目次
ブックマーク
応援する
いいね!
コメント
シェア
通報
最終話 笹と

 笹に手を引かれ、俺は駅に行き、そこから電車に乗った。


 どこへ行くのか。


 そう聞いても、笹は明確な場所を答えず、ただ「行けるところまで」と返してくるばかり。


 何駅も、何駅も、ずっと俺たちは電車に乗り続け、やがて他の利用者の姿もほとんどなくなった。


 この車両に乗ってるのは二人だけだ。


 そうなった状況で、俺は閉ざしていた口を重々しく開く。


「……笹」


「はい。何ですか?」


「どうして何も聞いてこないんだ?」


「……?」


「俺が途中で君を残して家を出たこと、気付いてるだろ? なのに、どうして何も聞いてこない? 体も、雨が降ってないのにずぶ濡れだし」


 ぽつり、ぽつり、言葉にすると、笹はクスッと笑って、


「後で聞こうと思ってました。ここじゃなくて、この先、辿り着いた場所。本当に二人きりになれたところで」


「……それは、具体的にどこ?」


「さぁ。私にもわかりません。どこでもいいですから。蒼先輩が一緒なら」


「答えになってない。二人きりってのが重要なら、ここももう二人きりみたいなもんだろ? 周りに人は誰もいない」


「そんなことないですよ。他の車両に人はいるかもですし、乗務員の人もいます。全然二人きりって言えないです」


「二人きりだって。ていうか、笹は明日も学校あるだろ? こんな時間にこうして遠くまで行って、お父さんも心配する。帰るのだって、この調子じゃ朝になるかもしれない」


「いいんです。先輩と一緒なら」


「ダメだよ! それに、俺なんかと一緒になるのももうやめた方がいい!」


「……俺なんかって」


「俺は人殺しだ! 人殺しなんだよ!」


「……」


「さっき茜の家で、茜を殺してしまった。自分でも……何でこんなことをしたのかわからない……。でも……」


「……」


「でも……不思議と嫌な気持ちはしてないんだ。頭がおかしい。おかしいんだよ、俺」


「……」


「だから、笹ももう俺と一緒にいるのはやめた方がいい。こんな奴と一緒にいれば、君も不幸になる。不幸になるんだ……」


「……」


「……そもそも、近いうちに俺は捕まる。どっちみち、もう長くは一緒にいられない。さよならだ、笹」


「……」


「短い間だったけど……ありがとう。俺も君に救われてた。終わり方はこんなだけど、心の底から感謝してる」


 ありがとう。


 俺はそう何度も口にし、やがて涙していた。


 けど、ダメだ。


 やっぱりおかしい。


 感情が昂ると、幸せや悲しみの感情を抜きにして、自然と笑いが込み上げてくる。


 どうやら俺は完全に狂ってしまってるらしい。


 もう、塀の中でも何でもいい。


 誰とも関わらず、無機質な人間とだけ最低限関わり、あまり感情を動かさずにいたい。


 そうすれば、これ以上誰も傷付けないし、傷付かないだろう。


 それがいいんだ。一番。それが。


「……ふふっ」


「…………?」


「ふふっ……ふふっ。あはははっ」


「……笹?」


 うつむいてる俺を横に、笹は何が可笑しいのか、唐突に笑い始めた。


 そして――


「蒼先輩。そんなに落ち込まないで?」


 俺の頬に優しく手を添えてくる。


 その手は必要以上に暖かい気がして、顔を逸らしたくなった。


「落ち込まないでって……。もう落ち込むとか、落ち込まないとか、そういう次元の話じゃない。俺は罪人なんだよ。君と同じように学校にも通えない。終わった人間なんだ」


「だから、優しくしないでってことですか?」


 思っていたことを先に口にされる。


 俺は小さく頷いた。そんなこと、もうしなくていい、と。


 彼女は首を横に振る。


「蒼先輩が罪人でも、私は変わらないです。ずっと先輩の傍にいるだけ。前から決めてたんですもん。何があってもあなたの傍にいようって」


「で、でも――」


「茜先輩を殺したのだって、経緯は私にはわかりません。過去のこととか、そういうの全然知らないし。知ろうとも思わない。あの人には触れたくなかったから」


「笹……」


「けど私、今はとても気分がいいです。すっごく、すっごくすっごく」


「え……?」


「だって、先輩の言うことが本当なら、あの岡城茜がいなくなったってことですよ? そんなの、幸せ過ぎます。あの人がいなくなれば、誰も他に蒼先輩のことを狙う人はいなくなる。それって、もう私が独り占めできるってことじゃないですか」


「っ……」


「そんな独り占めし放題の状況で、先輩のことを手放すなんて考えられません。どんなことをしようと、どんなことを私自身がされようと、あなたの傍に最後までい続けるの私なんです。それでいいんです」


「あ、あの、笹、でも――」


「だからね、先輩――」


 言葉を言う前に、笹が俺の唇を奪ってくる。


 遠慮なんてもう何もない。


 舌を入れた、本気のキスだった。


 その時、俺は初めて知る。


 笹の存在の大きさ。それから、想いの強さのすべてを。


「……私は、何があってもあなたの隣にいますから」


 唇を離し、そう言う笹の顔を、俺はぼんやりとした意識の中、ただ屈服するように見つめる。


 そんな俺の頭を彼女は優しく撫でてくれる。


 そこで、意識はいったん無くなった。


 疲れたのか、俺は眠りについたのだった。






●〇●〇●〇●〇●






 意識が覚醒したのは、遂に降車するタイミングで、だった。


 笹に起こされ、俺は目を覚ます。


 場所はよくわからないさびれた無人駅。


 そこには、電灯らしい電灯などほとんど何もなく、スマホの灯りで行く先をどうにか照らして歩く。


 当然、何かアテがあるわけでもない。


 俺は問うた。


 何か食べたいか、と。


 笹は首を横に振り、何もいらない、と答える。


 俺たちは歩き続けた。


 歩き続けてると、やがて雨が降ってきた。


俺たちは、適当に見つけた小さな小屋の中に入る。


 それから腰を下ろした。


 雨の音を聞きながら、二人で寄り添って。


「蒼先輩」


「……うん」


「蒼先輩は、これから先、生きていたいですか?」


「……いや、そうは思わない」


「死にたい、と?」


「その方がいいんだろうと思う。自分自身を戒めながら、永遠に後悔しながら死ぬのがいいんだろう、と」


「だったら、私はそんな先輩を永遠に慰め続けてあげたいです。傍で」


「傍でって、死んだら傍にいることなんてできない。無理だよ、そんなのは」


「いえ。できますよ?」


「……?」


「私も同じように死ねば」


 外の雨の音が弱くなったような気がした。


 彼女の声が、妙に耳に深く届いてくる。


「あと、死ねば自由です。蒼先輩、言ってましたよね? 茜先輩を殺したから、これから自分は捕まるって」


「……ああ」


「死ねばそんなことならないと思います。後悔しようが、苦しみ続けようが、ずっと色々なところを行き来できると思いますよ? ほら、透明で擦り抜けもできそうですし」


「……それは想像上の話だろ? 本当はそうならない気がする。無になるだけだ」


「無でもいいじゃないですか。拘束されるよりよっぽどマシです。だから、先輩?」


 ――私と一緒に、今から死んじゃいませんか?


「……でも、君にはお父さんが……」


「いいんです。お父さんは、あまり家に帰ってこないですし、前見ましたから。新しい人と付き合ってるってLIME。今さらそんなの受け入れられないです。私は先輩の傍にいたい。それだけ」


「け、けど……」


「大丈夫です。死んでも、私はあなたが傍にいてくれればすごく幸せです」


「……」


「逆に先輩がいない世界で生き続けるのなんて苦しいだけ。ね? わかってください」


「笹……」


「大丈夫。苦しいのなんて一瞬ですし、私も同じ思いをします。それで、意識が途絶えたら、また一緒にいましょ?」


「……うん」


「一緒にいて、ずっとずっとずっと、朝はおはようから始まり、昼になればどこかへ遊びに行って、夜になれば、こうして毎日あなたのことを慰める」


「……うん」


「死んだら、そうやって生活するんです。ふふっ。考えたら、楽しみになってきました」


 言いながら、彼女は持っていたカバンから包丁を取り出した。


「蒼先輩。大好きです」


 雨はもう止んでいたんだろう。


 屋根に降りかかる雨音は完全に無くなり、笹の声だけがすべてだった。


 瞳を閉じた俺は、胸から垂れる生暖かさを噛み締め、やがて痛みと共に笹と眠った。


 おはよう。


 きっと明るい時間になると、そう言いながら起こしてくれるであろう彼女の存在を信じて。


コメント(0)
この作品に、最初のコメントを書いてみませんか?