目次
ブックマーク
応援する
いいね!
コメント
シェア
通報
5 龍の子

  ※


 宴会の明朝。境内は朝靄が煙り、夏にも関わらず漂う空気はひんやりとしていた。

 昨晩の賑やかさは嘘のようだった。

 珍しく朧はいびきをかいておらず、彼は酔いつぶれた蘢の横で酒樽を抱えて死んだように眠っていた。

 その対角線上──奥の神殿を背もたれにしてタキは座したまま眠っていた。刀を大事そうに抱えて眠る彼女の前まで龍志が近付くと、タキはぱちりと露草によく似た青い瞳をぱちりと開く。

「何だよ」

「早朝に悪い。折り入った話がある」

 その旨を伝えると、龍志は神殿を横切り裏手の方に向かった。後方からは僅かな衣擦れが聞こえる。タキは直ぐに付いてきたのだろう。静かな足音が付いてきた事を悟り龍志は裏戸を開いた。

 案の定タキは直ぐにやってきた。タキが表に出ると、龍志は静かに戸を閉じた。

「おい、匂いから察するが……ろくでもねぇ報告なら今、叩っ斬るぞ」

 タキに言われて龍志は目を丸くする。流石は獣──分かるのか。感心さえしてしまい、『そうじゃない』と言えば、彼女はフンと鼻を鳴らした。

「生憎おれは、ただの妖だ。一晩の過ちの懺悔なら入り口の方で酔い潰れて伸びてる高飛車な神獣にでもしろ。何があろうがおれには関係ない」

「いや、てっきりお前の事なら問答無用で斬りかかって来る気がしたが……」

「おキネがお前に惚れ込んでるのは見ていりゃ当然のように分かるからな、自然な流れだ。いちいちそんな都合に文句を言う程、おれの器が小さくない。おれはあいつの親でもつがいでもない。そもそも同種でも無い。ただのダチだ」

「なるほどな……」

「……それで本題は何だ」

 ──下らぬ事なら戻って寝ると、青い瞳を細めて彼女は唇を拉げた。

「……お前は二〇〇年生きてると言ったよな」

 静かに龍志が問えば、彼女は『それがどうした』とでも言いたげに、眉を顰めた。

「それだけ生きてる上、狸という種族を考慮すれば……季音が何かは流石に知ってるだろ」

 それを告げた途端、タキは青々とした目を瞠る。明かに知ってるだろう──それを確信して龍志は更に追求した。

「どうして、に近付いた。お前は賢いから分かる筈だ──手に負えないだろう事を分かっていて、どうして俺からあれを取り返そうとした。お前は季音を友だと言ったが、あれを本当に友だと思っているのか?」

 するとタキは龍志から視線を反らして、深く息を吐き出した。

「……そもそもお前が何者なんだよ。神に通じる力を持つ人だとは分かるが」

「ただの神職者で陰陽師だ。数百年前も陰陽師だった。お前達獣の妖と同じで、輪廻前の記憶を継いでいるだけだ。数百年前に荒神を封じた奴と言えば分かるか? お前ら狸の一族にも沢に設けたほこらを見守れと散々な脅したからな」

 ──そこまで言えば分かるだろ。と、龍志が告げると、タキは眉間に深い皺を寄せた。

「未だ新しい伝承だ。だから分かる。そのお陰で意味不明な掟が課されてこちとら、散々な使命を背負わされてるからな」

 反吐でも吐き出すようにタキは言った。

 ──過去の自分、詠龍は荒神を封じた後にこのほこらを死守しろと狸の妖達に頼んだ事があった。従わなければ、お前達一族を末代まで呪い続けるくらいの事は言っただろう。

 だが、流石にその後の狸の内部事情や掟の件など分かりもしない。何せ詠龍は荒神と藤香二つの魂を封じた事により生じた呪詛返しの負荷に肉体は耐える事が出来ずに、その後二年足らずで黄泉へと旅立ったのだから……。

 龍志が神妙に眉根を寄せていれば、タキは首を掻きながら一つ舌打ちを入れた。

「封印が解けた時には、荒神を鎮める為に魂を差し出す贄を決める事になった。簡単に言えば、せいぜい満足するまで嬲り殺される役目だ。その贄は新月の晩に輪廻したな血筋を持つ狸が選ばれる。それをとして扱う──狸であって狸でない、群れからのはじき者に仕立て上げられる。それがおれだ」

「いかにも温和で臆病な狸がやりそうな事だな」なんて、溜息交じりに龍志は言う。すると、タキは『だろう?』と鼻で笑った。

「そいで、今のあいつは人の方だろう。あんな妖気の欠片もない無い愚図な荒神が居てたまるか。単純に様子を見ようと思った。そもそもあいつを殺そうが、中に潜むのは荒神だ。それで終わるなんて微塵も思いやしないからな、どうする事も出来ないから一緒に居ただけだ」

「それで情が移ったと……」

 彼女の態度や行動と照らし合わせると、そうだろう。そうとしか言えないだろう。彼女も彼女で輪廻の後は孤独に生きていたのだと憶測も容易い。どうやら図星のようで、タキは特に何も言い返さなかった。

「この件を山の妖は知ってるのか?」

「妖は放漫に生きる。だから、狸がほこらを護る事を担っているのは知ってるが皆高みの見物で無関心だ。おキネが荒神の器だと皆分かってはいるだろうが、誰も真実を告げる事も無い。荒神の顔を出して山を荒らされても困るからな。それに入れ物の肉体を壊しただけで終わる筈も無いとは分かってるだろう。正体は墜ちた神だ。次の入れ物を探す事は目に見えて分かるから、誰もあいつを殺めようともしなかった。〝自分を知ってるか?〟と、あいつが問いかけても誰もが〝知らん〟としらを切る程だからな」

 ……ただ静かに見守る他は無い。と、付け添えて、彼女は貝殻のような白い瞼を伏せた。

「あとな。あいつ、随分綺麗なかんざしを見てはおれに『誰かは分からないけど会いたい人が居る』って散々言ってた。詮ずるところお前が人だった頃のおキネのつがいだろう?」

 タキは瞼を持ち上げて、龍志の方を真っ直ぐに射貫く。

 ──そこまで分かっていたのか。人の話を聞きもしない粗暴な狸だと思っていたが、どうやら頭は良いらしく鋭い洞察力を持ち合わせている。龍志は感心さえ覚えてしまった。

「ああ、全部当たってる。賢いなお前は」

 素直に告げると、タキは身震いをして『お前に褒められると寒気がする』と舌打ちを入れた。

「さておき、話を戻すが……どうしてお前はあいつを取り戻そうとした」

「供物として自分なりの責任もあった。おれは人は嫌いだが……あいつは、何も知らずにこんなおれを馬鹿みたいに信じてくれた。笑ってくれた。だから、そんなあいつが好きだ。だから必ず取り戻して、時が満ちれば己の責任を取ろうとした」

 ──理由はそれだけじゃダメか。と潔い程にはっきりとタキは添え告げた。

 その瞳は、あまりにも真っ直ぐで気圧されてしまいそうな程──龍志は直ぐに首を横に振る。

「ダメではない、それでいい。分かってるだろうがいずれ時は来る。季音が妖術を使ったのは見ただろう。お前の背負ったその使命、俺が塗り替えさせてくれ。そもそもが狸だがなのだろう──ならば、になれ。式は主の名を一字継ぐか、主の名の一文字に纏わる名を付ける。だがお前は、まことの名のまま──」

 龍志はさっと懐から短冊型の呪符を取り出した。それは何も書かれておらず、真っ新なもので……。

 しかし、見たタキはたちまち目を尖らせて、龍志を睨み据える。

「呼び出しの理由は、そういう事か。しつこい奴だ。そもそもお前に負けた身だ、拒否も出来ぬ事を良い事に随分強引な勧誘をするもんだな」

 顔をしかめたタキは彼の手にある白紙の呪符を奪い取るなり、くしゃくしゃに丸め込む。

「タキ、俺の式神に成れ。時が満ちる寸前で俺は季音を討つ。それが俺が輪廻した意味だ。今度は封じやしない。殺す気でいる。──俺の詰めが甘すぎた所為で、お前のような者を出した事は事実だ。供物ではなく一つの刃として、お前の力を貸せ」

 真摯に龍志はタキに頭を垂れた矢先。頬にたちまち鈍痛が襲いかかった。殴られた──と、それを悟るのは直ぐで彼は直ぐに顔を上げると、案の定タキは拳を握って震えていた。

「行く末はどうにもならん事は初めから覚悟してる! だが、お前は本当にそれで良いと思ってるのか! お前は前世から、あいつのつがいだろ! それを騙した挙げ句の果てに殺すのか、他のやり方はないのか! ……何が、何がっ、何が狸は傲慢だ! そっちの方が身勝手で傲慢だ!」

 ──だから、おれは人は大嫌いだ。と、タキは剣幕にがなるが龍志は怯む事なく、頷いた。

「悔いはある、罪悪感もある。だから、時が満ちる迄は妻を命がけでも幸せにすると誓った。愛しく思う気持ちも引き継がれたのだから、過去に詠龍が寵愛した以上に愚図なあいつが愛おしく思う。だが、やらねばならない」

 ──自分の命を投げ出して死に急ぐとしても成し遂げなければいけない、自分にしか出来ない事だから。と、胸に秘めた思いを全て曝け出し、今一度龍志はタキに頭を垂れた。

 タキは今度は殴ってきやしなかった。ただ一つ落胆の溜息を吐いて、彼女は龍志に顔を上げるように言った。

「……分かった。悔しいが、おれはもうお前には刃向かえやしない。だが、条件がある。お前の式に成るには、おれは惨めな程に力不足だ。血反吐を吐いてでも神獣にも鬼と互角になれる程に急ぎ強くなる、その為に鍛錬する。だから暫くは待って欲しい」

 ただそれだけを告げて、タキは朝霧の中に姿を眩ましていった。

コメント(0)
この作品に、最初のコメントを書いてみませんか?