巻ノ百十二 熊本
秀頼の都までの供を務め彼を大坂まで戻してからだ。加藤は熊本まで帰った。だがその彼について。
昌幸は幸村にだ、こう言った。
「どうもな」
「加藤殿はですな」
「病が日増しに重くなっておられてな」
「それでは」
「こうして我等が話しているうちにもじゃ」
まさにというのだ。
「そんなご様子らしい」
「左様ですか」
「虎殺しの英傑であるが」
しかしというのだ。
「その英傑もな」
「病には勝てませぬか」
「特にあの病にはな」
花柳病にはというのだ。
「どうしてもな」
「勝てず」
「ぞうじゃ」
それでというのだ。
「あと幾許もない」
「今こうして話している間にも」
「まさにな」
倒れているかも知れないというのだ。
「そうなっておる、気掛かりであろう」
「右大臣様のことが」
「最後の最後までお守りしたいであろうが」
「その途中で」
「お亡くなりになられるわ」
「やはり」
「うむ、しかしな」
こうも言った昌幸だった。
「加藤殿はそう思われているが」
「茶々殿はですな」
「お亡くなりになったことを悲しんでおられてもな」
「それは頼れる者を失った」
「そうお考えになられるであろう」
茶々にしてみればというのだ。
「やはりな」
「見方が違いますな」
「加藤殿は豊臣家を考えておられる」
家を守ることをというのだ。
「そして茶々殿はん」
「天下ですな」
「それを考えておられる」
そこに違いがあるというのだ。
「この違いは大きい、いや」
「天と地程に」
「大きいわ」
そうだというのだ。
「もっと言えばな」
「思い違いですな」
「茶々殿のな」
「左様ですな」
「男だろうが女であろうがな」
「まだ天下は豊臣家にあると思われていますと」
そうであればというのだ。
「この度のこともですな」
「過って考える」
「そうなのですな」
「加藤殿は豊臣家を護ろうとされておる」
「旧主を」
「その義理じゃ、しかしな」
加藤はそう考えていても茶々はというのだ。
「茶々殿は天下人としてな」
「加藤殿を頼りにされている」
「そこがじゃ」
「大きな違いであり」
「その違いがじゃ」
まさにというのだ。
「とてつもない」
「まさに天と地程の」
「そうしたものじゃ、だからな」
「茶々殿は加藤殿がお亡くなりになっても」
「頼れる家臣がおられなくなった」
「そう考えられるであろう」
「これまでの感謝よりもですか」
そうした感情があるにはというのだ。
「これからのことに無念を感じられる」
「それがじゃ」
まさにというのだ。
「違う、おそらく右大臣様は先の都での大御所殿とのご会食でな」
「大御所殿のお考えがわかり」
「快諾された」
家康の言葉をだ。
「大坂を出て国持ち大名としてな」
「そして確かな城に入られ」
「過ごされると約束されたが」
「茶々殿はですな」
「その様な話飲まれる筈がない」
事実上の大坂の主である彼女はというのだ。
「右大臣様からそのお話を聞いてもな」
「あくまで、ですか」
「大坂から出られぬわ」
「そうなりますか」
「無論ご自身が江戸に入られるということも」
「ある筈もない」
「そうじゃ」
どう考えてもというのだ。
「それはないわ」
「では」
「大坂は危ういままじゃ」
「そうなりますか」
「最早茶々様は邪魔でしかない」
大坂にとって、というのだ。
「あの方をお止め出来るのはもう大坂にはおらぬしな」
「余計に」
「そうじゃ」
「ではこれからまた勝手をされれば」
「どうなるやらじゃ、しかし今はな」
「加藤殿ですな」
「惜しい方じゃ」
また言ったのだった。
「あれだけの方が間もなくこの世を去られるとは」
「確かに。それは」
「あの病は恐ろしい」
「身体が腐って死にますな」
「幸いあの方は身体は腐ってはおらぬが」
「それでもですな」
「病に侵されてじゃ」
そしてというのだ。
「幾許もないわ」
「そうなりますな」
「そしてな」
それでと言うのだった。
「後に残るのはあの城じゃが」
「熊本の」
「あの城は堅城じゃ」
「島津家の備えですな、そして」
「そうじゃ、知っておるな」
「はい」
その通りとだ、幸村も答えた。
「右大臣様をお招きして」
「いざという時はな」
「匿われるおつもりですな」
「そうお考えじゃ」
「では」
「うむ、まさにな」
いざという時はというのだ。
「右大臣を助けられる」
「そのおつもりですな」
「何かあればな」
「そのことも見据えてですな」
「加藤殿はあの城を築かれた」
「左様じゃな、だからな」
昌幸は強い目で幸村に言った。
「わしもお主もじゃ」
「敗れれば」
「その時はじゃ」
「熊本まで逃れてじゃ」
「何としても」
幸村も言う。
「その時は」
「右大臣様をお守りするのじゃ」
「そしてそこから」
「おそらく加藤殿はな」
彼はというと。
「島津家と内密に話をしておってな」
「右大臣様をですな」
「そのいざという時はな」
まさにというのだ。
「わかっておるな」
「はい」
「薩摩にじゃ」
即ち島津家の領地にというのだ。
「右大臣様をお連れして」
「そうして」
「お護りするのじゃ」
「わかりました」
「あの方は忠義を忘れてはおらん」
加藤、彼はというのだ。
「それを果たされる」
「その心意気はおありですな」
「うむ、だがまた言うが」
「その忠義はですな」
「旧主へのものじゃ」
このことは変わらないというのだ。
「それでのことじゃ」
「今ではない」
「加藤家も幕府の中にある」
そして彼の熊本藩もというのだ。
「だからな」
「それで、ですな」
「今の公の目は幕府にある」
「そしてお家を護る為にも」
「そこは護る」
幕府への忠義はというのだ。
「内心どうであってもな」
「お家の為に」
「そうお考えじゃ、右大臣様をお助けするのもな」
「あくまで旧主へのもので」
「それ以上のものではない」
「そしてそのことを」
「茶々様はおわかりではない、だからな」
それ故にというのだ。
「間もなくな」
「加藤殿が亡くなられても」
「そうお考えじゃ」
「左様ですか」
「そうじゃ」
「ではそうしたお考えでは」
「過ちを続けられる」
これまでの様にというのだ。
「天下のことが何もわかっておられぬのに天下人と思われている」
「そうした有様では」
「そうなるわ、しかも右大臣様はな」
「その茶々様を」
「止められぬ」
「大坂の主であられても」
「信玄様や謙信公はどうであった」
その彼等のこともだ、昌幸は話した。
「ご母堂に対して」
「はい、どちらの方も実に」
「孝行であられたな」
「太閤様もそうでしたし」
秀吉の母親思いは有名であった。
「大御所殿も」
「実にであられたな」
「母親思いの方でした」
「大名になればご母堂も大事にせねばじゃ」
まさにというのだ。
「何も立たぬ」
「左様ですな」
「特に右大臣様はな」
「何でも儒教もよく学ばれているとか」
「儒教は孝の考えもある」
即ち親への孝行だ。
「それもな、だからな」
「尚更ですな」
「そのお気持ちが強い」
「だからですな」
「右大臣様が主でもじゃ」
大坂のだ、そうであってもというのだ。
「どうしてもな」
「ご母堂であられる茶々様にですな」
「言えぬ、忠義も強いだけではなくな」
「勇がなくては」
「言えぬが孝は余計にじゃ」
「肉親の情も入り」
「並大抵な勇があっても言えぬ、ましてや箱入りの右大臣様では」
例え家康が認めたまでの思慮分別があってもというのだ。
「それがあるか」
「ご母堂の茶々様に言えるだけの」
「やはりな」
「疑問ですか」
「疑問ではない」
「では」
「ある筈がない」
こう言うのだった。
「到底な」
「左様ですか」
「そうじゃ」
まさにというのだ。
「だから大坂はな」
「あの茶々様が主のままですな」
「実はな」
名目は秀頼が主でもというのだ。
「そうなのじゃ」
「では」
「うむ、加藤殿もそう思われ」
「そうして」
「過ちを犯され続ける」
そうなるというのだ。
「やはりな、それとな」
「加藤殿がおられなくなっても」
「まだ頼る」
「他の豊臣恩顧の方々を」
「そうされるわ」
「しかし旧主では」
幸村もこの立場を言った。
「やはり」
「そうじゃ」
まさにというのだ。
「それ以上のものではなくな」
「戦の時にですな」
「立ち上がられる筈もない」
「そうなりますな」
「加藤殿も心配であられよう」
「ご自身亡き後の豊臣家が」
「どうにかして残って欲しいであられよう」
「では」
「行けるか」
幸村を見て問うた。
「これより」
「熊本にですな」
「十勇士を連れて行け」
「皆を」
「出来るか」
「すぐにでも」
幸村は父にすぐに答えた。
「出来ます」
「そうか、ではな」
「今お話した通り」
「すぐにじゃ」
まさにというのだ。
「熊本に行ってもらう」
「そうしてですな」
「然るべき時にはな」
「何かあれば」
「戦は必ず勝つとは限らぬ」
敗れる時もある、昌幸は必ず勝つとは考えていない。どうした戦でもそれは同じである。だから敗れた時のことも考えているのだ。
「その時はな」
「熊本にですな」
「退くことを考えてな」
そのうえでというのだ。
「手を打っておくべきじゃ」
「では」
「関白様に言われた言葉果たしたいな」
「はい」
即座にだ、幸村はまた父に答えた。
「そのことは」
「そう思うならばじゃ」
「熊本にですな」
「行くのじゃ、わかったな」
「いきなりでは、ですな」
「通る話も通らぬ」
事前に話してこそというのだ。
「だからじゃ、わかったな」
「はい、すぐに熊本に行きまする」
「そうせよ、出来ればな」
ここでだ、昌幸は難しい顔にもなった。そうして幸村にこうしたことも話した。その話はというと。
「わしが行くべきじゃが」
「左様ですか」
「どうもな、ここに来てな」
無念の顔で言うのだった。
「近頃身体がな」
「優れませぬな」
「急に衰えを感じてきた」
「だからですな」
「おそらく幾許もあるまい」
「それは弱気では」
「いや、事実じゃ」
嘘ではないというのだ。
「身体の動きも急に悪くなってきた、どうもな」
「近いうちにですか」
「わしは世を去る、せめて次の戦までと思っておったが」
それもというのだ。
「出来ぬ、無念じゃがな」
「お薬は」
「ははは、何を飲んでも天命には逆らえぬ」
「それには」
「わしの天命はこれまでだったということじゃ」
「だからですか」
「これでじゃ」
言葉にも力がない、今もだ。
「わしも世を去る、だからな」
「後はそれがしがですな」
「頼んだぞ」
「出来れば」
「わかっておる、わしが主としてな」
「それがしも従えば」
「それで戦はかなり違う」
徳川と豊臣が争ってもというのだ。
「わしなら茶々様の勝手もじゃ」
「止められますな」
「造作もないこと」
それこそという返事だった。
「お止めして縦横に暴れもう一度天下を二つにしてな」
「そうしてですな」
「戦いにもって行けるが」
「それがしだけだと」
「茶々様はお主の言うことを聞かぬ」
そうだというのだ。
「お主の武名は知る者こそ知っておるが」
「茶々様はご存知ないので」
「だからじゃ」
それでというのだ。
「お主ではな」
「止められませぬか」
「お主が言うことはとてもな」
「誰もですか」
「聞きませぬか」
「そうじゃ」
まさにというのだ。
「だからわしもおれば、しかしな」
「それでもですか」
「口惜しい」
今度は苦り切った顔で幸村に話した。
「このままではな」
「どうしてもですな」
「そうじゃ、わしはどうもな」
これでというのだ。
「世を去る、お主に後を託すが」
「若しも茶々様をお止め出来ぬなら」
「敗れる、そしてな」
「その時葉ですな」
「逃れよ」
まさにというのだ。
「まずは熊本までな、そしてな」
「薩摩までえ」
「逃げよ」
「では、しかし島津家は」
ここで幸村は薩摩を治める彼等の話をした。
「豊臣家に手に入れた多くの領地を取り上げられた」
「その恨みがか」
「あるのでは」
「いや、それがな」
「違うのですか」
「豊臣家は昔のこと、それに太閤様ご自身はな」
秀吉についてはというのだ。
「お嫌いではない」
「だからですか」
「右大臣様もな」
「敗れた時は」
「匿って頂ける、あそこに入ればな」
島津家の領地にというのだ。
「幕府もわからぬ」
「薩摩に入るのは容易ではないとか」
「伊賀者、甲賀者の手練れでもな」
そうした者達でもというのだ。
「入っても生きては帰られぬ」
「そこまでの場所だからこそ」
「それでじゃ」
その薩摩だからだというのだ。
「あそこに逃れられればな」
「右大臣様も」
「安心出来る」
「若し敗れても」
「そうじゃ、熊本にまで逃れるかはな」
「それはですな」
「もうわしの頭の中にある」
それも既にというのだ。
「船じゃ」
「真田の忍道ではなく」
「あの道は忍道じゃな」
「右大臣様ではですな」
「忍だから通られる道」
「ましてや右大臣様はあまり歩いてもおられませんな」
「うむ」
長い間大坂から出たこともない、武道の鍛錬も茶々がさせずそのこともあって大層肥満しているのだ。
「その様な方ではな」
「真田の忍道は無理ですか」
「だからじゃ」
「船で、ですな」
「いざという時に大坂に船を用意してじゃ」
「そしてその船で」
「敵が大坂におる間にじゃ」
そしてそこに敵の目が集中している間にというのだ。
「海に出てな」
「瀬戸内からですな」
「熊本まで行くのじゃ、船の手配もじゃ」
「加藤家にお願いし」
「そして逃れてな」
その熊本城までだ。
「そこからじゃ」
「薩摩に入り」
「右大臣様をお救いせよ」
「わかり申した、そしてその話を」
「お主がせよ、いいな」
「畏まりました、ではこれより」
「行って参れ、わしはな」
昌幸はというと。
「お主が帰るまではな」
「お身体も」
「もつわ」
そうだというのだ。
「だからじゃ」
「はい、それでは」
「話をまとめてくるのじゃ」
「それでは」
こう話してだ、そしてだった。
幸村はすぐに十勇士達を連れてそのうえで熊本にむかった。そして九度山を経った時にだ。
ふとだ、幸村はこんなことを言った。
「近頃伊賀者も甲賀者もおらんな」
「ですな、特に十二神将は」
「一人もおりませんな」
「九度山への見張りもです」
「随分と減っております」
「どうやらな」
ここで幸村は十勇士達にこう言った。
「伊達家と大久保家、そして少将殿についてじゃ」
「調べに行っていてですな」
「我等への見張りは減っている」
「そうなのですな」
「どうやら」
「うむ、どうも大久保家はな」
その彼等はというと。
「怪しいことが多い」
「まさか伴天連と」
「日の本を乗っ取ろうとしている者達と手を結び」
「そうしてですか」
「本朝を牛耳ろうとしておるのですか」
「そこまで考えているのかはわからぬが」
それでもというのだ。
「どうやらな」
「実際にですか」
「大久保家は伴天連と深いつながりがある」
「そうなのですな」
「実際」
「そうやもな」
こういうのだった。
「それでじゃ」
「服部殿、そして十二神将がですか」
「総出となり」
「我等にはですか」
「見張りが減りましたか」
「そうではないか」
こう言うのだった。
「やはりな」
「まさかと思いたいですが」
「伴天連と組むなぞ」
「民を騙し売り飛ばし奴婢とする」
「その様な者共と」
「全くじゃ、しかしな」
幸村は怪訝な顔でさらに言った。
「大御所殿も怪しいと思われるからな」
「調べさせますな」
「それも総出で」
「そうしますな」
「そうじゃ」
まさにというのだ。
「だからじゃ」
「この件若しや」
「かなり厄介なことにもなりますか」
「天下にとって」
「そこまでのものですか」
「そうも思う」
まさにというのだ。
「そう思うとどうもな」
「伊賀者達が少ないことは」
「我等にはよくとも」
「天下にはですか」
「よくなきこと」
「そうやも知れぬのですな」
「そうも思う」
幸村は歩きつつ述べた。
「拙者はな」
「ううむ、厄介ですな」
「それは実に」
「嫌なことが起きてな」
そしてだ。
「それを見るやもな」
「左様ですか」
「陰惨なものを見ますか」
「かつて多くの家であった様な」
「そうしたことが」
「あるやもな」
こう言うのだった、十勇士達に。
そしてだ、幸村は彼等にこうも言った。
「しかしな」
「はい、それでもですな」
「我々はですな」
「それを見ることも覚悟しつつ」
「そうしてですな」
「今は」
「熊本に行く」
そこにというのだ。
「そしてじゃ」
「はい、加藤殿にですな」
「お会いして」
「万が一のことに備える」
「そうしていきますな」
「そうじゃ」
まさにというのだ。
「今はな、しかしな」
「出来ればですな」
「そうしたことにはなって欲しくないですな」
「戦になりそうなることは」
「どうしても」
「そう思う、ことが穏やかで禍根なくいけば」
それでというのだ。
「それに越したことはない」
「ですな、戦になるよりです」
「穏やかに話で済めばいいですな」
「聞いたところ右大臣様と大御所殿のご会食は穏やかで」
「意気投合したところもあったそうですが」
「右大臣様が大坂のまことの主であればな」
秀頼、彼がというのだ。
「それで話が終わったが」
「しかしそうではない」
「どうしてもですな」
「大坂については」
「主が違う故に」
「あの茶々殿ではな」
真の主が彼女だからだというのだ。
「厄介なのじゃ」
「ですな、もうあの方については何度もお話しましたが」
「まことに厄介ですな」
「まるで火薬ですな」
「そうし方ですな」
「そうじゃ、大坂は天守にこれでもかと火薬を詰め込んでおる」
幸村は今の大坂をこう例えた。
「だから下手をすればな」
「城を吹き飛ばしてしまう」
「その火薬で」
「そうなりますな」
「いざという時に」
「それがまずい、そしてな」
それにというのだ。
「拙者が思うにな」
「ここはですな」
「熊本に赴き」
「そうして手を打っていく」
「いざという時に備えて」
「常に最悪の手を考えてな」
そのうえでというのだ。
「手を打っておくものじゃ」
「戦はですな」
「そして政も」
「そうして生き残ることですな」
「それが真田家ですな」
「真田家は滅びの道を選ぶ家ではない」
いざという時に潔く、というのだ。
「恥や埃は忘れぬがな」
「それでもですな」
「生き残る」
「潔く散るのではなく」
「そうしていく家ですな」
「武士であるがじゃ」
しかしというのだ。
「忍でもあるな」
「はい、時として潜む」
「忍に徹する」
「そうした家ですな」
「生き残る為に」
「生きていればまた戦えるし雪辱も注げる」
こうした考えだというのだ、真田家は。
「だからな」
「それで、ですな」
「最悪の場合も考えて」
「そうして手を打ち」
「生き残るのですな」
「そうじゃ」
まさにというのだ。
「わかったな」
「はい、それでは」
「その場合にあえて備える」
「その為にですな」
「今はですな」
「熊本に行く」
こう言ってだ、幸村は十勇士達を連れてそのうえで熊本城に向かった。主従十一人全員でそうしたが。
誰もそれに気付かなかった、それには訳があった。
家康は駿府でだ、苦々しい顔で幕臣達にこう言っていた。
「半蔵に調べさせておるがな」
「調べれば、ですか」
「調べる程ですか」
「嫌な感じがしてきたわ」
こう言うのだった。
「いよいよな」
「だからですか」
「調べさせる伊賀者を増やしていますか」
「そうされているのですな」
「そうじゃ、しかもな」
家康はさらに言った。
「半蔵も十二神将もこのままじゃ」
「伊賀者達をそこまで向けて」
「そうしてでもですか」
「ことの次第を確かめたい」
「そうした事態ですか」
「並の陰謀ならここまでせぬ」
家康にしてもというのだ。
「話が別じゃ」
「伴天連が関わっておりますると」
崇伝がここで言った。
「やはり」
「お主は特に思うな」
「拙僧が仏門におることもあるでしょうが」
「しかしお主も仏門の他の宗派には何も言わぬな」
「危ういものではないので」
「本願寺もじゃな」
かつて近畿や東海、北陸で一揆を起こし家康を苦しめた彼等にしてもというのだ。徳川家の故郷である三河でも本願寺の一揆である一向一揆が起こっているのだ。
「それでもじゃな」
「はい、本願寺にしてもです」
崇電は毅然として家康に答えた。
「今は大人しく暴れていた時ですら」
「伴天連よりはずっとじゃな」
「ましです、本朝を乗っ取るだの他の宗門や神道の神社仏閣を壊し民を奴婢にするなぞ」
「せんかったな」
「しかもその腐り様たるや」
伝え聞くそれもというのだ。
「比叡山も腰を抜かすまで」
「それはわしも聞いたが」
「恐ろしいことですな」
「冥府魔道じゃ」
南蛮の伴天連の者達の腐り様はというのだ。
「あそこまでの腐り方はな」
「だからです」
「あの者達は本朝に入れられぬし」
「大久保殿が関わっていれば」
「存分に調べ上げておる」
「そしてですな」
「何もなければよいが」
それでもというのだ。
「伴天連が関わりあの者達がいれば」
「その時は」
「素直に国に帰ればよし」
彼等の南蛮の国にというのだ。
「それでな、しかしな」
「それでもですな」
「若し歯向かうならば」
「その時は」
「半蔵達に戦えと命じておる」
調べさせている彼等にというのだ。
「あの者達の全力でな」
「何と、十二神将達にもですか」
「そう言われたのですか」
「服部殿だけでなく」
「あの者達にも」
「半蔵と十二神将は天下一の忍達じゃ」
家康は自負と共に言った。
「あの者達に対することが出来るのは真田家の十勇士か風魔小太郎、雑賀孫市位であるが」
「風魔、雑賀はもう死んだそうですし」
「十勇士は九度山に主の真田殿と共に流されております」
「しかもこの度のことも関わる筈もない」
「それならばですな」
「特にじゃ」
これといってというのだ。
「敵はおらん、如何に伴天連の者達が妖しげな力を使おうとも」
「それでもですな」
「服部殿達には勝てぬ」
「天下一の忍達には」
「誰であろうとも」
「戦国の世を生き抜いてきた者達じゃ」
だからだというのだ。
「しかも十三人おる」
「ならばですな」
「伴天連の者達も勝てぬ」
「妖しげな術で歯向かおうとも」
「それでもですな」
「服部殿と十二神将ならば」
「そこに伊賀者達も多く入れた」
だからだというのだ。
「必ずことを収める、伊賀者達に任せる」
「わかり申した、それでなのですが」
ここで言ってきたのは柳生だった。
「加藤殿のことは」
「間もなくじゃな」
「はい、やはり」
「わかっておる、ならばな」
「後はですか」
「安らかに過ごさせてやれ」
その残り少ない時をというのだ。
「そうしてやれ」
「はい、それでは」
「何もせずともよい、しかし厄介なのは」
「熊本よりもですな」
「薩摩じゃな」
つまり島津家だとだ、家康は言った。
「あの中には入られぬな」
「忍が入りましても」
「帰って来た者はおらぬな」
「はい」
そうだというのだ。
「中々」
「少しでも怪しい余所者は切り捨てておるか」
「どうやら」
「そうであろうな、あの家を調べようとしても」
「わかりませぬ」
その中がとだ、柳生は家康に苦い顔で答えた。
「これがどうも」
「そうであろうな、何かとな」
「あの家を調べようとしても」
「わかるな、あの者達は厄介じゃ」
島津家はというのだ。
「手を打っておきたいが」
「それでもですな」
「打たせぬか、しかし何としてもじゃ」
「尻尾を掴みますか」
「そうする」
「三百もの藩の全てをですか」
「わかっておらぬとな」
そこはどうしてもというのだ。
「政は出来ぬ」
「そうですな」
「だからな」
「島津家もですな」
「何とかじゃ」
忍の者を忍び込ませてというのだ。
「調べるぞ」
「細かいところまで」
「そうする、しかしあの家を調べるには」
薩摩をというのだ。
「並の忍では無理じゃ」
「ではそこまで出来るとなると」
「半蔵か十二神将じゃ」
その彼等位だというのだ。
「それこそな」
「そうなりますか」
「さもないと生きては帰れぬわ」
「そこまでですな」
「だからな」
それでというのだ。
「大久保家の話が終われば一度な」
「薩摩に半蔵殿をですか」
「送りたいが」
しかしというのだ。
「その余裕は暫くないやもな」
「大久保殿の後でも」
「ここで一番厄介なことを終わらせたい」
幕府にとってというのだ。
「大坂のことでな」
「では」
「上総、下総の二国をやがてと考えておるが」
柳生に応えつつだ、家康は幕臣達に話した。
「しかしな」
「一時はですな」
「大和でいいであろうか」
その国でというのだ。
「一国な、それかな」
「先にですな」
「上総に城を築いてな」
そうしてというのだ。
「すぐに入ってもらうか」
「そうですな、どうせ移って頂くのなら」
本多正純が述べてきた。
「やはり」
「先にじゃな」
「はい、城を築き」
そうしてというのだ。
「すぐにです」
「入ってもらうか」
「そうしましょう、城を築く間は」
それまではというと。
「まあ大坂から出てもらいますが」
「それでもじゃな」
「江戸でも何処でもです」
「然るべき場所にな」
「住んで頂き」
そうしてというのだ。
「それからです」
「城が出来てじゃな」
「入ってもらいましょう」
「そうしてもらうか」
「何といってもです」
「大坂から出てもらうな」
「それは絶対です」
何といってもというのだ。
「やはり、そして摂津と河内と和泉は」
「どうしてもな」
「はい」
この三国はというと。
「幕府のものになり」
「大坂の町もな」
「幕府のものになり申す」
「結局はあそこが欲しい」
大坂をとだ、家康はまた言った。
「幕府としてはな」
「その通りですな」
「豊臣家はな」
家自体はというと。
「よい」
「何もせずとも」
「大坂でよいのじゃ」
この地を手に入れるだけでというのだ。
「それでな」
「充分であり」
「他はよい、さてそれが済んでな」
「島津ですな」
「そうなる、しかし島津家はな」
「やがては」
「何とかしておきたい」
こうも言うのだった。
「伊達家、毛利家もな」
「その二家もですな」
「何とかな」
まさにというのだ。
「しておきたいが」
「どちらの家も」
「難しい」
「隙を見せませぬな」
「うむ」
その通りというのだ。
「やはりな」
「生半可な相手ではないですな」
「隙を見せればな」
その時はというのだ。
「すぐにじゃが」
「それがしもそう思いますが」
「中々じゃな」
「やはりどの家もです」
幕府がどうにかという家々はというのだ。
「難しい」
「全くじゃ」
「そうした意味では豊臣家は」
「まだな」
「はい、隙があるといいますか」
「隙ばかりじゃ」
そうした有様だというのだ。
「全く以てな」
「左様ですな」
「豊臣家については」
「あちらは気付いていませぬが」
「隙だらけです」
「何から何まで」
「だからな」
その豊臣家はとだ、家康はさらに言った。
「ああした家と比べるとな」
「まだまだですな」
「やりやすいですな」
「この三つの家は若しや」
家康は目を鋭くさせて言った。
「幕府が終わるその時までな」
「対することになる」
「そうなりますか」
「幕府の中にありながら」
「そうなりますか」
「そうやもな、だから付け城としてな」
つまり彼等への備えとしてだ。
「まず薩摩には熊本城を築いたが」
「さらにですな」
「毛利家と伊達家にもですな」
「備えをしていきますか」
「そうじゃ、西国全体の抑えに姫路城もあるが」
大坂への第一の付け城でもある。
「毛利家にはさらにじゃ」
「広島ですな」
「あの城を使いますな」
「そうしていきますな」
「元は毛利家が築いた城ですが」
「あえて」
「そうじゃ、そして伊達家にもじゃ」
島津、毛利だけでなくというのだ。
「付け城をもうけるが」
「会津若松ですか」
「あの城ですか」
「やはり伊達家の城でしたな」
「かつては本拠地ですし」
「あの城をですな」
「使いますか」
「そうする、しかも会津若松は奥羽全体の抑えでもある」
そうした城にもなるからだというのだ。
「やがては絶対に信頼出来る者に任せたい」
「そうした方を城に入れ」
「そしてですか」
「そのうえで、ですか」
「奥羽の備えとしていく」
「そうしていきますか」
「そう考えておる、出来れば親藩でしかも優れた者じゃ」
家康は会津若松に入る条件も話した。
「そうした者を入れてな」
「奥羽全体を任せる」
「伊達家の備えだけでなく」
「そうもしてもらいますか」
「会津若松はな。とにかく守りを固めてな」
そうした家々に備えてというのだ。
「幕府を盤石にしていこうぞ」
「ですか、では」
「そうしていきましょう」
「島津家等にも」
「そうしていきましょうぞ」
幕臣達も応えた、そしてだった。
家康はそうしたことにもそな上を進めていくことを決めた、駿府においてそうしていた。その家康が言った城の一つ熊本城にだ。
幸村と十勇士達が着こうとしていた、幸村は遠くに見えたその城を見て十勇士達に対して言った。
「よし、見えてきたな」
「ですな、見事な城ですな」
「天守も石垣も」
「その全てが」
「全くじゃ、あれだけの城を築けるのもな」
幸村は感嘆と共に言った。
「加藤殿ならではじゃ」
「天下でも指折りの築城の名人」
「だからですな」
「あれだけの城を築ける」
まさにというのだ。
「そういうことじゃ、それでは」
「いよいよですな」
「あの城に入り」
「そしてですな」
「そのうえで」
「そうじゃ、加藤殿とお話をする」
まさにというのだ。
「そうしてじゃ」
「そのうえで、ですな」
「いざという時のお話をする」
「そうされますな」
「今より」
「加藤殿のところに参りな」
それからというのだ。
「お話をする、それじゃが」
「はい、既にですな」
「加藤殿は我等がいることはご存知ですな」
「そのことは」
「左様ですな」
「そうじゃ」
そうだというのだ、加藤は。
「あの方ならばな」
「並の大名ならいざ知らず」
「あの方程になりますと」
「我等でもここまで来れば」
「お気付きですな」
「だからな」
それ故にというのだ。
「これよりな」
「あの城に入り」
「そのうえで、ですな」
「お話をしますか」
「そうする、わかったな」
こう十勇士達に述べた。
「今よりな」
「わかり申した」
「ではです」
「これよりです」
「我等もお供します」
「今より」
「うむ、皆で行こうぞ」
幸村は十勇士達と共に熊本城に向かった、そうしてそこで加藤と会うのだった。
巻ノ百十二 完
2017・6・24