玄関で訳の分からないやり取りをして、俺たちはすぐに二階にある笹の部屋へ入った。
歳頃の男女が完全に二人きりで密室にいる。
そうやって今ある現状を文字に起こしてみると、そこはかとなくいやらしい雰囲気しか感じないのだが、落ち着け俺。
あくまでも笹の家に来た理由は、色々な話をするためだ。
これからのことと、笹が過ごしてきた今までの人生のこと。
正直に言って、俺はそのことについては進んで聞こうと思わなかった。
……いや、思えなかった、という方が正しいのかもしれない。
彼女の口ぶりからして、そこに辛いものがあるのは話を聞くよりも明らかだったんだ。
辛いことは、聞き手はもちろんだが、話し手も喋っててダメージがある。
せっかく忘れてたことだったのに当時のことを思い出したり、良くないことの方が多い気がするわけだ。
だから……、事前に笹には無理に話してくれなくてもいいとは言っておいた。
けれど、それでも笹は話すと言った。
これから、事を起こしていく上で大事だから、と。
「ではでは、前と同じく適当なところで座ってください」
「う、うん」
言われた通り、俺は可愛らしいピンク色のカーペットの上に正座する。
したら、だ。
「っふふふ」
笹が謎にクスクス笑い始めた。
「……え? な、何? なんか俺、変なことした?」
「だって、正座って(笑) そんなにかしこまらなくてもいいのに(笑)」
「っ……///」
まあ、確かにそれもそうだな。
女の子とはいえ、ここは後輩の家だ。
偉そうにするわけじゃないけど、ちょっとくらい足を崩してもいいか。
笑われ、恥ずかしくなった俺は、慌てるように足を崩した。
それを見て、笹はさらに面白そうに笑った。
もう、なんか俺の一挙手一投足が面白いみたいだ。こっちとしても、笑われるものなんだと思って割り切ってもいいのかも。そうしたら、少しは恥ずかしさも和らぐのか? わからないけど。
「っ~……/// ちょ、ちょっと笑い過ぎじゃないですかね、笹さん?」
「はぁ~。だって、蒼先輩が面白いんですもん」
「笑われるようなことした覚えないって……」
頬を引きつらせながら言うと、俺と同じくカーペット上に女の子座りで座ってた笹が、おもむろに近寄って来る。
何だ? 何してくる気だ?
「もう、蒼先輩? 警戒しないでください。私が近寄ってるのに後退されちゃったら傷付きます」
「いや、別に会話は必要以上に近付かないでもできるし」
「むぅ。……でも、相手のことをよく理解するには、ちゃんと近付かないとダメだと思いますけど?」
「………………」
「理解してくれましたか?」
小首を傾げながら、抜け目なく、さりげなく距離を詰めて来てる笹。
俺は後退せず、ぎこちなく頷いた。
こんなことを切り出された手前だし、それ以上うしろに下がることはできなかったんだ。
結果として、今からヤることヤる、付き合いたてのカップルが取る距離感で見つめ合う俺たち。
俺はちょいちょい視線を笹から外し、たぶん挙動不審っぽくなってるんだが、笹の方はジーッと俺の顔を見つめ、やっぱりちょっと笑ったりしてた。
この子、俺のことからかう気しかないみたいです。
「ありがとうございます。これくらいの近さだと、安心して昔のことも喋れます」
「そりゃよかった」
こっちは安心するどころか逆にドキマギして大変なんだけどな。あと、普通に近いでしょうよ。
「……やっぱり私、蒼先輩がいてくれないと色々安心できません。蒼先輩がいてくれたら……もう、他に何もいらないです」
「っ……///」
そりゃまた随分と大胆なご発言なことで。
一瞬ドキッとしてしまい、俺はすぐに彼女から顔を逸らす。
――のだが、そのまま顔を逸らして黙り込んでたら笹の一方的な甘い砂糖口撃に飲まれてしまう。
誤魔化すように咳払いし、話題を強引に真面目な方へと持って行くことにする。
「そ、それはわかったんだけどさ。笹、今日俺をまたここに呼んだってのは……、なんか大事な話があるからなんだよね?」
「はい」
「だったら、具体的に話の内容教えてよ。一つ一つちゃんと聞くからさ」
「……(笑) 先輩、さっきと言ってることが違いますね」
「――! ……う、うん。そ、そこはもういいからさ」
自分で言ったことも忘れちゃうくらい、私といることでドキドキしてるんですね?
まるでそう言ってるかのような小悪魔っぽい目で俺を見つめ、口元を緩ませてる笹さん。
いかんいかん。ここでドキッとしたことがわかるような反応をするからダメなんだ。
あくまでも気丈に振る舞ってる感じで切り出した。
「真面目モードだよ。話、聞かせて笹」
「言われなくても、です。蒼先輩をからかうのもここまでにしておきます。続きは話の後にします」
話の後もやめて。
心の中で思いながら、とりあえず頷く、
そうすると、笹は語り出してくれた。
「まず、これを先に聞いときますけど、先輩は私に協力してくれるんですよね?」
「……? 私に協力……?」
「あー、やめてくださいその反応。不安になります」
言って、笹は「うにゃー」と軽く頭を抱えた。
「私の兄……竹崎竜輝に痛い目を見てもらう計画です。協力してくれるんですよね? 茜先輩のこともありますし」
「ん。あぁ、それは……まあね」
「人の恋人を自分のものにするなんて、最悪だと思いますよ。私なんて……ちゃんと退いたのに……」
「……? 今、なんか言った……?」
「――! あ、な、何でもないです! 気にしないでください!」
わたわたと軽く慌てながら言う笹だけど、最後に絶対何か今言ったな。何て言ったんだろう? 声が小さくて聞き取りづらかった。
「こほん」と今度は笹が咳払いして続ける。
「と、とにかく。そうやって人の大切な存在を奪うってのは最悪なんですけど……、これ、血でもあるんです」
「え……? 血……?」
「はい。私の母親もそういう人でした。離婚する前、お父さんと一緒にいながら、何人かの男と関係を持ってたんです」
「う、嘘……」
「ほんとです。表向きではいい人っぽくて、浮気の事実を知るまで、私は母のことが親として好きでした。色々と、お弁当だったり、家のこととかもよくしてくれてましたし」
「……うん……」
「でも、それがバレてからは、うちは完全に崩壊しちゃいました。私はお父さんの方へ行って、兄はお母さんのところへ行ったんです」
「……なるほど。だから名字も違って……」
「そういうことです。私たちは、兄妹でありながら、もう完全な他人になっちゃったんです」
まさか。そんな背景があっただなんて。
「だって、今でも覚えてますもん……。母の浮気が発覚した時、その場では気丈に振る舞ってたのに、皆が寝静まった後、一人で泣いてたり……」
「……っ」
それは確かにつらい。
偉そうだけど、そのワンシーンは俺と被るところがあった。
辛いんだ。本当に辛い。
大好きだった人が誰かの元へ行ってしまうのは。
「きっと、お父さんが今すごく心配性になってる理由は、こういう母の影響もあると思うんです。そう考えると、私、本当に許せなくて」
「……」
「手始めに、先輩へ似たようなことをした兄を懲らしめてやるんです。その後には、母を……!」
「……懲らしめてやる、か?」
「はい……!」
力強く頷く笹。
俺は……どんな言葉を返せばいいのか、一瞬わからなくなってしまった。
安易な返しは意味がない、というか、笹を傷付けたり、嫌な思いをさせたりしてしまう。
励まし文句もここでは違う。
何でかって、俺も痛みを今味わって、傷を負ってる身だから。
竹崎竜輝に茜を寝取られ、奪われた。
そこには、当然俺が悪かった理由もあるんだろう。
けど……、けど、だ。
それで「はいはい」って言って状況を飲めるほど人間もできてない。
仕返しでも、何でもいい。
とにかく、俺は竹崎と茜が別れれば、今のこの気持ちのモヤは多少晴れる気がする。
好きな人の幸せは願ってやるもんだ、ってのも聞くが、そんなの、こんな状況で願えるはずもなかった。
不幸になれとは言わない。
だけど、そいつとだけは付き合わないでくれ。
あまりにもわがままで、身勝手な願いだってのはわかってる。
それでも――
「わかった。力はもちろん貸すよ、笹」
それでも、俺は今でも君の夢を見るんだ、茜。