その日の夕焼けは、いつもより赤黒く見えた。
綺麗なオレンジじゃなく、禍々しい何かを感じさせるものだ。
けれど、その赤黒さは初めて見た色というわけじゃない。
記憶の奥底にある何か。
茜。
そうだ。
今日の夕日の色は、かつて見た茜の血液の色に似ていた。
俺のせいで流血しても、茜は笑ってる。
それが怖くて、けれども俺の心は笑う茜のおかげで不必要に軽くなって。
いつしか無意識に考えてたんだろう。
茜なら、何をしても許してくれる、と。
彼女に隠されてる歪な何かを見極めることもせず、ただ怠慢に、自分の抱える寂しさや苦しさに負けながら。どんな時も。
●〇●〇●〇●〇●〇●
茜の家のインターフォンを鳴らす。
少し躊躇はしたものの、覚悟は既に決まっていた。
俺は言う。今日、幼馴染との関係を絶つための言葉を。
「おい。なんでお前が押してんだよ。何度も言うが、今あいつと付き合ってるのは俺だぞ? わかってんのか?」
「……知らねーよ。そんなこと今どうでもいいし、なんでついて来てるんだ。浮気男が」
「るせぇよ! お前が茜の家に行くってんだからついて行くのは当たり前だろが! 別に俺たちゃまだ別れてねぇし、間男が茜の家に行って何するつもりなのか、しっかり確認しなきゃいけねぇからな! 変なことは絶対させねぇ!」
チンケな独占欲を披露するバカの相手はここまでだ。
俺は嘆息し、それ以上言葉を何も返さなかった。茜からの返事が無かったので、もう一度インターフォンを鳴らす。
すると、だ。
『いらっしゃい。蒼』
やや掠れた声が機械越しに返ってくる。
茜だ。間違いない。
俺は咳払いし、約束通り来た旨を伝えようとするのだが、
「おい! 茜! お前、何やってんだ!? 自分のしたことわかってんのか!? 何で別れた元恋人自分んちに呼んでんだよ!? 浮気か、浮気だってのか!?」
俺を押し退け、インターフォンの機械へ顔を近付けながら叫ぶ竹崎。
無様なもんだ。結果的にこんなことになるとはな。
『うふふっ。竜輝くんもこんにちは。どうして来たのかな? 呼んでないよね?』
竹崎の発言をまるで無視し、問いかける茜。
その様に、奴はうろたえていた。そして、怒気を顔ににじませる。
「どうして来たのかな、じゃねぇよ! 俺の質問に答えろ! 浮気かって聞いてんだ!」
『浮気なんて私してないよ? 何言ってるの?』
クスクス笑いながら言う茜。
『私と竜輝くんの関係って、元から遊びだったよね? あなたは他の女の子に手を出していたし、私も蒼のことずっと追ってた。そこに恋愛感情なんてどこにもないし、それが本当のところじゃなかったの?』
「っ……! お、お前……!」
『それにね、竜輝くん。私、気付いてたんだよ? あなたが私へ近付いて来た理由』
「な、何だと……!?」
『あなた、私を自分のモノにして、ステータスにしようとしてたんだよね? ほら、岡城茜はすごく可愛いから』
「っ……!!!」
わかりやす過ぎだ。反応でそれが本当だったとすぐにわかる。
『けど、面白かったよ? 私としても、蒼が昔の蒼へ戻るキッカケを探してたし、そのタイミングであなたが言い寄ってきたからね。あ、ちょーどいいやーって思った。感謝はしてるよ。その目的は達成できたし』
「お、お前……! だったら、俺を利用したって言いたいのか……!?」
『だからそうだって言ってるでしょ? 私、同じことを二回言うのは嫌い。わかったら帰って? 今日は蒼と二人きりで過ごす予定だから』
厳しすぎる一言だった。
嗤い交じりに冷たく言い放たれる茜の本音。
複雑な心境だ。ざまあみろ、と思うものの、それはわずかで、今からこの女を自分が相手にしなければならないと考えると、冷や汗が頬を伝った。
「……っくしょ……」
「……?」
「っくしょ……! ちくしょうが! てめぇ、このビッチ! 今すぐ面見せに来いコラァ! 舐めやがってぇ!」
ヤケクソと言うほかない。
壁を殴り、インターフォンの機械へ罵倒文句をでかい声で並べる竹崎。
明らかに近所迷惑だ。
「おめぇ俺のこと好きだって言ってやがっただろうが! あれは嘘か! このビッチ!」
『あははっ。嘘に決まってるじゃん。ふふふっ』
「死ねよコラ! クソッ! クソッ! クソがぁぁぁっ!」
ガツン、と鈍い音がした。
煽るように言う茜の言葉を受け、竹崎は石壁を思い切り殴りつけたのだ。
拳からは血が流れてる。
奴は肩で呼吸していた。
『竜輝くん。そんなに悔しい? アクセサリーが手のひらから転げ落ちるの』
「くっ……! くそっ……! くそぉ……!」
『プライドが傷付けられたってやつなのかな? あは』
「……っ!」
茜はインターフォン越しにため息をつく。
けれど、そのため息は決して本心から呆れてるものとは言い難く、どこか楽しみながらのため息だった。
『なら、いいよ』
え……?
『竜輝くんも入ってきなよ。うち』
「――!」
嘘だろ……? 何でだ。
顔をうつむかせながら悔しがってた竹崎の目の色が変わる。
茜は続けた。
『だから、もう大声は出さないで。近所迷惑だし』
間違いない。
『今から玄関開けるね』
言って、彼女はインターフォンの電話を切る。
しばらくして、扉からガチャリと音がした。
鍵が開けられ、茜が姿を現したのだった。