巻ノ百十一 二条城の会食
家康と秀頼は都の二条城にて会うことが決まっていた、それで彼等と共に上洛した諸大名達もだ。
一同に会してだ、こう話していた。
「さて、二条城でお話が出来れば」
「それで、だな」
「右大臣様も大御所様の悪寒がを知ろう」
「さすれば後は楽になるか」
「そうなって欲しいが」
「果たしてどうか」
「右大臣様がご理解されても」
家康の本意、それをだ。だがだった。
ここでだ、こうも話したのだった。
「しかしな」
「茶々様がな」
「相変わらずであったわ」
ここで加藤が話した、死相が出ているその顔で。
「わしがお会いしたが」
「やはりそうか」
「伝え聞く通りか」
「何もご存知なく強く言われるだけで」
「勘気ばかりか」
「うむ、そうじゃ」
それでというのだ。
「市正も困っておるわ」
「その市正は何処じゃ」
福島が加藤に問うた。
「それで」
「今は右大臣様のお傍におられる」
加藤はこう福島に答えた。
「だからここにはおらぬ」
「そうか」
「しかしその市正も修理もじゃ」
大野治長もというのだ。
「誰もじゃからな」
「あの方をどうにも出来ずか」
「せめてな」
苦い顔でだ、加藤はこうも言った。
「ここに茶々殿をお連れ出来れば」
「それでお話が出来れば」
「今後の憂いはかなり消えたが」
「最早天下は明らかであろう」
ここでこう言ったのは景勝だった。
「ではな」
「そうであられますな」
加藤は景勝には礼儀を正して応えた、年齢も家の格も彼の方がどうしてもうえだからである。
「それは」
「ならばな」
「後はどうして家を護るか」
「それが大事よ」
こう言うのだった。
「何としてもな」
「だからですな」
「そうじゃ、だから茶々様こそな」
まさにというのだ。
「上洛されるべきだったが」
「それでものう」
「どうもな」
「大坂から出られぬ」
「意固地に我を張られておる」
「そうであるな」
「困ったことだ」
加藤はまた言った。
「我等は豊臣家の安泰を考えておってのことだが」
「あの方はそれをわかって頂けぬ」
「あくまで豊臣家の天下だと思われておる」
「最早六十数万石で天下を治める力もない」
「そうなったというのに」
「大御所様は国持ち大名で右大臣の官位は認められる」
この二つはというのだ。
「上様は内大臣だがな」
「そこじゃ」
まさにとだ、福島も言った。
「上様は内大臣であられる」
「右大臣と同じ従二位である」
このことは景勝が言った。
「しかしな」
「そうでありますな」
「同じ従二位でも右大臣の方が上」
「大御所様はそれもよしとされている」
「これはまさに破格、別格の扱い」
「まさにお墨付き」
他ならぬ家康自身のというのだ。
「ご正室千様のお父上であられる上様よりも官位で上」
「岳父であられるが」
「これだけでもかなりのこと」
「しかも後々は太政大臣にもなられよう」
「これでよしとすべき」
「もう幕府があるのだから」
「わしもそう思う」
景勝がここでまた言った。
「だからな」
「是非、ですな」
「ここは茶々様にわかって頂き」
「豊臣家の為に自重してもらう」
「それが豊臣家の為ですな」
「そうである、大御所様と右大臣様の会食もよいが」
それ以上にというのだ。
「茶々様もとなって欲しかったわ」
「全くですな、それでなのですが」
ここでだ、加藤は周りを見てこう言った。
「伊達殿は」
「あの御仁か」
景勝はいささか因縁のある彼の話になると目の光を剣呑なものにさせた、関ヶ原のことがやがり大きかった。
「今はお一人じゃ」
「左様でありますか」
「近頃、上洛の旅の間も都に入ってからもな」
「お一人で、ですか」
「おられることが多いわ」
「左様ですか」
「何を考えておられるか」
景勝は政宗についてこうも言った。
「とんとわからぬ」
「噂では」
浅野が言うそれはというと。
「何か切支丹、そして大久保家と」
「それはわからぬが」
「しかしですか」
「お一人でおられることが多い」
「少将殿とは」
娘婿である忠輝とはとだ、浅野は景勝に尋ねた。彼は秀頼の供で江戸から上洛した彼等のことは知らないのだ。
「如何でしょうか」
「いや、お二人だけになられることもない」
「そうなのですか」
「そうしたことはされぬ」
全く、というのだ。
「どうもな」
「疑われぬ様にとお考えか」
その話を聞いて浅野はすぐにこう見た。
「あの御仁は」
「ではまた天下を」
加藤は政宗の野心に気付いていた、そのうえでの言葉だ。
「そうお考えなのか」
「有り得るのう」
福島も言った。
「あの御仁なら」
「そうであるな」
「うむ、あの御仁の野心は大きい」
「しかも才覚もおありじゃ」
「だからな」
それでというのだ。
「まだ天下を狙って折ることもな」
「充分考えられるな」
「そしてじゃな」
「今もじゃ」
まさにこの時もというのだ。
「何かされておるか」
「有り得るのう」
「この前もな」
「うむ、南蛮に人をやった」
「支倉という者をな」
この話も出た。
「まさか南蛮の力を頼り」
「天下を狙うか」
「それも有り得るか」
「あの御仁なら」
こう話す、そしてだった。
そうした話をしてだ、そのうえでだった。
彼等は政宗に強い懸念を抱いていた、だが政宗は諸大名達のその目をもうわかっていてだ。
密かにだ、影にいる者達に言っていた。
「この度はじゃ」
「はい、最早ですな」
「諦めますか」
「そうされますか」
「これ以上はわしも少将殿も危うくなる」
だからだとだ、姿を見せぬ者達に言うのだった。
「全ての足跡を消せ」
「そしてですな」
「そのうえで」
「我等は手を引く」
そうするというのだ。
「この度はな」
「では、ですな」
「切支丹とのつながりのこともですな」
「全て消す」
「そうされますか」
「ご老中の大久保殿とのつながりもな」
それもというのだ。
「全てだ」
「消してそうして」
「後は大久保殿がですか」
「どうされるかですか」
「それはわしの預かり知らぬこと」
既にそうなってしまうというのだ。
「大久保殿で何とかされよ」
「ですか、では」
「少将殿もですな」
「後はですな」
「危害が及ぶことはありませんな」
「それも一切」
「そうじゃ、少将殿も伊達家も守れる」
そのどちらもというのだ。
「今のうちに動くとな」
「幕府に怪しまれようとも」
「それだけですな」
「そしてまた時を待つ」
「そうされますか」
「それだけよ、しかしどうもな」
ここでだ、政宗はその責眼を鋭くさせてだ。そのうえで影の中に潜み通dけている者達にこうも言った。
「天下は定まってきたか」
「幕府に」
「そうなってきましたか」
「今は」
「そうした状況になってきていますか」
「幕府の政は盤石じゃ」
そうなってきているからだというのだ。
「そして民達も幕府に懐いてきておる」
「天下が泰平になることを望み」
「そのうえで」
「民に苦労をさせぬ政もしておってな」
このこともあってというのだ。
「かなりじゃ」
「幕府になつき」
「天下は幕府の治に従いだしている」
「そうなっていますか」
「わしが天下を握ろうとしても」
今もそれは諦めていないがというのだ。
「それは出来ぬやもな」
「最早ですか」
「それは適わぬ」
「そうなってきていますか」
「そうも思えてきた、若しそうならな」
天下を獲る夢が適わぬなら、というのだ。
「後はな」
「ばい、それではですな」
「もうですな」
「それを諦め」
「そのうえで、ですか」
「仙台という場所にも民にも愛着が出て来た」
そうなってきたからだというのだ。
「思う存分治めてみるか」
「そしてそのうえで、ですか」
「仙台を豊かにされますか」
「そうお考えですか」
「そうするか、まあ大坂の動き次第ではな」
もっと言えば茶々だ、政宗から見れば彼女は何もわからず勝手ばかりしている女でしかない。
「また戦になるがその場合はな」
「大坂が敗れる」
「そうなるとお思いですか、殿は」
「その様にですか」
「戦は総大将がどうかが大きい」
まさにというのだ。
「それを考えるとじゃ」
「どうにもですな」
「大坂は随分と分が悪いですな」
「右大臣様はまだお若い」
「しかも茶々様のお力があまりにも強いので」
秀頼も元服しているが茶々は相変わらず絶対と言ってもいい権勢で大坂の城にいるのである。
「茶々様が総大将」
「大坂のですな」
「そしてその茶々様が総大将なら」
「どうしてもですな」
「勝てる筈がない」
大坂がというのだ。
「大御所様にな」
「ですな、では」
「それではですな」
「戦になれば大坂は敗れる」
「そうなってしまいますな」
「茶々殿は政もわかっておられぬが戦も同じじゃ」
やはり全くわかっていないというのだ。
「おなごというよりもな」
「そもそもですな」
「何もですな」
「わかっておられぬ」
「そうした方ですな」
「しかもわかっておられぬことをわかっておられぬ」
つまり何もかもがわかっていないというのだ。94
「それではな」
「敗れますな」
「どうしても」
「そうならぬ筈がありませぬな」
「それでは」
「しかも大坂の味方なぞな」
それもというのだ。
「おらぬ」
「ですな、最早」
「誰も大坂にはつきませぬ」
「天下の流れは明らかですし」
「茶々様が総大将では」
「とてもです」
「お味方は出来ませぬ」
影の者達も言う。
「それでは」
「最早」
「そういうことじゃ、戦になってもな」
到底というのだ。
「つく大名はおらぬわ」
「では全く以てですな」
「豊臣家は孤立ですな」
「そうなっていますな」
「左様、大坂の外から見れば一目瞭然じゃ」
それこそというのだ。
「まさにな」
「しかしそれでもですな」
「茶々様はわかっておられませぬな」
「あの方は」
「どうしても」
「そうじゃ、まだ豊臣家が声をかければな」
茶々が思うにはだ。
「天下の半分はつくと思われておるが」
「しかしですな」
「それはそうはならない」
「それどころか誰もついて来ない」
「そうなりますな」
「そして敗れるわ」
そうなってしまうというのだ。
「どうせ大坂城に篭れば勝てると思っておられるのであろうが」
「どの様な城も天下全体で囲めば」
「攻め落されまする」
「あの方はその様なこともわかっておられない」
「まさに何一つとして、ですな」
「その通りじゃ、わかっておられぬわ」
実際にというのだ。
「それではじゃ」
「敗れそうして」
「滅びますな」
「では戦になれば」
「当家も」
「幕府につく」
当然といった口調での返事だった。
「伊達家はな、しかも天下が乱れる前にな」
「大坂は滅びる」
「そうなりますか」
「必ず」
「そうなりますか」
「もうわしも天下を諦める時が来たのかもな」
その左目を閉じて瞑目させてだ、政宗は言った。
「最早天下の流れは明らか、だからな」
「それを諦め」
「そしてですか」
「後はですな」
「仙台で」
「政に励むか」
こう言ってだ、政宗は手を引くことにした。そのうえで後は何食わぬ顔で大名達の前にも家康や忠輝の前にも顔を出した。
その政宗を見てだ、秀頼との会見を前にした家康は幕臣達に言った。
「あの者、どう思うか」
「はい、伊達殿ですな」
「あの方はですな」
「実に大胆ですな」
「ふてぶてしいですな」
「見事なものじゃ」
家康はその年老いた顔に皮肉も浮かべて言った。
「まるで何もなかったかの様じゃ」
「つまりもう既にですな」
「尻尾は消してある」
「何かをしようとしていた企みは」
「最早、ですな」
「そうであろうな、しかし何とか掴んでな」
伊達家が天下転覆を狙っていたそれをというのだ。
「そうしてじゃ」
「そのうえで、ですな」
「何とか尻尾を掴み」
「そうして」
「何とかじゃ」
まさにというのだ。
「伊達家を取り潰すぞ」
「そうしますか」
「何としても」
「これを機に」
「そうしますか」
「大方伊達家が黒幕じゃ」
まさにというのだ。
「大久保家ではなくな」
「あちらの家の方がですな」
「少将様の預かり知らぬところで」
「そうしてそのうえで」
「天下取りを企んでいた」
「そうなのですな」
「そんなところじゃ」
まさにというのだ。
「あの者、何とかな」
「ここで何とか取り潰し」
「天下の乱れを封じますか」
「そして次はですな」
「どうしても」
「そうじゃ、あの者だけは」
こう言ってだ、何としてもだった。
家康は伊達家を滅ぼすつもりだった、しかし彼もそれは表に出さずそのうえでだった。政宗と会ってだった。
そのうえでだ、遂にだった。
秀頼と会って食事を共にした、その時にだ。
ふとだ、こう秀頼に言った。
「おはつにお目にかかる」
「はい」
秀頼もしっかりとした態度で応えた。
「こちらこそ」
「して右大臣殿」
あえて殿付けで彼を呼んでのことだった。
「宜しいか」
「はい、大御所様としてな」
「貴殿を大事に扱う」
このことを約束するのだった。
「何があろうとも」
「それでは」
「はい」
それでというのだった。
「それがしはですか」
「わしの話を聞いて頂きたい」
「これより」
「右大臣、そして後々になるが」
「太政大臣の官位も」
「就かれよ」
それもというのだ。
「是非」
「そうしていいですか」
「左様、しかし」
ここでだ、家康は秀頼に彼が願うことを言うのを忘れなかった。
「それは後にされよ」
「官位をすぐにはですか」
「上げられるのは」
「止めよと」
「官位が早く上がるのは不吉」
だからだというのだ。
「それは後にして」
「そしてですか」
「今はご自身を高められよ」
「そうあるべきですか」
「そして国持ち大名の立場を約束致す」
このことも言うのだった。
「確かな城も」
「ですがそれには」
「大坂を頂きたい」
秀頼が今いるこの地をというのだ。
「そしてそのうえで」
「一国のですか」
「大和か上総ならば下総も加えて」
場合によっては二国もいいというのだ。
「そのうえで」
「確かな城に入り」
「主となられよ」
「大坂は、ですか」
「頂きたい」
家康ははっきりとだ、秀頼にこのことを伝えた。
「是非」
「そうですか」
「お嫌か」
「正直に申し上げまして」
どうかとだ、秀頼は家康に答えた。
「それがしもです」
「大坂にはですな」
「生まれてから住んでおりまして」
それでというのだ。
「愛着があり申す」
「左様ですな」
「しかし天下の流れは明らか、それに豊臣が大坂にいるより」
それよりもというのだ。
「幕府が治められた方が宜しいでしょう」
「そう言って頂けますか」
「はい、そう思う次第です」
秀頼は家康にはっきりと答えた。
「それがしも今では」
「そうですか、では」
「はい、大坂を出る様にです」
「動かれますな」
「そうします、そして」
さらに言う秀頼だった。
「大坂そして摂津、河内、和泉の民は」
「無事にです」
「治めて頂きますか」
「その様に致します」
家康は再び約をした、それも確かな声で。
「無論右大臣殿のことも」
「それがしのことは別に、ただ」
「民はですな」
「安らぐのなら」
「それでは以後豊臣家は別格の家として」
その立場でというのだ。
「それがし対しましょう」
「そうして頂けますか」
「千は元気ですな」
家康は秀頼の正室であり彼の孫である彼女のことも聞いた。
「左様ですな」
「はい」
そうだとだ、秀頼も答えた。
「ご安心下さい」
「それは何より。では終生」
「仲睦まじくですな」
「過ごされよ、それがこの年寄りの願いです」
「そうですか、しかし」
「しかし?」
「大御所様はそれがしの祖父、しかも位も上」
源氏長者の立場になったというのだ。
「それでは口調も」
「ははは、どうしてもですな」
「どうしてもとは」
「右大臣殿がご幼少の頃に対していた時の名残で」
「それで、ですか」
「この喋り方なのです」
そうだというのだ。
「右大臣殿には」
「そうなのですか」
「お気になりますか」
「どうも、祖父殿にそう言われると」
「それがしを祖父と」
「いつも千から聞いておりまする」
秀頼は微笑み家康に応えた。
「それがしのことをどう思っておられるか」
「そうでしたか」
「そして天下のことも」
それのこともというのだ。
「どうお考えか」
「全てですか」
「千から聞いておりました」
「それは何より」
家康も満足出来ることだった。
「それでは」
「そのお話のままに」
「はい、安らかにさせてもらいます」
秀頼も豊臣家もというのだ。
「よいお返事をお待ちしておりますぞ」
「今すぐではなく」
「今すぐは無理であられましょう」
それはというのだ。
「残念ですが」
「それは」
「ははは、言わずにおきましょう」
あえて茶々のことは話さなかった。
「しかしそれでも」
「大坂で話がまとまれば」
「その時は」
まさにというのだ。
「よき様に」
「それでは」
二人で酒も飲みつつ話した、そして。
その酒についてだ、家康はこうも言った。
「やはり酒は上方ですな」
「東の酒は」
「これがどうも」
酒については苦笑いで話した。
「よくありませぬ」
「そういえば土が悪いとか」
「ご存知ですか」
「聞いておりまする」
その様にというのだ。
「東国は土が悪く」
「はい、それで水もえらく塩辛く」
「それで、ですな」
「米の味もよくなく」
「米から造る酒もですな」
「よくありませぬ」
その味がというのだ。
「どうにも」
「だからですか」
「こう言った次第です」
酒は上方がよい、と言ったというのだ。
「都の酒は美味いですな」
「それがしも思いまする」
秀頼は微笑み家康に返した。
「都、播磨、そして大坂はです」
「酒が美味いですな」
「無論米も」
「そうですな、久方ぶりに飲みましたが」
「よいですか」
「また飲みたいものですな」
ここで秀頼を見て言ったのだった。
「貴殿と」
「そう言って頂けますか」
「祖父と孫では駄目でしょうか」
その血縁のことも話に出した。
「それで二人で」
「都の酒をですか」
「再び」
「よいですな」
秀頼はにこやかな笑みになって家康に応えた。
「それは実に」
「では」
「はい、その時は」
「二人で飲みましょう、これはです」
家康にさらに言った。
「それがしが祖父殿に対するです」
「約ですな」
「そうなります」
「ではその時を楽しみにして」
「今はですな」
「今を楽しみましょうぞ」
二人で話してだ、そうして会食を行った。家康はその後で幕臣達に対して実に上機嫌で言った。
「よかったわ」
「右大臣様とのご会食は」
「左様でしたか」
「うむ、よき御仁になられておる」
こう言うのだった。
「我が孫の婿に相応しい」
「では、ですな」
「一国を預けられる」
「その様にされますか」
「それをよしとも言われた」
秀頼はというのだ。
「ならばな」
「それで、ですな」
「よしとされますな」
「そしてそのうえで」
「別格の家としてですな」
「扱われますか」
「大坂からも出られるという」
秀頼がこのことを約したことも話した。
「それならもうわしも多くは言わぬ」
「それでよし、ですな」
「ではやがては」
「大坂から出て頂き」
「他の国で暮らして頂きますか」
「そうしよう、これで太閤殿との約も果たせる」
家康はこのことを忘れていなかったのだ、臨終の床の秀吉に秀頼を頼むと言われたことをだ。
「約、信を違えるのは好きでないしな」
「しかも幕府が信義を破れば」
「一体誰が信義を守るのか」
「それは天下の要ですな」
「信なくば立たずですし」
「林大学も言っておる」
朱子学の学者だ、今は家康に仕えている。
「約束は守ってこそじゃ」
「天下が治まる」
「まさにその通りですな」
「戦国でもやはり裏切りはよき顔をされませんでした」
「それではですな」
「その通りじゃ、戦国の世でもな」
例え裏切りが常であった時でもというのだ。
「誰も松永弾正を信じてはおらんかったな」
「はい、下剋上と裏切りを常とする」
「そうした御仁ではです」
「誰も信じることはしませぬ」
「間違っても」
「ましてや戦国の世を終わらせるつもりならな」
その考えならというのだ。
「信を守ってこそじゃ」
「即ち約を破らぬ」
「決してですな」
「だからこそですな」
「右大臣殿は滅ぼさぬ」
「お命を全うしてもらいますか」
「豊臣家もな、そしてじゃ」
さらに言うのだった。
「一国と確かな城を渡しやがては親藩になってもらうか」
「松平の姓を授けされますか」
「そうされますか」
「うむ、そうしてな」
そのうえでというのだ。
「幕府の中で生きてもらうか、しかし」
「はい、茶々殿ですな」
「あの方ですな」
「どうしてもですな」
「気になりますな」
「そうじゃ、この度の会食は右大臣殿だけでなくな」
彼と会い話せたことはよしとしてもだ。
「出来ればな」
「茶々殿ともですか」
「お話をしたかった」
「そうだったのですな」
「やはり」
「そうであった、しかしな」
それでもとも言うのだった。
「茶々殿は大坂から出られぬ」
「右大臣様以上に」
「そうした方ですな」
「そして何も見えておられずわかっておられず」
「おかしなことを続けられますか」
「それがわかっておるからな」
だからこそというのだ。
「お会いしたかったが」
「それは適わなかった」
「残念ながら」
「そしてそのことがですか」
「後々にですか」
「響かねばよいがのう、してな」
さらに話した家康だった。
「大久保家のことじゃが」
「どうも、ですな」
「伊達家は全て隠した様ですな」
「伊達殿が急に人と交わる様になりました」
「それを見ますと」
「そうであろう、しかし半蔵ならな」
服部半蔵ならばというのだ。
「必ずな」
「証拠を掴んでくれる」
「そうしてくれますか」
「では、ですな」
「ここは」
「うむ、後はじゃ」
まさにというのだ。
「半蔵に任せた、ではここですることも終わったからな」
「駿府に帰りますか」
「そうしますか」
「ここは」
「そうしようぞ、そして虎之助はのう」
加藤のことも思うのだった。
「最後に大きな働きをしてくれた」
「全くですな」
「浅野殿と共に」
「右大臣様を都まで連れて来て下さいました」
「実に大きな働きでした」
「このこと、必ず生かす」
加藤の祭儀斧大きな働きをというのだ。
「あの者の心も無駄にはせぬぞ」
「右大臣様とも約を取れましたし」
「それではですな」
「穏やかにことを進める」
「そうしていかれますか」
「そうしていく、ではよき国を見付けてじゃ」
秀頼にというのだ。
「そしてその国にじゃ」
「よき城を築き」
「そこに入ってもらいますか」
「そしてその国を治めてもらいますか」
「これまで話した通りにな、では駿府に戻ろうぞ」
こう言ってだ、家康は諸大名や幕臣達を連れて駿府まで戻った、彼は天下泰平の為に着々と手を打っていた、しかし。
その手は彼の見方では万全であるだけだった、そのことが自分でもわかっていたがそれ以上のことは出来なかった。人であるが故に。
巻ノ百十一 完
2017・6・15