二人は泥のように眠っていた。一日海岸を歩き回って、夜には激しく交わっていたのだから当然とも言える。燿のスマートフォンのアラームが鳴ったが、スヌーズを含めて三回ほど蒼波が止めてしまった。チェックアウトが遅めの時間に設定されているホテルだったので、少しの寝坊は許されたのがさいわいだ。
身支度を整え、万が一にも情事の痕跡が残っていないかを確認してから、朝食を摂りにラウンジへと向かう。朝食はバイキング形式となっていて、これまた食べ盛りの二人には丁度よかった。
細かく仕切りのついたプレートを手にした燿と蒼波は、それぞれ好みの食事を取り分けに向かう。蒼波はスープとパン、スクランブルエッグと厚切りハムを焼いたもの、サラダを持ってテーブルへと戻ってきた。対して燿はというと、スープにライス、グリルチキンにとんかつ、スコッチエッグとすごいボリュームだ。そして圧倒的に野菜が足りていない。
「燿ちゃん、野菜は?」
「そんなもん食わなくても育つ」
「トマトだけよけたらいいじゃない」
「俺は肉が食いてぇの」
蒼波もおかわりに行くことを前提にしているので、あまり燿のことを言えない。けれどここには栄養バランスを考えてくれる燿の母親はいないのだしと思う。もっとも燿は相変わらず聞く耳持たずだけれども。
「お前もこういうときくらい、好きなもん食えよ」
そう言われて、蒼波は燿に手招きして顔を寄せるように合図する。そして耳元でささやいた。
「それは、昨日の夜お腹いっぱい食べたから」
「この……バカ! バーカ!」
燿は言い捨ててがつがつと食べ始める。それが照れているだけだということは、赤くなった頬や耳がなにより雄弁に語っていた。蒼波もフォークを手にして食事を始める。
二人は結局三度ほど席を立っておかわりをした。二度目、三度目になると蒼波も燿につられてついつい肉を多めに取ってきてしまって笑われる。
「燿ちゃんが美味しそうに食べるてるから」
「人が食ってるのって美味そうに見えるよな」
「どれが気に入った?」
「塊の肉」
燿の答えに蒼波は噴き出した。燿は本当に肉が好きだ。それでも三度目に席を立ったときには小さなサラダボウルを持ってきて、ミニトマトを蒼波のサラダボウルへ放り込んできた。蒼波はいつものようにその赤い実を食べる。
「まっすぐ帰る?」
「せっかくだしもう一回海岸に出てからにするか?」
「朝の海もきれいだろうしね」
燿と蒼波はホテルをチェックアウトしたのち、もう一度海へと足を向けた。海は昨日と同様穏やかで、太陽の光を受けて輝いている。
「すごいな」
「きれいだね」
かたわらの燿がわずかに身じろぎして、蒼波の方へ体を寄せてきた。どうしたのだろうと思う間もなく、蒼波の手に燿の手が触れ、しっかりと握りしめられる。
「燿ちゃん?」
「別に、いい」
「え?」
「本当は、触ってもいい」
昨日蒼波が話したことを燿なりにずっと考えていてくれたのだろう。ぽつぽつと話す燿はうつむいていて、蒼波からは表情は解らなかった。けれど耳が真っ赤になっていることからどんな顔をしているのか想像はできる。蒼波は素早く辺りを見回し、人気がないことを確かめてから燿を抱きしめた。
「うわ!」
「俺、本当に燿ちゃんが好きだよ」
「解ってるって言ってるだろ」
燿は滅多に蒼波に対して「好き」という言葉を返してくれない。けれど、触られるのをいやがっていた理由が解った今なら構わなかった。
きっとこのあと、燿は照れて別の話題を持ち出してくる。そんなことまで手に取るように蒼波には解っていた。
「そろそろ、駅行くか?」
ほら、やっぱりと思って蒼波は笑ってしまう。
「なんでにやにやしてんだ」
「燿ちゃんが大好きだなって思って」
「そーかよ」
二人は海岸を離れ、駅へ向かって歩き出す。一泊二日の小旅行は二人の小遣いでまかなえる範囲の安上がりなプランだったが、楽しいものだった。それでも蒼波はいつかもう少し豪華な旅行を燿と一緒に楽しみたいと考える。
「今度はもっとすごいホテルで、ぜいたくなごはんも食べようね」
そう提案すると、燿が意地悪い笑みを浮かべた。
「そりゃいつになるんだ」
「えーっと、大学生とかになってから? それとも働き始めてから?」
「先の長い話だな」
蒼波は頬を膨らませて反論する。
「じゃあ、冬休みにバイトするからそれで行く?」
「無理すんな。大学生とか社会人になってからで充分だろ」
つないだままになっていた手を、蒼波はきゅっと握り返した。大学生になっても、社会人になっても変わらずそばにいてくれると言ってくれた燿の言葉がとても嬉しい。
「手、駅前までだからな!?」
「解ってる」
明日からはまた燿は朝にランニングをし、途中で蒼波を起こすために電話をくれる。一緒に朝食を食べて学校に行って、きっと行きがけには宝物探しをする蒼波を何度も注意するのだろう。
変わらない日常の中、変化した二人の関係はまるでガラスの小瓶に光が当たったときのようにきらきらとしている。これから降り積もっていくだろう新しい思い出を、大切に大切に心の宝箱にしまっていこう。
蒼波は幼いころのように、燿に手を引かれながら、そんなことを思った。
了