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縁切りの呪法 〜裏切りの代償〜
碧絃(aoi)
ホラーホラーコレクション
2024年08月27日
公開日
13,806文字
完結
主婦の諒子はある日、夫が不倫をしていることに気づく。
夫への愛情はもうない。それに、息子も就職して家を出ている。不倫をしていると分かった以上、もう夫の世話をするのは嫌だと思った諒子は離婚を考えるが、ただ慰謝料をもらうだけでは物足りない、と感じていた。
そして離婚について調べている時に『嫌いな人と、簡単に縁を切ることができます』という記事を見つける——

第1話

「もしかして、不倫……?」


 夫のスーツから甘い香りがした。女物の香水の匂いだ。電車やエレベーターに乗っている間に、匂いが移ることもあるけれど——。


 スーツの左袖を顔に近づけると、香水の匂いが強くなった。おそらく長い時間、密着していたのだろう。そうでなければ、こんなに濃い匂いがつくことはない。







 その夜。夫のいびきが大きくなるのと同時に、諒子りょうこはそっと起き上がった。不倫をしているかどうかを確認する為に、夫の携帯電話を手に取る。


 ——起きないでよ……。


 夫の布団をそっとめくって、腕を引っ張り出した。指紋でロックを解除して夫の顔を覗き込むと、相変わらず、口を開けて大きないびきをかいている。当分は起きそうにない。


 トーク画面の1番上にある『ゆな』というアカウントを開き、画面をスクロールする。すると、先月の出張が嘘だったことが分かった。夫は知らないうちに有給を取っていて、『ゆな』という人物と旅行へ行っていたらしい。


 苛立ちを抑えながら、諒子は他のメッセージを確認する。どれもこれも、見ていて恥ずかしくなるようなやり取りばかりだ。


 ——何これ、気持ちわる……。


 意外と怒りは湧いてこなかった。おそらく、ゆなという人物は若い女性なのだろう。50代の夫が無理をして若者言葉を使い、愛をささやいているのが、心底気持ち悪いと思った。


 見られたらすぐに不倫がバレてしまうような内容のやり取りを、夫は消していない。妻に浮気を疑われるとは思っていないのだろう。


 ——甘いなぁ。こんな人でも課長が務まる会社って、どうなの。


 諒子は、不倫の証拠になるやり取りを写真におさめてから、眠りについた。







 パート先の休憩室で、諒子は携帯電話に『不倫 離婚』と入力した。


 夫への愛情はもうない。それに、息子も就職して家を出ている。不倫をしていると分かった以上、もう夫の世話をするのは嫌だと思った。せっかく不倫の証拠があるのだから、慰謝料をとって離婚した方がいい。


 まるで他人事のように、黙々と離婚について書かれた記事を開いていく。


 ただ、夫が不倫をしていること自体には怒りや悲しみはないが、改めて自分が今まで味わってきた苦労を思い返すと、全身が、カァッと熱くなってくるような怒りを感じる。


 家のことも子供のことも、全部妻に押し付けておいて、夫は「俺が金を稼いでいるのだから」と言い続けてきたのだ。3人分の家事がどんなに大変なのかも、息子が赤ちゃんの頃は夜泣きが酷くて、眠ることができない日々が続いていたことも、夫は知らない。


 息子が小学生になってからは、パートを始めた。正社員で働くことができなかったのは、夫の協力が得られなかったからだ。毎日、毎日、朝早くに起きて家事をこなし、慌ただしくパートへ行き、帰ったらまた家事をやらなければならない。夫が遅くに帰ってきて、睡眠時間が充分にとれないこともある。


 いつの間にか鏡に映る自分は歳をとって、母にそっくりになっていた。友人とはもう何年も会っていない。そんな生活に嫌気がさして、一体何のために生きているのだろう、と考えたこともあった。


 それなのに夫は週末になると飲み会へ行き、不倫までしている。


 ——ただ慰謝料をとるだけじゃ、足りない。


 夫と不倫相手に300万円ずつ慰謝料を支払わせることができたとしても、合わせて600万円だ。妊娠して会社を辞めてから25年間も、精神的にも肉体的にも苦痛を味わってきたことを考えると少なすぎる。子供のためだったことを差し引いても、やはり少ない。


 ——もっと、何か……。


 画面をスクロールしていると、ある記事で手が止まった。


『嫌いな人と、簡単に縁を切ることができます』


 法律や裁判の記事が並ぶ中に『おまじない』と書かれた記事がある。


 何となく気になりページを開くと、着物姿の若い女性が、白い布に包まれた赤ちゃんを抱いている絵が目に飛び込んできた。


弥咲姫やえひめという女性にまつわる呪物。弥咲姫の夫は、他の女性と失踪したそうだ。絶望した弥咲姫は赤子を抱いて崖から飛び降りた。発見された時、弥咲姫と赤子の目は大きく見開かれており、何度も閉じさせようとしたが、決して閉じることはなかったと言われている。』


 読んでいる内に眉間に力が入った。


「かわいそうにね……。生まれたばかりの頃が1番大変なのに。そりゃあ、死にたくもなるわよね」


夫の顔が脳裏に浮かんで、思わずため息をついた。


「いつの時代もクズは、いるってことか。えーと……『この呪物は弥咲姫と赤子の、骨と髪の毛を粉にしたものを、ガラス玉に封じ込めたものです。』え……? 本物の骨と髪の毛が入ってるってこと?」


 画面には呪物の写真がある。アクセサリーになっているようだ。シルバーの、ネックレスと指輪とイヤリングには、漆黒のガラス玉がついている。そのガラス玉の中に、骨と髪の毛が入っているということなのだろう。


「本当だったら、ちょっと怖いな……」


 値段は4万円と書いてある。呪物というものの相場は分からないが、シルバーのアクセサリーと考えると、普通の価格のような気もする。どちらにしても、気軽に試せる金額ではない。


「うーん……。もう少し安かったら、買ったかもね」


 諦めてページを閉じようとした時——下の方にクチコミ欄があることに気がついた。


『パワハラ上司と縁を切ることができました。ありがとうございました!』


『僕をいじめていた人たちと縁が切れた! この呪物は本物です。』


『主人と不倫相手の縁を切ることができました。弥咲姫さまに感謝しています。』


 たくさんの感謝のコメントが並んでいる。


「本物……なのかな……」


 一度はやめておこうと思ったものの、コメントを読んでいると心が揺れた。


 ——みんな、嬉しそうだな……。


 慰謝料をもらって離婚しただけでは、心が晴れないのは分かっている。我慢ばかりしてきた25年を返してほしい。それができないのであれば、苦しい思いをさせたい。


 それに、夫への愛情はないとはいえ、別れた後に不倫相手と楽しく暮らすのは許せない。せめて2人を引き離しておきたいと思った。ひとりぼっちになれば、夫も少しは反省するだろう。


 ——みんなやってるんだから、私も。


 諒子は『購入』を押した。


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