暦の上ではとっくに春を迎えたにも関わらず、山の気温は低く、辺り一面は深雪に閉ざされた銀世界だった。
それでも、確かに春は近づいているもので、凜と刺すような冷たい空気の中で香しい花の芳香が漂う──
体中に鈍い痛み暴れ回っているにも関わらず、少女の意識は遠のいていた。
どうしてこうなったのか……と、その辺りの事を考えようにも、寒さと痛みで頭の整理は追いつきやしない。
彼女は段々と暗転を始めた視界の中、緩やかに意識を手放そうとしていた。
死にやしないだろう。と、その確信はあった。
……何せ自分は人ではないのだ。
決して不死身ではないが、身体は脆弱ではない。回復だけは無駄に早いのだ。だから、ここで意識を飛ばそうが『死ぬ事は無いだろう』という確信はあった。
そうして、彼女は引き剥がれる意識に静かに身を委ねる最中──眠る事を阻害する声が間近から響いたのである。
「……おい。大丈夫か」
それは低く平らな声色だった。
白い二枚貝のよう。固く閉ざされた瞼をゆっくりと彼女は持ち上げた。視界は霞んでよく見えやしない。けれど、同じ言葉をもう一度言われれば、意識は穏やかに現に戻り、忘れていた筈の寒さと鈍痛で視界はパッと鮮明になった。
目と鼻の先。くっついてしまいそうな程間近に映る面は
短い髪は青みさえ含んだ黒々とした
自分とは生きる世界も違う存在『人』と悟るに一瞬だったが、悲鳴は一つも出てこなかった。
ひと目見て、ただただ美しいと思えてしまった。それと同時に押し寄せた感情は、途方も無い喜びと切なさだった。それに加えて、覚えも無い懐かしさを感じてしまう。
彼女は、導かれるように彼の肩に手を回して抱きついてしまった。
────ずっと会いたかった人にやっと会えた。と、潜在的に思えてしまった。しかし、彼が誰か、自分の何かも分からない。
狡猾で冷淡。本来ならばそういう生き物の筈。しかし、彼女は愚図で間抜けな『狐らしかぬ者』だった。よって、間を抜いてキネ。
そんな不名誉な名を持つ