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鳥の涙
シュネッケ
異世界恋愛和風・中華
2024年08月26日
公開日
31,883文字
連載中

前世では優秀な法医学者だったが、何者かに殺され、架空の古代中国に転生した鳥怜悧。
ある日、妹の鳥鷺舞に侍女殺しの濡れ衣を着せられそうになる瞬間、前世の知識が蘇り、冤罪を証明する。
第二皇子の黄宵鷹に出逢ったことを切っ掛けに舞い込む事件を解決する中で、忘れていた前世の記憶を思い出し始める。
前世で出逢った者に今世で再会し、絡みあった因果と謎を解いていく。

【毎週火曜日に更新予定!】

※本作品はネオページ公式様から一部アイデア提供されています。

第1話 白綾

法医学者とは。解剖や薬毒物検査で真実を医学的に暴き、犯罪や事故の再発防止に取り組む仕事だ。毎日、ひとの死に触れる。何らかの疑いがある屍体を解剖することにより、犯罪に巻き込まれたのか、他殺か、又は自死か。正しく判定する。その正しさは、時に残酷だ。誰もが、本当のことを知りたいわけではないからだ。恨まれ易い職業なのは、理解していた。だから、不思議と、驚愕はなかった。そう、歩き慣れたいつもの帰り道、背後から誰かに首を絞められたとき、仕方ないとおもった。

それでも、仕方がなくても抗いたかった。喉が苦しく、藻掻いて、暴れて。けれど、酸素の回らない脳が痺れ、腕も足も急速に感覚が失われていき、意識が途絶えた。


――


怜悧リェンリー姉様の恥知らず!」

そんな前世を、白綾で頬を叩かれた瞬間に思い出した。はらり、細長く白い絹が落下していく。酷い金切り声で恥知らず呼ばわりされた怜悧姉様こと寧遠ニンユエン伯爵のニャオ家の長女、鳥怜悧ニャオ・リェンリーは瞠目したまま暫く放心した。叩いたのは鳥鷺舞ニャオ・ルーウー、何と妹である。因みに、前世は日本という国で生きていたが、此処は、古代中国によく似ている世界、とある大国の都だ。

異なる時代、異なる国で法医学者であった前世の膨大な記憶が一気に駆け巡り、怜悧は、既に回りまくっていた頭を一層回転させる。現在の状況を整理した。

事の発端は、堀の外で刺屍体が発見されたときに遡る。人集りができていたので、怜悧も其の場に足を運んだら集っていた男女が一斉に退いて道を開き、首を傾げた。口許を袖で隠し、小声で何事か喋りながら憐憫か嫌悪かどちらとも判断が難しい眼差しで此方を視てくる人々が囲んでいる中心には、筵を捲られ、腹部から血を流し、薄汚れた襖裙を纏った屍体。傍らに、鷺舞とその愛人と噂される武官がいた。武官の名前は覚えてもいないが、屍体には見覚えがあった。何潔ハー・ジェ。鷺舞の侍女だ。働き者だった。良く言えば自由奔放で、悪く言えば我儘放題な鷺舞によく振り回されていたが文句一つ言わずに従い、身辺の世話をしていた。その潔が、どうして。戸惑っているうちに鷺舞に指さされ、声高々に叫ばれた。昨夜、怜悧姉様が潔と揉み合っているのを視た、と――そう、仮にも妹にあろうことか人殺しの冤罪を擦り付けられてしまったのだ。勿論、怜悧には全く以て身に覚えがなく首を振って否定していたら、投げつけられた白綾が強く頬を打ち――現在に至る。

「白を切るつもりね、みっともない!罪を犯したなら、償うべきでしょう」

あくまで、何が何でも怜悧が認めるまで叱責するつもりなのか。鷺舞は延々と捲し立て、睨んでくる。怜悧は、無言で足許の白綾を視た。実は、白綾を与えるのは此の国では先祖を辱められるくらいの侮辱である。ただ贈るだけならば然程問題ないが、この場合は罪を償えと言っている。そうなると、つまりは自裁の道具を与え、賜死を受けるように強制しているに等しい。妹なのに、姉である怜悧より身分が上であるような主張にもなり、失礼千万だ。

以前の、否、数秒前の怜悧ならば従って自決を選んだのだろう。走って、近くの大木に白綾を巻き付け、括り、長く白い絹で結び目の輪をつくり、頸を入れ、きっと、死後に無実が証明されることを祈って死ぬ。その心象がずっと消えないのだから、一瞬、怜悧は確かに絶望して死のうとしていたのだ。けれど、今は違う。

「証拠はあるの?」

抗いたい。仕方ないなんて、もう思わない、思えない。前世の最期の瞬間と感情が交ざり合ってひとつになり、意思が明確になった怜悧は、静かに反論した。それは、周りの喧騒に埋もれてしまいそうな声量だというのに、野次馬どころか鷺舞をも黙らせた。怜悧が言い返すとは誰もが予想していなかったのだ。

「証拠? だから、私が昨夜、確かに視たと」

「私は昨夜、貴方に預かった郭公グオ・ゴン様の破れた衣を繕っておりました。一歩も外に出ていません」

我に返ってから目撃証言をせんとする鷺舞の声を遮り、怜悧は事実を淡々と紡ぐ。一部の侍女が、どよめいた。公は鷺舞の夫だ。夫の衣を姉に繕わせているのにも吃驚したのかもしれないが、鷺舞は器用で裁縫と刺繍の腕前は見事だと公は疎か鷺舞本人も誇っていたのだから、自慢を知る侍女は違和感を覚えたのだろう。実際には、鷺舞が受けた針仕事の類は頼まれた怜悧が行っていた。嫌々ではなかった。腹違いとはいえ、姉を頼ってくれているなら嬉しかった。可愛らしい妹の頼みなのだから、聞いていた。思えば、面倒事だけ押し付けられていたに過ぎないのかもしれない。

振り返れば、鷺舞は幼い頃からいつも、そう、だった。上手くいかなかったり、壊してしまったり、しでかした問題を怜悧に責任転嫁してきた。家族も鷺舞を優先し、溺愛する。功績は怜悧のもの、逆に失態は鷺舞のもの。これが鳥家の常だ。鷺舞の失態を庇って、父に鞭打ちや禁足の罰を与えられたのは一度や二度ではない。姉とはそういう役割だと思い込んでいた。怜悧は甘えていて、悪気はないのだと、信じていた。暗に死ねと、はっきり伝えられなければ、嫌われ、虐げられていたことにすら気付かなかった鈍感さが情けない。怜悧は、ひそやかに自嘲する薄笑いを浮かべた。

「う、嘘よ!そんなこと、頼んでないわ!」

「あ、それに関しては真偽は如何でも良いの」

さ、と片掌を視せた怜悧が淡々と持論を拒むと、鷺舞は双眸をぱちくりとさせた。そのおおきくまるい眸には、怜悧はどう映っているのだろう。急に可笑しくなった、もしくは、ひとが変わったかのように視えているのかもしれない。

衣の件は、怜悧にとって本当に如何でも良かった。既に衣は手元にはなく、侍女に託したので、公が受け取っているだろう。言った言ってない、頼んだ、頼んでないは水掛け論になる。殺人の、現場不在証明にはならない。怜悧は、ただ無罪を主張したいだけだ。だから、もっと確かな証拠を集めるべく屍体に歩み寄る。踞んで刺創を視て、刺入口の幅から凶器を推測しながら至近距離から全身を観察してみたらふたつだけ引っ掛かる点があり、おもわず前世からの癖で首を傾げる。先ず、ひとつ目の違和感は頸部だ。

「吉川線……」

小さく呟く。吉川線とは、絞頸された人間の頸部に認められる表皮剝脱だ。 絞殺、又は扼殺されようとした際に縄や腕を解こうとするなど抵抗したことにより自らの頸の皮膚にまで爪を立てて、掻き毟ってしまうことにより生じる、防御創。それが潔の頸には残っており、青黒い扼痕も浮かんでいた。吉川線の有無は自殺か他殺かの重要な判断基準にもなり、怜悧も前世ではよく視た。これがあるということは、そもそも刺殺ではなく、扼殺では?

「首を絞められた痕と引っ掻き傷があります」

「だから、何? そんなの、揉めている内に怜悧姉様が何潔の首を絞めたのでしょう。それから……」

「刺した、と、言いたいのね」

指摘したあとの鷺舞の返答は予想通りで、怜悧は咄嗟に見透かした言葉の先を代わりに吐くことで奪う。ぐ、とくちびるを噛んだ鷺舞の肩を横にいる武官が抱き寄せ、庇うのを後目に怜悧は検屍を続ける。屍体の瞼をそっと親指で開いたら、窒息死によく見られる溢血点が結膜にあった。やはり絞殺で間違いないだろう。死因を改めて特定してから引っ掛かっていたふたつ目、爪を凝視し、頷いた。爪の奥に付着した、凝固している赤黒い血液。皮膚らしき断片。十分な証拠に成り得る。

「いいえ、私は無実です」

言い切り、怜悧は立ち上がる。両手指を頭上に上げた。唐突な万歳の姿勢に周りが呆気に取られ、沈黙する。

「これは、刺殺ではなく扼殺。しかも、何潔はこんなに首に引っ掻き傷を残すくらい激しく抵抗した。爪に付着しているのは、犯人の血でしょう。もし私がそうなら、腕に怪我をしているのでは?」

首と爪にある痕跡は、抵抗した証拠だ。痕が残るのは、屍体だけではない。潔を襲い、抵抗された側、犯人にも必ず刻まれる筈だ。怜悧の纏う鮮藍の襖裙の袂は重力に従い下がり、傷一つない肌を晒している。

「確かに……」

「一理ある」

集まる人々が小声でこそこそ喋る声が、同意を示した。此の場の者は怜悧の推理に納得し、頻りに頷いている。こうなれば、無実が証明されたに等しい。客観視可能な視認できる証拠は、他人を動かす力がある。有り難い。

「もし今腕に傷がある人がいれば犯人かもってこと?」

「ちょっと! 恐ろしいこと言わないで!」

人々の注目は真犯人捜しに移る。腕に傷、という言葉に鷺舞と共にいる武官が弾かれたように袂を振って自らの袖を引き、腕を隠した。怜悧は視ぬ振りして、ざわざわ憶測が飛び交う中でへたり込む。刺殺に見せ掛けられた理由や引っ掛かることは多々あるが、兎に角、いまは、命拾いした安堵がおおきい。少なくとも、もう自決する流れにはならないだろう。

「……苦しかったわね」

屍体の鬱血している顔の輪郭を辿り、瞼を指で撫でた。その言葉は果たして、潔に言ったのか。はたまた嘗ての法医学者に言ったのか。怜悧にも、わからなかった。

ただ瞼から溢れた熱い粒が流れ、頬に一筋、線を描く。何処かで鳥の羽搏く音が、鼓膜を掠めた。 

このとき、怜悧は、周りが視えていなかった。だから、知らなかった。このことがとある人物に目撃されていたことも、これから、事件に追われる日々になることも。

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