目次
ブックマーク
応援する
1
コメント
シェア
通報

第11話 真意

検屍官試験の招状が怜悧のもとに届いたのは、郭家から鳥家の屋敷に戻り、自室の椅子に腰掛けたときだった。禁足を強いられてばかりの怜悧には親しい友人も公以外おらず、宴でさえ無縁だったので、侍女が届けた招状が珍しいあまり疑わしく、眺め回した。高く持ち上げたり耳許で振ったり、危険が潜んでいないか確認を済ませ、また、凝視する。鷺舞が害虫や異物を文に仕掛けていた過去の苦い記憶から警戒心が消えないが、よく視たら、何者かに悪意で文書を妄りに改竄されないように厳重に封泥で蓋をされ、印章が押されていた。

「太子殿下から? 本物かしら……」

印章は皇太子、黄鷹揚の姓名が刻まれている。偽文書か今度は詐欺を訝しむ疑念が捨て切れないまま開封した。

来たる三日後に行われる第二皇子、黄宵鷹の側近候補を選抜する検屍官試験に、招待したい。最も優秀な才女を側近として朝廷に迎え、衣食住を保証する。要訳するとこういった内容が書かれていた。驚くべきことに文末に尊き帝の印章まであり、偽文書の可能性が抹消される。

「検屍官試験……?」

検屍官試験にしては、記載された参加資格が認められる条件に違和感があり、首を傾げた。簡潔に言うのなら、家柄が良く妙齢で、純潔の女子を求めている。これは、まるで――いや、まさかね。怜悧は自問自答して予想を中断すると、傾け捲っていた首を元に戻してから冷静に検討した。捨て難い好機におもえた。怜悧にとっては、衣食住の保証が魅力的だったからだ。ずっと、ずっと、此処から逃げ出したかった。上手くいけば、鳥家という窮屈な鳥籠から解き放たれ、羽搏けるかもしれない。

「それに、鷹野と、また一緒に働けるかもしれない……なんて」

何を考えているの。怜悧は招状でみずからの額を叩き、宵鷹の一挙一動を振り返った。前世で好きだったひとが宵鷹だとして、相手は覚えている様子はない。別人だとおもったほうがいい。況してや、今世では高貴な御方、第二皇子だ。面影を重ね、焦がれてはいけない。喩え、あの涙を拭う冷たいゆびが、どんなに変わりなく愛しいとしても――感情を戒め、招状を握り締めた。


――


三日後、試験会場に指定された屋敷に向かうと、門前に行列がつくられていた。華やかな刺繍が施された上質できれいな衣と簪で着飾り、白粉も紅も額の花钿も完璧でうつくしく化粧した女子の人集りに怜悧は圧倒される。場違いかもしれない。どんな試験かもわからないから、動き易さを重視して平素と変わりない装いで訪れたが、失敗した。みずからが纏う気に入りの鮮藍の衣を視て、にがわらいを浮かべてから、そそくさと最後尾に並ぶ。

「招状なら持っているわ。早く通して」

「あの声……まさか、舞舞?」

人垣の向こうから響いた高飛車な声に聞き覚えがあり、怜悧は背伸びした。行列の先頭で招状を確認する門番に話しているのは、紛れもなく鷺舞だった。主張する通り招状も持参している。あなた純潔じゃないでしょうが、という、最低で下世話な指摘が最初に喉から溢れそうになり、堪えた。指摘するべきは其処だけではない上に、何故か条件に当て嵌らないからといって除外されずに、招状が届いていたということだろう。なら、仕方ない。行思の一件で未だ塞ぎ込んでいるかとおもっていたが、随分元気そうだ。ああ、でも、すこし瞼が腫れている。そうおもいながら双眸を細めたところで、鷺舞と視線が打つかり、き、と鬼のような眼差しで睨まれた。

「何なのよ……」

すぐに門番に案内されるがままに鷺舞は門の奥に消え、怜悧は浮かせていた踵を沈めてから首を傾げまくった。鷺舞は、どうして試験を受けるのだろう。嫁いだ郭家で不自由は一切していない。自由奔放が過ぎるくらいだ。否、そもそも選ばれたとて郭家の嫁は嫁だ。離縁されていないのに、別の道に進めるわけもない。単純に宵鷹とお近づきになるのが狙いか。だとしたら、いつもながら夫の公が不憫だ。懲りていないのだろうか。何を考えているの、舞舞。あなたのことが、わからない。

「あっ……しまった!」

思考に耽る隙に突風が吹き、力が緩んでいた手指から、招状が攫われる。しかし、その招状目掛けて、背後から誰かが跳躍した。はし、と。一瞬にして、悪戯な風から招状を取り戻し、身軽に宙で回転してから着地したのは小柄で可憐な少女だった。翠緑の衣と眦に引かれた紅がよく似合う、可愛らしい顔立ち。何故だろう。とても、懐かしい。何だろう、この感覚。既視感がある。

「どうぞ」

「有り難う。助かったわ」

少女に招状を差し出された。怜悧は慌てて感謝を述べて受け取り、拱手する。

「私は鳥怜悧。姓は鳥、名は怜悧というわ。貴方は?」

「私は、姓はチュー、名は翡翠フェイツイ楚翡翠チュー・フェイツイと申します」

「貴方も試験に参加するの?」

「はい、面白そうだったので。他の者は殿下の妃選びに参加しているつもりかもしれませんが……」

御互いに軽く挨拶を済ませてから問い掛けると、返答が意外だった。少女、翡翠が他の参加者を流し視たので、怜悧もちらり、一瞥してみる。やはり、妃選びも兼ねているのか。招状の参加条件を視たときの違和感、予想は的中していた。参加者は大半その心算で、第二皇子妃の地位を目的に試験に臨んでいるのだ。道理で、装いにも気合いを入れているわけだ。だとすると条件を無視して人妻の鷺舞が招待された謎は、深まるばかりだ。

「私は全く興味が無いので、ご安心を」

「え?あっ、いや、私は違うわ! 訳あって家を出たいから、衣食住の保証に飛びついただけなの。実は」

気遣われた理由を一拍遅れてから理解するなり否定し、複雑な心境になる。此処に数多いるおなごとじぶんは、果たして違うのだろうか。妃選びも兼ねているのなら、尚更、他のひとに側近の座を譲りたくないと、燻る焔にこころを灼かれていながら認めたくない怜悧はわらって感情に蓋をした。

「そうなんですか? まあ、妃選びも兼ねていることは殿下もご存じないでしょうから、どうなることやら」

「どういうこと?」

「これは、皇太子殿下が急に決行した試験らしいです。真意までは、弟君には秘密にしているのではないかと。私の勝手な勘ですけど」

「そう……そうかもしれないわね」

確かに宵鷹が率先して側近を募る印象はなく、しかも、妃選びの手段として試験開催を希望するのは、もっと、想像できない。翡翠が語る勘は正しい気がした。怜悧は宵鷹がむやみやたらに妃を求めていないことがわかり、なんとなく気が抜けていく。すると、腹の虫が鳴った。そういえば、今日も、また何も食べられていなかった。こんなことばかりだ。美人に醜態を晒したのがひとしお恥ずかしい。怜悧は招状で顔を覆い、俯いた。

この作品に、最初のコメントを書いてみませんか?