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巡り捲りし戀華の暦
日蔭スミレ
異世界恋愛和風・中華
2024年08月27日
公開日
120,566文字
完結
妖気皆無、妖に至る輪廻の記憶も皆無。おまけにその性格と言ったら愚図としか言いようもなく「狐」の癖に「狐らしさ」もない。それ故の名は間を抜いてキネ。そんな妖狐の少女、キネは『誰かは分からないけれど会いたくて仕方ない人』がいた。
自分の過去を繫ぐもの金細工の藤の簪のみ。だが、それを紛失してしまった事により、彼女は『会いたかった人』との邂逅を果たす。
それは自分と違う生き物……人の青年だった。
嗜虐癖ドS陰陽師×愚図な狐 切なめ和ファンタジーです。

※直接的な性描写はありません。R15程度のレイティングだと思います。

人で非ず者

 暦の上ではとっくに春を迎えたにも関わらず、山の気温は低く、辺り一面は深雪に閉ざされた銀世界だった。

 それでも、確かに春は近づいているもので、凜と刺すような冷たい空気の中で香しい花の芳香が漂う──梅月夜うめづくよの事である。 


 体中に鈍い痛み暴れ回っているにも関わらず、少女の意識は遠のいていた。


 どうしてこうなったのか……と、その辺りの事を考えようにも、寒さと痛みで頭の整理は追いつきやしない。

 彼女は段々と暗転を始めた視界の中、緩やかに意識を手放そうとしていた。


 死にやしないだろう。と、その確信はあった。


 ……何せ自分は人ではないのだ。


 決して不死身ではないが、身体は脆弱ではない。回復だけは無駄に早いのだ。だから、ここで意識を飛ばそうが『死ぬ事は無いだろう』という確信はあった。

 そうして、彼女は引き剥がれる意識に静かに身を委ねる最中──眠る事を阻害する声が間近から響いたのである。


「……おい。大丈夫か」


 それは低く平らな声色だった。

 白い二枚貝のよう。固く閉ざされた瞼をゆっくりと彼女は持ち上げた。視界は霞んでよく見えやしない。けれど、同じ言葉をもう一度言われれば、意識は穏やかに現に戻り、忘れていた筈の寒さと鈍痛で視界はパッと鮮明になった。


 目と鼻の先。くっついてしまいそうな程間近に映る面は精悍せいかんな顔立ちの青年だった。


 短い髪は青みさえ含んだ黒々とした濡羽色ぬればいろ。黒曜石の如く暗澹とした瞳の縁取りは鋭く釣り上がり──耳も丸くの特徴は一切無い。


 自分とは生きる世界も違う存在『人』と悟るに一瞬だったが、悲鳴は一つも出てこなかった。


 ひと目見て、ただただ美しいと思えてしまった。それと同時に押し寄せた感情は、途方も無い喜びと切なさだった。それに加えて、覚えも無い懐かしさを感じてしまう。


 彼女は、導かれるように彼の肩に手を回して抱きついてしまった。


 ────ずっと会いたかった人にやっと会えた。と、潜在的に思えてしまった。しかし、彼が誰か、自分の何かも分からない。



 狡猾で冷淡。本来ならばそういう生き物の筈。しかし、彼女は愚図で間抜けな『狐らしかぬ者』だった。よって、間を抜いてキネ。


 そんな不名誉な名を持つ妖狐ようこの少女の運命はその日から緩やかに動き始めた。それはまるで、芽吹き綻び──暦を重ねて枯れ落ちる花のように。

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