「……え。今、なんて……?」
「私、蒼先輩が彼女さんを他の男に盗られたって知って、それで話しかけたんです」
夕暮れの河川敷。
目の前に立つ後輩女子の言葉を受け、俺は胸の中をモヤつかせた。
「その意図は?」
「意図?」
「そう、意図。俺が彼女を他の男に盗られて、それでなんで君が近付いてくる? 誰かから言われたのか? からかって来いって」
「そんなわけないでしょ。あり得ないです。私の知り合いにそこまで性格の悪いことするよう言ってくる人はいないです。いたとしても、縁を切ってますので」
「じゃあ、なんでなんだ?」
「んー」
俺のしつこい問いかけに対し、笹は少し考えたような仕草をして、「しいて言うならば」と人差し指を顎元にやった。
「復讐のため……ですかね?」
「復讐?」
想像してたモノとかけ離れてて、俺は少々面食らった。
もっとしょうもない返しを予想してたのだ。聞くだけ聞いて、足早に帰ってやろうとさえ思ってた。
「そりゃ気になる。どういうことだよ、復讐って」
「蒼先輩はご自分の彼女さんを奪った男の名前、知ってますか?」
「……まあ、サラッと風の噂で」
他校の奴だし、すぐにはわからなかった。
本当は知りたくも無かったのだが、インスタで茜が上げてる写真の中に、フルネームが載ってるモノがあったのだ。
――
それが俺から幼馴染を寝取った男の名前だ。
頭の中に浮かばせるだけでも嫌な気分になる。
ため息をついた。
その吐息で頭の中の言葉が霧散すればいいのだが、それも叶わない。
曇天の空に漂う重苦しい雲のように、俺の頭の中に残り続けた。
「どうかびっくりしないで聞いてください。私、ちょっと今から衝撃的なこと言います」
「衝撃的なこと?」
「はい。きっと先輩は声を出して驚くと思いますけど、それでも先に言っておきます。あまり驚かないで。あと、怒らないで。私に八つ当たりしないでください」
「八つ当たりって……。そんなのしないし、そもそも俺は女の子に手出しはしないよ」
色んな意味でな。
そのせいで茜にも振られたんだ。もう笑ってくれ。
「じゃあ、言いますね?」
「ああ」
俺が頷くと、笹は一、二回と深呼吸し、それから再び口を開いた。
「私はですね、その竹崎竜輝の実の妹なんです」
……え……?
「名字は違いますが、それは両親が離婚したからで、私は父、兄の竜輝が母の方へ付いて行ったからこうなりました。お役所とかで調べたらわかると思います。嘘はついてません」
「………………」
言葉が出なかった。
笹はあの男にまるで似ていない。
嘘でも付いてるのだろう。真っ先にそう思った。
けど、目が偽りを語ってる風には見えない。
紛れもなく本当だと語っているような目だった。
だからこそ、俺は――
「っ……」
「あ……! せ、先輩……!?」
走って笹から逃げた。
訳が分からない。意味が分からない。
竹崎竜輝の妹がいったいなんで俺に接近して来るっていうんだ。
そんなのは決まってる。からかうためだ。兄に死体蹴りするよう言われて来たんだ。
わかってる。俺は負け犬。
幼馴染の彼女をぽっと出の男に奪われたただの負け犬。
ずっと傍にいてくれた女の子に不満を抱かせ続けた、最低最悪の無価値な男だ。
「先輩! 待って! 待ってくださいよ!」
「無理だよ! 待てるわけないだろ! どうせ俺をからかいに来ただけなんだから!」
「だから違いますよ! そうじゃないです!」
「嘘つくな! 何が違うってんだよ! もう俺のことは放っておいてくれよ!」
「放っておけるわけないじゃないですか! 先輩も私と……! 私と同じ思いをした人なんですから! ――きゃっ!」
「――!」
悲鳴が聞こえて、俺は立ち止まった。
そして、すぐさま振り返る。
振り返ると、追いかけてきていた笹が四つん這いみたいな状態になってた。転んだのだ。
「っ~……!」
つくづく自分が嫌になる。
こんなのはもう、チャンスと捉えて逃げ帰ってしまえばいいんだ。
……だけど、それはできなかった。
俺は自分自身に呆れてため息をつきながら、笹の元へと歩み寄った。
「うぅぅ……痛い。……って、あ、先輩……」
「……ほら。乗れよ」
「へ……?」
「乗れって。すぐそこ、水道あるし」
「え……あ……」
「簡単な処置くらいはしてやる。俺の家も近いから、バンソウコウも取って来れる」
「で、でも……」
「俺だって思ってるよ。さっきまで逃げてたのにって。でも、怪我されちゃ放っておけるわけないだろ? いいから乗れって」
ほら、と俺はしゃがんだ状態でおんぶされるよう促す。
笹は「ごめんなさい」と言って、俺の背に身を預けてきた。
立ち上がり、歩き出す。
「……やっぱり、先輩はいつだって変わらず優しいですね……」
「優しくて刺激が無くて、押しの弱い男だしな。だから振られたんだ」
「そんなの、見る方の目が無いんですよ」
「どーだか。他にもっと理由があったかもしれんし、わかんないよ」
半ばヤケクソになって言うと、笹は俺の肩へ置いていた手へ軽く力を込める。
それがどんな意味をもってのことなのか、推測しかねるが、とにかく俺は水道までの道のりを歩いた。