「笹ー? もう帰ってるんだよなー?」
トントン、と笹のお父さんが階段を上がってくる足音が聞こえる。
「あ、蒼先輩……! とりあえずクローゼットの中に隠れてください……!」
「お、え……!? く、クローゼット……!?」
「あそこです……! 早く……!」
小さな声で勢いよく言われ、俺は速攻で指定されたクローゼットへ入り込んだ。
中は割と広々としていて、隠れるのに無理のないスペースではあったが、あまりにも急なことで心臓はバクバク。額から汗はダラダラだった。
「入るぞ、笹」
「あ、は、はーい!」
笹が返すと、部屋の扉がガチャリと開かれる。
クローゼット外で何が起こってるのか、俺から見ることはできない。だから、完全に声でやり取りを聞き取るしかなかった。
「お、お帰りパパ。今日いつもよりお仕事終わるの早いね」
「ん、ああ。たまたま早上がりできてな。それでいつもより早く帰れたんだが……むむ?」
「ど、どうかした……?」
「いや。玄関に見慣れない男物のローファーがあったからな。いるとしたら笹の部屋の中かと思ったんだが」
「だ、誰もいないよ! 男物のローファー、あれは……そ、そう! たまたま竜兄が置いていったものが靴入れの中に眠ってて、それ処分しようとして出してたの! もう家にいない人のもの置いとくのも嫌だったからさ!」
「……ああ、そうだったのか」
「そうだよ! そうそう! 何? もしかして変な勘違いしてた? 私が男の人連れ込んでるんじゃないかとか」
「してた。笹に手を出す不届き者がいたら、父さんこの命を以てして成敗してやらないといかん。●す準備はできてる」
「物騒なこと言うのやめてよ……。そんなんじゃ私、いつまで経っても彼氏作れないじゃん。作れたとしても家に連れて来れない」
「彼氏はできたらちゃんと見せに来なさい。どんな奴かしっかりチェックするからな」
「チェックした後どうするの?」
「●す」
「結局そうなんじゃん!」
結局そうなんかい!
――あ、危ない。思わず声に出してツッコむところだった。
しかし、笹のパパさん結構娘の恋人に対して過激な対応取られる方なんだな。
これは……もう今後は笹の家に行くことは考えた方がいいかもしれない。
うかつに入ると、出られなくなる可能性がある。ブラッド的な意味で。
「――っていうのはさすがに冗談でな。ちゃんと彼氏ができたら父さんにも紹介してくれ。笹を傷付けない男の子かどうか、父さん見ときたいんだ」
「……でも、私もう高校生だよ。そういうの、いらないと思う」
「……うん。父さんもわかってはいるんだ。娘の恋愛事情に口出しするのはどうかってな」
「だったら――」
「でも。……それでも、父さんとしては、笹がもうこれ以上傷付くようなところ見たくないんだ」
「……」
「母さんのことで色々あった。竜輝とも今じゃ離れ離れだ。お前には申し訳ない思いをさせてる。だから、これ以上人間関係で笹を苦しめたくない。苦しんで欲しくない。父さんの願いはただそれだけだ。笹に幸せに生きて欲しい。できれば長く……」
「……パパ……」
二人の会話が一時的に途切れ、少しばかりの沈黙が流れる。
俺は一人、クローゼットの中で何とも言えない気分になっていた。
笹と竹崎は兄妹。そして、両親の離婚か別居……いや、名字が変わってるから離婚の方かもしれない。
確定じゃないけど、とにかく離婚してて、それで別姓になってる。
昔は一緒に住んでたのは住んでたんだ。
そこで色々と大変なこともあったんだろう。
特に笹の方は。
「とにかく、うざいパパですまない。過干渉かもしれないけど、その辺りは気にさせてくれ。お願いだ、笹」
「……うん」
「ちょうど今日、早く家に帰れたしな。どうだ、どこか外に夕飯食べに行くか?」
「ううん。いい。いつも通り家で作る。今から私、買い出しに行くから」
「そうか。なら、今日はパパも一緒に料理作るよ。何作ろう?」
「ロールキャベツ。パパ、好きだよね? ロールキャベツ作ろうよ」
「ああ。なら、そうしようか」
「うん。じゃあ、少しだけ待ってて。パパは先にお風呂入ってゆっくりしてて。お仕事終わりだし、疲れてるでしょ?」
「ん。なら、そうさせてもらおうかな。ありがとな」
そんなやり取りがされ、また部屋の扉がガチャリと閉まる音。
部屋はシンとなり、やがてひそひそとして笹の声が聞こえてきた。
「……蒼先輩。出て来ても大丈夫ですよ」
「――! あ、ああ」
言われ、俺はクローゼットから出る。
苦笑する笹に出迎えられ、こっちもなんとなく苦笑で返してしまった。何だこれ。
「ごめんなさい。ちょっとだけお見苦しいとこ見せちゃいました……」
「い、いや、全然気にしないで。親フラとかよくあることだろうし」
「私も全然予想してなかったんです。パパ、いつも帰って来るのは七時を回ってからなので」
「なるほど」
「……はい」
――そして俺たちの間にも訪れる沈黙。
明らかに笹の元気が無くなってた。
お父さんとの会話、そんなに俺に聞かれたくなかったのか。
それとも、他に何か思うところがあったりするとか……?
心の内は測りかねるが、ともかく何か喋らないと、と焦ってると、笹の方から口を開いてきた。
「とりあえず、先輩。今日はもうお別れしましょう。私、お家までお送りしますので」
「え。い、いいよそんな。送りとか、むしろ俺がやんないといけないことじゃん通常」
「いえいえ。いいんです。お送りさせてください。これは願望です。私の家にはどのみちもういられませんので」
「あ。そういう?」
「はい。そういうことです。もう少しだけお喋りしたかったんですけど……。せめてお送りする時に話せたらな、と。兄への具体的な復讐方法、これからの私たちの動き方などなど」
「……復讐、か……」
「です」
「……」
少しだけ考える素振りを見せ、俺は頷く。
「わかった。でも、一つだけ帰りながら聞きたいことがある」
「……?」
「この復讐、何なら笹の私情も入ってるんじゃないのか?」
問うと、笹の表情はジッと俺を見つめ、やがて自虐気味に笑うのだった。
「それは……正解です」
そんなことを言いながら。