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第54話 茜と蒼

 うちの隣に同い年の男の子が引っ越してくる。


 そうお母さんから教えてもらった小学生の日のことを私は未だに忘れていない。


 学校ではばい菌扱いされていじめられ、お休みの日は誰と遊ぶわけでもなく、部屋の中にこもってゲームをする。


 そんな毎日を送っていた私にとって、蒼との出会いは、何もかもを変えてくれたものだった。


 どんな人なんだろう。明るい人? 暗い人? 優しい人? それとも乱暴な人?


 会うまでの日々は、悶々としてたのを覚えてる。


 怖い。学校でいじめられてるくらいだから、もしかしたら私と会ったら嫌な気持ちにさせてしまうかもしれない。そんなことも思ってた。


 けど、実際に蒼の家の引っ越し作業が終わったその翌日。


 蒼はお母さんと一緒に私の家へやって来た。ご近所挨拶とのこと。


 その時、私は部屋の中に居たから、すぐにお母さんに玄関まで下りてくるよう呼ばれた。


 遂に、だ。


 遂に引っ越してきた男の子と会わなくちゃいけない。


 ドキドキした。心臓があり得ないくらいに鳴った。吐きそうだったのも覚えてる。


 嫌な目で見られたら……? 気持ち悪いって思われたら……?


 そんな考えがグルグルと巡ってたけど、下りないわけにはいかない。


 すぐに返事をして、恐る恐る玄関まで下りる。


 そこで初めて蒼と対面した。


 私よりもまだ小さくて、髪の毛はくせっ気で長め。目も前髪でちょっと隠れてる。暗い感じの男の子。


 私はどこか安心した。


 不安感は完全に拭い切れたわけじゃなかったけど、それでも乱暴な男の子よりは全然マシで、なんとなく自分と似てたような気がしたから。


 ホッとして、挨拶もこっちからできた。


 岡城茜です、と。


 蒼も、どこかもじもじしながら名前を教えてくれる。


 仲良くなれるかも。そう思った。


 教室で私をいじめてくる人たちとは全然雰囲気が違ってたから。






●〇●〇●〇●〇●〇●






 仲良くなれるかもしれない。


 そんな直感から始まった蒼との関係は、予想外に上手くいかなかった。


 蒼はどことなく精神的に不安定で、最初は仲良く話ができてると思っても、些細なことで不機嫌になって怒り、私を叩いたりする。


 酷い言葉も言われた。


 死ね。消えろ。ブサイク。


 でも、私が抵抗せずにごめんねって言い続けると徐々に落ち着いて、すごく甘えてくる。


 茜ちゃんが友達になってくれて嬉しい。


 そうやって言われた時には、救われるような気持ちになって、勝手に涙が浮かんだ。


 それまで友達なんて一人もいなかった私に、唯一の人ができたと思えた。


 蒼にとっても私は唯一だったと思う。


 そんなに活発な方じゃなかったし、無口な蒼を見て、学校の人たちは蒼を気味悪がった。


 ばい菌扱いされる私を何度も守ってくれた。


 それで蒼もばい菌の仲間って言われていじめられてたけど、やられたらやり返す蒼は、次第にみんなから恐れられて、いじめ自体が無くなっていく。


 ヒーローだと思った。蒼のこと。


 小さいけど、すごく強い私のヒーロー。


 でも、それと同時に少し心配なこともあった。家族との関係だ。


 どうも、蒼の両親は家を空けがちで、蒼はお父さんとお母さんから嫌われてるような、そんな感じだった。


 私の家へ挨拶に来た時は全然そんなことを思わなかったけど、蒼はいつも自分の部屋で泣いてた。ちょうど私の部屋と蒼の部屋は隣接してたからわかるんだ。そういうのが。


 たぶん、蒼の精神不安定もこういうところからきてる。


 大切な人から愛されたいとずっと思ってる。


 それを私は小学生ながらに察せた。


 蒼は可哀想な子。


 いじめられてた私とやっぱり似てる。


 だから、そのためにも私が蒼の傍にい続けてあげたい。唯一になりたい。


 私にとっても、蒼は唯一だから。






●〇●〇●〇●〇●〇●






 そうして、私と蒼は色々ありながらも時間を共にし、初めて会ってから一年が過ぎた。


 小学校も高学年と言われる立場になった秋。


 その頃、本格的に蒼の両親は家を空け始め、蒼はよく私の家でご飯を食べたりするようになった。


 ごはんを食べるためのお金はたくさんもらってるって言ってたけど、当時は小学生だ。そのお金もどうやって使ったらいいかわかんないだろうし、部屋の掃除の仕方も何もかもがわからない状態。


 そんなのだから、私のお母さんがちょくちょく色々教えてあげたりしてた。


 もうほとんど家族になったみたい。


 蒼との関係もより深まっていったし、私の家にいる時は、蒼は精神的にも安定してて、突然不機嫌になることもなかった。


 楽しくて、平和な時間が続く。


 そう思ってたんだけど、簡単にはどうやらいかないみたいだった。


 たまたま私のお父さんとお母さんが外出して、蒼と二人きりになった日のこと。


 私は、お風呂場で一人泣いてる蒼を見つけた。


 お父さんとお母さんに会いたい。そんなことを小さい声で口にし、うずくまってる。


 私もすぐには声を掛けてあげられなかったけど、それでも蒼の背中に優しく触れてあげた。どうしたの、って。


 そしたら、びっくりした。


 蒼もだったけど、一番は私が。


 血だらけだった。蒼の腕。


 見ると、床には包丁が転がってる。


 自分で傷付けたっていうのは一目瞭然。


 ゾッとした。何やってるのって。大丈夫なのって。


 どうしてこんなことするのって。


 すると、蒼は血の気の引いた顔で力なく笑って返してくれる。


「僕なんか死んだ方がいい。邪魔だから」


 そんなことを言って。


 呆気に取られた。


 それに悲しかった。


 ずっと蒼の傍にいたけど、自分は何の役にも立ててなかった。


 蒼にとっての唯一にもなれてなかったんじゃないか。


 そう思うと、涙が出てくる。


 でも、泣いてる場合じゃなかった。


 蒼は私の目の前で、なおも自分の腕へ包丁を突き立てる。


 悲しいよりも先にまずは蒼を止めないと。


 蒼が死んだら私が生きていけなくなる。


 依存してたのは私だけだったとしても、それでも構わない。


 自分のことなんてどうでもいいから、蒼を助けたい。


 そう思って、蒼が腕に突き刺そうとする包丁を私は手で止めた。


 包丁は、私の手に突き刺さった。


 血液が見たこともないほど溢れる。


 でも――


 目の前には、涙ながらに心配してくれる蒼の姿があった。


 初めて見るような眼差し。真剣に心配して、蒼が私を見てくれてる。


 この時、私の中で何かがおかしくなった気がした。


 気付いたんだ。


 蒼は、私が壊れそうになったら本当の愛情を向けてくれる。


 この時だけが蒼にとっての唯一になれる。


 だったら、私はいくらでも壊れたい。


 蒼は本当は優しくて、大切な人に愛されたいだけの可哀想な男の子だから。


 そんなこと知ってるの、きっと世界で私だけなんだよ、蒼?


 蒼に相応しい女の子なんて、私しかいない。


 だから、どうしようもなく私を求めてくる蒼で居続けて?


 私は蒼に殺されてもいいんだから。


 ね?


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