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第10話 招状

連続死事件の後処理を終え、宮廷で経緯と結果を帝に恙無く報告まで済ませた宵鷹は、自室で長椅子に腰掛けた途端、眼前の卓に広げられている竹簡に片眉を上げた。何も出来なかった罪悪感からか悲劇で幕を閉じた事件の後味の悪さからか、或いはその両方を引き摺りながら、気怠い腕を上げ、竹簡を手に取る。記されているのは、何かの名簿だった。良家の女公主の名がずらりと並び、視線を擦り抜けていく中で、たった一行、鳥怜悧という三文字だけが眸にとまり、瞠目する。

「何だ、これは」

「検屍官試験の招待者一覧だ。一位で及第した者には、宵鷹の側近になってもらう」

言いながら扉を開き、現れたのは、兄であり、皇太子の鷹揚だった。相変わらずの眉目秀麗で、垂れぎみの眦の左下にある泣き黶さえ魅力のひとつだと女子が騒ぐのも無理ない。しかし、その都中の憧れの君子は、名の通り鷹揚に歩み寄ると甘い仮面を脱ぎ捨てた。だん、と卓を両掌で叩き、真剣に告ぐ。

「お前には補佐が必要だろう。私は可愛い可愛い弟が、いつも心配なんだ」

また始まった。宵鷹は、小声で呟く。何故なら、鷹揚は盲目な迄に弟を溺愛している兄だからだ。男兄弟の己に並々ならぬ愛着を抱き、その過保護振りを表す歴史は、宮中に轟いている。こういう人間のことを世間一般では何と言うのだったか。何と無く、四文字に略した適した表現の響きの単語が天地にはあり、怜悧なら当て嵌まる正解を知っている気がした。

「それで、検屍官を? しかも何故女子ばかり……代々検屍人の家の者というわけでもない」

「細かいことは気にするな」

女子しか載らない名簿の違和感を指摘したら、さらっと一蹴りされる。何か、まだ隠している。爽やかな笑顔に透けて視える悪巧みの片鱗に気付かぬ振りして、宵鷹は竹簡を巻く。紐で括り、鷹揚に突き返すように投げた。

「兄上。以前から言っているが、私に側近は必要ない。どんな勅命とて、ひとりで応えてきた」

「だって、だいたいがお前は屍体が苦手じゃないか! 検屍官の側近なら一助になる筈……ん? そういえば、今回はよく平気だったな」

竹簡を受け取り、尚も鷹揚は声高に喋り続けたが途中で

不意に現れた鳥影に吃驚したような表情をした。確かに言われてみれば不思議でしかなく、宵鷹は片掌で口許を押さえ、連続死事件の調査を振り返る――そう。実は、宵鷹は屍体が苦手だ。検屍ができないわけではないが、至近距離で長時間は視れない。正しく鷹の目と言われる並外れた視力と観察眼に生まれながらに恵まれたお陰で支障はないが、屍体をずっと凝視していると、ふかい、からだの奥底でなにか蠢くような独特のきもちわるさに襲われてしまい、絶望を舐めた味がくちのなかに溢れ、嘔吐したくなる。

監察司の長官でありながら情けなくも苦手な筈なのに、怜悧といたときは、武官の三人の屍体を間近で視たって平気だった。妙に、何処か懐かしい感覚に巻きつかれ、締めつけられていたこころは、乱れなかった。鳥怜悧。やはり不思議なおなごだ。彼女がいるだけで、安らぐ。

「だが……」

だが、同時に不安になる。どうしてだか、いつ消えても可笑しくないような、そんな気がして、ならなくなる。遺体安置所へ続く階段を降りていた折も、振り返ったら本当にいなくなってしまっているかとおもった。まるで以前、喪ったことがあるように。泣いたときも、勝手にからだが動いた。何故こんな出逢ったばかりのおなごに執心しているのか。あの才智に興味あるのは当然だが、他に彼女の何がそうも惹きつけてやまないのか。顔か。確かに、綺麗な造形だ。特に梟の如くまるい眼は――

「いや……」

「宵鷹、先程から真顔でぶつぶつぶつと独言を呟くのはやめなさい。こわいから」

想起した涙に濡れた眸が余りに網膜に灼きついていて、いや、顔ではなく――そう思考を訂正し掛けたところで鷹揚に竹簡で頬を突かれ、宵鷹は瞬いてから咳払いし、回想を中断する。

「兎に角、やめてくれ。私の側近候補を募るのが目的の試験など、馬鹿馬鹿しい。必要ない」

「駄目だ。先日、鳥鷺舞との噂をばら撒くのを協力しただろう。お前は私に手伝いを頼んできたとき、ひとつ、何でも言うことを聞くと言った」

「そんなことを言ったか?」

「言ったね! 私は確かに聞いた! そうではなくとも妓楼や茶楼に足を運び、何人の女子に頼んだことか! 働きに免じて懇願を聞き入れてくれたって良いだろう」

正直、宵鷹の頼みを鷹揚が断ることは先ずない。いつも二つ返事で引き受けるから、肯定のあとにその代わり、なんていう条件の提示があったなんて、適当に返事して聞き流したから失念していた。とはいっても、宵鷹には勝算があり、三白眼の奥をひからせた。言っていようがいまいが今からでも上手く頼み込めば撤回できる筈だ。この兄は、弟にめっぽう弱いのだから。よくわからない試験を開催するより、協力の礼を伝えに鳥家を訪問する時間が欲しい。断固として反対してみせる――

「反対したって無駄だ。既に招状は各家に届けさせた。それに、これは帝のご意向でもある」

「何だと?」

だが、再び口を挟むより先に手回しの進捗を言われると目論見は台無しになる。がたり、宵鷹は立ち上がった。流石に幾人もの女子の手に招状が行き渡ってから仮にも官吏を雇う、科挙と同等に値する試験を撤回するのは、憚られる。帝の許可があるのなら、詔勅が出されている可能性とて高い。これは、兄が一枚上手だと認めざるを得なかった。何が懇願だ、命令の間違いだろう。宵鷹は舌打ちした。見上げた先で鷹揚は高い位置で腕を組み、肩をいからせて勝ち誇った微笑を浮かべていた。

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