俺と茜は、いわゆる性的な行為をせずに別れた。
そのことに対して茜がどう思っていたのかはわからないけど、俺は彼女のことを大切にしたいと思ってたし、あまり怖がらせてしまうようなことはしたくないと思ってた。
……いや、思い込んでいたんだ。
だから、結局別れる時にああ言われた。
『もっとグイグイ来てくれてもよかった』と。
言葉にはしてくれなかったが、きっと俺から茜を寝取った竹崎は、茜の願いをいとも簡単に叶えてやってたんだろう。
利己的で、相手のことを思わず、もしかしたら自分の本能に従ってただけの行為だったのかもしれないのに――
「………………笹?」
「………………///」
「……あの……この状況は……」
「………………っ」
夕暮れ刻。
後輩の女の子の部屋にて。
なぜかよくわからないが、俺は笹に押し倒されていた。
表情は見えない。
俺の胸部分に笹は顔を押し付け、そのままジッとしてる。
重い……ということはないけど、意識すればするほど鼓動が激しくなっていってる気がして、それを悟られないかどうかが不安だった。
すぐに上からどいて欲しい。
けれども、強引に動けず、俺は仰向けのまま天井を見つめるしかなかった。
「…………蒼……先輩…………」
「……?」
「先輩は……今でも茜先輩のことが好きですか……?」
「え?」
「…………他の男の人に心移りした人でも…………愛せますか……?」
質問の意図がわからない。
笹はぼそぼそと呟くように問うてくる。
窓から差してる夕陽が部屋の一部分を照らし上げ、ベッドに居る俺と笹の影がシルエットとして壁に映し出されていた。
「笹。なんか君、勘違いしてない?」
「……? 勘違い、ですか……?」
「うん」
「それは……どういう勘違いですかね……? 具体的に……教えて欲しいです……」
「俺が今でも変わらず茜のこと、すっごい好きだと思ってるんじゃないかって」
「違うんですか……?」
「違うよ。……あ、でも……うーん。これ、本音で話したりしていいのか……?」
「いいです。聞かせて。全部話してください」
言って、笹は俺の胸に押し付けておいた顔を上げた。
ほのかに赤く、瞳が少しだけ潤んでて切なげだった。
思わずドキッとしてしまった。いやいや、これは笹の顔が近かったからだ。……たぶん。
「……まあ、その、なんていうかさ。俺の中で、自分はもう茜からすれば終わった男なんだ。押しが弱くて、刺激が足りなくて」
「でも、優しいですよ? 蒼先輩は」
「自分で言うのもなんだけど、優しさだけじゃきっとダメなんだ。優しさがありつつ、少しばかりの強引さが必要なんだろうね」
「そんなの……」
「ほら。今もこうして笹と二人きりだけど、俺ってば襲う気配とか、そういうのもまるでないだろ? 押し倒されてるのに気弱なことしか言えない」
はは、と力なく笑む俺。
笹はブンブン首を横に振った。
「そういうところも蒼先輩の良いところだと私は思います! 何でもかんでも肉食な男の人って先輩の言うように強引だし……。でも確かにリードしてくれたり、頼りになるところはあるんでしょうけど、私は優しさ全振りの男の人の方がカッコいいと思いますよ!」
「そう……かな?」
「そうです! 絶対にそうです!」
力強く頷く笹の髪の毛が揺れる。
心地よくて、優しいシャンプーの香りがする。
俺は一人、泣きそうになった。
ダメだと思い込んでた自分を、思っていた以上に肯定された気がして。
「笹は……アレだね。出会って間もないのに、俺のことすごい褒めてくれる」
「出会って間もなくないです。オープンキャンパスの時から、少なくとも私は先輩のこと知ってました」
「そうだった。じゃあ、一年ほど前からか。……って、それでも別に長くないじゃん」
ツッコむと、笹は「確かに」と笑った。
そして、また俺の胸に顔を押し付けてくる。
「……先輩、しばらくこうしててもいいですか……?」
「……良くはないよね。さっきの話の続きだけど……俺、茜のこと、すごく好きではなくなっただけで、まだ心のどこかで追いかけてる状態だから……」
「……やっぱり、そうなんですね……」
「でも……それは、絶対に茜をもう一度捕まえようとして追いかけてるってわけじゃないんだ。ほとんど諦めてて、捕まえられなくてもいいから追いかけてるみたいな、そんな状態。訳わかんないよね」
「……わかんないです。あんな
「見限りたいよ。……ほんとさ」
恐らく、茜の姿を見なくて済むのなら、俺は簡単に彼女を見限ることができるんだと思う。
前、一度だけ最悪な場面に遭遇した。
帰宅すると、茜と竹崎が家の前でこれ見よがしに堂々とキスをしていたのだ。
何も見ていないと自分に嘘を付き、俺は急いで家の中へ入った。
一瞬だけ見えた、竹崎の勝ち誇ったような顔。
思い出すだけで自分の嫌な感情が湧き出てくる。つらい。
「……まあ、いいよ。しばらくこうしてても。たぶん、気付かないうちにドキドキして心臓の音は早くなるかもだけど」
「それは嬉しい案件です。蒼先輩が私でドキドキしてくれてるんだなって思えますから」
「……なんかそれも癪だな。頑張る、ドキドキしないよう」
「もうっ、なんでですかぁ。そこは素直にドキドキしてください」
むくれながら、笹は俺に体を押し付けてくる。
ちょっと待って欲しい。
胸とかそういうのの感触がもろに伝わってくるのは無しだ。
ヤバいから。ほんとそれだけは。
――なんて思って、笹に声を掛けようとした刹那だった。
「せーんぱいっ」
「っ……!」
至近距離からのささやきに、俺は今日一番心臓を跳ねさせ、思わず閉口してしまった。
「昨日、私、先輩の力になるって言いましたよね?」
「……い、言った……けど……」
「あれ、ほんとは復讐しませんか? って意味なんです」
「へ……?」
「竹崎竜輝。私の兄に、痛い目見せてみませんか?」