巻ノ百十三 加藤の誓い
幸村主従は熊本城の城下町の中井宿を取ろうとした、だがその宿に入って少し休んでいるとだ。
宿の親父がだ、彼等の部屋に来て言ってきた。
「お会いしたい方がおられます」
「?まさか」
幸村も十勇士達も直観で悟った、しかしそれは顔に出さずそのうえで親父に対して答えたのだった。
「では頼む」
「お通しして宜しいですね」
「うむ」
そうだとだ、幸村が答えてだった。
その者が部屋に案内された、それは一人の武士だったが。
武士は幸村達にだ、こう言ってきた。
「殿が是非です」
「城にでござるか」
「夜に密かに来て欲しいと」
「密かにでござるか」
「はい」
そうだというのだ。
「それも門を使わずに」
「門を使えばですな」
「気付かれます」
つまり普通のやり方で城に入ればというのだ。
「幕府の忍の者がいるかも知れないので」
「では」
「はい、お入り出来ますな」
「無論」
幸村は武士にすぐに答えた。
「それは」
「それでは殿がお待ちしております」
武士はこう言ってだ、すぐに部屋を後にした。そしてまた彼等だけになったところでだった。
十勇士達がだ、幸村に次々に言ってきた。
「もう人をやって来るとは」
「流石は加藤殿ですな」
「我等が来ていることをお気付きではなく」
「見てもおられ」
「人をやってですな」
「呼ばれるとは」
「うむ、まことに流石じゃ」
幸村もこう言った。
「加藤殿じゃ、ではな」
「はい、今宵ですな」
「今宵熊本の城に入る」
「それも門を使わず」
「そうして中に入りますな」
「熊本城は確かに堅城」
幸村はこのこともわかっていた。
「ただ天守が見事なだけではない」
「左様ですな」
「堀は広くしかもかなり深い様です」
「城壁も高いです」
「城の造りは複雑で」
「門や櫓、狭間の造りも的確です」
「特に石垣が」
熊本城の石垣は特にというのだ。
「高くしかも反り返っています」
「上から攻めやすい様にもしておりますし」
「それを見ますと」
「実にですな」
「入りにくい城ですな」
「忍び込むことすらも」
「並の忍では到底じゃ」
それこそとだ、幸村は熊本城のその石垣のことからさらに話した。
「中に入ることすらじゃ」
「出来ませぬな」
「到底、ですな」
「右大臣様を匿われても」
「その手掛かりすら掴ませぬ」
「忍達を入れぬことにより」
「あの城を攻める、いや入り込むのなら」
並の忍がというのだ、例え忍であっても。
「それこそ中に通じている者を作らぬ限り」
「到底ですな」
「入ることが出来ませぬな」
「忍でも並の者なら」
「とても」
「そうじゃ、しかし並じゃ」
ここでこう断った幸村だった。
「だからな」
「我等ならですな」
「入られますな」
「力と智慧を使えば」
「そして術も使えば」
「出来る、例え熊本城でもじゃ」
加藤がその築城の粋を尽くして築いたこの城でもというのだ。
「入られる」
「あの堀、城壁、造りでも」
「そして石垣でもですな」
「我等ならば」
「越えられますな」
「出来る、我等は如何なる山も川も崖も越えてきた」
これまでの鍛錬、そして忍としての働きの中でだ。
「それを考えるのじゃ」
「それならばですな」
「乗り越えられる」
「必ず」
「左様ですな」
「そうじゃ、跳んでいくぞ」
まさにという言葉だった。
「これより」
「はい、わかりました」
「それではです」
「今宵に」
「加藤殿のところに参りましょう」
「加藤殿は試しておられる」
幸村達をというのだ、他ならぬ。
「それがわかるな」
「ですな、ご自身のところまで来られねば」
「到底、ですな」
「話は出来ぬ」
「そう思われていますな」
「そうじゃ」
まさにその通りだというのだ。
「だからじゃ」
「我等もですな」
「至る」
「その越えられぬものを越えて」
「そのうえで」
「そうするぞ」
こう十勇士達に言って実際にだった。
幸村と十勇士達は夜に宿を出て熊本城に向かった、夜の闇の中でも彼等には熊本城の雄姿がはっきりと見えていた。
その城を見つつだ、幸村はまた十勇士達に言った。見事な天守閣も独特の石垣も多くの城壁も広い堀もだ。
「よい城であるな」
「ですな、数万の軍勢で囲もうともです」
「兵糧さえあり兵もそれなりにいると守れます」
「そして人も入らせませぬな」
「絶対に」
「そうじゃ、並の忍ならな」
加藤の狙い通りにというのだ。
「入ることは出来ぬ」
「全くですな」
「出来るものではありませぬな」
「この城について」
「到底ですな」
「ましてやじゃ」
見れば城はただ堅固なだけではない、見張りや見回りの兵達もいる。その数はそれなりにあり。
「足軽達もおる」
「壁にも櫓にも」
「門にもいますな」
「あの者達に見付からぬ様にしようと思いますと」
「実に厄介です」
「並以上の忍達ですら」
「兵までがいますと」
「見付かって捕らえられるか討ち取られる」
そうなってしまうというのだ。
「完全にな」
「左様ですな」
「そうなってしまいますな」
「どうしても」
「しかし我等は術も使えて草木や石の声も聞こえる」
彼等はそうだというのだ。
「そしてじゃ」
「そのうえで、ですな」
「気配も消せる」
「闇夜だけに姿を闇の中に消せる」
「溶け込むことが出来ますな」
「それが出来る、しかも跳ぶことも出来る」
飛ぶのではなくだ。
「僅かな足場さえあれば幾らでもな」
「跳べますし」
「如何に反り返った石垣でもですな」
「僅かな足場さえあれば跳び」
「そしてですな」
「加藤殿のところにも」
「行ける」
幸村主従ならばというのだ。
「これは慢心ではない」
「はい、それが出来る力がある」
「今の我等にはですな」
「それが確かにある」
「だからですな」
「そうじゃ、では行くぞ」
こう話してだ、そのうえでだった。
幸村主従はすぐに気配を消し草木や石の声を聞いてどういった場所に兵がいないかを聞きつつ影となり駆けた。姿も闇の中に溶け込ませ。
風の様に進む、橋を渡り壁を僅かな場を踏んで踏み台にして跳び越えていきそのうえでだった。
最初の城壁を越えた、だが誰も主従には気がつかなかった。
「風か?」
「風が通り過ぎなかったか?」
「随分強い風だったか?」
「そうだな」
誰も気付かないまま話す、その彼等の横をだ。
主従はさらに駆けていく、闇の中なのでいつも以上にその姿は見えずこのことが彼等に幸いした。
複雑な造りの城の中を駆けていく、その反り返った石垣も高い壁もだ。
踏んだ場所を足場にして上に上にと跳びそうして越える、そうして進み遂に加藤のいる本丸の屋敷まで来た。
その屋敷を見てだ、幸村は言った。
「ここまで来たが」
「はい、加藤殿は何処におられるか」
「そのことですな」
「ここまでは無事忍び込めましたが」
「これからはですな」
「それじゃ」
まさにというのだ。
「果たしてな」
「そうですな」
「あの方が何処におられるか」
「それが問題ですな」
「お屋敷の何処に」
「気配はな」
それはというと。
「今より感じるとしよう」
「はい、目を閉じ耳を澄まし」
「そうすればですな」
「加藤殿がおられる場所がわかる」
「我等ならば」
「強い気を持っておられる方じゃ」
だからだというのだ。
「気を探ればな」
「それで、ですな」
「わかりますな」
「我等にしても」
「左様ですな」
「そうじゃ」
その通りだというのだ。
「ではよいな」
「はい、ではこれより」
「加藤殿の気を探り」
「そのうえでおられる場所を把握し」
「そうして」
「進ぞ」
こう言ってだった。主従は実際に加藤の気を探った。すると屋敷の何処にいるかすぐにわかった。
それでだ、こう言ったのだった。
「よし、ではな」
「それではですな」
「あの場に向かいましょう」
「これより」
「加藤殿のお部屋じゃな」
加藤のいる場所はというのだ。
「ではな」
「はい、これより」
「そこに進みましょうぞ」
「再び影となり」
「そのうえで」
「ではな」
こう話してだ、そして。
主従は壁も屋根も越えて加藤の屋敷に入り彼の部屋にまで来た。するとその部屋にだった。
加藤がいた、加藤は主従が己の前に来たのを見て言った。
「騒ぎ一つなかった」
「左様でしたか」
「城の中でな」
蝋燭の光の中で言う、だが。
幸村はその顔を見てだ、すぐにわかった。加藤が余命幾許もないことを。目はくぼみ頬がこけている。
だが思いを隠してだ、加藤に応えた。
「それがし達もです」
「術を使ってか」
「ここまで来たので」
それでというのだ。
「騒ぎもです」
「起こさぬ様にじゃな」
「務めてきました」
「そしてその努めがな」
「奏してですな」
「ここまで来られた、ではな」
「はい、これよりですな」
幸村は加藤に応えた、その後ろに十勇士達が揃っている。
「お話を」
「しようぞ」
「さすれば」
「話は一つじゃ」
加藤から話を切り出してきた。
「右大臣様のことじゃ」
「はい」
「大御所様は上総、下総に移って頂きな」
「あの二国において」
「国持ちの大名にと考えておられる」
加藤もこのことを知っていた。
「確かな城も築いて」
「その城に入られて」
「過ごして頂きたいと」
「思われていますな」
「無論官位もそのままじゃ」
そちらもというのだ。
「やがては関白、太政大臣もとな」
「考えておられるのですか」
「そうじゃ、しかしな」
「それでもですか」
「問題はな」
「大御所様がそうお考えでも」
「茶々様じゃ」
彼女がというのだ。
「首を縦に振られぬ、ご上洛の時もじゃ」
「加藤殿が何とかですな」
「行ってであったからな」
浅野と共に供を務めると言ってというのだ。
「何とか納得してな」
「そうしてでしたな」
「だからじゃ」
それでというのだ。
「問題はあの方なのじゃ」
「右大臣様はもう」
「うむ、大御所様とお話をされてな」
二条城で直接だ。
「お考えを決められた」
「その様に」
「もう豊臣家の天下ではない」
「そのこともおわかりで」
「だから後はな」
「国持ち大名、しかも別格の家として」
「大御所様はやがて松平の名を家紋も下さる」
秀頼にその二つをというのだ。
「何なら徳川の姓もじゃ」
「それまでも」
「そこまでされることもお考えじゃ」
「まさに別格の家ですな」
「前田家以上じゃ、だからな」
「それ故に」
幸村はまた言った。
「加藤殿としては」
「いいと思っておるが」
「やはり茶々様が問題で」
「あの方は天下にこだわっておられる、いや」
「今尚ですな」
「天下はな」
まさにというのだ。
「危うい」
「そして豊臣家も」
「そうじゃ」
こう言うのだった。
「実にな」
「そうですな、だからこそ」
「こちらは出来ておる」
「用意が」
「そうじゃ」
まさにというのだ。
「だからな」
「何時でもですか」
「ここに来ればな」
その時はというのだ。
「何時でも迎える、しかしな」
「加藤殿は」
「あと僅かじゃ」
その命がというのだ。
「だからな」
「後はですか」
「家臣達に託しておく、そしてな」
「この熊本からですな」
「薩摩じゃ」
そこにというのだ。
「行くのじゃ」
「その時は」
「その話もじゃな」
「はい、今度は薩摩に行き」
そしてというのだ。
「お話するつもりです」
「それがよい、ではな」
「はい、加藤殿も言って頂いたので」
「わしが文を書くか」
「そうして頂けますか」
「うむ」
加藤も頷く。
「右大臣様の為ならばな」
「かたじけのうございます」
「よい、むしろじゃ」
「それがしがですか」
「わしは太閤様に可愛がって頂いた者じゃ」
それこそ幼い頃からだ、秀吉に育てられてきたま子飼いの者だ。それだけに恩義が深いのだ。
「だからこうしたことも当然じゃが」
「それがしが。ですな」
「貴殿は信濃の者」
真田家自体がというのだ。
「右大臣様には縁も何もないではないか」
「いえ、関白様にです」
秀次のことをだ、幸村は加藤に話した。
「それがし目をかけて頂きお助けしようとしました」
「高野山においてか」
「それでお助けしようとしたのですが」
この時のことを話すのだった、ここで。
「しかし」
「それでもか」
「はい、そこで右大臣様を頼まれました」
その秀次にというのだ。
「是非にと」
「そうであったのか」
「豊臣家の最後の方となるあの方を」
「関白様はそうしたことをされていたか」
「それで」
だからこそというのだ。
「それがしは関白様との約束の為に」
「わかった、義か」
「関白様とのお約束で」
「そうか、ではな」
「このお約束によりです」
「貴殿は右大臣様の為に働くか」
「戦国の世はようやく終わるでしょうが」
しかしというのだった。
「まだ続いているといえば続いていますな」
「うむ、確かにな」
それは加藤も認めることだった、それが終わるのはまさに大坂のことが片付いてからだと加藤も幸村もわかっている。
「それはな」
「戦国の世は裏切りが常ですが」
「貴殿はか」
「それを何とかです」
「義を護りたいか」
「そう思っていまして」
それでというのだ。
「何とか」
「そのこともわかった」
加藤はここまで聞いてまた頷いた、そのうえで幸村に対してあらためて言ったのだった。
「義か」
「はい、その為に生きるのが武士と思いまして」
「確かにな。しかし義を貫くことはな」
「身を為すよりもですな」
「難しいが」
「何とか貫きたいと思い」
そしてというのだ。
「それがしはそうしたいのです」
「わかった、では貫かれよ」
加藤は静かな声で幸村に応えた。
「そしてな」
「右大臣様を」
「頼む」
是非にと言うのだった。
「何かあったその時はな」
「必ずや」
「そしてわしとも約をしてくれるか」
幸村を見据えてだ、加藤は彼に言った。
「右大臣様のことを」
「必ずや」
「済まぬ。しかし貴殿ならば」
「果たしてくれるとですか」
「ここまで来ただけの者じゃ」
それならばというのだ。
「任せられる、だから約をする」
「それがしの力を承知されたこそ」
「しかもその者達もおる」
十勇士も観て言うのだった。
「皆ここまで誰にも見付からずに来た」
「それがしと同じく」
「それだけのことが出来た者が十一人おる」
「だからこそですか」
「右大臣様を頼みたい、よいな」
「大坂で何かあれば馳せ参じ」
「そしてですな」
「何かあればな」
その時はというのだ。
「ここまで右大臣様をお連れしてじゃ」
「薩摩まで」
「頼む。この熊本城は島津家の備えじゃが」
その為に築いた城だ、付け城は家康が好むことでそうして相手に常に備えられる様にしているのだ。
「しかしな」
「その島津家だからこそ」
「幕府に従うふりでな」
「実は、ですな」
「そうではない。だからな」
「右大臣様もですな」
「そうなる」
こう幸村に話した。
「だからじゃ」
「文を送って話をすれば」
「間違いなくじゃ」
「匿って頂けますか」
「しかも薩摩に入った忍は出られぬ」
「少しでも怪しいとなれば」
「余所者は切られる国じゃ」
そうして国を守っているのだ、だから幕府の忍達も薩摩の方に行くのを恐れているのだ。
「それで右大臣様も薩摩ならば」
「安心して余生を過ごせる」
「そうなる、だからな」
「その時は」
「くれぐれも頼んだ」
「わかり申した」
今度は幸村が頷いた。
「その様に」
「それではな」
「すぐにでもですな」
「文を書く」
幸村を見据えて述べた。
「今よりな。そしてな」
「その文を持ち」
「薩摩に向かってもらいたい」
「さすれば」
「そしてじゃが」
さらに言った加藤だった。
「薩摩への道は」
「ご心配なく」
幸村は加藤にはっきりと答えた。
「そのことも」
「道はあるか」
「我等真田一族は侍ですが忍の家でもあります、信濃にいようとも」
「忍故にか」
「天下の至るところに道をもうけております」
真田の忍道のことを言うのだった。
「我等だけが知っている道が」
「その道を使ってか」
「薩摩にも入ることが出来ます」
「入ることさえ難しいが」
「はい、我等ならです」
その道を使ってというのだ。
「入られます」
「そうか、ではな」
「後は島津家に入り」
「そうしてな」
「島津殿にお話をすれば」
「それでよい、しかし今島津家の主はな」
加藤は幸村に今の島津家の話もした。
「龍伯殿が亡くなられ」
「そうしてですな」
「惟新斎殿も隠居され」
四兄弟のうち歳久、家久は既にいない。義久つまり龍伯が死に最後の一人である義弘つまり惟新斎もというのだ。
「今は米菊丸殿が継がれておる」
「では」
「あの御仁に文を渡されよ」
義弘の子であり今の島津家の主である島津忠恒、彼にというのだ。
「よいな」
「わかり申した」
「島津家も代替わりしたが」
「幕府に対してはですな」
「思うところがあるのは変わらぬ」
このことはというのだ。
「だからじゃ」
「右大臣殿もまた」
「そうされるからじゃ」
「文をお渡し」
「いざという時に備えてもらいたい」
「わかり申した」
「米菊丸殿はご自身に逆らった者には容赦されぬが」
そうした家臣達を誅殺もしている、このことでも知られているのだ。
「しかしな」
「右大臣殿については」
「そうしたことはない」
「そもそも右大臣殿が島津家に逆らうか」
つまり忠恒にだ。
「有り得ませぬな」
「うむ、家臣でもないしな」
「だからですな」
「有り得ぬ、それ故に米菊丸殿もじゃ」
「薩摩に入られれば」
「無事に余生を過ごせる」
万が一のその時でもというのだ。
「だからな」
「はい、全てを整え」
「これからのことを託したい」
秀頼のそれをというのだ。
「頼んだ」
「さすれば」
「戦は打てる手は全て打つもの」
加藤は死相がはっきり出ている顔で言い切った。
「そしてな」
「そのうえではじめるものだ」
「敗れた時にも備え」
「その通りです」
「流石天下の名将、全てわかっておるか」
「いえ、それがしはとても」
「謙遜はよい、知っておる者は知っておる」
幸村が天下に比類なく程の名将であることはというのだ、これまで父や兄と共に戦ってきたのを見てだ。
「わしもその一人じゃ」
「そうなのですか」
「見ている者は見ている」
しかと、というのだ。
「そしてわかっておるもの」
「全くその通りです」
「殿こそは天下の名将」
「我等の主に相応しい方です」
「これ以上はないまでに」
ここでこれまで黙っていた十勇士達が加藤に彼等の幸村への想いを話した。
「そう思ったからこそです」
「我等殿にお仕えしております」
「将帥としての器にです」
「その何処までも高潔なお心」
「これ以上の方はおられませぬ」
「まさに真の名将」
「資質もお人柄も」
「真の武士でもあられます」
「そうじゃ、わしもそう見ておる」
幸村はというのだ。
「だから託せる」
「左様ですな」
「殿ならばです」
「約束を違えることなくです」
「果たして下さいます」
「何があろうとも」
「そうじゃ、だからわしも託す」
幸村、彼にというのだ。
「わしがいなくなった後をな」
「では必ず」
その幸村の言葉でだ。
「島津殿に文をお渡しし」
「そしてじゃな」
「時が来れば」
まさにとだ、こう話してだった。
幸村は加藤から文を受け取った、ここで加藤はまた幸村に話した。
「これで今生の別れとなるな」
「はい」
幸村も応える。
「久方ぶりの出会いでしたが」
「そうだな、しかしな」
「よき出会いであったと」
「そう思った」
こう言ったのだった。
「最後に貴殿と出会えてよかった」
「有り難きお言葉」
「ではじゃ」
「はい、今より」
幸村は応えてだ、すぐに十勇士に向き直って彼等に告げた。
「行くぞ」
「はい、これより」
「薩摩にですな」
「入りますか」
「熊本を発ち」
「その前に宿に銭を払っておく」
このことは忘れなかった。
「よいな」
「銭ならわしが払っておくが」
「そういう訳にはいきませぬ」
こう加藤に話した。
「これはそれがし達のこと、ですから」
「貴殿が払うか」
「そうさせて頂きます」
「そうか、律儀であるな」
「義は確かにしませぬと」
「武士ではない」
「はい」
こう言ったのだった。
「ですから」
「そうか、わかった」
「では銭を払ってから」
「薩摩に向かうか」
「そうします」
こう言って実際にだった、幸村は一旦十勇士達を連れて宿に戻り親父に銭を払ってそうしてだった。
すぐに熊本を後にした、そうして言うのだった。
「ではな」
「銭を払いましたし」
「心残りなくですな」
「薩摩に向かう」
「そうされますな」
「うむ」
その通りだとだ、共に向かう十勇士達に話した。
「そうする、それでじゃが」
「はい、島津殿に文をお渡しし」
「いざという時にですな」
「万全な様にしておく」
「そうしておきますな」
「戦なぞないに限るが」
しかしというのだ。
「起こればな」
「勝った場合も負けた場合も」
「共に考えてですな」
「備えておく」
「そうしていくのが兵法ですな」
「そうしたものですな」
「真田の兵法は必勝を期すが」
しかしというのだ。
「それだけではない」
「むしろ生き残ることですな」
「それが第一ですな」
「何としても生き残る」
「それが真田の兵法ですな」
「そうじゃ、父上もそうである」
昌幸、彼と兄の信之の兵法の師匠でもある彼もというのだ。
「何といってもな」
「まずは生き残る」
「それからですな」
「兵法というものは」
「それを第一とされているのですな」
「だから拙者もそうするのじゃ」
まさにというのだ。
「生き残る、右大臣様もじゃ」
「生き延びて頂く」
「例え敗れようとも」
「その時は」
「そうする、しかもな」
ここでだ、幸村は十勇士達にこうも話した。
「今の拙者はこれまで以上に生き延びられる様になった」
「その様にもなりましたな」
「術を備え」
「そうされて」
「うむ」
その通りだというのだ。
「そうなった、ではな」
「その時は」
「その術を思う存分使われ」
「そして、ですな」
「右大臣様をお助けし」
「生き残って頂く」
「何としてもな」
こう十勇士達に話した。
「その策はある」
「して殿」
「その術とは一体」
「どういったものでありましょう」
「宜しければです」
「我等によくお話して頂けますか」
「前にもお聞きしましたが」
今はというのだ。
「我等殿の義兄弟」
「生きるも死ぬも同じと誓った仲」
「それだけにです」
「知っておきたいのですが」
「うむ、そろそろ話そうと思っておった」
幸村もこう返した。
「友であり義兄弟でもあるお主達にな」
「さすれば」
「どういったものでしょうか」
「こうした術じゃ」
幸村はその術のことを細かく話し見せもした、するとだ。十勇士達は誰もが驚いて言うのだった。
「何と」
「そうした術とは」
「凄いですな」
「その術ならばです」
「必ず」
「そうだな、だからだ」
術の話からだ、幸村は十勇士達に述べた。
「危急の時はな」
「その術で、ですな」
「難を退け」
「そうしてですな」
「そのうえで」
「全てを適える」
自らが適えたいものをというのだ。
「そうするぞ」
「わかり申した」
「では、ですな」
「その時が来れば」
「必ずや」
「殿がその術を使われ」
「ことを果たされますか」
十勇士達は主に強い声で述べた。
「まさに鬼に金棒」
「我等も死力を尽くします」
「これで例え天地が割れる事態になろうとも」
「それでもですな」
「必ず果たす、幾十万の敵が迫ろうとも」
それでもとだ、幸村はこうも言った。
「お主達もいるしな」
「大坂で敗れ様とも」
「それでもですな」
「ここまで逃れられる」
「右大臣様も連れて」
「そうなるわ、必ずな」
こう話してだ、そのうえでだった。
幸村は十勇士達を連れて薩摩へと進んでいった。その動きを知っているのは加藤だけであったが。
加藤は信頼できる家臣達にだ、こう言った。
「よいな、わしは間もなく世を去るが」
「それでもですな」
「全てを託す」
「真田殿に」
「そうされますか」
「よい目をしておった」
幸村達のその目を思い出しての言葉だ。
「ことを成し遂げられる者の目じゃ」
「だからですな」
「あの御仁達に託す」
「後のことは」
「そうされますか」
「うむ、迂闊であった」
加藤は死相に苦いものを入れこうも言った。
「これからもという時に病に倒れるとは」
「それは」
「何と申しますか」
「右大臣様が危うくなるのはこれからじゃ」
まさにというのだ。
「そうした時に世を去らねばならぬとは」
「しかしです」
「それはです」
「後は真田殿が果たしてくれます」
「殿が今言われた様に」
「そうであったな、わしが今言った」
加藤も言われてだ、笑みになって述べた。
「あの御仁達ならな」
「ことを果たして下さると」
「右大臣様を救って頂ける」
「何があろうとも」
「うむ、ここまで誰にも気付かれるに来てな」
そしてというのだ。
「出た」
「では、ですな」
「このままですな」
「後は真田殿に託されて」
「殿は」
「憂いてはならぬな」
達観した顔と目だった、加藤はその顔と目を家臣達にむけつつ述べた。
「そうであるな」
「安心されてです」
「後はお任せ下さい」
「真田殿と十勇士に」
「そして我等に」
「そうしよう、お主達ならば漏らさぬ」
秀頼達のことをというのだ。
「だからこうして話しておるしな」
「左様ですな」
「ではです」
「後はお任せ下さい」
「是非」
「そうさせてもらう」
こう言って約束するのだった。
「お主達にも託すぞ」
「それでは」
「我等も果たします」
「その務めを」
「その様にな世を去れば」
こうも言った加藤だった。
「また佐吉達と会うのう」
「石田殿、大谷殿と」
「そうなりますか」
「そしてその時は」
「今度はな」
死んでからはというのだ。
「もういがみ合いたくないわ」
「あの時と違って」
「穏やかにですか」
「そうなっていたいですか」
「今度は」
「そう思っておる」
実際にというのだ。
「今になってわかるわ」
「あの時のいがみ合いのことは」
「そうなのですか」
「わしは愚かであった」
悔恨の言葉であった、明らかな。
「だから今度はな」
「穏やかに」
「そうされますか」
「あの方々とも」
「必ずな」
こう家臣達に話した。
「そう誓う」
「では」
「後のことはですな」
「最早」
「憂いない、何もな」
加藤は澄み切った顔で家臣達に言った、そうして後は何も言わなかった。そこには一抹の不安もなかった。
巻ノ百十三 完
2017・7・1