡々と続いた。


「また、烏丸通にはモンスターが湧出しません。ゲーム開始後の単純な移動に用いて下さい」


 イツキは脳内で、かつて平安京だった京都の中心となっているエリアの地図を拡げた。

 烏丸通はフィールドとなったエリアを南北に貫く主要な道路で、七条通と八条通の間にある京都駅で分断はされるがホテルの利用などを考えると移動に適している納得した。


「一条から九条の各エリアにはボスモンスターがいます。各エリアのボスモンスターを倒すことで次のエリアが開放されます。一条エリアからゲームを始めていただきます。一条エリアのボススポットは、一条戻橋いちじょうもどりばし。九条エリアのボスモンスターを倒せばゲームクリアとなり、このフィールドは解放されます」


 スセリの説明を黙って聞いていたアオが口を開いた。


「これだけ理不尽な要求をするんだから……何かしらの見返りは、あるんでしょうね」


 スセリは静かに首肯した。


「はい。プライズは用意します。ゲームをクリアした時点でゲームの攻略に最も貢献したと、わたしが判断する一名のプレイヤーにバグを解放する権利を与えます」


 スセリが口にした「解放」という言葉に、イツキが反応する。


「解放? 俺たちのバグが制限されてるとでも?」

「はい。あなた方のバグは本来の形を成していません。本来のバグは、わたしのネノカタスと同様に強大なものです。わたしと同等の存在になり得ますので、一名が適切と判断します」

「……同等の存在?」

「はい。本来のバグが及ぼす影響の大きさを考慮すれば同等と言えるでしょう」

「この空間を支配する、きみに匹敵するってことか?」

「はい。その認識で間違っていません」


 イツキが言いよどんだタイミングで、口を挟むようにアオが質問した。


「ゲームのクリアまでに破壊された建物なんかは、クリアしたら元に戻るの?」


 アオの質問を聞いたイツキは、突然の事態に巻き込まれた直後でそこまで気が回るものなのかと驚いた。

 スセリは口調を変えずにアオの質問に答えた。


「いいえ。破壊されたものはそのままです」

「敵の死体は?」


 アオは間を置かずに質問を重ねた。


「モンスターは死亡と同時に消滅します。なお、パーティーを組んだ戦闘での経験値は振り分けられます。ドロップアイテムは致命傷を与えたプレイヤーのストレージに入ります。ストレージを利用するにはストレージウインドウを開く必要があります。ストレージウインドウを開くには、右手の人差し指を立てて真横に振って下さい」


 イツキが言われた通りの動作を試す。右手を振った空中に、淡い緑色に発光する半透明のストレージウインドウが表示される。

 アオも同じ動作を試した。ストレージウインドウを開くと、香草という表記があり所有個数は三個となっていた。

 香草という表記をタップして、アオは説明を確認した。効果はマジックポイントの小回復。


「オーソドックスにデザインしました。操作はすぐに慣れると思います」


 スセリの言葉通りに素直な操作だと感じたイツキは、ストレージまで存在する異空間の、現実との乖離をあらためて突き付けられた気がした。

 二人がウインドウの右上にある収納ボタンを押してストレージウインドウを閉じると、スセリが付け加えるように言った。


「戦闘でのスキルの使用法などはチュートリアルを参照してください。チュートリアルはゲームの開始前にストレージウインドウを開くと起動するようにしておきます。さて、あなた方がイルリヒトと呼ぶ機関への連絡も、既に済んでいます」


 スセリがイルリヒトの名を出した直後、イツキの左手首に装着された情報端末が電話の受信をバイブレーションで報せた。

 イルリヒトの構成員であり、現場を統括する立場にいる後藤からの電話だった。

 イツキはスセリを一瞥いちべつしてから電話に出た。

 後藤のバリトンボイスが情報端末の超小型スピーカーから出力される。


「無事か?」

「はい。今のところは」

「何よりだ……中の様子は?」

「スセリと名乗る十人目のバグホルダーと一緒にいます。それと、モンスターが実体化しています」

「モンスターだと!? ゲームがもう始まっているのか……!?」

「いえ、まだです。モンスターも動いていません」

「そうか……住民や観光客は?」

「マワリウタによって避難中です」


 後藤が若干の間を置く。


「……エリア内の人間、全てにか?」

「そうです」

「千種君は大丈夫なのか?」

「はい。大丈夫です」

「そうか……スセリと名乗る存在は、我々の前にも現れた。一時的に周囲を異空間としてな。目下、関係各所へ手配中だ……今はスセリの要求に従うしかない」


 後藤が発した要求という言葉に、イツキは不穏なものを感じた。


「スセリは何を要求したんですか?」

「スセリビメというAIを開発した天啓堂の研究所にあるスパコンへの電力供給の維持と、バグホルダー九名のゲームへの参加だ。要求に応じない場合は、東京にも京都と同様の異空間を発生させるという脅し付きでな」


 イツキは驚きを飲み込むように間を置いた。


「……東京が人質ですか」

「ああ、今は要求を飲むしかない……今後も連絡はとれそうか?」

「大丈夫だと思います。通信を含めインフラは維持されています」

「バックアップもままならん状況だが、連絡は密に頼む」

「了解です。では」


 イツキは電話を切ると、深呼吸してからスセリを見据えた。


「東京を人質にするとはな……きみの思惑通りゲームは始まるだろう。スセリ、きみの本当の目的は、何だ?」


 スセリは表情を変えずに即答した。


「それはゲームがクリアされた後に、ゆっくりと話しましょう。今は人間が初めて経験するゲーム『エニアド』を楽しんでください。それでは、わたしは一旦、消えます」


 スセリが言葉の通りに、イツキとアオの前から姿を消した。

 それまで異空間内で起こったゲーム的な光の演出などはなく、幼女の姿をした存在は音もなく一瞬で消えた。

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