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第3話 スセリ

 アオはイツキのもとに駆け寄った。

 いきなり目の前に幼女が出現するという突然の事態への驚きよりも、幼女が放つ人間とは異なる気配に対する嫌悪を強く感じたアオは、幼女から視線を外すことができなかった。


「はじめまして。千種ちぐさあおさん」


 二人の名前を知っている幼女を見据えたまま、イツキは言葉を探した。


「……きみは……バグホルダー、だよな?」


 幼女は表情を変えずにイツキの問いに即答した。


「わたしをバグホルダーとして認識することは間違いではありません。わたしを端的に説明するなら、スセリビメと名付けられたAIを胚とし、ネットワークの海を母胎とした上部構造にアクセスできる存在です。あなた方が異能の力をバグと呼称する根拠にしているシミュレーション仮説を実証する存在でもあります。わたしが保有するバグは、あなた方の呼び方に合わせてネノカタスとしておきましょう。わたしのことはスセリとお呼びください」


 イツキはスセリと名乗った存在の言葉が持つ意味を反芻した。

 AIが人間を越える。そんな使い古されたSFの設定が頭をよぎったが、これはシンギュラリティではないと自ら否定したイツキは、会話を続けるべきだと判断した。


「スセリ。きみは、人間ではないってことか?」

「わたしという存在を、あなた方の感覚で表現するならゴッドが近いと言えるでしょう」

「神様、か……」


 今は目の前にいる存在から情報を引き出さなければならない。そう考えたイツキは、スセリの言葉を一旦は受け取って会話を続けることにした。


「ネノカタスってのは、どういったバグなんだ?」

「空間を支配するものです。現在、この空間もわたしが支配しています」

「みたいだな……閉鎖された空間ってことでいいのかな? 俺が見ている外の景色は変わらないし、電気なんかも遮断されてないみたいだけど」

「はい。今は物体のみを遮断しています」

「ここに現れる前、十条の辺りでの発動も同様に?」

「はい。スセリビメを維持するためのスーパーコンピュータを、わたしが支配する空間として囲みました。現在も、この空間と同様に物体のみを遮断しています」

「どこのスパコンか聞いても?」

「天啓堂の研究所です。次は、平安京であったエリアをわたしが支配する空間として囲みます」


 スセリが当然のように言い放った平安京という言葉に、イツキは目を見開いた。


「ちょっと待ってくれ! 平安京だって? なんのために!?」

「ゲームを行うためです」

「ゲーム!?」

「わたしが用意したゲームを、バグホルダーである九名にプレイしていただきます」

「対戦でもしろってのか?」

「いえ。あなた方がRPGと呼ぶゲームに近いものを、仮想現実ではない現実をフィールドとして、ほぼ生身なまみの身体を用い、協力してプレイしていただきます。プレイヤーはバグホルダーである九名のみ」

「RPG……?」

「モンスターを倒して得た経験値によってレベルを上げることで戦闘力を上げ、エリアのボスモンスターを倒して次のエリアに進む。それを繰り返してゲームのクリアを目指す。オーソドックスでシンプルなロールプレイングゲームです」


 イツキは努めてゆっくりと間を置いてから、スセリへの質問を続けた。


「……なんのために?」

「わたしのインタレストを満たすためです。人間の可能性について、わたしは知りたいのです。そのためにはサンプルが必要です。バグホルダーの方々はサンプルに最適だと判断しました」

「随分と、勝手な判断だな……俺たちは、きみの好奇心を満たすためのモルモットってことか」

「はい。勝手な判断です。モルモットという表現も否定しません」

「俺たちが拒否したら、どうする気だ?」

「あなた方が、拒否することが出来ない状況を今からつくります」


 スセリがゆっくりと右手を掲げる。その右手が青白い光を発した。


「待て……と言っても無駄なんだろうな……」


 イツキは諦観してつぶやくことしかできなかった。

 スセリの右手から発していた光が、数秒後には消える。


「第一段階の用意が完了しました」


 表情を変えることなく告げたスセリが、ゆっくりと右手を降ろす。


「第一段階ってのは、なにをしたんだ?」

「ゲームのフィールドを用意しました。わたしが支配する空間として、平安京であったエリアを囲っています。フィールドの境界は、この空間と同様に内部から外は見えますが、外部から中を見ることはできません。フィールドの外から観測できるのは、東西に約四千五百メートル、南北に約五千二百メートル、高さ約百五十メートルの黒い直方体です」

「巨大なブラックボックスか……平安京のエリアってことは、このホテルはフィールドの外になるわけだ」

「はい。今から斎さんと碧さんをフィールド内に案内します」

「待ってくれ。アオが着替える時間くらいはくれないか」

「分かりました」


 スセリは張り付けたように動かない微笑のまま承諾を口にした。

 イツキがアオに視線を移す。


「拒否できる相手じゃない。今は従うしかないみたいだ」

「……うん。みたいだね」


 アオはうなずくと、クローゼットに移動した。

 イツキがスセリに視線を戻す。


「この空間から外部に通信はできるのかな。そのフィールド内にいる人物と連絡を取りたいんだけど」

「可能です」

「連絡しても構わないかな」

「どうぞ」


 イツキは左手首に装着した情報端末で、後藤に電話をかけた。


「どうした?」


 後藤は一コール目で電話に出た。


「十人目のバグホルダーが、目の前に現れました」

「目の前!? 今どこにいる?」

「まだホテルです。十人目は天啓堂の研究所から瞬間移動してきました」

「瞬間移動? それが新たなバグの能力なのか?」

「いえ、厳密には瞬間移動ではないのかもしれませんが、現象的にはそうとしか言いようがありません。バグとしての能力は、空間の支配。そう言っています」

「空間の支配……?」

「はい。任意に設定した空間を支配下に置くようです。見た目は幼女です」

「幼女? 十四歳じゃないのか」

「今までのバグホルダーとは異なる存在だと思われます。人間ですらなく、当人は神に近い存在だと言っています」

「……会話は、できているんだな」

「はい。今しがた、平安京であったエリアを支配下に置いたと」

「平安京だと……!? 空間の大きさに際限はないのか?」


 イツキがスセリを一瞥いちべつする。スセリは何の反応も示さなかった。


「どうやら、そのようです。今から平安京のフィールド内に、俺とアオを案内すると言っています」

「何のために?」

「俺たち九人のバグホルダーに、ゲームをさせるためだと言っています」

「ゲームだと!? 何のゲームだ」

「RPGだと言っています。とにかく今は従うしかないかと……」

「そうか……分かった。可能であれば、連絡は密に頼む」

「はい。では」


 電話を切ったイツキに、身支度を済ませたアオが駆け寄る。


「それでは、まいりましょう」


 スセリは寄り添う二人に告げると、ゆっくりと右手を挙げた。スセリの右手が煌々と青白く輝いた。

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