ゴトゴトと揺れる馬車の中で、ブラッドリーと向かい合わせに座っていた。
「へ〜」
馬車の中から外を見下ろし、思わず感嘆の声を上げてしまう。
この世界はひょっとすると19世紀頃のヨーロッパに近い時代なのかもしれない。
町の中は馬車と自動車が入り混じっていた。
路面は石畳で出来ていて、路を挟んで左右に立ち並ぶ建物はレンガ造りで何とも風情がある町並みだ。
道行く人々も、それこそシャーロック・ホームズの時代に登場する人物たちのような洋服を身につけている。
この景色を妹にも見せてあげられたら良かったのにな……。
僕が死んでしまった後、1人残された妹はどうなったのだろう?
ふと、妹のことが脳裏に浮かんだ。
僕は将来的な事を考えて、高い生命保険に加入していた。
多分死因は過労死。
会社から労災もおりたかもしれないし、何より高額な生命保険は受取人を妹にしておいたから、お金には苦労はしていないかもしれないけれど……。
「どうせ死ぬなら……妹が結婚するまでの間は生きていたかったな……」
つい、口に出してしまった。
「ん? お前、今何か口にしたか?」
向かい側に座るブラッドリーが尋ねてきた。
「いや? 何も言っていないけど?」
「そうか……? まぁ別にいいか。それよりアドルフ。お前、何だって突然急に勉強なんか始めたんだよ」
ブラッドリーが足を組み、窓枠に肘をついて顎に手をやると尋ねてきた。
「それは学生の本分は勉強だからね。当然じゃないか」
「はぁ? お前、本当に何言ってんだよ? やっぱり馬に蹴られて頭がおかしくなったんじゃないのか?」
「いやいや、今までの僕がおかしかったんだって。折角親に学びの場を与えて貰えているんだから、親の期待に応えて勉強するのは当然だろう?」
「お前、本当にどうしちまったんだよ? 本当に本物のアドルフなのか?」
突然核心をついた質問をされ、ドキリとした。
「当然だろう? この世には僕1人しか存在しないよ。本物に決まってるじゃないか?」
「何だ、それ?意味が分からん」
うん、そうだね。
僕自身、自分で何を言ってるか意味がよく分かっていないのだから。
「まぁ別にいいか。ところでアドルフ。お前、記念式典パーティーは誰と出席するんだよ。まさかエディットじゃないだろうな?」
初めてブラッドリーにエディットのことを尋ねられた。
「うん、そのまさかだよ」
もう、申し込んでしまったから今更断れない。
「げっ! マジかよ! お前、あれだけエディットのことを毛嫌いして虐めていたじゃないか。俺より頭のいい女は可愛げがなくて気に入らないって」
え?
今の言葉はとても聞き流せたものではなかった。
「ブラッドリー、ひょっとして……僕がエディットを毛嫌いしていたのは彼女が僕よりも頭がいいから……だったのかい?」
「何だよ? お前が自分でそう言ってたんじゃないか? それとも他に何か理由があるのか? 俺はそれしか聞いていないぞ? 全く自分で理由が分からないのか? 呆れたやつだ」
彼に呆れられてしまった。……と言うか、自分で自分に呆れてしまった。
何だそれ。そんなくだらない理由で僕はこの世界の、よりにもよってヒロインを毛嫌いし、虐めた挙げ句に追放されてしまうのだろうか?
「そ、そんな馬鹿な……」
再び、頭を抱えていると突然ブラッドリーが声をかけてきた。
「おい、アドルフ。窓の外を見てみろよ!」
手招きして僕を呼ぶ。
「え? 一体何だって言うんだい?」
「ほらほら、見てみろよ。あの女の子たち、中々いいじゃないか。おい! ちょっと馬車を止めてくれよ!」
ブラッドリーは大きな声で御者に呼びかけると、馬車はすぐに停車した。
「ほら、あの2人だって。見えるだろう?」
ブラッドリーの視線の先をたどると、そこには僕達と同じくらいの年代の2人の女性が楽しげに話をしながら歩いている。
彼女たちの着ている服装を見る限り貴族と思われた。
「何? 彼女たちがどうかした?」
「どうかしたって……。ほら、いつものように釣りに行こうぜ」
「は? 釣り?」
釣りって……まさか魚釣りにでも行くつもりなのか?
「このあたりに川でもあるのかい?」
大真面目で尋ねると、ブラッドリーは呆れ顔で僕を見た。
「はぁぁぁああ〜!? お前、何言ってんだよ? ここで釣りなんか出来るはずないだろう!? 俺が言ってるのは、あの子達を釣ろうって意味なんだよっ!」
ブラッドリーは興奮していたのか、思い切り大きな声で2人の女性を指さした。
その声は町行く人達の耳にも入り……当然、彼女たちの耳にも届いた。
ブラッドリーに指さされた上に、自分たちを釣ろう? としていた事に気付いた女性たちは思い切り侮蔑の表情を何故か僕にまで向けてきた。
そして、何かコソコソと2人で耳打ちし合うと足早に立ち去ってしまった。
「あ〜あ……。行っちまった……」
心底残念そうな様子のブラッドリーは僕に文句を言ってきた。
「おい! アドルフッ! お前のせいで逃げられちまっただろう!?」
「え!? 何で僕のせいなんだよっ!」
全く訳が分からない。
「元はと言えば、お前が『このあたりに川でもあるのかい?』なんておかしな事を尋ねてきたからだろうが!」
ブラッドリーは器用に僕のモノマネをしながら怒りをぶつけてくる。
「そんなの知らないよっ! 元はと言えばブラッドリーが釣りに行こうなんて紛らわしい言い方をするからじゃないかっ! 第一僕はナンパなんてする気はこれっぽっちも無いんだよ!」
そうだ、ナンパする暇があるなら家に帰って試験勉強をしていたほうが余程有意義だ。
「あぁそうかよっ! やっぱりお前、口では何だかんだ言いながらエディットのことが気に入ってるんだろう!?」
「え!? それは違うよ!」
大体僕はこの世界では追放される悪役で、エディットには真の相手がいるんだから!
「何が違うんだよっ!」
その後も、しばらくの間、僕とブラッドリーは停車した馬車の中で不毛な口論を繰り広げるのだった――