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Ⅲ-2

 放課後、怪我で休んでいた分を取り戻さなければならないため、燿は陸上部に顔を出した。本当は走る気分ではなかったけれど、これ以上休むと体を元にもどすのが難しくなってしまうので仕方ない。

 いきなり全力で走るわけにもいかず、ウエイトトレーニングや体幹トレーニングがメインの軽いメニューにした。

 トレーニングの間も頭をよぎるのは蒼波のことばかりだ。使っている筋肉に意識を向けなければと思うのに、どうしても蒼波の言葉が離れない。

 燿の放った『気持ち悪い』という言葉に加えて、蒼波は自分が無理やり燿にキスをした自分を、汚らわしいと思っている。確かにタガが外れたようながっつきっぷりだったのは燿も認めるが、蒼波はそれだけ強く燿のことを想っていて、それゆえずっと我慢していたのだろう。

 練習の仕上げにトラックを軽く流して走ることにした。

 ランニングと違ってトラックを周回するのは景色にあまり変化がなく、走りに集中することができる。いつもならフォームやテンポに気をつけるのだが、ここでも燿は蒼波について考えてしまう。

「室橋、やりすぎは禁物だぞ」

「はい」

「今日はもう上がれ」

「解りました」

 つい夢中になって走っていたところに、部長から注意の声が飛んできた。仕方なく練習を切り上げた燿は、使い終わった器具の片づけを手伝い、部室へと引き上げる。シャワーを浴びて制服に着替えた。

「お先に失礼します」

「ああ、まだ無理はするなよ」

 部長に先に帰る旨を伝え、燿は学校を後にする。こんなに早く練習を終わらせる予定ではなかったので、なんとなく不完全燃焼だった。蒼波のことでもやもやしていることもあって、まっすぐ家に帰る気になれない。

「そういや最近行ってなかったな」

 燿はゲームセンターに立ち寄ることにした。いつもやっているゲームをひと通り試すが、どれもイマイチ面白くない。こんな気分でゲームをしても楽しめないことは解っていたけれど、気分転換にもならないのかとうなだれる。

 ふとクレーンゲームが並ぶエリアに目をやった燿は、つい癖でそちらへふらふらと歩いていった。アクリル板越しに景品を眺め、かわいいマスコットがないかと探しかけてはやめる。

「獲っても渡すのは難しいか」

 なにせ蒼波は宝物をすべて捨ててしまったのだ。そしてそうさせたのは燿にほかならない。

 それでも一台のクレーンゲーム機の前で燿の足は止まった。

 小さなビーズに埋もれた箱についた輪っかを吊り上げるタイプのそれには『宝石ゲッター』と書いてあり、どうやら本物の宝石を獲ることができるらしい。燿は硬貨を投入口に放り込んで、ボタンとレバーを慎重に操作した。

 しかし、思ったよりも難易度が高く宝石を獲ることはできない。小遣いもだいぶ使ってしまい、今月の残りの生活のことを考えるとあきらめるしかなかった。

 これを蒼波に渡したら、きっと喜ぶと思ったのに、なにもかもがうまくいかない。燿は肩を落とし、ゲームセンターを出た。

 家に帰ったとたん、母親と煌がちらりと燿の様子をうかがってくる。ケンカが長引いていると感じているのか、二人とも蒼波と燿についてなにも言ってこなかった。まさか本当のことを説明するわけにもいかないので、燿もそのままにしている。

 蒼波は相変わらず燿の家で食事を摂ることを拒否していた。そのため、食卓は火が消えたように静かだ。耐えかねたのか煌が学校での出来事を話し始めたが、燿はぼんやりと聞くばかりで満足にあいづちも打てなかった。

「ごちそうさま」

 悪いことをしていると思いながらも、燿は言い残して二階の部屋へと引っ込んだ。部屋には蒼波の捨てた宝物の入ったゴミ袋があるため、見るだけで気持ちが暗く沈んでいく。こんなに乱雑に詰め込んでいたら、壊れてしまっているものもあるだろう。長い時間をかけて大切に集めてきたものなのに。

 燿はゴミ袋のひとつを開けてみた。一番上にある小さな空の瓶を手に取って眺める。瓶そのものが虹色をしていて美しかった。たぶんこれには元々なにも入っていなかったのだろう。空のままの瓶を蒼波が大切にしていたことが伝わってくる。水を入れたら、その水が水道水であっても特別なものに思えるのではないだろうか。燿にもそれくらい美しいと感じられた。

 瓶を手にした燿にある考えが浮かんでくる。

 それはきっと子供がするようなことだし、うまくいくとも限らないことだった。それでも燿はその考えを実行するよりほかはないと強く思う。明日はさいわいにも土曜日で学校は休みだ。一日を作戦に費やせるだろう。そのためにはまず下準備が必要である。

 燿は瓶をローテーブルに置くとスマートフォンを手に取り、地図を呼び出して自宅周辺の区域を調べ始めた。

「待ってろよ、蒼波」

 翌朝、夏用のレギンスとハーフパンツに派手なロゴの入ったTシャツを合わせ、キャップを被った燿は、いつもは持たないボディバッグを身につけて家を出た。まずは公園までの道のりを普段通り走る。風がずいぶん涼しくなってきたように感じられた。

 公園ではベンチに直行するのが常なのだが、今朝の燿は違う。さほど広くはない公園を歩いて一周した。足元に注意を払って歩いていると、砂場で小さな青いプラスチック片を見つける。

 砂場といえば、お城やトンネルを作ると言ってよく蒼波と来ていたっけ。

「ブロックか? 子供の落とし物だろうけどこれなら、まあ」

 拾い上げた青いブロックのピースの砂を丁寧に落としてボディバッグにしまった燿は、休憩することなく走り出した。今度は南の方にあるもうひとつの公園を目指す。そちらの公園ではキャラクターの描かれた菓子の空き箱を見つけた。マッチ箱のようにスライドさせて開閉させるタイプの箱だった。 ふと、蒼波が買ったばかりのソフトクリームを見事に落としたときのことが思い出される。まだ小学校低学年のころだったのだが、見かねた店員さんが新しいものと取り替えてくれたのには今も感謝している。二人きりで買いに行ったので、あのまま放置されていたら途方に暮れて二人とも泣き出していたかもしれない。

 燿はその箱をバッグに入れて、一度スマートフォンの地図を見る。

 次は大きめの公園に行く予定にしていた。真ん中に池があり、池の周りには二キロほどのランニングコースが設置されている。バードウォッチングや植物を見に来る人々に人気の公園だった。少し疲れてきていた燿はその公園までは歩いていくことにする。なにか見つかればよいなと思いながら、燿は途中で買ったスポーツドリンクを煽った。

 この公園なら朝食を摂るのにも丁度よいと思い、コンビニエンスストアに寄ってサンドイッチとおにぎりを買っていく。先にベンチでそれらを腹に収め、ゆっくりとしたペースで公園内を走った。めぼしいものがないとがっかりしていたら、足元にどんぐりが転がっているのが見えて嬉しくなる。

 まるで小さな子供のように、燿は真剣なまなざしでどんぐりを選んだ。昔、蒼波が持ち帰ったどんぐりから虫が湧いたことがあったので、それ以来どんぐりの選別は燿の仕事になっているのだ。

「あのときは本当に参ったよな」

 くすりと笑いながら形と色つやのよい、安全そうなどんぐりをみっつ選んで、先ほど拾った菓子箱に入れた。去年のものなのか、まつぼっくりも見つけたのだが、白くなって割れていたので持ち帰るのはやめておく。

 なにかをひとつ拾うごとに蒼波との思い出が浮かんできて、胸のあたりがじんわりと温かくなる。不思議な感覚に包まれながら、燿は次々と場所を移動した。

 時刻は昼になろうとしていた。家に戻るには遠くまで来すぎていたため、燿はまた適当な場所で昼食を摂ろうと考える。一度母親からどこにいるのかと電話があったので、今日は出かけていて遅くなると伝えておいた。

「この格好で店に入るのはアレだしな」

 汗もかいているし、飲食店に入るのはためらわれる。朝食と同様にコンビニエンスストアでなにか買って公園で食べるのが妥当だろう。結局、弁当を買ってさっきも訪れた大きな公園で食べることにした。

 蒼波はどうしているだろうかと考える。今朝は学校が休みということもあって起こすための電話をしていない。心ゆくまで寝坊しているのか、それ以前に眠れているのか。燿は少し心配になった。あれからはまともに蒼波と会話をしていないし、メッセージにもなにを送ったらよいのか迷ってしまって送らずじまいになっている。

 暗くなりかけた気持ちを振り払うように、燿は頭を振って唐揚げを口に放り込んだ。

 午後になってから燿はもう一度スマートフォンの地図を確認して、少し移動範囲を広げることにした。近隣の地区までを範囲にすると、かなりの数の公園などを回ることができそうだ。思ったよりも狙っているものが集まらないのが大きな原因だった。狙っているといっても燿にはこれが欲しいという明確な目的はない。ただ公園を中心に道端などに落ちているものを拾っているだけだ。

 道端ではなにに使われていたのか解らないネジと、金属の輪っかを見つけた。一瞬拾うのをやめようかとも思ったけれど、念のためバッグにしまっておく。

 幼いころ、蒼波が金属の輪っかを指にはめて抜けなくなったことを思い出して、燿の口元には笑みが浮かんだ。

 昼下がりに訪ねた場所のひとつには神社があった。それほど有名な神社ではなく、参拝者もほとんどいない。燿は手を清めてから参拝し、お守りやおみくじが並べられている社務所へ向かった。なにかきれいなものがあるかもしれないと考えたのだ。お守りはどれも美しい生地で作られていた。学業成就のお守りを手に取ってみるが、受験はまだ先の話だしなにか違うと考えて戻す。恋愛成就のお守りは恥ずかしくて見ることもできなかった。蒼波の恋の相手は自分なのだ。結局巫女さんに訊いてみることにした。

「元気になれるのってありますか?」

「失礼ですが、ご病気を?」

「あ、いいえ。元気がないってだけで」

「だったらこちらの開運招福のお守りはいかがでしょうか?」

 なるほどと燿は思い、巫女さんが示してくれた開運のお守りから濃紺の生地に金糸の模様が入ったものを選んだ。お守りを大切にボディバッグの奥の方へ入れて、燿は神社を散策する。流石に掃除が行き届いていて、ここではなにも見つからなかった。

 またもやコンビニエンスストアへ行った燿は、おやつ代わりにゼリー飲料を買って手早く補給を済ませる。あまり来たことがない場所だったので、スマートフォンで現在位置を確認しながら、次の目標の川原へと向かった。ここでも燿は休憩をかねて歩くことにする。

 空は高く青く澄んでいて、いよいよ秋が訪れるのだなと思われた。川原は特に風が涼しく、ほてった体に心地よく感じられる。

「さて。探すか」

 小さく呟いた燿は足元に注意しながら川沿いを歩いていった。時折川の浅い部分も見つつ、何度か手を突っ込んでは小石を拾い上げる。川の石は角が取れて丸く、すべすべになっているので形のよいものを選べば、きっと喜んでもらえると思ったのだ。

 燿はもう少し真ん丸のもの、もう少し平らなもの、と考えながら小石を選んでいった。気に入る小石がなかなか見つからないので、靴と靴下を脱いで浅瀬に入ってみる。思っていたより川の水は冷たくて驚きつつ、小石探しにいそしんだ。

 どのくらいそうしていただろうか。

「これだ!」

 ようやく理想的な小石が見つかったので、燿はうきうきしながらボディバッグへ入れようとした。しかしそれが悪かったのだ。ボディバッグを開けたとたん、中からスマートフォンが転がり出てしまった。ぼちゃんと重たい音を立てて、スマートフォンが川へと落ちる。

「げっ」

 慌ててスマートフォンを拾ったが、何度電源ボタンを押しても反応しない。

「まじかよ……」

 今日に限って腕にバンドで留めずにボディバッグにスマートフォンを入れてしまったことを燿は呪った。これは家に帰るべきだろうか。川から上がってタオルで足を拭く。だが、ボディバッグの中身を改めて見てみると、燿にはまだ集められるものがあるのではないかと感じられてしまい、帰る気が起きなかった。

 地図がない状態となってしまったので、あまりうろうろするのはまずい。それは充分に解っていたけれど小さな子供でもあるまいし、迷子になるとは思えなかった。いざ迷ってしまったら通行人に道を尋ねればよいだけのことだ。

 ひとつひとつなにかを拾うたびに、小さな蒼波のことを思い出していた燿だったが、やがてそれは少しずつ変化していった。

 通りすがりにたまたま見つけた小さな緑地で見つけた形のよい葉っぱを拾ったときには、毎朝寝ぐせを爆発させて笑っている蒼波の姿が思い出された。また、道端で丸くて平らな缶バッジのような金属片を見つけたときには、高校生にもなって頬を膨らませて不満を表す蒼波の顔が浮かんでくる。

 やがて、暗くなりかけた公園で光ったものを手に取った燿は、思わず口元をほころばせた。色はよく解らなかったが、それはビー玉だった。蒼波が空色をしていると言って嬉しそうにビー玉を拾っていたのは、つい最近のことだ。

 そして、そんな蒼波が自分を好きだといってキスをしたのは、一昨日だった。一体いつから、燿のどこをそんな風に想っていてくれたのだろうかと考えたが、燿は蒼波ではないのだから解るわけがない。

 ビー玉は土にまみれていたので、近くの水道で洗ってから持ち帰ることにした。土と一緒に燿の心を頑なにしていたものまで流れていく気がする。

 どうしたって燿は、蒼波が好きだった。

 だから蒼波に気持ちを告げられたときには嬉しかったし、キスをされたときだって気持ちよいと感じたのだ。全部蒼波だったからだ。

 それを燿自身が自覚していなかったから、驚き、当惑し自分を嫌悪してしまった。その結果、蒼波をひどく傷つけることになった。

「バカだよな」

 とうに土が落ちたビー玉に水道の水をかけ続ける。知らず知らずのうちに燿は泣いていた。

 ビー玉をバッグにしまった燿は、そのまま水道で顔をばしゃばしゃと洗う。冷たい水が燿の気持ちを落ち着かせてくれた。

 たとえば、蒼波がほかの誰かを好きになったら、燿はきっと許せない。だからもう認めよう。自分の気持ちも、蒼波の気持ちも、きちんと受け入れよう。

 燿は暗い公園で一人、ようやくそう思うことができた。

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