巻ノ百十七 茶々の失政
大坂は相変わらずだった、茶々ばかり言い誰も彼女の言うことに逆らえず止められなかった。
それは今もでだ、茶々はこんなことを言っていた。
「大坂は別じゃ」
「幕府とは違う」
「そうだというのですな」
「そうじゃ、何故幕府に従わねばならん」
こう言うのだった。
「近頃寺社への普請への銭は出しているがじゃ」
「それはですな」
「あくまで神仏の為のもので」
「幕府、大御所様から勧めのお言葉がありましたが」
「それでもですな」
「従ってではない」
決してというのだ。
「妾がよしと思ったからしていること」
「だからですな」
「これはよい」
「左様ですな」
「銭なぞ幾らでもある」
大坂にはというのだ。
「それで徳を積んでじゃ」
「その徳で、ですな」
「右大臣様をさらにですな」
「高い位に就いてもらう」
「右大臣以上に」
「そういうことじゃ、天下人つまり関白になって頂く為に」
秀頼、今隣にいる彼を見て言った。気付けばその大きさは途方もないまでになり父秀吉よりも祖父の浅井長政に似ていた。
「よりじゃ」
「天下人に相応しい徳を積み」
「そうしてですな」
「そのうえで」
「関白、そしてですな」
「太閤に」
「なって頂く、そしてじゃ」
茶々はさらに言った。
「幕府は切支丹を禁じたな」
「はい、これをです」
「天下に命じております」
「切支丹を信じてはならぬと」
「伴天連の者達は国から出せと」
「その様に」
「それはせぬ」
はっきりと言った。
「大坂ではな」
「では、ですな」
「切支丹を認め」
「そうしてですな」
「伴天連の者達がいてもよい」
「そうしますか」
「そうじゃ、何故幕府に従わなくてはならぬ」
茶々の言葉は断固としたものだった。
「だからじゃ」
「しかしです」
ここでだ、片桐が眉を曇らせて茶々に申し出た。
「幕府にとっては」
「このことはか」
「はい、絶対とのことなので」
だからだというのだ。
「こればかりは」
「天下人はどちらじゃ」
茶々はその片桐に目を怒らせて問い返した。
「それは」
「それは」
「こちらであろう」
こう片桐に言った。
「そうじゃな」
「だからですか」
「今は源氏長者であったか」
茶々は家康の朝廷の今の立場を述べた。
「そうであったな」
「左様です」
「では長者殿と呼ぶ」
家康、彼をというのだ。
「長者殿の言葉に従う道理はないわ」
「だからですか」
「わらわは切支丹を認める」
はっきりとだ、再び言った。
「そしてじゃ」
「伴天連の者達もですか」
「自由に教会を置いてもよいしじゃ」
それにというのだ。
「その知恵もな」
「仕入れていくのですか」
「そうせよ、よいな」
「しかしです」
片桐は茶々にさらに言った、その切支丹のことを。
「切支丹は太閤様もです」
「知っておる、認めておられなかったな」
「禁じられました」
このことを言うのだった。
「本朝を乗っ取ると言われて」
「そうであったな」
「ですから」
「その様なことが出来る筈がなかろう」
茶々はあくまで豊臣家の力を信じていた、そしてその力は絶対と考えていた。だからだった。
片桐にだ、こう言ったのだった。
「豊臣家、そして豊臣家が従えている大名達の力でじゃ」
「乗っ取らせぬと」
「比叡山も本願寺も抑えてきたではないか」
そうした力のあった寺の話もした。
「ならばじゃ」
「切支丹達が何をしようとも」
「そうじゃ、動じることはない」
だからだというのだ。
「切支丹達を認めてもな」
「そして伴天連達を天下に置いても」
「何もないわ」
そうはさせないというのだ。
「思うが太閤様のあれは杞憂であられたわ」
「杞憂ですか」
「わらわも切支丹の者に会うておる」
大坂城に来た者達とだ、会って幾らか話をしたこともあるのだ。
「それでわかったがな」
「悪い者達ではないとですか」
「そうじゃ、だからな」
「切支丹を許し信仰もですか」
「許す」
そちらもというのだ。
「大坂では自由じゃ、他の神仏に何もせぬならな」
「それでは」
「認めよ」
こう片桐に言う、片桐はさらに言おうとしたが周りの女御達がその彼を目で制したのでkれ以上は言えなかった、だが。
彼は自身の部屋に戻るとだ、彼の家臣達に言った。
「これは危ういぞ」
「切支丹を認めることは」
「そのことは」
「切支丹の中には確かによい者達もおる」
茶々が会った様にというのだ。
「実際にな、しかしな」
「坊主や神主達と同じくですな」
「悪い者達もおる」
「だからですな」
「そのこともわかっておき」
「さらにですな」
「あの者達は他の神仏を認めぬしじゃ」
何故秀吉が彼等を禁じたのか、片桐は彼の傍にいたことから知っていてそれで言うのだった。
「しかもな」
「民を本朝の外に売り飛ばし奴婢として使う」
「だからですな」
「到底認められぬ」
「あの者達は」
「幕府もそうしておる、それを幕府への反感をもとに認めれば」
それこそというのだ。
「豊臣家の一大事となる」
「全く以てです」
「これは恐ろしいことですぞ」
「流石の幕府もこれは認めませぬ」
「どう考えましても」
「そうじゃ」
まさにというのだ。
「だからじゃ」
「このことはですな」
「お止めせねばなりませぬな」
「何としても」
「豊臣家の為に」
「幕府は当家にはかなり大目に見てくれておるが」
やはり気を使っているのだ、このことは片桐もわかっている。
しかしだ、その幕府ひいては家康でもというのだ。
「これだけは別じゃ」
「民を奴婢として使いますし」
「本朝を乗っ取ろうとも考えているとか」
「そうした者達なので」
「認められる筈がありませぬな」
「そうじゃ、幕府も禁じたのはな」
幕府が開かれてから暫くの時を経てだ。
「やはりじゃ」
「あの者達が危ういと見極めた」
「だからですな」
「認めぬとした」
「これは天下の絶対の法じゃな」
「民を売り飛ばし奴婢として使いしかも国ごと乗っ取るなぞ言語道断じゃ」
まさにとだ、片桐は言った。
「だから当家もじゃが」
「しかし茶々様は」
「どうしてもです」
「わかっておられませぬな」
「切支丹のことも」
「これは危うい」
片桐はまたこう言った。
「若し豊臣家が切支丹を認めると」
「幕府もですな」
「流石に認められず」
「何としても止めようとして」
「戦ですな」
「それになりますな」
「そうなる」
そのことが危惧されるというのだ。
「だからな」
「何としましても」
「茶々様をお止めしなければ」
「今回ばかりは」
「何としても」
「そうじゃ、わしもな」
片桐も必死だ、その顔で彼の家臣達に言う。
「もう一度じゃ」
「茶々様にお会いして」
「そしてですな」
「何としても考えを変えて頂く」
「そうしてもらいますか」
「豊臣家の為にな」
是非にとだ、こう言ってだった。
彼は次の日早速だった、茶々の前にだった。
出てだ、実際に言った。
「お話があります」
「何じゃ」
「はい、切支丹のことですが」
すぐにこの話を切り出した。
「思い止まって頂けませぬか」
「認めることをか」
「はい、是非」
「何故じゃ」
茶々はその整っているがそれだけでしかない、しかしかなり強い光を放つその目で片桐を見据えて問うた。
「それは」
「はい、やはりです」
言う理由は考えていた、実際とは違うそれを。
「太閤様の政ですから」
「それを変えることなくか」
「いくべきかと」
「それはよい」
茶々は片桐の言葉に怒った目で返した。
「昨日わらわが言ったな」
「幕府に従わぬ」
「それにあの者達はな」
会った伴天連の者達もというのだ。
「悪しき者ではない、ならばな」
「認めてもですか」
「よい」
こう見ているからだというのだ、茶々自身が。
「だからじゃ」
「それでは」
「切支丹は認める」
この考えを変えなかった。
「わかったな」
「左様ですか」
「何故豊臣が徳川に従わなくてはならぬ」
何故そうするのかをだ、茶々は強く言った。茶々にとって何といってもこのことが最も強いことだった。
「その謂れはないわ」
「だからですか」
「そうじゃ、認める」
あくまでこう言うばかりだった。
「これ以上この話はせぬ」
「しかし」
「片桐殿」
もう一人の執権と言ってもいい大野が片桐を咎める目で見て来た、出した言葉もそうしたいろだった。
「茶々様のお考えですぞ」
「だからですか」
「これ以上は如何かと」
「左様、茶々様でありますぞ」
今度は大野の母であり茶々の乳母であった大蔵局が言ってきた、茶々の周りの女御衆の筆頭である白髪であるがまだ整った顔立ちの女だ。
「これ以上はなりませぬぞ」
「左様、片桐殿はどうも」
「お口が過ぎまする」
大野の二人の弟達も言ってきた、まだ若い重臣の一人である木村重成も咎める目で見て来ている。
「ここはです」
「慎まれるべきかと」
こう言う、すると彼も彼と同じ思いの者達もだ。
これ以上は言えなかった、これで切支丹のことは決まったが。
その話を駿府で聞いてだ、崇伝は呆れ果てた顔で彼の弟子達に言った。
「これは駄目じゃ」
「豊臣家は」
「茶々様は」
「まさかとも有り得るやもとも流石にとも思っておったが」
しかしというのだ。
「やってしまわれたな」
「切支丹をですな」
「認められた」
「そうされましたな」
「あれだけはじゃ」
まさにというのだ。
「幕府としてもな」
「看過出来ませぬ」
「幾ら何でも」
「他のことは大目に見られても」
「このことは」
「どの家がしてもじゃ」
勿論豊臣家でもだ。
「駄目だからな」
「はい、それでは」
「この度のことは」
「戦ですか」
「それを覚悟しますか」
「うむ」
こう弟子達に言った。
「これはな」
「しかし戦は」
「大御所様にしましても」
「望むものではありませぬ」
「それなくです」
「ことを進めたいとのお考えですが」
「わかっておる、しかしな」
家康がそう思っていてもというのだ。
「こればかりはじゃ」
「見過ごせぬ」
「そうしたことですな」
「どうしても」
「だからですな」
「そうじゃ」
それでというのだ。
「その大御所様も言われていたわ」
「若しもですな」
「豊臣家が切支丹を認めるなら」
「その時はですな」
「戦も止むを得ない」
「その様に」
「そうじゃ、しかしそう言う方は」
切支丹と認める、その様なことを言うのはというのだ。
「先程出たがな」
「茶々様ですな」
「あの方ですな」
「あの方しかおられませぬな」
「やはり」
「そうじゃ」
まさにというのだ。
「あの方しかおられぬわ」
「大坂でもですな」
「そこまで何もわかっておられず」
「そして断を下せるのは」
「あの方しかおられませぬな」
「そうじゃ、やはりあの方がおられてな」
そしてというのだ。
「豊臣家が大坂にあるとな」
「どうしてもですな」
「問題がありますな」
「どうにも」
「左様ですな」
「大坂から出て他の国に移ってもらうのは前から思っておるが」
しかしというのだ。
「やはりそれと共にな」
「茶々様にはですな」
「江戸にいてもらいますか」
「他の大名の方々のご家族の様に」
「そうしてもらいますか」
「江戸におれば無体も出来ぬ」
幕府が直接治めるそこにというのだ。
「政も右大臣様が為される」
「右大臣様は決して暗愚ではないとのこと」
「大御所様も直接お会いしてから言われていましたな」
「ならばですな」
「切支丹もありませぬな」
「そうじゃ、そして天下の名城大坂城から出られれば」
このことも言う崇伝だった。
「篭って戦をしようともな」
「思われませぬな」
「茶々様はそうもお考えなので強気と思いますが」
「しかしですな」
「その大坂城から出られれば」
「そうした意味でもご無体はありませぬな」
「人は具足がないと中々戦の場に出られぬ」
そうしたものだともだ、崇伝は知っていて話した。
「大坂城を人が着る具足にするとな」
「恐ろしいまでの具足ですな」
「まさにどんな刃も矢も通さぬ」
「そうした具足ですな」
「鉄砲ですら通じそうにないですな」
「そんな具足を着ければ人も強気になる」
自然にというのだ。
「そうなるからな」
「だからですな」
「豊臣家には大坂城から出てもらい」
「大坂は幕府が治め」
「天下の台所としますな」
「そうする、とにかく豊臣家は他の国で国持大名になってもらい」
そしてというのだ。
「茶々様はな」
「江戸ですな」
「あちらに入ってもらい」
「静かに暮らしてもらいますか」
「切支丹のことは取り消してもらってな」
そのうえでというのだ。
「そうしてもらう、切支丹なぞ認められぬ」
「はい、到底」
「あの教えだけはです」
「他の神仏を認めませぬし」
「伴天連の者達は民を奴婢にします」
「とんでもない者達です」
「放っておけば天下を乗っ取られまする」
「本朝を」
弟子達も口々に言う。
「もうそれはわかっている筈ですが」
「それが、ですな」
「茶々様だけは違う」
「左様ですな」
「あの方程政がわかっておられぬ方もおらぬ」
崇伝は苦い顔で言った。
「だからな」
「ここは、ですな」
「もう江戸にいてもらい」
「静かに暮らして頂く」
「そうして頂きますか」
「それが天下の為になる」
崇伝は確信を以て述べた。
「だから拙僧はこれからな」
「大御所様にですな」
「このことをお話されますか」
「是非茶々様を江戸に」
「そして豊臣家には大坂から出てもらうと」
「そうしてもらおう、さもないとじゃ」
このことをこのまま放っておけばというのだ。
「天下が危うくなる」
「切支丹が広まるか戦になるか」
「どちらかですな」
「そうなってしまいますので」
「何としても」
「後に憂いのない様にしなければな」
こう言ってだ、実際にだった。
崇伝は家康に家康の前に出た、そしてだった。
この話をしようとするとだ、家康の方から言ってきた。
「わかっておる」
「左様ですか」
「この件ばかりはな」
険しい顔で崇伝に言うのだった。
「捨て置けぬ」
「では」
「すぐに手を打つぞ」
「ではどうされますか」
「ここはじゃ」
やはり家康から言ってきた。
「直接言ってもな」
「茶々様に」
「駄目じゃな」
「では」
「ここは二人を呼ぶか」
家康は目を光らせて崇伝に言った。
「あちらからな」
「理由を入れて」
「そうじゃ、この前方広寺の鐘のことを聞いたが」
「あれですか」
「あれを理由にしてな」
大坂から二人駿府まで呼んでというのだ。
「話をするか」
「そうしてですか」
「ここで豊臣家に伝えよう」
「茶々様は江戸に」
「そして大坂から出てもらう」
豊臣家もというのだ。
「まあ上総と下総じゃな」
「その辺りで、ですな」
「六十万石位でいてもらう」
「石高はほぼそのままですな」
「官位もな。扱いは越前の松平家のすぐ下がいいであろう」
「では実質的に」
「親藩じゃ、そもそも千の婿殿じゃ」
秀頼の話は笑ってした。
「ならばな」
「親藩としてですか」
「扱う」
「ではやがては松平の姓も」
「公に名乗らせて家紋もじゃ」
「徳川の葵を」
「やる、それで話は充分であろう」
そこまで格を与えればというのだ。
「むしろ太閤様の織田家への扱いよりいいであろう」
「はい、あれはどうも」
信雄へのそれをだ、崇伝も言った。
「あれは織田殿にも問題がありましたが」
「百万石からな」
「一気にあの扱いですから」
「わしはあれはやり過ぎだと思っておった」
「かつての主家に」
「それはせぬ、だからな」
家康はまた崇伝に言った。
「この様にな」
「豊臣家はですな」
「そうしたい、ではな」
「方広寺の話を理由にして」
「二人程呼ぼう」
「では呼ぶのは」
「大野修理を考えたが」
豊臣家の執権の一方である彼の名をまず出した。
「しかしな」
「あの御仁は」
「どうも茶々殿に逆らえぬ」
「だからですな」
「ここはまだ茶々殿に言える者にしたい」
「お二人共ですな」
「そうじゃ、だとすれば」
家康は考えつつ述べていった。
「片桐、そしてな」
「大蔵局殿でしょうか」
その大野治長の母である彼女とだ、崇伝が言ってきた。
「あの方ですか」
「そうじゃな、穏健な片桐とな」
「茶々様に近くそっと言える大蔵局殿ですか」
「二人にしたい」
まだ、というのだ。
「このな」
「ううむ、しかし」
「その二人もか」
「茶々様を止められるか」
今最大の懸念のそれはとだ、崇伝は家康に難しい顔で述べた。
「拙僧は」
「難しいと思うか」
「あの方は天下一の強情様です」
「止められるとなると」
「治部や刑部殿位でしたが」
「あの二人はもうおらぬわ」
「はい」
他ならぬ家康と関ヶ原の戦で死ぬかその後始末で処刑されている、だからもういないのだ。
「ですから」
「それでじゃな」
「片桐殿にしてもそうで」
「大蔵局殿もじゃな」
「とてもです」
茶々を止められるか、というのだ。
「思えませぬ」
「ここは考えていくか」
「ただお二人をお呼びするのではなく」
「それぞれにな」
「話をしますか」
「そうしていくか、そしてまずはな」
「方広寺のことで」
崇伝はまた言った。
「お二人を呼びますか」
「この駿府にな、しかしな」
「実はですな」
「方広寺の話は表じゃ」
「ただの理由ですな」
「そうじゃ」
それに過ぎないとだ、家康は言い切った。
「国家安康君臣豊楽とあるが」
「大御所様のお名前を切っていて豊楽は豊臣の天下となる」
「こんなものは言葉遊びじゃ」
それに過ぎないというのだ。
「そもそも誰が人の諱を使う」
「それはありませぬ」
「誰でもな」
家康というその名をというのだ、実際家康も崇伝もこの世の誰も他人を諱で呼んだり書いたりしていない。
「だからこれはじゃ」
「釈明を一言聞けば」
「聞かずともよい」
「駿府に来た時点で、ですな」
「よしとせよ、問題はじゃ」
「あくまで切支丹ですな」
「あのことじゃ」
こう言うのだった。
「それを話させなばな」
「はい、では」
「お主と上総介でな」
「片桐殿と膝を詰めてお話をして」
「くれぐれも居丈高にはなるでないぞ」
「承知しております」
崇伝もそこはわかっている、それでこう答えたのだ。
「このことは」
「穏やかにな」
「ねんごろにですな」
「話すのじゃ」
「片桐殿もわかっているので」
「それでじゃ」
「上総介殿と」
崇伝も正純の名を出して述べた。
「そうしてですな」
「そうじゃ、お主達はそちらをしてじゃ」
「大御所様はですな」
「大蔵局殿と話すが」
「どうもあの方も」
「うむ、茶々殿にはな」
大坂城の主である彼女にというのだ。
「おもねってね」
「乳母であられただけに」
「甘やかしておってな」
「そして今もですな」
「おもねっておる様じゃが」
「それでもですな」
「話そう、方広寺は実はとどうでもよくな」
表の話であるそれはというのだ。
「そしてな」
「その実はですな」
「切支丹じゃとな」
「あの方にもお話しますか」
「そうしよう、おもねる者なら」
「そうだとわかったうえで」
「話をしよう」
こう言うのだった。
「ここはな」
「そうされますか」
「そしてじゃ」
「大蔵局殿もまた」
「話に引き込もう」
「そうされますか」
「そしてじゃ」
片桐だけでなく大蔵局にも話してというのだ。
「切支丹の件を収めてな」
「そうしてそこから」
「茶々殿を江戸に入れてな」
「豊臣家の転封も」
「そうした話も進めていこうぞ」
「それでは」
崇伝は家康に応えた、そしてだった。
崇伝は早速方広寺の鐘の文を見た、そのうえで笑って言った。
「国家安康といってもな」
「これではですな」
「どう見てもですな」
「諱ですので」
「こじつけにしましても」
「下手なものじゃ」
共に見る弟子達に述べた。
「これはな」
「あくまでこれは口実」
「真意は違う」
「それは誰しもがわかることですな」
「政を知っていれば」
「しかし茶々殿は違う」
彼女はというのだ。
「やはりな」
「どうしてもですな」
「それがおわかりになっておられぬ」
「政自体が」
「何も、ですな」
「だからじゃ」
それ故にというのだ。
「おそらく怒っても驚いてもな」
「人をやって来られますな」
「我等の思うまま」
「そうしてくれますな」
「必ずな、では拙僧と上総介殿はな」
自分と正純はというのだ。
「やはりな」
「はい、片桐殿ですな」
「あの方とお話をしますか」
「切支丹だけはならぬ」
「その様に」
「方広寺の話は片桐殿のお話を聞いてな」
釈明のそれをというのだ。
「よい」
「それで、ですな」
「何ともない」
「納得したと」
「そういうことにしますな」
「あれ位のことは何とでも言えるし」
言葉遊びでとだ、崇伝はこのことはここでも何ともないとした。どうせ天下の誰もがわかることだからというのだ。
「こっちもそうしておるしな」
「そちらの話は納得した」
「それでいいですか」
「しかし問題は切支丹で」
「そこからですな」
「茶々様を江戸に、豊臣家の転封をな」92
こうしたことをというのだ。
「進めていこうぞ」
「それで充分ですからな」
「豊臣家については」
「大坂は幕府のものにして」
「それで」
「拙僧もそれでいいと思うからな」
だからこそ、というのだ。
「よしとしたいからな」
「戦に葉ならぬ様に」
「ことは平和にですな」
「これから泰平になる世に相応しく」
「そうしていくべきですな」
「そうじゃ」
こう言うのだった。
「戦はせぬ様にしていこうぞ」
「では方広寺のことで」
「豊臣家を誘いにかけますか」
「これより」
「絡め手で正道ではないが」
しかしというのだ。
「直接幕府から文を送り忠告してもな」
「茶々様が聞かれるか」
「とても、ですな」
「有り得ませぬな」
「どうしても」
「あの方は」
「だからじゃ、方広寺からじゃ」
この寺の鐘に刻まれた文字からというのだ。
「絡めてな」
「そのうえで」
「片桐殿と大蔵局殿にですな」
「お話をして」
「そのうえで」
「切支丹を認めることは止めてもらう」
そうしていくというのだ。
「それでよい、ではじゃ」
「はい、これより」
「方広寺のことをですな」
「より細かく、ですな」
「大御所様とお話をしていきますか」
「そうする、こうしたことは拙僧の仕事じゃ」
崇伝は自分で言った。
「やはりな」
「天海殿は違いますな」
「あの方も政に関わっていますが」
「宥めそしてです」
「江戸の護りを風水等から固めること等にご熱心で」
「こうしたことは」
「関係のない方じゃ」
謀の類には縁がないというのだ。
「風水や仏門、神事で国を固めんとされる方じゃ」
「左様ですな」
「あの方はそうした方ですな」
「あの方のお話のまま江戸が固められています」
「結界によって」
「全くじゃ、ああして結界を固めてな」
そうしてというのだ、江戸の町を。
「江戸を長く治の心の臓とされるおつもりじゃ」
「あの町からですな」
「幕府は長く天下を治める」
「その為にですな」
「神仏の力を集めんとされていますな」
「そうじゃ、深い学識からな」
崇伝は天海の学識も認めていた、むしろそれは自分以上のものがあるとさえここで言った。
「拙僧以上にな」
「お師匠様以上に」
「あの方は深い知識をお持ちですか」
「学識をですか」
「そうなのですか」
「うむ、あの学識はな」
まさにというのだ。
「拙僧以上じゃ」
「伊達にかなりのお歳ではないですか」
「もう七十、いや八十か」
「かなりのご高齢ですが」
「うむ、あとあの御仁が時の帝のご落胤だの明智殿だの言う者がいるが」
明智光秀だ、本能寺の変を起こしたあの男だ。
「違う」
「それはないですか」
「そうした噂は我等も聞いていますが」
「どちらでもありませぬか」
「そうなのですか」
「元々武蔵に生まれられてな」
そしてというのだ。
「帝とも明智殿ともな」
「無縁ですか」
「左様でしたか」
「そうじゃ、関係がない」
皇室とも明智光秀ともというのだ。
「特に明智殿とはな」
「お師匠様も明智殿と会われたことがありましたな」
「かつて」
「大御所様は特に」
「左様でしたな」
「幕府には明智殿を知っている者も多いが」
徳川家は織田家の盟友だったので何かと会うことが多くそれで彼のことを知っている者も多いのだ。
「まだな、しかしな」
「それでもですな」
「天海殿が明智殿という方はおられぬ」
「一人たりとも」
「そうなのですな」
「そうじゃ」
その通りだというのだ。
「無論拙僧もじゃ」
「あの方は明智殿ではない」
「それは確かだとですな」
「断言出来る」
「そうなのですな」
「確かにな、あの方は怪僧でもない」
巷で言われる様にというのだ。
「高僧じゃ」
「そのことは間違いありませぬな」
「怪僧ではなく」
「高僧ですな」
「それは我等も思います」
「その様に」
「学識に法力もありな」
そうしたものを備えていてというのだ。
「非常な高僧であられる」
「そうした方であり」
「巷の噂と違う」
「お生まれも何もかも」
「それは覚えておかねばなりませぬな」
「そういうことじゃ、では江戸のそうしたことはな」
神仏による護りはというのだ。
「天海殿にお任せしてな」
「お師匠様はですな」
「このままですな」
「大御所様のお傍にいて」
「知恵を出していく」
「そうしていきますか」
「そうするとしよう」
是非にというのだ。
「これからもな」
「はい、では」
「まずは方広寺のことを」
「進めていきましょうぞ」
その裏にあるものをというのだ、こう話してだった。
実際に彼は正純と共に家康と話をしてそのうえでこの度のことをどうするか決めた、そしてだった。
家康は方広寺の件で豊臣家に言い出した、これが新たなはじまりだった。
巻ノ百十七 完
2017・8・1