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第2話 禁足

「何の騒ぎだ?」

都を散策している道中、人集りで前へと進めなくなり、黄宵鷹は柳眉を顰めた。第二皇子兼観察使でありながら本日はお忍びで訪れており、長く伸ばした黒髪を粗雑にひとつ結びにして質素な漢服を纏っている。簡単な変装なのだが、経験上、意外と身分を隠すには最適だった。

気晴らしのつもりだった。宮廷で連続して起こっている不審死の真相を捜査しているが、正直、難航していた。死人に口なしとはよく言ったもので、屍体だけ在っても情報が少ない。すぐに解決は難しい。溜息を吐きながら人輪の中心を覗く。何やら事件らしい。侍女と思わしき刺屍体と姉妹らしきふたりの会話から察するに、侍女は刺死。姉が殺害したのだと、妹が言い張っている。名に聞き覚えがあった。寧遠伯爵の鳥家の娘の、怜悧と鷺舞だろう。妹の鷺舞が才女だと風の噂で聞いたが――

「随分と印象が違うな」

ぽそり、独り言ちる。鷺舞が怜悧を犯人だと言うには、尤もらしい理由がひとつもない。自身の目撃証言のみで押していた。無理があるが、確証のない発言でも大勢が聞いており、味方をしていたら、釈明するのは難しい。白綾が出てきたとき、これは不味いとおもった。だが、口を挟む隙はなく、流れは一変した。

「証拠はあるの?」

そんな一言を皮切りに今の今まで不利だった筈の怜悧が推理を繰り出し、逆転したのだ。気付いたら、此の場に立ち会った人々は掌を返し、冷静で的確な検屍に基づく論理に感動していた。怜悧のその眼は、追い詰められた獣のような不思議な強いひかりに満ちていて、けれど、潔白を証明したあとに涙を流した。その涙を視たとき、宵鷹は、眸をおおきく瞠った。こんなことは、はじめてだった。そう、はじめて。本当に初めてなのに、まるで懐かしい宝物を確かめるように、瞬きすら恐れるように凝視してしまう。網膜を縫いとめられたようにそこしか視えなかった。 そのひとの輪郭だけが鮮明で、四辺が、揺らいだ。いちど、逢って、話がしたい。ただ、そんな衝動だけが急速に膨れあがり始め、手を伸ばし掛けて、足を踏み出しそうになって、どん、と、ひとにあたり、夢から醒めたきもちになり、手足を引っ込めた。


――


「ああ!怜悧でしたら、離れの薪小屋にて禁足を命じております故、ご安心を」

「は?」

おもわず口から飛び出た一音が低すぎて、宵鷹は口許を片掌で覆った。此処は鳥家。眼のまえで瞬いているのは鳥家当主、鳥易知だ。あの侍女殺しの事件の翌日である今日此の日、宵鷹は怜悧を訪ねるべく鳥家に足を運んだというのに、出迎える人々のなかに怜悧は見当たらず、居場所を問い掛けたら頓珍漢な返答で、驚愕したところだった。鷺舞と怜悧の父でもある易知は、宵鷹の反応に返答を間違えたことくらいは察したのか、挨拶の拱手は崩さないまま、恐る恐る問い掛けてくる。

「殿下は、鷺舞に逢いにきたのではないのですか?」

「いや、違う」

どうして鷺舞の名が出るのか甚だ疑問だったが、易知がおとこの尋ね人は鷺舞を呼ぶからてっきり、と付加して謝罪したものだから、すぐ納得した。仮にも第二皇子が夫を持つ娘を訪ねにきたと思い込んだのはある意味では失礼だが、それより遥かに怜悧が禁足を命じられている理由が気になったからだ。

「何故、彼女を禁足に?」

「昨日侍女が殺された事件があったでしょう。あんなに人前で騒いで大事にしてお恥ずかしい!無実だったとはいえ、疑われる側にも問題があるのです。だから」

「もう良い」

首を振ったら、は、と易知は慌てて頭を下げた。大勢を巻き込んで騒ぎ、大事にした挙句に冤罪で恥じるべきは鷺舞だが、鳥家では認識が違うらしい。聞いていると、腹がもぞもぞしてきて不快だった。案内も結構と断り、位置を聞いた薪小屋へ赴く。

途中、見掛ける侍女達の噂話は、専ら何潔の殺人事件の真相に関するものであった。あのとき、鷺舞の横にいた武官が腕を隠していたのを視た者がいたことから自然と話が広がっているようだ。浮気現場を目撃された鷺舞が愛人であったその武官に頼んで何潔の首を絞め殺したのではないかと、おそろしいと、話しては、宵鷹が通れば拱手してそそくさ一斉に立ち去る。成程、未だ憶測だが侍女達は易知よりは余程に真実を捉えていると言えた。其処で、疑問が浮かぶ。怜悧は勿論わかっていた筈だ。あの場で真犯人と疑わしき人物を指摘しなかったのは、何故だろう。

医学の心得があるのか? 何処でその観察眼を養った? 師はいるのか? 一つ疑問が浮かぶと二つ三つと次々に聞きたいことばかり浮かんでくる。

「怜悧姉様はどう?」

「仰せの通りにしてあります」

向かいからふたり、ひとが歩いてくる。その内ひとりに宵鷹は見覚えがあった。鷺舞だ。もうひとりは察するに侍女だろう。ふと鷺舞と視線が合うと明るく破顔され、拱手し合った。何処かで話したことがあっただろうか。一度や二度くらいはあったかもしれない。いずれにせよ記憶に残らない程度なら、面識があるとも言い難いが。

「殿下、何故こちらに?」

「彼処の薪小屋にいるという、爪を隠した鷹――いや、梟に用がありまして」

敢えて直接的に答えなかった。本来ならば鷹の諺だが、怜悧は知を象徴する梟の印象があり、咄嗟に言い直す。伝わろうと伝わらまいと、構わないからこその比喩だ。

「怜悧姉様に? どうして……」

「それは……」

何故か。言い淀んだ。理由など、宵鷹にもわからない。見事な推理力を発揮した怜悧に宮廷の事件の調査協力を頼みたいという心算はある。しかし、それは今一考して急に頭から引っ張り出したような、まるで陳腐な口実に感じた。ただ、逢いたい。話したい。昨日からの衝動を単純に引き摺り、気付けば鳥家を訪ねていただけだと、説明するなら、それが簡単で正しいのだろう。しかし、何故そうおもうのかは答えが言葉として形づくれない。

「すまない。急を要する故、失礼する」

結局、宵鷹は唐突に会話を切る。これ以上留まるには、興味の矛先が怜悧にしかないので、時間が惜しかった。足早に鷺舞の横を通り過ぎる。後ろのほうから、ち、と微かな鳥の囀りにも似た音がしたが、それさえ、鼓膜を擦り抜けていった。


――


辿り着いた薪小屋は木板が斜めに立てられ、外からしか扉が開かないようにされていた。これが禁足? 監禁の間違いだろう。おもいながら、宵鷹は木板を退かして、声を掛ける。ところが可笑しい。返事が無い。手の甲で扉を叩いたが、無反応だ。扉に耳を宛てると、ごとり、鈍い音がした。

「鳥怜悧?失礼する、……っ、おい、大丈夫か」

扉を開けると、怜悧が屍の如く倒れていた。駆け寄り、薬指、人差し指、中指を手首に宛てる。三指にとくとく一定の間隔で鼓動を伝えてくる脈拍に宵鷹は脱力した。大丈夫、大丈夫だ、ちゃんと、生きている。意識の無い怜悧の顔色は蒼白としていて、間近で視ると鮮藍の衣を纏う身は、おもっていたり、ずっと細い。食事を摂っていないのだろうか。ふと、鷺舞と侍女の会話が、脳裏に浮かんだ。

――怜悧姉様はどう?

――仰せの通りにしてあります。

もしかしたら、鷺舞の指示で、今日の朝餉や昼餉は疎かずっと何も食べさせてもらえていないのかもしれない。何故このような酷い扱いを受けているかは知らないが、つまり誰かひとを呼んだところで鳥家では適切な処置は期待できないだろう。ならば、今直ぐ、みずから医家に運ぶしかない。思い切った宵鷹は、怜悧の痩躯を両の腕で抱き抱えた。

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