笹に手を引かれ、俺は駅に行き、そこから電車に乗った。
どこへ行くのか。
そう聞いても、笹は明確な場所を答えず、ただ「行けるところまで」と返してくるばかり。
何駅も、何駅も、ずっと俺たちは電車に乗り続け、やがて他の利用者の姿もほとんどなくなった。
この車両に乗ってるのは二人だけだ。
そうなった状況で、俺は閉ざしていた口を重々しく開く。
「……笹」
「はい。何ですか?」
「どうして何も聞いてこないんだ?」
「……?」
「俺が途中で君を残して家を出たこと、気付いてるだろ? なのに、どうして何も聞いてこない? 体も、雨が降ってないのにずぶ濡れだし」
ぽつり、ぽつり、言葉にすると、笹はクスッと笑って、
「後で聞こうと思ってました。ここじゃなくて、この先、辿り着いた場所。本当に二人きりになれたところで」
「……それは、具体的にどこ?」
「さぁ。私にもわかりません。どこでもいいですから。蒼先輩が一緒なら」
「答えになってない。二人きりってのが重要なら、ここももう二人きりみたいなもんだろ? 周りに人は誰もいない」
「そんなことないですよ。他の車両に人はいるかもですし、乗務員の人もいます。全然二人きりって言えないです」
「二人きりだって。ていうか、笹は明日も学校あるだろ? こんな時間にこうして遠くまで行って、お父さんも心配する。帰るのだって、この調子じゃ朝になるかもしれない」
「いいんです。先輩と一緒なら」
「ダメだよ! それに、俺なんかと一緒になるのももうやめた方がいい!」
「……俺なんかって」
「俺は人殺しだ! 人殺しなんだよ!」
「……」
「さっき茜の家で、茜を殺してしまった。自分でも……何でこんなことをしたのかわからない……。でも……」
「……」
「でも……不思議と嫌な気持ちはしてないんだ。頭がおかしい。おかしいんだよ、俺」
「……」
「だから、笹ももう俺と一緒にいるのはやめた方がいい。こんな奴と一緒にいれば、君も不幸になる。不幸になるんだ……」
「……」
「……そもそも、近いうちに俺は捕まる。どっちみち、もう長くは一緒にいられない。さよならだ、笹」
「……」
「短い間だったけど……ありがとう。俺も君に救われてた。終わり方はこんなだけど、心の底から感謝してる」
ありがとう。
俺はそう何度も口にし、やがて涙していた。
けど、ダメだ。
やっぱりおかしい。
感情が昂ると、幸せや悲しみの感情を抜きにして、自然と笑いが込み上げてくる。
どうやら俺は完全に狂ってしまってるらしい。
もう、塀の中でも何でもいい。
誰とも関わらず、無機質な人間とだけ最低限関わり、あまり感情を動かさずにいたい。
そうすれば、これ以上誰も傷付けないし、傷付かないだろう。
それがいいんだ。一番。それが。
「……ふふっ」
「…………?」
「ふふっ……ふふっ。あはははっ」
「……笹?」
うつむいてる俺を横に、笹は何が可笑しいのか、唐突に笑い始めた。
そして――
「蒼先輩。そんなに落ち込まないで?」
俺の頬に優しく手を添えてくる。
その手は必要以上に暖かい気がして、顔を逸らしたくなった。
「落ち込まないでって……。もう落ち込むとか、落ち込まないとか、そういう次元の話じゃない。俺は罪人なんだよ。君と同じように学校にも通えない。終わった人間なんだ」
「だから、優しくしないでってことですか?」
思っていたことを先に口にされる。
俺は小さく頷いた。そんなこと、もうしなくていい、と。
彼女は首を横に振る。
「蒼先輩が罪人でも、私は変わらないです。ずっと先輩の傍にいるだけ。前から決めてたんですもん。何があってもあなたの傍にいようって」
「で、でも――」
「茜先輩を殺したのだって、経緯は私にはわかりません。過去のこととか、そういうの全然知らないし。知ろうとも思わない。あの人には触れたくなかったから」
「笹……」
「けど私、今はとても気分がいいです。すっごく、すっごくすっごく」
「え……?」
「だって、先輩の言うことが本当なら、あの岡城茜がいなくなったってことですよ? そんなの、幸せ過ぎます。あの人がいなくなれば、誰も他に蒼先輩のことを狙う人はいなくなる。それって、もう私が独り占めできるってことじゃないですか」
「っ……」
「そんな独り占めし放題の状況で、先輩のことを手放すなんて考えられません。どんなことをしようと、どんなことを私自身がされようと、あなたの傍に最後までい続けるの私なんです。それでいいんです」
「あ、あの、笹、でも――」
「だからね、先輩――」
言葉を言う前に、笹が俺の唇を奪ってくる。
遠慮なんてもう何もない。
舌を入れた、本気のキスだった。
その時、俺は初めて知る。
笹の存在の大きさ。それから、想いの強さのすべてを。
「……私は、何があってもあなたの隣にいますから」
唇を離し、そう言う笹の顔を、俺はぼんやりとした意識の中、ただ屈服するように見つめる。
そんな俺の頭を彼女は優しく撫でてくれる。
そこで、意識はいったん無くなった。
疲れたのか、俺は眠りについたのだった。
●〇●〇●〇●〇●
意識が覚醒したのは、遂に降車するタイミングで、だった。
笹に起こされ、俺は目を覚ます。
場所はよくわからないさびれた無人駅。
そこには、電灯らしい電灯などほとんど何もなく、スマホの灯りで行く先をどうにか照らして歩く。
当然、何かアテがあるわけでもない。
俺は問うた。
何か食べたいか、と。
笹は首を横に振り、何もいらない、と答える。
俺たちは歩き続けた。
歩き続けてると、やがて雨が降ってきた。
俺たちは、適当に見つけた小さな小屋の中に入る。
それから腰を下ろした。
雨の音を聞きながら、二人で寄り添って。
「蒼先輩」
「……うん」
「蒼先輩は、これから先、生きていたいですか?」
「……いや、そうは思わない」
「死にたい、と?」
「その方がいいんだろうと思う。自分自身を戒めながら、永遠に後悔しながら死ぬのがいいんだろう、と」
「だったら、私はそんな先輩を永遠に慰め続けてあげたいです。傍で」
「傍でって、死んだら傍にいることなんてできない。無理だよ、そんなのは」
「いえ。できますよ?」
「……?」
「私も同じように死ねば」
外の雨の音が弱くなったような気がした。
彼女の声が、妙に耳に深く届いてくる。
「あと、死ねば自由です。蒼先輩、言ってましたよね? 茜先輩を殺したから、これから自分は捕まるって」
「……ああ」
「死ねばそんなことならないと思います。後悔しようが、苦しみ続けようが、ずっと色々なところを行き来できると思いますよ? ほら、透明で擦り抜けもできそうですし」
「……それは想像上の話だろ? 本当はそうならない気がする。無になるだけだ」
「無でもいいじゃないですか。拘束されるよりよっぽどマシです。だから、先輩?」
――私と一緒に、今から死んじゃいませんか?
「……でも、君にはお父さんが……」
「いいんです。お父さんは、あまり家に帰ってこないですし、前見ましたから。新しい人と付き合ってるってLIME。今さらそんなの受け入れられないです。私は先輩の傍にいたい。それだけ」
「け、けど……」
「大丈夫です。死んでも、私はあなたが傍にいてくれればすごく幸せです」
「……」
「逆に先輩がいない世界で生き続けるのなんて苦しいだけ。ね? わかってください」
「笹……」
「大丈夫。苦しいのなんて一瞬ですし、私も同じ思いをします。それで、意識が途絶えたら、また一緒にいましょ?」
「……うん」
「一緒にいて、ずっとずっとずっと、朝はおはようから始まり、昼になればどこかへ遊びに行って、夜になれば、こうして毎日あなたのことを慰める」
「……うん」
「死んだら、そうやって生活するんです。ふふっ。考えたら、楽しみになってきました」
言いながら、彼女は持っていたカバンから包丁を取り出した。
「蒼先輩。大好きです」
雨はもう止んでいたんだろう。
屋根に降りかかる雨音は完全に無くなり、笹の声だけがすべてだった。
瞳を閉じた俺は、胸から垂れる生暖かさを噛み締め、やがて痛みと共に笹と眠った。
おはよう。
きっと明るい時間になると、そう言いながら起こしてくれるであろう彼女の存在を信じて。