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第2話 二十歳の誕生日

 国際的な観光都市として機能する京都の景観を担うように、様々な水辺の景色を見せる鴨川。

 古都を支え続けた鴨川に架かる二条大橋のほとりにある外資系ラグジュアリーホテルは、全客室が鴨川に面したスイートルームとなっていた。

 インバウンドの富裕層を意識して、和のテイストを前面に押し出した贅沢な空間として設えられたスイートルームに、若いカップルが宿泊していた。

 客室に備え付けの上質なシルクのナイトウェアを着た二人は、肩が触れる距離に並んでソファに腰掛けている。

 百七十四センチと中背で、未だ成長期の面影すら微かに感じさせる細身の彼氏が、左手首に装着した情報端末の小型モニタで三月二十三日の午前零時を確認すると、隣に座る小柄な彼女へ声をかけた。


「二十歳の誕生日おめでとう」

「ありがと。やっと同い年だよ」


 彼女はニカッと素直な笑みを浮かべた。

 百四十九センチという身長と快活な印象を与えるショートボブが相まって、二十歳を迎えた彼女の笑顔は少女の印象を残していた。


「まあ、イツキは一ヶ月もしないで二十一歳になっちゃうけどさ」


 唇を尖らせた彼女に、イツキが濃紺の小さなケースを差し出した。


「はい、誕生プレゼント。アオに似合うと思うんだけど」


 手触りのいいケースを受け取ったアオは、ケースを開けて目を丸くした。

 ケースの中に入っていたのは、コーンフラワーブルーと呼ばれる濃い青色の宝石が嵌め込まれた指輪だった。


「これって……サファイア?」


 赤いアンダーリムの眼鏡をかけたアオの視線がイツキに注がれる。


「うん、そうサファイア。よく分かったね」

「ふんぱつしすぎだよお……この部屋もそうだけどさ、二十歳には贅沢すぎるって」


 若干の大袈裟を敢えて声に乗せて非難するアオに対して、イツキは予期していたように平然と答えた。


「イルリヒトからもらってる給料の使い道としては妥当じゃない? このホテルも猪上いのがみさんにお願いしたら用意してくれたんだしさ」


 軽い口調で言うイツキに対して、アオは小首を傾げた。


「うーん……今さらだけど、いいのかなあ……こんな贅沢しちゃってさ……」

「監視付きの生活を素直に受け入れてるんだし、二十歳の誕生日ぐらいは贅沢したって罰も当たらないと思うけど?」


 わずかに考える間を置いたアオは、表情を明るいものに変えてから答えた。


「……そうだね。うん。もう楽しもう」


 アオは右手の薬指に指輪を通すと、満足といった表情を浮かべながら右手をひらひらさせた。


「似合うかな?」

「うん、似合ってるよ。とっても」

「ふふっ。ありがと」


 満面に笑みを浮かべるアオを見て、イツキは安堵の表情を浮かべた。


「気に入ってもらえたみたいで良かった」

「あーあ……これで、今日が顔合わせじゃなかったらなあ……」

「だよなあ……俺も気が重いよ」


 イツキが即座に同意すると、アオは不服を隠さずに唇をすぼめた。


「九人が一堂に会する必要なんて、ほんとにあるのかな?」

「俺も顔合わせなんか、やるにしたってリモートで十分だって言ったんだけどさ……先代たちの意向だから我慢してくれって猪上さんに言われちゃ、まあしょうがないかなって……」


 イツキは肩をすくめてみせたが、納得がいかないというアオの表情は変わらなかった。


「先代、かあ……もうバグホルダーでもない、ただの人なんだし、口出しなんかさせなきゃいいのに」

「アオやヒジリみたいに先代がいないと、余計にそう思うんだろうな」


 イツキの言葉を受け取るように、アオはゆっくりとうなずいた。


「うん……そもそもさ、バグなんて呼び方してる世界の不具合みたいな異能のチカラなんだから、遺伝なんかしなきゃいいんだよ。何かの役に立つ能力って訳でもないんだし」

「だよなあ……まあ、マワリウタやオキクルミが他のバグみたいに遺伝するのか一代限りなのかは、まだ分からないんだけど」


 アオはふうと短いため息を漏らしてから、語気をわずかに強めた。


「わたしはゼッタイ子供を産まない。マワリウタなんて何の役にも立たないどころか無駄におぞましい異能力なんか、わたしが最初で最後にしなきゃ……!」


 力強く言い切ったアオに、イツキは静かにうなずいてから答えた。


「……うん。俺もそれがいいと思う」

「ごめんね……」


 アオは目を伏せると謝罪を口にした。ショートボブの黒髪がはらりと頬にかかる。


「アオが謝ることなんて何もないよ」

「イツキには……子供が必要でしょ?」


 イツキはどう答えるべきか迷ったが、素直に打ち明けるしかないと思った。


「……まあ、アシナヅチとして他のバグを感知する上に、他のバグに対して耐性があるって存在は、イルリヒトって機関にとっては不可欠だし……俺は政府や在日米軍なんかを相手に、自分のエゴを押し通せるほど強くもないし、馬鹿にもなれない……」


 イツキが吐露した諦観を、アオは否定することもなく受け入れるように小さく首肯した。


「……わたしたちは、結婚できない」


 アオの結論で重くなった空気を変えようと、イツキは明るい口調で提案することにした。


「こんな時間にケーキを食べるわけにもいかないから、乾杯だけでもしようか」

「……うん」


 ソファの前にある大きなリビングテーブルの上で結露しているシャンパンクーラーへイツキが手を伸ばした。その時だった。


「これは……」


 ぼそりと呟いたイツキは、ピタリと動きを止めて意識を集中させた。

 アオがイツキの顔を覗き込む。イツキの表情は険しいものだった。


「どうしたの?」

「今までにない、新しいバグが、発動してる……」


 静かに答えるイツキの「新しいバグ」という言葉に対して、アオは驚きを隠さなかった。


「新しいって……それって、十人目ってこと!?」

「たぶん……いや、間違いない……」


 イツキは一点を見つめ、バグの発動を感知することだけに集中した。


「近いぞ……? 京都市内だ……十条の辺りか……?」


 独り言を漏らしながら位置を探るイツキ。


「どんなバグ、なの?」


 アオは不安を隠さず表情に浮かべながら、イツキに訊いた。


「まだ分からない……けど、今までのバグとは、だいぶ感じが違うんだ……」


 イツキはソファから立ち上がると、常に左手首に装着している情報端末の電話機能を起動した。

 電話をかけた相手は、異能力をバグと呼称し監督するイルリヒトという秘密情報機関に属する後藤だった。


「どうした?」


 後藤はすぐに出た。情報端末の超小型でありながら高性能なスピーカーが、後藤の艶を有するバリトンボイスを再現して響かせる。


「こんな時間にすみません。新しいバグの発動を感知しました」

「新しい!? 確かなのか?」


 常に冷静沈着な後藤が、わずかながら驚きを声に含ませた。


「はい。今までに感じたことがないタイプのバグです。しかも、発動を感知してから二分以上は経った今も、バグの発動が継続してます」


 後藤は若干の間を置いてから質問を続けた。


「持続するタイプのバグというわけか……場所は、分かるか?」

「京都市内です。おそらく十条の辺りだと思います」

「それはまた、随分と近いな……京都駅のホテルにいる俺たちなら、容易く現場へ急行できる。合流しよう。京都駅まで来てくれ」

「分かりました」


 端的に情報を共有したイツキと後藤は、どちらからともなく電話を切った。

 イツキはふうっと短く息を吐いてから、隣で心配を顔に浮かべるアオへ視線を向けた。


「こんな時に、ごめん。行かなきゃ」

「うん。気をつけて」


 詫びるイツキに対して、アオは理解を示してすぐさま首肯した。

 イツキは客室に設置されている内線電話で、フロントスタッフにタクシーの手配を頼んだ。

 早々に身支度を済ませてCWU-45Pというフライトジャケットを羽織ったイツキが、客室を出ようとした時だった。

 イツキはバグの発動を再び感知した。

 場所は、この部屋。

 驚愕するイツキを無視するように、それは音もなく現れた。

 鴨川を望む大きな窓の前に突如として出現した白無垢姿の幼女を見て、イツキが目を見開く。


「バグホルダー……」


 呟いたイツキが焦点を絞るように目を細めて、幼女を見据える。

 幼女はイツキの視線を気にする様子もなく、微笑をつくってみせた。


「はじめまして。鈴江すずえいつきさん」

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