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第2話

 届いたアクセサリーは、思っていたよりも高価なものに見えた。持ち上げてみると、しっかりとした重みを感じる。


「うん。これなら50代の私がつけていても、おかしくはないわね。安っぽいメッキのアクセサリーが来たら、どうしようかと思っちゃった」


 テーブルの上に置かれた箱の中には説明書が入っている。


『願いが叶うまでは、なるべくアクセサリーを身につけておくようにしてください。その方が効果があります。そして二拍手の後で、まじないの言葉を唱えてください。効果が現れるまで根気よく続けましょう。皆様のいらぬ縁が一日も早く切れますよう、心よりお祈り申し上げます』


「神社でお参りをする時みたいに、二拍手をして、まじないの言葉を唱えたらいいってことか。それくらいなら、仕事の休憩時間とかにもできそうね」


 テーブルの上に鏡を置いて、ネックレスをつける。


 ——アクセサリーを買うのは久しぶりね。


 いつもと違うアクセサリーを身につけた自分を見ると、頬が緩む。シルバーのチェーンに漆黒のガラス玉がついたネックレスは、思っていたよりも存在感がある。結婚指輪を外して呪物の指輪をはめた後、右の耳にイヤリングをつけた。


 そして最後に左の耳にイヤリングをつけた瞬間——視界が、ぐらりと揺れた。


「あれ……? なに……?」


 こめかみの辺りが脈打つように痛み、息苦しさも感じる。


 座っていられなくなった諒子は、なんとか寝室へ移動して、ベッドに寝転がった。







 外が薄暗くなっても、諒子は起き上がることができない。


 急に体調が悪くなった理由をずっと考えていたが、呪物を身につけたこと以外は何も思い浮かばなかった。


「これってやっぱり、呪物が本物ってことなのかな……」


 左手の薬指にはめた指輪を眺めていると、バタン、とドアが閉まる音がした。夫が帰ってきたようだ。リビングの方で夫が何かを言っているのが聞こえる。


 ——もう帰ってきたんだ……。


 いつもは遅いくせに、体調が悪い時に限って早く帰って来るなんて。夫はいつもタイミングが悪い。たまに、困らせようとして、わざとやっているのではないかと思うことがある。


 諒子はため息をつき、目を瞑った。頭痛は治まったが、まだ身体がだるくて仕方がない。


 しばらくすると足音が近づいてきて、ドアが開いた。


「電気もつけないで、何やってんの?」


 夫は不思議そうな顔をして言う。


「ちょっと体調が悪くて……横になってたの」


「風邪?」


「どうだろう、分かんない……」


「ふうん。じゃあ俺は、外で飯を食ってくるよ。作れないだろ?」


 夫は言い終わるとすぐにドアを閉めて、そのまま出掛けて行った。


 ——私に、何か食べるか? とは訊かないのね。


 慣れているはずなのに無性に腹が立った。「大丈夫か?」の一言すらなかったのだ。夫は妻の体調など、どうでもいいのだろう。


 諒子は思わず夫の枕を鷲掴みにして、壁に投げつけた。


 前は息子の顔を思い出して我慢していたが、その息子は成人して、もう家を出てしまっている。我慢をする必要がなくなると、苛立ちを抑えることができなくなるようだ。深呼吸をしても、なかなか怒りがおさまらない。


 ——そうだ。おまじないの言葉……。


 諒子はベッドの下に隠しておいた箱を引き出して、フタを開ける。


 まじないの言葉は、白い和紙に筆で書かれているようだった。一枚ずつ手書きをしているのだろう。


 そんなに難しい呪文ではないが、諒子は何度も何度も読み返した。目を通すたびに、心が軽くなって行くような気がしたからだ。


 夫に見つからないように箱をまたベッドの下に戻した後も、仰向けに寝転がり、眠くなるまでずっと、まじないの言葉を唱え続けた——。







 パート先でも時間を見つけては、まじないの言葉を呟く。誰かに聞かれては困るので、建物の裏で、小さな声で唱えた。


 「やえひめ……ねがい……ぎりに…………じょうじゅ……」


 やはりまじないの言葉を唱えると、心が落ち着く。身体中に回った毒が、少しずつ抜けて行くような感じがする。


 次の休憩時間もまたここへ来よう、と思いながら建物の中へ入ろうとした時——携帯電話が鳴った。表示されているのは知らない番号だ。


「はい……」諒子がおそるおそる電話に出ると、救急病院からの電話だった。


 夫が怪我をして、救急病院へ運ばれたらしい。詳しい話は病院ですると言われ、諒子は急いで病院へ向かった——。







 諒子が病院へ行くと、すぐに治療室へ案内された。


「ちょうど治療が終わったところなんですよ」


 看護師にそう言われて中へ入ると、診察台に寝かされた夫が、青白い顔して唸っていた。右足の膝から下は白いギプスで固定されている。


すねの、この辺りにヒビが入っていました」


 医師は脛の真ん中あたりを指さして言う。


「今はヒビが入っている状態ですが、動かすと折れてしまうことがあるので、固定しています。それで……ご主人は帰ると言っているのですが、それでよろしいですか?」


「え……?」


「ご主人はマンション住まいでエレベーターがあるから大丈夫だ、とおっしゃっていたのですが、奥さまが1人でご主人のお世話をすることになるんですよね? 女性が体格差のある男性を支えるのは大変だと思うので、心配になりまして……」


 医師は眉を下げて小首を傾げる。本当に心配しているのだろう。


「あ……入院でお願いします!」


 力が入りすぎて声がうわずった。それでなくても、毎日家事を1人でやりながら仕事もして疲れているのに、動けない夫の介護までするなんて、冗談じゃない。諒子は、ぐっ、と奥歯を噛み締めた。


「うぅ……足が……」


 夫は目を瞑ったままで唸っている。入院することになった、ということには気づいていないようだ。


 ——痛み止めを打ってもらっているだろうに。大袈裟ね……。


 諒子は小さく息をついた——。







 夫が入院した翌朝。パートが休みだった諒子は、久しぶりに目覚まし時計を使わずに起きた。


 いつもなら休みの日でも7時頃には起きて、夫の朝食を作ったり、家事をしなければならないが、夫が入院している間は自分のことだけをすればいいのだ。


 着替えた後にコーヒーを淹れて、諒子は椅子に座った。時計の針は10時15分を指している。


「あぁ〜幸せ。いつもこうだったらいいのに」


 諒子はコーヒーを一口飲んで、ほうっ、と息を吐く。


 夫は脛の骨にヒビが入っているだけなので、1週間ほどで退院するかも知れない。それでも諒子は、自分だけの時間ができたことが、嬉しくて仕方がない。


 今日は何をしようか、と考えながらコーヒーに口をつけようとした時、ふと指輪に目が行った。


「あれ……? どこかにぶつけたかな……」


 漆黒のガラス玉に、うっすらと白い亀裂が入っている。しかし、大切に扱っていたので、ぶつけたりはしていない。


「あ……。もしかして、おまじないが効いたとか?」


 夫が怪我をしたのと同時に、呪物にヒビが入ったのだ。まじないが効いたとしか思えない。


「やっぱり効くんだ。……あはは、楽しくなってきちゃった。トラックに積まれていたパネルが落ちてきたって聞いたけど、どんな顔をしていたんだろう。怖かったでしょうね。あはははは」


 諒子は、パン、パン、と掌を打ち合わせた。


「弥咲姫さま、ありがとうございます。でも、まだ足りないんです。弥咲姫さまなら、分かってくださいますよね、私の気持ち……」


 諒子が指輪を自分の頬に当てると、黒いガラス玉が、ピシッ、と音を立てた——。


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