翌朝――
「う~ん……」
ベッドの中で大きく伸びをし、清々しい気分で目が覚めた。ベッドサイドに置かれた時計を見れば時刻は午前6時半を差している。
「しまった、つい前世の記憶通りに起きてしまったぞ」
土日は毎日僕の食事を用意してくれる妹の為に代わり食事を作ることなっていた。
どうやら前世の記憶と今世の記憶が混同している為に身体が追いついていないのかもしれない。
「まぁ、いいか。早起きは三文の徳と言うからね」
ベッドから起き上がり、ルームシューズを履くとクローゼットに向かった――
着替えを終え、部屋の換気をするために窓を開けたところで突然部屋の扉が開かれた。
ガチャッ
ん? 誰だろう?
振り向くと、そこには真っ青な顔をした若いフットマンが立っていた。彼はタオルに水の張った洗面器を手にしている。
「あ、おはよう。タオルと洗面器を持ってきてくれたんだね?そこのテーブルに置いておいてくれればいいよ」
部屋の中央に置かれたテーブルを指さした。
すると、フットマンは洗面器を手にしたまま90度の角度で下げてきた。
「も、申し訳ございませんアドルフ様っ! いつもですとこの時間はいくら扉をノックしても返事が返ってきませんので、お部屋に黙って入らせて頂いておりました。そ、それがお目覚めになっていたなんて……。いえっ! こんなのは単なる言い訳でしかありませんっ! どうかお許し下さいっ! ク、クビだけは……か、勘弁して下さいっ!」
年若いフットマンは哀れなほどにガタガタと震えている。
そして手にしていた水の張った洗面器も当然揺れ……ピチャンピチャンと水が跳ねてフットマンの身体にかかったり、床に染みを作っている。
そうだった……。
記憶が戻る前の僕はほんの少しでも気に食わないことがあれば、簡単に使用人たちをクビにしていたっけ……。
本当に僕は何て酷い人間だったのだろう。
「大丈夫だよ、クビになんかしないから。まずは落ち着いて洗面器をテーブルに置こうか?」
「は、はい……」
ぎこちない動きでフットマンは半分近く水がこぼれてしまった洗面器をテーブルの上におき、水の飛び跳ねているタオルもテーブルに置き……悲鳴を上げた。
「うわあああっ! す、すみませんっ!」
「な、何!? どうしたのっ!?」
その声に心臓が飛び跳ねた。
「あ……タ、タオルが……。アドルフ様の為にご用意したタオルが……ぬ、濡れてしまいました……」
フットマンは涙目になって僕を見る。
いやいや、君のほうがよほど服が濡れているから。
「そんなこと気にしなくていいよ。びしょ濡れなら問題はあるかもしれないけど、その程度の濡れ具合なら問題なく使えるからさ。それより、君のほうが余程濡れているよ。すぐに着替えてきたほうがいいよ」
「で、ですが……洗面器の水もこんなに減ってしまって……」
うん、そうだね。
床の上もかなりこぼれた水で濡れているけど……気付いていないようだし、気の毒なので黙っていよう。
「大丈夫だよ、それだけの水があれば顔ぐらい洗えるから。後、もう今日で洗面器を持ってくるのは終わりにしていいよ。自分のことくらい、自分でするから」
「えっ!? そ、それでは……わ、私はお役御免ということでしょうか……?」
どうやら僕の言葉をクビと取ってしまっているようだ。
「違う、違う。僕の世話は焼かなくていいよって意味だよ。だから今日からは別の屋敷の仕事をしてくれればいいよってことだよ」
何しろ彼は僕のことをものすごく怖がっていたからね。
僕の世話は相当プレッシャーだったに違いない。
「わ、分かりました……! ありがとうございますっ!」
彼は頭を下げると、まるで逃げるように走り去ってしまった。
……僕のこの屋敷での評判はすこぶる悪いからな……。どうか彼が僕の良い噂を流してくれないだろうか……?
そんな事を願いつつ、僕はフットマンの用意してくれた洗面器で顔を洗った。
「ふ〜さっぱりした」
湿り気のあるタオルで顔を拭いて、時計を見ると時刻はもう7時になろうとしていた。
「7時か……」
呟いた途端……。
ぐぅう〜。
おなかの虫がなった。
「う〜ん……昨夜は5日ぶりの食事ということで、スープしか口にしていないからな……」
今からダイニングルームに行ってみよう。
そして、僕はダイニングルームに向かい……ある事実を知ってしまう――