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Ⅳ-3

 カーテンの隙間から陽の光が射し込んでいる。いつもセットしている燿の目覚ましのアラームは、スマートフォンを水没させてしまったため鳴ることはなかった。ぐっすりと眠りこんでいた燿と蒼波をたたき起こしたのは、蒼波のスマートフォンの着信音だ。

「なんだ? 誰だ」

「おばさんからだよ」

「げ。ってか、もう十時かよ」

 部屋にかかっている時計は十時を示している。燿の母親がさすがに起こそうと思ったのも無理はなかった。この家を訪れなかったことだけが救いだ。燿も蒼波もほぼ素っ裸だった。蒼波が短い通話を済ませて燿を振り返る。

「燿ちゃん、ごはんできてるって」

「あー、うん」

 朝食と聞いて空腹を覚えた燿だったが、母親の説教が待ち受けていることを思い出して、一気に気持ちが重たくなった。

「早くしないと片づけちゃうって」

「そりゃまずいな」

 慌ててシャワーを浴びた二人は、室橋家へ向かうことにする。

「お兄ちゃん、蒼波くんとは仲直りしたの!?」

 母親とともに出迎えた煌に詰め寄られ、そのあまりの勢いに燿は一歩後ろへさがってしまった。どうも母親にも妹にも燿が一方的に悪いことになっているらしい。まさか本当のことを話すわけにもいかないので、燿は「あー」だの「うー」だの言葉を濁してしまう。

「まだ仲直りしてないの!? 今謝って! 早く!」

「いや、仲直りっつーか、それは大丈夫だと思う」

「煌はいやなの! お兄ちゃんと蒼波くんが仲悪くなっちゃうの」

 煌なりに心を痛めてくれていたのだろう。しかしこれ以上説明することはできない。燿は困ってしまった。

「煌ちゃん、本当に大丈夫。燿ちゃんとはもういつも通りだから」

 優しい笑みとともに煌にそう言い含めたのは蒼波だ。煌がほっと息をついたのと同時に母親からも声をかけられた。

「本当にあなたたちがぎくしゃくすると、こっちまで気が気じゃないわ」

「ごめん、おばさん。もう大丈夫」

 燿にしてみれば蒼波とこうして仲直り――それ以上ともいう――ができたのだから、昨日の音信不通の件については不問に付してもらいたい。しかし、心配させたことに変わりはないかと思い直して、ダイニングテーブルに着く前に燿は母親に頭を下げた。

「昨日は心配かけてごめん」

「解ったんなら、もういいから。蒼波くんと仲直りもできたみたいだし」

 こってり絞られると思っていた燿は正直拍子抜けだ。ぽかんとしている燿に母親は言葉を続けた。

「蒼波くんに感謝しなさいよ? 昨日燿を待ってる間ずっと、怒らないであげてって言ってくれてたんだから」

「おばさん! 言わないでって言ったのに」

 テーブルから蒼波が焦ったように声を上げる。蒼波だってきっと連絡が取れなくなった燿を心配していたはずだ。それでも燿が帰ってくると信じ、なおかつ帰ってきたときには怒らないでやってくれと母親に頼んでいてくれた。あんなに気まずい状態だったにもかかわらずだ。

「蒼波、さんきゅ」

 燿は蒼波の隣に座りながら、小さな声で感謝の気持ちを伝えた。改めて明るい場所でこうして顔を合わせると、なんだかひどく照れ臭い。燿と同じ気持ちなのか、蒼波は燿の方を見ないままうなずくだけだった。

「さあ、早く食べちゃって。片づかないわ」

 焼き立てのパンと、温めたスープ、目玉焼きにウィンナー、サラダまでがずらりと食卓に並ぶ。食事はすべて煌が嬉しそうに運んでくれた。

「煌もあんがとな」

「いただきまーす」

 普段と変わらない食事の風景がようやく戻ってきたと誰しもが思う。燿がミニトマトを蒼波のサラダボウルに放り込むところまでを含めて。

 食後、燿は蒼波をともなって二階の自分の部屋へと向かった。宝物の入ったゴミ袋を運び出すためだ。二人なら一回で持ち出せる量だったので、ゴミ袋を手に素早く隣へと戻った。蒼波が宝物を捨てようとしたことまで燿の母親や煌に知られてしまうとどうしても面倒になってしまう。

「さて、元に戻すぞ。どれからやる?」

「えっと、瓶を全部出して、中に小さいのを入れようかな」

「了解」

 燿はゴミ袋の中から瓶を一本ずつ取り出していった。残念ながら割れているものもあったので、それはまた別の袋へ入れて処分することにする。燿の向かいでは蒼波が瓶に入れる小さな宝物を選り分けた。こちらも葉っぱなどは形が崩れていて取っておけないものが出てくる。

「ごめん。壊れちまってるのあるな」

「ううん、いいんだ」

 構わないと話す蒼波は言葉通り晴れやかな表情をしていた。けれど燿は蒼波がこれらの宝物をとても大切にしていたことを知っている。申し訳ない気持ちは拭い切れなかった。

「俺のせいで、こんな」

「燿ちゃんが悪いんじゃないよ。それに」

 言いかけた蒼波が口ごもる。気になった燿は瓶を床に並べていた手を止めて蒼波を見つめた。なに? と視線で問うと、蒼波が照れ笑いを浮かべる。

「もう一番の宝物は手に入ったから、それを大事にするんだ」

「ん? 昨日渡したやつか?」

 訊き返した燿を見て、蒼波が盛大に噴き出した。

「そうなんだけど、そうじゃなくて」

「なんだよ」

「燿ちゃんが俺のものになってくれたから、一番大切にするよ」

 顔に熱が集っていくのを感じて、燿は片手で顔を覆う。恥ずかしげもなくよくもそんなことを言うものだと思った。罵ってやりたいのに言葉は出てこず、ぱくぱくと口が動くだけだ。

「でも燿ちゃんが持ってきてくれたものは、新しい宝箱を作って入れとこう」

 にこやかに言った蒼波は、小物の選別を途中にしてクローゼットからきれいな缶や箱を取り出した。

「どれに入れようかな」

「おい蒼波」

「どうしたの?」

 やっとの思いで再起動した燿は、これだけは言っておかなくてはならないとばかりに言葉を絞り出す。

「誰がお前のだよ。お前が俺のになったんだ」

 蒼波がこちらをじっと見つめてきた。居心地が悪くなった燿はごまかすように再び床に瓶を並べ始める。やがて蒼波は静かに微笑んだ。

「あのね。それも、こっちのも、全部なんだけど」

 とても大切なことのように蒼波が言葉を区切りながら話すので、燿は瓶を並べながらも聞き漏らすまいとした。蒼波が指差した木の実にもビー玉にも、なにかのオマケのマスコットにも、ゴミ袋全体にも視線を走らせる。

「燿ちゃんみたいだなって思ったものを集めてたんだよ」

 燿はもう一度ゴミ袋と自分たちの周りに散らかる蒼波の宝物を見回した。これらが飾られていたとき、燿は確かにきれいでかわいいと思ったことがあったが、己のようだと感じたことはない。

「全部、きれいでかわいいでしょ? 燿ちゃんみたい」

「な、なに言ってんだよ」 

 えへへと笑う蒼波を前に、燿は挙動不審になっていた。手にした瓶を床に置いては手に取ってを繰り返す。そんなことを言われたら、次からどうやって蒼波の宝探しに協力すればいいのか。長い時間を費やして集められた蒼波の宝物は、すべて燿に似たもので、燿を好きだったから集めていたと言われているのだ。

 戸惑いを隠せない燿へと畳みかけるかのように蒼波が「あ」と声を上げた。

「今度はなんだよ!」

「本当は昨日したかったんだけど、余裕がなかったから……今してもいい?」

 燿の返答を待つことなく、蒼波は段ボール箱から小さなケースを取り出す。中に入っていたのは美しい銀のリボンだった。蒼波は燿の目の前に膝をつくと、燿の左手をそっと取って薬指にリボンを結ぶ。

「蒼波、これ」

「もしかしたら、もう一回結べるかもって思って」

「いつから?」

「いつからだろう」

 こてんと首を傾げる蒼波は、本当に一体いつからこんなに燿を想っていてくれたのだろうか。記憶をたどろうとしてもやはり蒼波の笑顔ばかりが浮かんできてうまくいかない。同じだけの年月をかけたものは返せないけれど、燿はこれからの蒼波になにかしたいと強く思った。

「お前、したいこととか行きたいとことか、ねぇの?」

 我ながら安直だと思わなかったわけではないが、燿はまず蒼波の望むことを叶えるべく尋ねる。蒼波は燿の左手を握ったまましばしうなっていたが、ややして思いついたというように声を弾ませた。

「海に行きたい!」

「海? なんで」

「俺、シーグラス持ってないから」

 波間をたゆたう内に角が取れて曇ったようになったガラスの欠片が欲しいのだと力説する蒼波に、燿はまだ宝物が欲しいかのかと半ば呆れながらも承諾する。

「解ったよ。寒くなる前に海に行こう」

「本当に? やった!」

 薬指にリボンが結ばれた左手を軽く引かれたので、燿は体勢を崩して蒼波の方へ倒れこみそうになった。燿を軽々と受けとめた蒼波と顔を見合わせる。今したばかりの約束さえ、とても愛しい。

「だから、これ早く元通りにしようぜ」

「うん。晩ごはんまでに片づくかな」

 他愛のない会話をしながら、二人はどちらからともなく唇を重ねた。


     了

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