「では、お預かり2000円で、お返し、460円になります。ありがとうございました」
漫画喫茶での会計を済ませ、俺と杉原は外に出る。
だいたい、一時間ほどいたんだろうか。
外はもう暗く、夕方の明るさは微塵もない。
これからどうするか、と言われればもちろん家に帰るの一択なのだが、すぐには別れを切り出せない気まずい空気が俺たち二人の間に流れていた。
「……っ」
「………………」
「え、えっと……その、ごめん。今日はほんとにありがと。杉原さんと色々話せて……なんていうか、これからどうするべきなのか、自分を見つめ直すことができたよ」
「…………うん。こちらこそ、今日はありがとう」
はは、と別に面白くもないのに、空気を沈めないよう努力して笑ってる自分が痛々しい。
杉原は少しうつむき気味に、けれども落ち込んでるわけじゃなく、現実を受け入れてるかのような健やかな表情を浮かべてる。
彼女は気分的に落ちてるわけじゃない。むしろ逆だ。
けれど、俺は……正直な話、少し逆だった。
「ねえ、瀧間くん」
「な、何……かな?」
「私がさっきカップルルームで言ったこと、真に受けてくれなくていいからね?」
「え……」
「瀧間くんの境遇は理解してるし、君は私と違って、解決可能な悩みの渦中にいる。だから、一度何もかも無くしちゃってる私なんかに必要以上に構って、身を滅ぼすことなんて全然しなくていいから」
「っ……。そ、そう……なの?」
「うん。だって、似た者同士だもん。同じような悩みを抱えてる男の子の足とか、引っ張りたくないし。君が辛そうな顔してるとこ、見たくないから」
「……そ……そっか……」
「そういうこと。あ、でもさ――」
言いながら、杉原は俺との距離を縮め、こそっと小さい声で耳打ちしてきた。
「私を拒否するようなことは……できればしないで? お願い」
「っ……!」
体の力が抜けそうになる。
彼女の吐息が、甘い言葉が耳に伝わって、ぞわっとした。
反射的に体を逸らし、杉原と距離を取ってしまった。
彼女はクスッと笑う。
「嬉しかったんだ。今日、私がいきなりあんなことしても、君は突き飛ばしたり、露骨に拒絶するようなことをしなかったし」
「……ま、まあ、びっくりはしたけど」
「あは。どうするつもりだったの? 私がそのままキスとかしてたら」
意地悪な笑みを浮かべながら問うてくる杉原。
どうするって言ったって……。
目線を逸らしつつ、羞恥心と格闘しながら、俺はぎこちなく答えた。
「そうなったら……たぶん普通に『ちょっと……』って感じで押し返してたと思う。『それはマズいよ』って……」
「あっはは(笑) 瀧間くんはほんと優しいなー(笑) なんかその絵面想像できるかも」
「わ、笑うなよ……。別に優しくもないし……」
「優しいよー(笑) それくらいの拒絶だったら、私たぶん無理やりキス続けてる。可愛い、って。逆に激しくしちゃうかも?(笑)」
「ぐっ……」
え、エロギャルめ……。
「ぷっふふふっ。ダメだよー? もっと強く拒否しないと。エッチな女の子だったら、きっとすぐ瀧間くんなし崩し的に行くとこまで行っちゃう。気を付けるのだ」
言って、横から俺の頬を指で突いてくる杉原。
俺は冗談っぽく呆れ笑いをし、「はいはい」と返すだけ返しておいた。
「よし。じゃあ、今日はもう解散にしよっか。一応伝えたいことは伝えられたし、満足っ」
「ん。わかった。なら家まで送ってくよ」
「え! いいよいいよ別に! 私んちここから少し距離あるし、何ならバスにも乗らなきゃだし!」
「あ。バスか。なら、バス停まで送る」
「それでもそこまでしてくれなくていいのにって感じだけどー?」
「大丈夫。送るよ」
俺が言うと、杉原は「そう?」と申し訳なさそうに上目遣いしてきた。
一言に可愛い。
人が人なら、きっとこの子に落ちてたと思う。
色々気が利くし、明るくて、言った通り可愛いし、それに――
『私、たぶんこのままだと瀧間くんのこと、好きになっちゃう』
自分の気持ちをこれでもかというほど素直に伝えてくれる。
健気で、似た者同士な女の子だから。
「あ。ちなみにもう一つだよ、瀧間くん。カップルルームで私が言った例のことについてなんだけど」
「なに?」
「アレ、このままだと好きになりそうってだけで、今は別に好きでもないからね? ご安心ください」
「……全然安心できないんですがそれ」
「えー、なんで? 安心じゃん。今のうちに私にひどいことすれば、好感度下げられるよ? 面倒な女の相手しなくて済む」
「……(汗)」
この子はほんと……。
「別に面倒でもなければ、ひどいこともしない。普段通り接するし……そ、その、もし来る時が来れば、それはその時に答えを考える」
「うひゃぁ……イケメン発言~。そんなこと言ったらどの女の子も惚れちゃうの確定なのに。自分の首絞めるなぁ、君も」
「ドMなことには定評があるからな。茜にフラれても未だにあいつに未練たらたらなわけだし」
「遂には自虐に走り出しましたよこの人。ドMくんなら、ご褒美提供しよっか? 毎日LIMEで『キモイ』ってメッセ送ってあげるとか」
「それは素直に傷付くからやめてくれ」
「あははっ。そうなんだ。あくまでもソフトなMなんだね?」
「……まあ、そういうことかもな」
自分でも思った。何言ってんだろって。
何俺、こんな時にドM自称してんだよ。訳わからん。
「……ふぅん。そっか。そうなんだ……」
「そういうこと」
「それなら……ちょっと後悔してるかも」
「え? 後悔?」
「うん。後悔」
なぜ? 横を歩いてる杉原の方をつい見てしまう。
彼女も俺の方を見つめていた。バッチリと目が合う。
「君がそう言うのなら、思い切って……キス、しとけばよかったかなって」
「は……!?」
「なーんてね! 冗談!」
「じょ、冗談!? え、えぇ!?」
杉原はそう言って、その後バス停まで終始俺と顔を合わせてくれなかった。
声を掛けてもどこかぎこちない返答しかしなくなったし、照れてるのが丸わかりだったのだ。
そんな反応を見ると、俺も次第になんて声を掛けていいのかわからなくなって、恥ずかしくなってくる。
この状況、笹が見たらどんな反応をするのか……。
考えるのはいつだってあの子のことだった。