天井を大樹と会わせ、一人で更衣室へ向かった俺。
昼休みも残り時間が少なくなってきてる。
四限目の体育に備えて早めに着替えておこうと思い、更衣室の扉へ手を掛けたのだが――
「……こんにちは、です。蒼先輩」
声のする方を見ると、そこには笹がいた。
艶のある茶褐色の髪の毛が差し込んできてる陽の光に反射し、綺麗に輝いてる。
彼女はポカンとする俺を見て、クスッと笑った。
「どうしたんですか? 事故で亡くなった彼女が十年越しに目の前に現れた人みたいな顔して」
「……! あ、いや、別に。……ってか、何だよその表現。縁起でもない」
「ふふっ。最近観た映画の登場人物とそっくりな顔しちゃってたので、つい」
何だそれ。
俺、そんな呆気に取られた顔してたか? まあ、確かに驚きはしたんだけども。
「ちなみにその映画を観て私は珍しく泣いちゃいました」
「……珍しいんだ? 映画観て泣くの」
「はい。なんというか……現実感のあるお話でしか泣けないんですよ。リアリストな女なんです」
ちょっとドヤ顔で言う笹。
ツッコミ待ちかと思ったけど、それらしいツッコミセリフも浮かんでこないので何も言わず、苦笑いだけしておいた。一緒になって笹も苦笑する。
「じゃあ、今度その映画の内容聞かせてくれ。俺、今から体育なんだ」
「そうなんですね」
「うん。だからまあ、こうして体操服持ってんだけどね」
「…………」
「さ、笹も授業あるだろ? こんなところにいたら四限――」
――遅れるぞ。
そう言うつもりだった。
けれど、その言葉を言い切る前に、あろうことか笹は俺に抱き着いてきた。
「――! ちょ、え……!?」
心臓がドクンと強く跳ねる。
初めてだったんだ。
茜以外の女の子にちゃんとハグされるのが。
「さ、笹……!? ど、どうした……!?」
「……蒼……先輩……」
「……な、何……? って、聞きたいところだけど、誰かに見られたらマズいよ……! いったん離れて……!」
なぜかひそひそ声になってしまう俺。
だけど、そうは言っても、笹は俺の腰へ回していた両手へさらに力を込めてきた。離してくれる気はないらしい。
「実は……さっきの先輩たちのやり取り……私、見てたんです……」
「……え……!?」
「蒼先輩が……茜先輩にひどいこと言われてたところ……」
「っ……!」
見てたんだ、笹。あの時。
「……天井さんとも……知り合いなんですね」
「う、うん……。ま、まあ……」
「……。ちょっとびっくりでした……。先輩……茜先輩以外の女の人と……あまり接点無いと思ってましたから……」
「あ……はは……。まあ、間違ってはないかな。茜と天井……それから広報部にいる女子以外とはあんまり接点無いし」
悲しい話だ。それを苦笑交じりに言うしかないのもむなしくなってくる。
「……まあ、それはいいです。……その中に……私も加わりましたし……」
「ん……。あ、ま、まあね」
密着しながらの会話は、さっきよりも俺の心音を強めてくれる。
笹の温もりや息遣い、髪の毛や柔軟剤の香りがしてきて、どうしようもないくらいドキドキするんだ。
「蒼先輩……」
「な、何……?」
「昨日……帰り際に……私の母親の話と……兄の話……しましたよね?」
「え……。……う、うん。してくれたね」
「実は……あれ、まだ全部話したわけじゃないんです……。ほんの一部です」
「……そうだったの……?」
「……はい。だからその……今日の放課後、もう一度私のお家へ来てくれませんか……?」
「え……」
「大丈夫です……。金曜日ですし……お父さんは会社の人たちと飲み会なので、早くからは帰って来ません」
「…………」
「お話をして……夕飯も私がごちそうします……。だから……お願いです。今晩は……一緒に居てくれませんか?」
この状況でこのお願いの仕方。
俺はノーとは言えなかった。
「……わかったよ。今日の夜、笹の家に行く」
「……!」
俺が言うと、笹は顔を上げ、ほわっと嬉しそうな表情を作った。
まるで、母親を見つけた幼子みたいな顔だ。
「あ、ありがとうございます……! なら、なら、帰りも一緒で……いいですか?」
「うん。いいよ」
頷くと、笹は本当に嬉しそうにした。
その表情に偽りの気持ちなんてものは微塵も伺えない。
笹は、いつもどこか強がってる風だ。
辛いことを話す時も、誰か嫌いな人の話をする時も、いつもそこまで表情や声音を帰ることがない。
だからこそ、こんなに嬉しそうな笹は初めて見た。
初めて見たから、一緒に居てあげないといけない。そんな気持ちにさせられたんだ。
彼女の力になりたいから、俺は竹崎を陥れるための協力をする。
そこには、茜を奪われた腹いせとかいう、邪な私情なんてものは決して持ち込んじゃいけない。
それだけは卑怯なことだから。
本当に……本当に……。