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2 新しい同居人

 ──強き者に従う。まして負かされたとなれば絶対。それが古よりある妖の規則だった。

 今日の妖は人と争う事はまず無くなったが、未だ妖同士では希に小競り合いが発生する事がある。故に争いが起きた後の解決にこれは必要不可欠だった。

「は? もういっぺん言ってみろ」

 社の石段に腰掛けて、あからさまに不機嫌そうな声を出したタキに龍志は一つ鼻を鳴らす。

「お前、敗者なんだし俺の式にでもなるか?」

 二度目の台詞を言って、彼は嗜虐的の色を存分に含んだ瞳で彼女を射貫く。そのやりとりを季音は彼の式神二匹と離れて眺めていた。

 事の発端は無論、梅雨の晴れ間のあの夜だ。

 あの闘争でタキは龍志に敗れた。人に接触してしまった事もあって、彼女は山には帰らずに今はこの社の中に朧と一緒に住んでいる。

 あれから、早くもひと月が経過しただろう。

 すっかり梅雨は明けて文月の初旬に──空は真っ青に澄み渡り本格的な夏は始まった。

 タキの怪我は軽傷で済んだらしい。頬に未だ朧の付けた爪痕が生々しく残っているだけで、それ以外と言えば特に目立った外傷は見えない。

 あの時、タキは妖力を全て使い果たした。しかし回復は早いもので一週間も立たぬうちに彼女は全快した。

 そうして、回復したと同時にタキが龍志に持ちかけた事と言えば、やはり闘争だった。

 負けを認めたくなかったのだろう。詳しい事は季音もタキから聞いてはいないが、彼女の性質や妖の規則を考えると明らかにそうだと思う。

 龍志の性質を考えれば、きっと『面倒』と言って相手にしないだろうと思っていた。だが、彼はタキの意思に応諾したのだ。

 それも式神無しの単身で……。

 梅雨開けした文月の始まりと同時に毎日のように龍志とタキは境内で決闘をしていた。

『五回勝負。これで一度でも俺が敗れれば、俺の負けでいい。あの時の啖呵たんかの通り、俺を八つ裂きにしようが構わない』と、彼はそんな強気な発言に出たのだ。

 それから五日目……五回勝負は今先程終了した。

「悔しいが負けは認める。だけど、どうしておれがお前に使役されなきゃいけないんだ」

 タキはぶつくさと文句を垂れながら青々とした瞳をジトリと細める。

「敗者だし」

 しれっとした調子で龍志は切り返す。間違いなくこれは反応を楽しんでいるのだろう。タキが悔しさに真っ赤になってワナワナと震え出すものだから、なんだか少しいたたまれなくなってしまった。

 きっと、格好の弄り要因の標的として今、彼はタキを見ているに違いない。鋭い目も薄い唇も今まさに嗜虐心が滲み出ているのだから。それはもう、彼の背後に変な気迫さえ可視化出来てしまいそうな程に……。散々、尻尾を引っ張られているのだから季音はそれが『追い詰めて面白がってる顔』だとよく分かる。

「お前ほんとに腹立つ、根性悪、意地悪、嫌い!」

 余程悔しくて泣きそうなのだろうか。タキの声は弱々しく震えていた。そんな様子初めてみたものだから、季音も吃驚してしまったが、堪らなくいたたまれなくなる。大事な友として、目は瞑れない──そんな風に思って、季音が合間に入ろうと思った途端だった。

「お前は季音の友だし別に式の件は強制しない。素直にお前の妖術の筋が良さは認めるし、本来狸に持たぬ勇敢さを持つお前の気高さと心意気には尊敬する。ただな──負けを認めて社に住まう以上は蘢の言う事だけは絶対に聞け。それはだけは約束しろ」

 彼はタキの肩を叩いて真面目な口ぶりで言った。流石に悪いとでも思ったのだろうか……だが、その口ぶりも弁解でも諭すようなものではなく、自然と言ってるものだから季音は驚いてしまった。

 ──境内の美化は頼んだ。と、立てかけてあった竹箒を龍志はタキに手渡して彼はボロ屋の方へ向かう。タキは無言のまま直ぐに社の脇の方から真面目に掃き掃除を始めた。

「……正式な居候が増えて喧しくなりますね」

 ぽつりと蘢が言った途端だった。

「それじゃあ歓迎会と名ばかりの宴会でもするか? 酒が飲めるな……これは」

 朧はタキの方を眺めてぱっと山吹やまぶきの瞳を輝かせる。

「朧殿は毎日飲んだくれてるじゃないですか……」

「それとこれはまた別だろ」

「同じじゃないですか馬鹿なんですか貴方……」

 赤々とした山茶花の瞳を細めて蘢は朧を見上げて睨む。すると、朧はパチリと手を合わせて蘢にヘコヘコと頭を垂れた。

「頼むよ。俺、狸の嬢ちゃんに謝りたい。俺あの子をにしちまったんだよ」

 蘢はたちまち顔を真っ赤に染めて朧を睨む。紅潮したのは季音も同じだった。

 ……思えば、あれからというもののタキは朧と社の中で生活している。

 種族は違えど異性だ。龍志との闘争の事ばかりが気がかりで全く気を回していなかったが、まさか──そんな事が。

 そんな思考が過ぎって季音は絶句したと同時に軽蔑した。酔った勢いで手でも出したのだろうか? いくら何でも最低だ。その反応は蘢も同じで彼は冷ややかな目で彼を睨んだ。すると、朧は自分の頬をツゥと指でなぞって『顔の傷だ』と山吹やまぶきの瞳をジトリと細めた。

 ──そういう事か。紛らわしい。妙に安堵してしまい、季音と蘢は思わず顔を合わせて同時に一つ深い息をつく。

「確かに俺も噛まれたのは結構痛かったし傷にはなった。とは言え、相手は女子おなごだ。しかも顔に傷つけた。しかしなぁ、あの娘はじゃじゃ馬な上に気高いもので謝罪なんぞ言う隙さえ無い。話しかけても、えらい冷たい目でよく見られる。だから改めて話す席が欲しいと思う」

 そう言って、朧は社の石段の掃くタキを物憂げに眺めた。

「朧殿の場合、酔っ払い絡まれて鬱陶しいと思われてるのがオチじゃないですかね」

「馬鹿言え。ならば、お前にはどうだ?」

 朧に問われて蘢は目を細めてタキの方を見る。

「話しかけもしませんね。僕も話しませんが。だって別に話す事も無いですし」

「悪かった。俺が悪かった。お前は人見知り激しい内気な奴だった……」

 そんな風に言って、朧は蘢のふわふわと逆毛立つ髪をワシャワシャと撫で回す。それに腹立ったのだろう蘢はあからさまな不機嫌な顔をして一つ舌打ちを入れた。

 ……確かにタキの性質を考えれば、そういう反応に出るのだろうと思ってしまう。そこそこ付き合いが長いからこそ、幾らか掴めるものだった。

 そもそも朧の言った通り、彼女はじゃじゃ馬だろう。その上で妖としての気高さは無論持ち合わせている。そんな彼女が、山と群れを捨てたのだ。それもたった一匹の愚鈍な狐──自分の為に。決死の覚悟だったものの生かされた。その上、五度も挑んで負かされて、式神の話を出されるなど複雑に違いないだろう。

 そもそも、こうなってしまった事に関しては自分の蒔いた種が全て災いしたのだ。その罪は自分がしかと償うべきだろう。季音は意を固めて朧を見上げた。

「朧様。私、宴会の件をおタキちゃんと龍志様に話をしてみます。そもそもは私の責任なので。それに、きっと複雑だと思います。だから私は責任を必ず取ります」

 それをきっちりと伝えると、朧は穏やかなおもてで季音に頷いた。

「話してくれる事は有難い──だけどな」

 そこまで言うと、朧は少し言葉を詰まらせた。すると、すかさず蘢は肘で朧の脇腹を突く。

「……狐の嬢ちゃんが責任だとか、そこまで気負わなくていいと思う。確かに、あんたは気にはなるとは思う。だがな、狸の嬢ちゃんは初めから全てを投げ出す気だった。それがどういう事か分かるよな。だから、自分の責任だとそこは気にしすぎると、あの娘が気負うだろ。親友だろ? そこは分かってやれ」

 言われた言葉に季音はハッと目をみはった。

『自分が悪い』とそこだけしか見てもいなかった。

 だがタキの本当の気持ちはどうなのだろう。群れを山を捨てる、命さえ投げ出す覚悟──それは、自分に対してそこまでする程に大事だからだろう。自分がすべき責任は、ただ深謝して許しを請う事では無い、感謝し礼を言うべきだ。理解した季音は直ぐに朧に向き合った

「ありがとう朧様」

 彼に深々と頭を下げた後、季音は真面目に掃き掃除をしているタキの方へと小走りで向かっていった。

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