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5 藤の名を持つ九尾の瑞獣

  ※


 目が覚めた時には夕刻間近だった。茜が差し始めた室内に噎せ返る程の己の血の臭いは未だ充満していた。未だそこら中痛い。龍志は上体を起こし上げるが、何者かがそれを拒む。

「……起きないで下さい。兎に角回復に努めて下さい」

 蘢だった。彼は、龍志の布団の傍らで彼の肩を押さえつけて首を横に振る。

 よく見れば、その隣には朧が座していた。その僅か後ろの柱に背を預けてタキが立っている。

 皆誰もが、緊迫した面を貼り付けていた。

 そういえば、呼んでおいてくれと言ったのは自分だった……と、龍志は今更のように思い出す。介抱してくれたのだろう。身に纏ってる浴衣も血に濡れた不快感は無かった。ただ礼を言うと蘢も朧も揃えて首を横に振った。

「そんだけ精気を喰われて生きてる事が逆にすげぇよ。大量の吐血だわ、滅多刺しにされてるわで、よく目が覚めたもんだと思う。手は動くか?」

 朧は、布団からはみ出した龍志の手を突く。促されて腕を折り曲げてみるが、痛むものの不自由なく動いた。それに安堵したのか朧は一つ深い息を吐き出した。

「……多分三日も寝れば治る。心配かけてすまなかった」

 自分で言っておいて定かでもなかった。むしろ無理があるだろうとは分かるが、命に別状は無いだろう。

 傷は痛むが、精気が著しく欠乏してるだけだ。そんなものは生きてる限り満ちるもので、数日で回復するに違いない。

 龍志は毅然とした面を三匹に向ける。だが、案の定三匹は『そんな訳がないだろう』と言いたげな顔を向けて龍志をじっと見据えていた。

「幾らか状況を話そうと思う。荒神と対峙はしたが、疑問点がありすぎた」

 龍志は季音が荒神と切り変わったまでの経緯や、現れた荒神は初めこそは正気に窺えた事を淡々と語った。

「瘴気で気が狂うまでは、ただ単純に今精気を欲してるそうで、殺す気は見えなかった。ただ季音を生かす為にはあるかと言われたな。俺を見て代々似てるだ憎いだの言っていたが……何から何までよく分からん」

 分からん──と、今一度溢して、龍志は一つ深く息を吐き出した。

 まず、引き継いだ記憶は前世の詠龍のものしかない。

 代々というと、詠龍の血族自体を言うのか……ともあれそんな事は分かる筈もない。自分が把握している事と言えば詠龍のものだけ。社の神が突然荒神に墜ちて藤香の身に乗り移った事しか知らないのだ。それを自分が封じただけである。龍志が眉根を深く寄せた矢先だった。

「……まさか」

 ぽつりと告げたのは蘢だった。

『何か知っているのか』と問えば、彼は『定かではないですが』と、一言添えた。

「代々の件においては……前世の貴方、詠龍様が僕の主になるより、ずっと遠い昔──地主神の更迭こうてつがあった事が理由かも知れません」

「何故それを初めから言わなかった」

 龍志はやや苛立って蘢を睨むと彼は首を横に振った。

「狛犬からすれば〝護る神〟とは主です。勿論もう一人の主として、詠龍様であった前世から主殿はお慕いしております。ですが、神の世界の話は人に漏らす事は良からぬ事です。僕も軽率に言えるものではありません。ただ、心当たりはそれしか無いです。もう、ここまでしたのですから全て話しましょう……」

 山茶花さざんかにも似た赤々とした瞳を物憂げに細めて、蘢は続けた。

 ……今より、七○○年以上昔。黒羽の地主神は一人の娘に人に魅了された挙げ句に地主神を辞退すると言ったそうだ。

 そこで、同じ土地に住まう九つの尾を持つ狐の瑞獣すいじゅうにその席を譲ったそうである。そうして地主神は人に成り、彼女がこの地の神と成ったそうだ。

「僕も護る主が変わった事は無論知っていました。当然、彼女と話をした事もあります。まことの名を藤夜ふじよ様といったでしょう。元が狐なだけあって麗しく気高い方ですが内面はとても優しい方です。幼き僕の髪を結ってくれた事だってありました。更迭こうてつし、神に成った時は魂のみとなり姿を失いましたが、この地を護る豊穣の女神と成りました」

「そいで、どうして神を交代しただけで龍を恨むんだ……」

 それだけじゃおかしいだろうと、朧は眉を顰めて蘢に問う。

「元の地主神が人に魅了されて人に成ったと言いましたよね……そこに因縁があったのかもしれません。人に成ろうが神であった者は神通力を持っています。そうして子孫を残せば希にそれを受け継ぐ者が現れる。そう……詠龍様がその末裔であり、龍志様が詠龍様の生まれ変わりという事でしょう」

「大雑把に要点を纏めると……その地主神に恨みがあって藤夜とやらは腹いせに荒神に墜ちて、こいつを末代まで狙って恨んでるとでも言うのか?」

 タキが言葉を挟むと、蘢はおとがいに手を当てて唸る。

「たかが神獣の僕には深い理由は分かりません。無責任に更迭こうてつされた事を恨んでいたのかも知れませんし、愛憎でも持ち合わせていたのかもしれません。それに、ずっと恨み続けてた挙げ句に荒魂あらみたまが築き上げられて墜ちたのか、自ら荒魂あらみたまを創り出して墜ちたのかも社の前に鎮座していただけの僕には分かりません」

 蘢は全て言い切ると、深く息を吐き肩を落とす。

 だが龍志としては腑に落ちない事ばかりだった。これでは完全な八つ当たりでとばっちりだろうと──。

「──人に成った黒羽の土地神が先祖だろうが、それは俺自身でもない。良い迷惑だ。だが、一番良い迷惑を被ってるのは藤香じゃねぇか。あいつは何も関係無いだろ!」

 龍志は激昂して怒鳴り声を上げた。だが、今怒鳴り散らしたってどうにもならないと分かるのは直ぐで──彼は己を落ち着かせようと深呼吸した。

「すまん。冷静さを失ってた。悪かった……蘢、教えてくれてありがとう」

 更に自分を落ち着かせようと、蘢の逆毛立つ月白げっぱくの髪を撫でた後、龍志は仕切り直して蘢、朧、タキに一人づつ視線を送った。

「……だが、今の藤夜は何か様子がおかしかった。俺には藤夜が何をしたいのだかさっぱり分からない。即ち、三日後その場に行かねば対処の判断しようもない」

 ──どうなるか分からないが、悪いが付き合ってくれるか。と、問いかければ蘢も朧も肯定に直ぐ頷いた。その矢先だった。

「おい。少し回復したら、お前に一つ頼みがある……」

 視線もくれず、タキはぽつりと呟いた。

「何だ?」

 龍志は静かに尋ねる。すると、彼女は力強く青々と萌ゆる露草の瞳を向けた。

「争う可能性はあるだろ……おれはお前の式神達に比べれば未だ無力だが、になってやる。唯一無二のダチの為だ。だから、お前にも命をかけてやる」

 ──おれを本当のにしろ。と、タキは凜然と言い放った。

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