人は時が経つと共に変わっていく。
それは肉体的にも、精神的にも言えることだ。
だけど、それでも変わらないものだってある。
いや、変われないもの、と言った方が正しいか。
どちらにせよ、今の俺は変わり切れていない。
成長できていない。
茜と恋人になって、それまでの自分とは決別したつもりだった。
でも、決別し切ることができてなかったんだ。
明るくなれた自分が、暗かった自分にただ蓋をしてただけで、何もかも元通り。
安心と平和と安らぎ。
俺が欲しかったのはそれらだったわけだけど、どうも茜じゃダメだったらしい。
なら、笹は?
笹だったら、その三つを満たしてくれることができるんだろうか。
わからない。……し、恋愛で自分だけ何かを得ようとするのは傲慢だ。
笹は何が欲しいんだろう。
茜には何が欲しいかと聞いた時、ドキドキが欲しいと答えられた。
気になる。
笹。君はいったい、俺に何を望む?
言ってみて欲しい。
嘘などつかず、正直な思いを以てして――
「私は、蒼先輩がいてくれればいいです。蒼先輩が傍にいてくれたら、他に何もいりません」
暗く、電気も何もかも消された、灯りのない一室。
俺の部屋。
カーテンを閉め切った窓の外からは、車の走る音や、バイクの走る音が小さく聴こえてくるだけ。
他に騒音らしい騒音は何も聴こえず、ただ室内では、掛け布団の擦れる音と、俺と笹の声がすべてだった。
「でも、どうして突然そんなことを聞くんですか? 色々した後に、何か欲しいものはあるか、だなんて」
「……変だったかな?」
「変かどうかはわからないですけど……んー」
小さく、かすれるような声で言って考え、笹はクスッと笑った。
「お金持ちの人が愛人に言うようなセリフでした。私的に、ピロートークには相応しいと思わないです」
「マジか……。なら、反省。もっと言い方考えるべきだった」
「えー? でも、いいですよ? 蒼先輩がどんな答えをご所望かは全然わからないですけど、私は聞かれたら基本的に何でも答えます」
「何でもは嘘でしょ。出会ってから、たぶん答えてくれなかったこともあった」
「そうですかね? もう忘れちゃいました。じゃあ、今からはそうします。先輩に聞かれたことは私、何でも答えちゃいます」
「じゃあ、笹の好きな人は?」
「蒼先輩です」
即答だった。
知ってはいた。
知ってはいたけど、それにしてもそこまでハッキリ言われると、続く言葉を口に出せなくなる。
そうか。笹は俺のことが好きなんだ、と。
「そんなの今さら過ぎません? さっきだって何度も言ってましたよ、私」
「……聞いてた……けど、なんか一生懸命過ぎて自分の中でしっかり捉え切れてなかったっていうか……なんていうか……」
「あは。一生懸命だなんて。蒼先輩、可愛いです。頭、わしゃわしゃしますね」
「……やめてくれ。一応俺、先輩なので……」
言うも、関係なしに笹は俺の頭を優しく抱いて撫でてくる。
二人で横たわっていたベッドの中は、とても暖かかった。
秋も暮れだし、暖房を掛けた方がいいかと思ってたけど、必要ない。
人肌がこんなに暖かいって思ったのはいつ以来なんだろう。
思い返せば、茜との時はここまで暖かくなかった気がする。
緊張と、どこか怖さと戦ってたような、そんな感覚だった記憶。
まあ、そうか。
あの時の俺は茜と付き合ってたわけじゃない。
でも、そう考えれば今だってそうだ。
俺と笹は付き合ってるわけじゃない。
だったら、違いは?
素か、素じゃないか、くらいしか思い浮かばない。
それがやっぱり一番大きいということなんだろうか。
「蒼先輩」
「……? 何?」
「先輩、今私に何が欲しいかって聞いてくれたじゃないですか?」
「うん。聞いた」
「それ、茜先輩にも聞いたりとかしました?」
「聞いたよ。笹とは違う回答だったけど」
「どういったものでした?」
「ドキドキが欲しい、だった。俺といるとそのドキドキをもらえる。そうやって続けてたな」
「案外ちゃんと覚えてるんですね」
「そりゃな。でも、以前までの俺だったら、たぶん答えられなかった」
「先輩、ちょっと雰囲気変わりましたもんね」
「変わってはないよ。戻ったっていうのが正しい」
「何だっていいです。どの先輩も、私は好きですから」
「……うん。俺も」
俺も笹が好きだ。
静かにそう返して、俺は笹の体を抱き締めた。
暗闇であれば、二人で布団の中にいれば、何だってできる。
どこか無敵のような気持ちになって、俺は……いや、俺たちは遠くでバイクの走る音を聞くのだった。
●〇●〇●〇●〇●
「先輩、ご家族の誰かが突然帰って来たり、とかはしないですよね? 大丈夫ですか?」
「大丈夫だよ。俺の親、昔からあんま家に帰ってこないから」
「そうなんですね。……あの、こんな真夜中にコンビニに行ったりして、バレないかなーと不安に思っちゃいまして」
「全然大丈夫。でも、確かに背徳感はあるよね。こういうの、俺もあんまやんないから」
「私がいるからやれるってことですか?」
「そんな感じ。無敵感アリ。スター状態、みたいな」
「言い過ぎでしょ」
何気ないやり取りをしながら、俺たちは家を出る。
コンビニへ行くんだ。お腹が空いた。何か夜食を買ってこようと思う。
玄関の鍵は一応閉めて出発。
ふと隣に建ってる茜の家が目に入った。
あいつ、今何してるんだろうか。
竹崎と一緒なのかもしれないな。
まだ、俺は奴に茜の本性を言ってないわけだし。
まあいいか。
そう思い、歩き出した矢先だった。
「こんばんは」
背後から声を掛けられ、弾かれたように振り返る。
「ふふっ。仲いいんだね、お二人さん」
そこに立ってたのは、不気味に笑う岡城茜だった。