届いたアクセサリーは、思っていたよりも高価なものに見えた。持ち上げてみると、しっかりとした重みを感じる。
「うん。これなら50代の私がつけていても、おかしくはないわね。安っぽいメッキのアクセサリーが来たら、どうしようかと思っちゃった」
テーブルの上に置かれた箱の中には説明書が入っている。
『願いが叶うまでは、なるべくアクセサリーを身につけておくようにしてください。その方が効果があります。そして二拍手の後で、まじないの言葉を唱えてください。効果が現れるまで根気よく続けましょう。皆様のいらぬ縁が一日も早く切れますよう、心よりお祈り申し上げます』
「神社でお参りをする時みたいに、二拍手をして、まじないの言葉を唱えたらいいってことか。それくらいなら、仕事の休憩時間とかにもできそうね」
テーブルの上に鏡を置いて、ネックレスをつける。
——アクセサリーを買うのは久しぶりね。
いつもと違うアクセサリーを身につけた自分を見ると、頬が緩む。シルバーのチェーンに漆黒のガラス玉がついたネックレスは、思っていたよりも存在感がある。結婚指輪を外して呪物の指輪をはめた後、右の耳にイヤリングをつけた。
そして最後に左の耳にイヤリングをつけた瞬間——視界が、ぐらりと揺れた。
「あれ……? なに……?」
こめかみの辺りが脈打つように痛み、息苦しさも感じる。
座っていられなくなった諒子は、なんとか寝室へ移動して、ベッドに寝転がった。
外が薄暗くなっても、諒子は起き上がることができない。
急に体調が悪くなった理由をずっと考えていたが、呪物を身につけたこと以外は何も思い浮かばなかった。
「これってやっぱり、呪物が本物ってことなのかな……」
左手の薬指にはめた指輪を眺めていると、バタン、とドアが閉まる音がした。夫が帰ってきたようだ。リビングの方で夫が何かを言っているのが聞こえる。
——もう帰ってきたんだ……。
いつもは遅いくせに、体調が悪い時に限って早く帰って来るなんて。夫はいつもタイミングが悪い。たまに、困らせようとして、わざとやっているのではないかと思うことがある。
諒子はため息をつき、目を瞑った。頭痛は治まったが、まだ身体がだるくて仕方がない。
しばらくすると足音が近づいてきて、ドアが開いた。
「電気もつけないで、何やってんの?」
夫は不思議そうな顔をして言う。
「ちょっと体調が悪くて……横になってたの」
「風邪?」
「どうだろう、分かんない……」
「ふうん。じゃあ俺は、外で飯を食ってくるよ。作れないだろ?」
夫は言い終わるとすぐにドアを閉めて、そのまま出掛けて行った。
——私に、何か食べるか? とは訊かないのね。
慣れているはずなのに無性に腹が立った。「大丈夫か?」の一言すらなかったのだ。夫は妻の体調など、どうでもいいのだろう。
諒子は思わず夫の枕を鷲掴みにして、壁に投げつけた。
前は息子の顔を思い出して我慢していたが、その息子は成人して、もう家を出てしまっている。我慢をする必要がなくなると、苛立ちを抑えることができなくなるようだ。深呼吸をしても、なかなか怒りがおさまらない。
——そうだ。おまじないの言葉……。
諒子はベッドの下に隠しておいた箱を引き出して、フタを開ける。
まじないの言葉は、白い和紙に筆で書かれているようだった。一枚ずつ手書きをしているのだろう。
そんなに難しい呪文ではないが、諒子は何度も何度も読み返した。目を通すたびに、心が軽くなって行くような気がしたからだ。
夫に見つからないように箱をまたベッドの下に戻した後も、仰向けに寝転がり、眠くなるまでずっと、まじないの言葉を唱え続けた——。
パート先でも時間を見つけては、まじないの言葉を呟く。誰かに聞かれては困るので、建物の裏で、小さな声で唱えた。
「やえひめ……ねがい……ぎりに…………じょうじゅ……」
やはりまじないの言葉を唱えると、心が落ち着く。身体中に回った毒が、少しずつ抜けて行くような感じがする。
次の休憩時間もまたここへ来よう、と思いながら建物の中へ入ろうとした時——携帯電話が鳴った。表示されているのは知らない番号だ。
「はい……」諒子がおそるおそる電話に出ると、救急病院からの電話だった。
夫が怪我をして、救急病院へ運ばれたらしい。詳しい話は病院ですると言われ、諒子は急いで病院へ向かった——。
諒子が病院へ行くと、すぐに治療室へ案内された。
「ちょうど治療が終わったところなんですよ」
看護師にそう言われて中へ入ると、診察台に寝かされた夫が、青白い顔して唸っていた。右足の膝から下は白いギプスで固定されている。
「
医師は脛の真ん中あたりを指さして言う。
「今はヒビが入っている状態ですが、動かすと折れてしまうことがあるので、固定しています。それで……ご主人は帰ると言っているのですが、それでよろしいですか?」
「え……?」
「ご主人はマンション住まいでエレベーターがあるから大丈夫だ、とおっしゃっていたのですが、奥さまが1人でご主人のお世話をすることになるんですよね? 女性が体格差のある男性を支えるのは大変だと思うので、心配になりまして……」
医師は眉を下げて小首を傾げる。本当に心配しているのだろう。
「あ……入院でお願いします!」
力が入りすぎて声がうわずった。それでなくても、毎日家事を1人でやりながら仕事もして疲れているのに、動けない夫の介護までするなんて、冗談じゃない。諒子は、ぐっ、と奥歯を噛み締めた。
「うぅ……足が……」
夫は目を瞑ったままで唸っている。入院することになった、ということには気づいていないようだ。
——痛み止めを打ってもらっているだろうに。大袈裟ね……。
諒子は小さく息をついた——。
夫が入院した翌朝。パートが休みだった諒子は、久しぶりに目覚まし時計を使わずに起きた。
いつもなら休みの日でも7時頃には起きて、夫の朝食を作ったり、家事をしなければならないが、夫が入院している間は自分のことだけをすればいいのだ。
着替えた後にコーヒーを淹れて、諒子は椅子に座った。時計の針は10時15分を指している。
「あぁ〜幸せ。いつもこうだったらいいのに」
諒子はコーヒーを一口飲んで、ほうっ、と息を吐く。
夫は脛の骨にヒビが入っているだけなので、1週間ほどで退院するかも知れない。それでも諒子は、自分だけの時間ができたことが、嬉しくて仕方がない。
今日は何をしようか、と考えながらコーヒーに口をつけようとした時、ふと指輪に目が行った。
「あれ……? どこかにぶつけたかな……」
漆黒のガラス玉に、うっすらと白い亀裂が入っている。しかし、大切に扱っていたので、ぶつけたりはしていない。
「あ……。もしかして、おまじないが効いたとか?」
夫が怪我をしたのと同時に、呪物にヒビが入ったのだ。まじないが効いたとしか思えない。
「やっぱり効くんだ。……あはは、楽しくなってきちゃった。トラックに積まれていたパネルが落ちてきたって聞いたけど、どんな顔をしていたんだろう。怖かったでしょうね。あはははは」
諒子は、パン、パン、と掌を打ち合わせた。
「弥咲姫さま、ありがとうございます。でも、まだ足りないんです。弥咲姫さまなら、分かってくださいますよね、私の気持ち……」
諒子が指輪を自分の頬に当てると、黒いガラス玉が、ピシッ、と音を立てた——。