天気がよいので海岸には散歩をしている人などがちらほらと見受けられる。ただ波が穏やかで凪いでいるためサーフィンをしている人は少なく、この季節ともなれば当然泳いでいる人はいない。
燿と蒼波はしばらく海を見ていたが、やがて波打ち際を歩くことにした。早速シーグラスの捜索に取りかかろうという魂胆だ。そうすぐに見つかるものではないと解っていたので、燿も蒼波も足元に視線を落としたまま、のんびりと話をする。
「そういや辻山がまた変なこと言ってたぜ」
「なんて?」
クラスメイトの辻山は、まだ付き合う前の燿と蒼波の距離感がおかしいと指摘してきた人物だ。その辻山が燿になにかを言ったらしい。蒼波は話の続きをうながした。
「『花が見える』とか『ピンクのオーラ』がどうとか」
「あー……」
「あいつ変わってるよな」
蒼波はあいまいに笑うことしかできない。二人の関係が変わったことを、辻山はなんとなく察知しているのかもしれない。気をつけなくてはならないが、燿に自覚がないので難しい気がする。現に燿は言われたことをあまり理解できていないようだ。
「春でもねぇのに花って咲くのか?」
「それはたくさんあるよ」
燿が言っているのは恐らく植物の方だろう。蒼波が園芸委員をしているので質問してきたのだと予想して、冬にも咲くクリスマスローズやシクラメン、ハボタンなどの名前を挙げてみる。
「ハボタンは知ってる。あれ花なのか」
「燿ちゃんずっとキャベツって呼んでるよね」
「キャベツだろ。あれは……あ! あったぞ、蒼波!」
突然大きな声を出して、燿は海へ豪快に手を突っ込んだ。腕まくりをしていなかったものだから、袖口はびしょびしょだ。しかし、蒼波には燿がそれほど一生懸命になってくれたことの方が嬉しかった。
「こりゃ白だ。残念。どうする?」
燿は手のひらに白いシーグラスをのせてこちらへと差し出す。蒼波はそれを受け取って丁寧にハンドタオルで水気を拭きとった。
「これもいる。燿ちゃんが見つけてくれたものだから」
「そ、そうかよ。じゃあ次。青いやつだよな?」
波打ち際を駆けていく燿の顔は真っ赤だ。もしも蒼波が走り出そうものなら「転ぶぞ」と怒るだろうに。蒼波はくすりと微笑んだ。
やがて昼を迎えたこともあって、一度シーグラス探しを中断した二人は食事を摂ることにした。どこかの店に入ってもよかったのだが、それは夜にしようということになり、昼は浜辺でコンビニエンスストアの弁当を食べることにする。ちょっとした遠足気分でとても楽しい。
「午後には一度ホテルにチェックインする?」
「もう夜でよくねーか?」
燿の口元に米粒がついている。いつもそういうことになるのは自分の方なので、珍しいなと思いつつ手を伸ばした。燿が大げさに身をよじったので蒼波はきょとんとしてしまう。
「なに?」
「ごはん、ついてるから」
「あ、ああ。そう」
ぺたぺたと自分の口元に手を当てて米粒を取り除こうとする燿を見て、蒼波はここのところずっと気になっていたことを思い出した。燿は最近蒼波が触れるのをいやがる。いわゆるそういう雰囲気になったときは受け入れてくれるけれど、それ以外で蒼波が不用意に触れようものなら飛び上がらんばかりの反応をするのだ。蒼波はそれが理解できず、少し淋しいと思っていた。
セックスについても同様の悩みがある。触れれば「いや」「だめ」「待て」と制止の声しか上がらない。達しはするので燿が感じていないわけではないのは解る。だけど心まで満たせているのかと問われたら、蒼波にはまったく自信がなかった。
「蒼波?」
名を呼ばれてはっとなる。このことは今日は考えないようにと思っていたのに、つい気を取られてしまった。
「どうした?」
「なんでもないよ。シーグラス見つかるかなって」
「どんだけほしいんだよ」
笑い出した燿につられるように蒼波も口元に笑みを浮かべる。今度、話をしよう。今まで燿が話をしようと言ってくれて解決しなかったことはない。蒼波はそう自分に言い聞かせて、弁当のはしに盛られていたポテトサラダを口にした。
午後の日差しは穏やかだったが遮るものがない海岸で探し物をしている燿と蒼波には少し暑く感じられてきた。シーグラスはもうひとつ見つかったが、こちらは茶色でとても小さく、蒼波よりも燿の方が落胆していた。茶色のシーグラスを手にした蒼波は、これはこれでコーラのようできれいだなと思ったのだが燿はそうではなかったらしい。
自分よりも必死になってシーグラスを探している燿の姿に嬉しくなると同時に違和感を覚えた。
「燿ちゃん、シーグラスがなかったら、それはそれでいいんだよ」
「そうはいかねぇ。こんなとこまで来たんだし」
「もう白いのも茶色いのも見つかったじゃない」
「青じゃねーだろ」
まるで青いシーグラスが見つかってくれないと困るというように、先ほどから燿は躍起になって探しているのだ。もともと燿はこうと決めたら目標に向かって突き進むところがあるけれど、今のそれはなにか違う。
「ねえ、もう暗くなりそうだし」
日が傾いてきた海辺で蒼波はあきらめようと声をかける。
「あとちょっと」
「もしかして、なにか困るの? 俺がシーグラス見つけられないだけじゃない」
「それは! 別に、困るとかじゃ……」
燿の右足がぱしゃんと波を蹴った。そんなことをしたら靴の中に水が入ってしまうのにと蒼波はぼんやりと思う。
「俺が海に来たいって言ったの、迷惑だった?」
「そうじゃなくて、俺はただ」
「ただ?」
燿がなにを言いたいのか、なにをしたいのか、蒼波には見当もつかなかった。だから自分に向かって突進してきた燿が小さな箱をぶつけるように渡してきたときも、一瞬なにが起きたのか解らないままだ。
「これなあに?」
「やる。シーグラス見つかりそうもねぇし」
小さな箱には燿がよく行くゲームセンターの名前がプリントしてあった。薄ぼんやりとした夕暮れの浜辺では、これを開けても中身を確認するのは難しい。蒼波は一番近い外灯の下まで移動して箱を開けることにした。
「燿ちゃん! 開けるからこっち来てよ!」
燿が波打ち際から動こうとしないので、蒼波は一度引き返し燿の腕をつかんで外灯の下へと向かう。一緒に箱を開けるのがよほどいやなのか、燿の足取りは重かった。箱を開けるのには両手を使わなければならないが、燿を離しても逃げないだろうか。そんな疑問にとらわれていると、流石に観念したのか燿がぶっきらぼうに言う。
「逃げねーから、開ければ?」
「うん! ありがとう」
ゲームセンターの景品だとは解ったけれど、こんなに小さなものは初めてだった。いつも燿はかわいらしいマスコットやきれいなキーホルダーを持ってきてくれるけれど、これはなんだろう。蒼波の胸は高鳴った。
箱の中にはさらに黒っぽいケースがあったので、蒼波は丁寧にそれを開く。外灯に照らされて小さく光るものが箱の中央に見えた。形はいびつだけれど、これは天然石のたぐいだ。
「燿ちゃん、これ」
驚きすぎて言葉が出てこなくなった蒼波に対して、燿は後頭部をがしがしと掻きながら早口でまくし立てた。
「クレーンゲームでたまたま見つけてちょっとやってみたら、すぐ獲れたから。それなら絶対きれいだって俺も思ったし、もしもシーグラスが見つからなかったらやろうと思って。たまたま! たまたまだからな!」
前にも同じようなこと言って、燿は蒼波のために一日中走り回って宝物を集めてきてくれた。負けず嫌いの燿のことだから、きっとこれが獲れるまで小遣いをつぎ込んだに違いない。蒼波がシーグラスを見つけられずに落ち込まないようにと考えてくれたのだろう。
「あれ? この石の色……」
暗くて見えにくかったが、石は水色をしている気がする。ケースをよく見ると『アクアマリン』と印刷された小さなテープが貼りつけてあるので間違いない。
「た、たまたまだって言ってるだろ!」
「嬉しい」
アクアマリンは海の色と言われているので、空の青とは違う。しかし蒼波には今日一日を海で過ごした燿の姿を閉じ込めたかのように思われた。それがとても嬉しい。
蒼波は石を落とさないように急いで箱を元に戻すと、燿の手を引っ張った。突然のことにバランスを崩した燿をしっかりと腕の中に閉じ込める。
「おい、蒼波! 人に見られるだろ」
「誰もいないよ」
きっと燿は人目を気にするだろうから、先に周囲は確認しておいた。そう伝えると燿はなぜか余計に怒り始める。
「怒らないで。俺、嬉しいんだ」
「それは、お前が、こんな」
燿の言葉の最後の方は小さくなって波の音にかき消されてしまった。打って変わって大人しくなってしまった燿のあごをすくうように持ち上げる。触れるだけの短いキスをすると、黒い瞳が真ん丸くなった。
蒼波はまた怒られることを覚悟していたのだが、燿は小さく「バカ」と呟いただけで、蒼波をたたくこともしない。二人は暗くなった海を少しの間眺めてから、ホテルの近くのファミリーレストランで食事をすることにした。