笹の家でカレーを作り、食べた日の夜、俺は当然ながらお泊りなんてせずに自宅へ帰った。
到着した時刻としては、だいたい22時くらいだったと思う。
すぐに風呂へ入り、課題を簡単にやってからベッドに入った。
……けど、やっぱりというかなんというか、すぐには眠れなかった。
別に緊張してるとか、何かを意識してるとかは一切ない。
なのに、目だけは冴え、色々と笹の家であったことがフラッシュバックする。
部屋着の笹は可愛かったとか、飼い猫のたろ助と戯れてるところも癒されるとか、上目遣いがヤバいとか、最後に危うく『す』のその先を言いかけてしまったとか、とにかく色々と。
ただ、同時に笹のことを考えれば考えるほど、茜への罪悪感みたいなものも沸々と湧いてくる。
バカみたいだ。
別に俺はもうあいつに振られて、彼氏でも何でもないのに。
罪悪感なんて感じる必要性はゼロ。それなのに、本当に笹へ自分の想いを傾けてしまっていいのか、心の奥底で悩んでる。
どうせなら、こっちもこっちで新しく彼女ができたところを見せつけてやればいい。
頭の中の何者かが俺にそう囁くのだが、残念ながら茜に復讐しようとか、目にモノをみせてやろうとかいう感情は一切ないんだ。
どっちかというと、未だに俺は茜に悲しい思いをして欲しくないと思ってる。
自分でも思うよ。どこまでお人好しのバカなんだって。
だけど、それが俺なんだ。今さら変えられない。
「あ。蒼先輩、こっちです」
――で、その翌日の放課後。
俺と笹は、約束通り竹崎の通ってる芝野井高校へ向かうことにした。
いつも通り裏門近くの桜の木の下で待ち合わせをし、そこから目的地へと歩を進める。
それはもう、傍から見ればカップル以外の何物でもないんだろう。
けど、別に隠すようなことでも何でもない。浮気でもないし、もっと堂々としてていいんだ。裏門に集まらなくたって。
「今日も一日お疲れさまでした。授業、疲れましたか?」
「疲れたよ。二年になって授業時間少し伸びたからさ」
「あぁ~、大変ですね。いかにも自称進学校って感じです」
「だね。生徒の自主性を重んじるというよりは、ギュウギュウにカリキュラム詰め込んで勉強以外の時間をあまり取らせない感じがね」
「です。私も高校に入って遊びはしてるんですが、毎朝ある小テストに大苦戦中です。今日の昼休みは英単語テストの追試に行ってました」
「大丈夫か、それ? ついていけてる? あれだったら全然勉強手伝うけど」
「え。いいんですか?」
「いいよいいよ。今日はさすがに無理だけどさ、放課後の時間使って図書室とか、自習スペースでいくらでも手伝ったげる」
「先輩……優しい……」
「あ、もちろんタダじゃないよ?」
「え。現金な人だ」
「そりゃそうだよ。一回勉強教えるにつき、ジュース一つおごり」
「鬼じゃん!」
「そう。鬼だ。だから、ご利用は計画的に。毎日お願いしてたら破産するよ、お嬢ちゃん」
「どこのぼったくり商人なんですか……。もー……」
ぷくっと頬を膨らませ、笹は俺の左腕をつついてくる。
まあ、正直なところ忙しくもないし、短い間だったら毎日教えてあげてもいいんだけどな。
今の俺は、なんだかんだ笹に救われてるところがある。
茜と別れてモノクロだった世界が、笹のおかげで少し色味を取り戻してきてる気がするんだ。
だから、そう提案しようかとも思ったけど、声として出かかったところでやっぱりやめておいた。
なんとなく思う。今は違う、と。
何が違うのかは言葉で言い表すことができない。ただ、今はそういう時じゃないんだ。それだけは言えた。
「まあでも、別にいいですけどね。先輩がぼったくり商人でも」
「え?」
「いざとなったら、カラダでお勉強代お支払いしますから」
「ブッッッッ!」
つい吹き出してしまった。
何言ってんだこの子は。
小悪魔っぽく艶のある視線を俺に向け、いたずらに笑む笹。
俺はそんな彼女から目を逸らし、足早に先を急ぐ。
「あっ。待ってくださいよ、蒼先輩~」
「待たない。先輩をからかうもんじゃありません」
「えぇ~w ごめんなさいってば~w」
緊張感は一つも無い。
これから笹の言ってた杉原さんって人に会う予定なのに。
竹崎の通ってる高校に乗り込んでまで。