巻ノ百七 授かった術
幸村は空の中で不動と何時終わるとも知れぬ修行を行っていた、もっと言えばその修行を課せられていた。
不動の紅蓮の炎に剣も己の心を具現化させた刀で受け止めてだ、彼は言った。
「何とかです」
「余の一撃を受けたな」
「これまで修行をしてやっと」
ようやくと言うのだった。
「それが出来ました」
「そうだな、だが」
「それでもですね」
「ようやくだ」
それに過ぎないとだ、不動も言った。
「そなたはこの域に来たのだ」
「明王の剣を受けられる」
「そこまでな、だが」
「だがといいますと」
「この域まで来られたのは僅かだ」
こうも言うのだった。
「人ではな」
「そうなのですか」
「そうだ、そなたとだ」
不動はさらに言った。
「真田家の初代か」
「我等のですか」
「その者だけであった」
「そうだったのですか」
「そのことは見事だ、そしてだ」
「初代はですね」
「ここから極めてだ」
そうしてというのだ。
「ある術を備えた」
「実はです」
「わかっている、そなたもだな」
「その術を極めてです」
「備えたいな」
「そして」
幸村はさらに言った。
「その力で道をさらにです」
「進みたいか」
「武士の道を、さらに強くなり」
その術を備えることによってというのだ。
「そうしたいのです」
「わかった、ではだ」
「それならは」
「そなたもわかっていよう」
不動は幸村と激しい打ち合いをしつつ言った、身体も切り合うがお互いに傷付くことは一切ない。
「七匹の龍を」
「それがしの中にある」
「身体の中央にな」
「下から上にですな」
「龍達がおる」
それぞれというのだ。
「その龍達が一匹一匹ずつ目覚めてな」
「そしてですな」
「お主が悟れば」
龍達が目覚めたうえでだ。
「お主は星達を見る」
「星達を」
「七つ、もっと言えば八つのな」
「その星達はまさか」
幸村は不動のその言葉を聞いてはっとなって言った。
「あの」
「そうじゃ、七曜じゃ」
「左様ですな」
「その星達の力が入りな」
幸村のその中にというのだ。
「お主はその星達の力を得るのじゃ」
「この修行の葉てには」
「あの星の力を使えば」
それでというのだ。
「お主の望む通りの働きが出来よう」
「左様ですな」
「ではじゃ」
「はい」
幸村は不動にあらためて答えた。
「お願いします」
「お主の目は澄んでおる」
そこから幸村の心も見ての言葉だ。
「悪しきものはない、既にその悪しき心は焼いたが」
「それでもですか」
「最初かわ僅かであった」
人にはどうしてもそうしたものがあるがというのだ。
「しかしそれもなくこれまでよりな」
「澄んで」
「よいものになっておる、若しあの時悪しき心が多ければ」
「あの炎に焼かれ」
「滅んでおった」
心ごとだ、そうなっていたというのだ。
「そして今もな」
「それを乗り越えても」
「余に見抜かれておった」
あらゆる魔を降す明王の棟梁である彼にというのだ。
「そうなっておった」
「左様でありましたか」
「お主のその心ならな」
「七曜の力を得ても」
「問題はない」
「悪しきことに使わぬと」
「そうじゃ」
まさにというのだ。
「それはないわ」
「そう言って下さいますか」
「余の目はあらゆる魔を見る」
そして邪をというのだ。
「だからな」
「おわかりになられて」
「そしてじゃ」
「降すと」
「そうする」
「しかしそれがしには」
「ない、その力を得よ」
七曜のそれをというのだ。
「必ずな、そしてじゃ」
「その力で」
「大事を為すのじゃ」
幸村にこうも言った。
「よいな」
「はい、それでは」
幸村も頷いた。
「そうさせて頂きます」
「修行はさらにきつくなる」
不動のそれはというのだ。
「ここでのな、しかしな」
「それでもですな」
「折れるでない」
「心が」
「その刀は心じゃ」
幸村が今持っているそれはというのだ。
「お主の心が折れればな」
「それで、ですな」
「刀も折れる」
「だからですな」
「決して折れるでないぞ」
「そして折れずに修行をすれば」
「備えることが出来る」
「その術を」
「だからじゃ、よいな」
「はい、これから何があろうとも」
「折れぬことじゃ」
修行の間というのだ。
「よいな、余の修行は厳しいが」
「耐えてみせます」
「その意気じゃ、お主が七曜を入れられる器になれば」
修行を経てというのだ。
「その時こそな」
「七曜の術もですな」
「備えられる、よいな」
「わかりました」
幸村も頷いた、そしてだった。
そのまま不動に修行をつけてもらっていった、休む間もなくしかも飯も水もなく気が遠くなるだけの時を修行していた。
しかし幸村は倒れない、それが何故か彼もわかった。
「今のそれがしは肉体がないので」
「うむ、魂だけじゃ」
不動も言う。
「お主はここに至るまでの修行の中でじゃ」
「身体がら魂が離れてですな」
「ここに至ったのじゃ」
「そうでしたな」
「そしてだ」
さらに言う不動だった。
「魂だけならな」
「休む必要もなく」
「疲れることもない、しかし」
「何時果てることなくい続く」
「そのうえこの激しさじゃ」
不動の呵責のない、まさに全ての魔を滅ぼす激しさでの攻めだ、それに対する故になのだ。
「ずっと耐えられるか」
「その勝負ですな」
「己へのな」
「そしてそれに耐えれば」
「強くなっていきじゃ」
そしてというのだ。
「七曜の力を備えられる」
「そうしたものですな」
「うむ、しかしな」
「それでもですな」
「そもそも余の前に至った者すら五人とおらぬ」
「そして七曜を備えた者は」
「一人だけじゃ」
まさにというのだ。
「お主の初代じゃ」
「そこまでのものですな、しかし」
「七曜の力をじゃな」
「はい、是非」
何といってもとだ、幸村は不動に毅然として答えた。
「その所存です」
「そうじゃな、ではじゃ」
「これからもですな」
「修行を続けるぞ」
「それでは」
幸村は不動の激しい剣撃を防ぎつつ応えた、そして彼も刀での攻撃を加えてだった。そのまま修行をしていった。
その中でだ、次第にだった。
幸村は不動と互角になってきていた、その太刀捌きそれに身のこなしを見て不動は唸って言った。
「うむ、少しずつじゃが」
「強くなっていますか」
「余に並ぼうとしている」
「不動尊に」
「余は明王の首座」
その位置にある存在だというのだ。
「他の明王以上に強い」
「だからあらゆる魔を降せるのですな」
「そうじゃ」
まさにというのだ。
「それだけにじゃ」
「強いですな」
「その余に並ぼうとしておる」
「そうなのですか」
「このままいけばな」
まさにというのだ。
「お主は余に並び」
「そしてですか」
「七曜の力を備えられる」
そこまでに至るというのだ。
「このままいけばな、それにな」
「それにとは」
「ここでの時の流れは人にはわからぬが」
それでもとだ、不動は忍の身のこなしさえ使って挑む幸村の攻めを受けつつそのうえで言うのだった。
「人の世では一睡、禅の間のことじゃが」
「それでもですか」
「ここでは十年二十年」
「そこまで長いですか」
「お主はその二十年の間休まず鍛錬をしておる」
不動を相手にというのだ。
「見事じゃ」
「それもですか」
「実にな」
「長い修行はです」
「苦とは思わぬか」
「はい、道を極めると思えば」
それならというのだ。
「それがし百年でもです」
「修行をするか」
「そうしていきます」
まさにというのだ。
「このまま」
「そうか、その意気ならばな」
「それがしも」
「至れる」
こう言うのだった。
「間違いなくな」
「では」
「うむ、続けるぞ」
「このまま」
二人は無限とも言える時修行を行った、そしてだった。
ある時遂にだ、幸村は不動の攻めを全て完全に防ぎ切った。ここで不動は幸村に対して言った。
「見事」
「見事、では」
「お主は遂に備えた」
こう言うのだった。
「力をな」
「七曜のですか」
「そうじゃ」
まさにそれをというのだ。
「備えたのじゃ」
「それがおわかりですか」
「余の攻めを全て防いだな」
「はい、今しがた」
「それが出来たということはな」
まさにというのだ。
「お主が至ったということじゃ」
「七曜の力を受けるまでに」
「余の力は全ての魔を降すもの」
その不動と互角に防いだからにはというのだ。
「それに至ったからにはな」
「力を備えたので」
「お主は遂にじゃ」
「七曜の力を備え」
「そしてじゃ」
そのうえでというのだ。
「今よりお主に七曜の力を与えよう」
「これより」
「ではな」
こうしてだった、不動は幸村に七曜の力を授けた。不動は授けてから幸村にあらためて言った。
「お主の修行は終わった」
「七曜の力を授かったので」
「全てな、この力を使えばな」
「何が出来るでしょうか」
「お主は七人に分かれることが出来る」
「七人に」
「その七人は全てお主じゃ」
幸村自身だというのだ。
「戦の時も戦え、そして」
「いざという時には」
「采配も振るえ影武者にもなる」
「そうなのですか」
「だからじゃ」
それでというのだ。
「その力で戦え、よいな」
「わかり申した」
幸村は不動に確かな声で答えた。
「それでは」
「これよりな」
「人の世に戻り」
「時が来ればな」
「この七曜の力を使い」
「戦うのじゃ」
こう幸村に告げた。
「よいな」
「わかり申した」
幸村も確かな声で答えた。
「それでは」
「お主のことを見ておるぞ」
不動は強い声で幸村に言った。
「仏界からな」
「仏界、では」
「この空は仏界じゃ」
彼等が今いるこの場はというのだ。
「そしてじゃ」
「それがしはこの世にいてですか」
「余と修行をしておった、そしてな」
「その修行の時は長かったですが」
「人の世では一瞬じゃ」
それだけだったというのだ。
「ほんのな」
「そうだったのですか」
「それが世だ、永遠と思えるものでもな」
「ほんの一睡のことですか」
「一瞬のな、そういうものだ」
「そのこともですか」
「覚えておくのだ」
幸村にこうも言うのだった。
「よいな」
「はい」
幸村は不動に確かな声で答えた。
「そうさせて頂きます」
「ではな」
「はい、有り難うございました」
幸村は不動に最後は深々と頭を下げた、そしてだった。
気付くともう座禅の場にいた、そして彼はすぐに立ち上がって十勇士のところに戻って修行のことを話した。
するとだ、彼等は唸って言った。
「そうですか、その様なものでしたか」
「それが殿の修行ですか」
「いや、そんなものとは」
「仏界で修行とは」
「しかも不動明王と」
「不思議なものじゃ」
幸村自身も言う。
「こうしたことがあるとはな」
「全くですな」
「あるとはいえど」
「いや、仏界とは」
「そこでの修行とは」
「何とも」
「そしてじゃ」
幸村はさらに話した。
「今話した通りにな」
「七曜ですな」
「その力をですな」
「殿は授かった」
「不動尊より」
「そうじゃ」
まさにというのだ。
「これもじゃ」
「ですか」
「ではその七曜の術で、ですか」
「これからは戦う」
「そうされますか」
「そのつもりじゃが」
しかしとだ、ここで幸村は十勇士達に言ってだった。そのうえで彼等にその七曜の術を見せたが。
しかしだ、ここで彼等はその術を見て唸って言った。
「その術を使えば」
「かなりですな」
「敵も戸惑います」
「凄い術ですな」
「拙者もこう思う、この術を使えばな」
まさにというのだ。
「かなりのもの、これからはな」
「その術も使い」
「そして戦い」
「敵に勝つ」
「そうされますか」
「そのつもりじゃ、しかしこの術は今使ってみたが」
試しにというのだ。
「かなり気力と体力を使う」
「だから普段は使えぬ」
「そうそう使える術ではないですな」
「そうした術ではないですな」
「どうにも」
「そう思った、だからな」
それでというのだ。
「いざという時の切り札でじゃ」
「普段は使わぬ」
「そうされますか」
「ではそうしてですな」
「ここぞという時に使われますか」
「そうするとしよう」
こう言ったのだった、修行を終えた後で。この世での修行の時はまさに一睡のことであったが彼にとっては気が遠くなる位の時を経てこれ以上はないまでの術を備えることが出来た。
幸村は昌幸にも修行とその結果のことを話した、すると昌幸は驚きこそしなかったがこう言った。
「見事じゃ、まさかそこまで至るとはな」
「思われなかったですか」
「若しやとは思っていたが」
「それでもですか」
「よくやった」
我が子に労いの言葉も贈った。
「ではその術でな」
「時が来れば」
「ことを為せ、その術があればな」
「どの様なこともですか」
「出来るであろう」
こう言うのだった。
「必ず果たせ」
「それでは」
「わしもその時まで生きるつもりじゃが」
ここでだ、昌幸はこんなことも言った。
「しかし人の生き死にはわからぬ」
「だからですな」
「その時におらねばな」
「拙者がですか」
「お主だけでもじゃ」
それでもというのだ。
「ことを果たせ」
「わかり申した、しかしそれがしだけでは」
「気付いておったか」
「はい、それがしは名が知られておりませぬ」
どうしてもとだ、幸村は昌幸の己のことを話した。
「天下に広くは、いえ」
「天下では知る者も多い、お主のことはな」
「そして十勇士達も」
「天下の士は知っておる」
確かにというのだ。
「それは間違いない、しかしな」
「茶々様とその周りの方々は」
「知られぬ」
幸村、彼のことはというのだ。
「わしのことは知っておられるがな」
「それ故にですな」
「わしの話は聞いて頂けるが」
「お主の話はじゃ」
「どうしてもですな」
「聞かれぬ」
そうだというのだ。
「そこが問題じゃ」
「やはりそうですか」
「大野殿や片桐殿はご存知じゃ」
豊臣家の家老である彼等はというのだ。
「お主のこともな」
「大阪にもよく入っておりましたし」
「だからな」
それでというのだ。
「お二方はご存知じゃ」
「それはよいことですが」
「お二方、特に大野修理殿は茶々様に逆らえぬ」
「他の方には是非を言われても」
「茶々様には言えぬのじゃ」
「だからですな」
「そこが弱みになってな」
それでというのだ。
「茶々様がお主がこれぞと思って言ってもじゃ」
「それを茶々様が聞かれず」
「大野殿はその茶々様を止められぬ」
「わしなら茶々様もお止め出来るがのう」
「そこが問題ですか」
「どうにもな」
こう言うのだった。
「だからわしがおるべきじゃが」
「それでもですな」
「果たしてどうなるか」
「だから今はですか」
「身を養っておる」
歳を考えてそうしているというのだ。
「時まで生きられる様にな」
「左様でしたか」
「そういうことじゃ、それではな」
「はい、今もですな」
「身を慎んでじゃ」
そしてというのだ。
「長生き出来る様にしておる」
「そうなりますか」
「左様じゃ」
「そうですか」
「何としてもな、しかしな」
「そのことはですな」
「わしだけではない」
昌幸は幸村にこうも言った。
「むしろじゃ」
「大御所殿の方が」
「そうじゃ、あの御仁の方がじゃ」
家康のことも言うのだった。
「そのことに必死じゃ」
「父上よりご高齢ですし」
「されようとしていることもな」
それもというのだ。
「わしよりも大きい」
「だからですな」
「わし以上にじゃ」
「意識されてですな」
「長生きされようとしている」
そうだというのだ。
「あの方はな」
「そうですな
「ご自身で薬を調合されてな」
「それを飲まれ」
「そして鍛錬も欠かされぬという」
高齢になってもというのだ。
「食も節制されてじゃ」
「贅沢に溺れず」
「そうされておる」
「だからですな」
「あの御仁はわし以上じゃ」
「そして長生きをされて」
「生きておられるだけな」
まさにその間にというのだ。
「幕府の地盤を固めようとされておる」
「そしてその一つとして」
「大坂も手に入れるおつもりじゃ」
この地をというのだ。
「その様にもお考えじゃ」
「江戸から東国を抑えていて」
「駿府や名古屋と天下の要所も抑えた」
「そして越前も」
「そうじゃ、しかしな」
「西国を完全に抑え治めるには」
「何といっても大坂じゃ」
この地だというのだ。
「だから何とかな」
「生きておられるうちに」
「あの地を収められるつもりじゃ」
「では大御所殿が生きておられるうちに」
「何としてもじゃ」
昌幸は幸村に答えた。
「天下を全て治められる為に」
「動かれますか」
「その為にな、だからな」
「大坂を手に入れられる為に」
「多少手荒なこともじゃ」
「有り得ますか」
「うむ」
そうだというのだ。
「そうなる」
「ですか、では」
「その大御所殿に負けぬ様にな」
「父上は長生きされますか」
「養生に務めてな」
そうしてというのだ。
「何とかじゃ」
「では是非」
「そうしていく、あと気になることは」
「何でしょうか」
「お拾様じゃが」
秀頼のこともだ、昌幸は話した。
「中納言からこの度右大臣になられるな」
「その様ですな」
「早いのう」
眉を曇らせてだ、昌幸は言った。
「どうにも」
「官位が進むのは早いのはですな」
「不吉というな」
「源右大臣殿もですな」
鎌倉幕府の三代将軍源実朝だ、事実上源氏の棟梁としての鎌倉幕府最後の将軍として知られている。
「あの方も」
「官位を早く進んでな」
「そうしてですな」
「殺められた」
「左様でしたな」
しかも甥である公暁にだ。
「そして源氏の血は完全に途絶えました」
「あの一族はそもそも身内同士で殺し合ってきた」
「それも代々」
「その最期でな」
実朝が殺され殺した公暁も口封じで消された。
「源氏の忌まわしい因縁でもあるが」
「それでも」
「あれはない」
こうも言った昌幸だった。
「無残なことじゃ」
「そうしたこともあるので」
「官位はゆっくりとじゃ」
「進む方がいいですな」
「むしろじゃ」
「お拾様はですな」
「源右大臣殿よりもな」
その実朝よりもというのだ。
「早いな」
「はい、官位が進むのが」
「だから余計に不吉じゃ」
「元服しないうちに中納言で」
「今度は右大臣じゃ」
そこまで早いのはというのだ。
「幾ら何でもな」
「不吉に過ぎますな」
「うむ」
そうだというのだ。
「わしはそう思う」
「では」
「何もなければよいが」
「官位のことからも」
「うむ、そう思う」
こう言うのだった。
「不吉だとな」
「このことも茶々様たってのことでしょうか」
「その様じゃ」
実際にというのだ。
「あの方がな」
「朝廷にお願いして」
「銀や金もかなり使われてな」
色々と贈りものもしてというのだ。
「お拾様の官位を高めておられる」
「それで官位では大御所殿の次にですな」
「高くなられておる、むしろ江戸の竹千代殿と比べても」
「同じ程で」
「あまりにもお若い」
右大臣になるにはというのだ。
「茶々様はこのことについてもご存知ない様でのう」
「このこともですな」
「しきりにされておる」
「おそらく関白にですな」
秀頼をというのだ。
「されたいのですな」
「そうお考えだと思う」
「そうですか、やはり」
「そして太閤にもな」
「なって頂きたいのですな」
「あの方の様にな」
秀吉の様にというのだ、他ならぬ秀頼の父である彼のだ。
「そうなって頂きたいのじゃ」
「だから急いで、ですか」
「官位を上げられておるが」
「それがかえって不吉ですか」
「そうならねばよいが」
「お止め出来る方もですな」
「このことでもおられぬ」
茶々をというのだ。
「残念なことにな」
「難しいことですな」
「全くじゃ、しかしな」
「しかしですか」
「わしなら出来る」
昌幸ならばというのだ。
「周りの女御衆にも言わせぬ」
「それこそ何も」
「そう出来る」
まさにというのだ。
「それもな」
「左様ですか」
「その時はな」
「では」
「うむ、大坂に入ればじゃ」
その時はというのだ。
「わしはお拾様の傍らで縦横に采配を振るう」
「政も戦も」
「両方な、茶々様にも言わせずにな」
「しかしそれがしならば」
「おそらく出来ぬ」
幸村はというのだ。
「先程話した通りにな」
「名が知られていないので」
「茶々様や女御衆にな」
「ですか」
「そういうことじゃ、それと前から思っておったが」
ここで昌幸はこうも言った。
「茶々様はお母上によく似ていると言われる」
「あのお市の方ですか」
「元右府殿の妹君のな」
信長の妹のお市の方だ、既に北ノ庄で夫となっていた柴田勝家と共に自害して果てている。
「お顔立ちや背丈が似ているというが」
「お市の方は非常にもの静かだったとか」
「兄君と違いな」
信長の激しやすい性格はつとに知られている、その彼とは兄妹でもというのだ。
「そうした方だったというが」
「そして政もですな」
「何も言われぬがわかっておられたという」
「だから金ヶ崎でも小豆を贈られた」
「両方を縛った袋に入れたな」
信長にそうしたことも話した。
「危機を知らせる為に」
「わかっておられたからこそこそ」
「そうじゃ、しかしな」
「それがですな」
「茶々様は非常に激しやすい」
むしろ信長以上にだ、その気性の激しさは天下に知られている。
「しかも何もわかっておられず」
「お市の方とは違い」
「中身は全く似ておられぬな」
「そう思われますか」
「どうもな」
こう言うのだった。
「むしろ初様、江様の方がな」
「お市の方に似ておられますか」
「姉妹の仲は睦ましいという」
三姉妹のそれはというのだ。
「おそらくお二方は気が気でないであろう」
「茶々様のことが」
「これからどうなるかな」
「左様ですか」
ここまで聞いてだ、幸村は一旦目を閉じてそのうえでえ言った。
「茶々様はそうしたこともですな」
「官位や妹君の方々のお気持ちもな」
「お気付きではないですか」
「その様じゃ」
「まるで盲目ですな」
「何しろずっと大阪城の本丸から一歩も出られぬ」
そこにいてというにだ。
「それならばな」
「何もご存知ないのも道理ですか」
「そしてそれはお拾様も同じ」
「これまで大坂城を出られたことがないとか」
「それではご見識が危うくなる」
「書の学問だけではないですからな」
「だから元服したばかりのお主に天下を巡らせたのじゃ」
昌幸は幸村が十勇士達と巡り合ったその旅のことを話した。
「わしもな」
「左様ですな」
「旅を巡ってあらゆることを観て回るのもな」
「学問ですな」
「そうじゃ」
その通りだというのだ。
「だからじゃ」
「旅、天下を観て回ることも学問であり」
「すべきなのじゃ」
「その通りですな」
「だからお主や十勇士達とは違ってな」
「外のことをご存知ない」
「それでは学問が出来ておってもじゃ」
それでもというのだ。
「学者の学問でありな」
「大名、そしてですな」
「天下人の学問ではない」
昌幸はここでも強く言った。
「いや、天下人になるにはな」
「学問よりもですな」
「勘、何よりも知恵じゃ」
「それが必要ですな」
「そうじゃ」
まさにというのだ。
「外を巡って知恵も備わろうが」
「それがしの様に」
「太閤様もじゃ」
秀吉もというのだ。
「あの方もそうであったな」
「はい、学問はご存知なかったですが」
「それでもであったな」
「はい」
まさにというのだ。
「知恵がおありでした」
「だから天下人になれた」
「そうでしたな」
「知識も確かに大事じゃ、しかしな」
「知恵はですな」
「同じだけ大事じゃ、知恵も備わっておらぬとじゃ」
「大名、そして戦をするには」
幸村も言った。
「あの方は」
「足りぬ、だからお拾様はそのこともな」
「特に戦のことをですな」
「そうじゃ、戦の場は常に動き学問だけわからぬな」
「到底」
「そこじゃ、霍去病が言っておったな」
漢の武帝の下で若き勇将として戦った者だ、戦の場では常に勝ってきたことで知られている。
「戦の場は常に変わると」
「そしてその通りですな」
「霍去病はまた極端じゃがな」
武帝から兵法の書を読む様に言われても先の言葉を言って退けたのだ、つまり最初から兵法をわかっていてそのうえで戦の場を知っていたのだ。
「しかしその通りじゃ」
「そしてそれがわかるのは」
「実際に戦の場にいてこそじゃ」
「わかりますな」
「そのことでは大御所殿は天下第一じゃ」
何といってもというのだ。
「これまで数多くの戦に出て来られた」
「そして何度も勝ち何度も敗れ」
「戦のことをご存知じゃ」
何といってもというのだ。
「あの方はな」
「ましてやですな」
「戦を全くご存知ないお拾様では、ましてや」
「茶々様では」
「相手にもならぬわ」
「政もですね」
「あの方は謀もよくご存知じゃ」
そちらもというのだ。
「百戦錬磨と言ってよい」
「あの方はかつて三河の麒麟と呼ばれていましたが」
「その麒麟がさらに労連を備えられたのじゃ」
「それではですな」
「相当のものじゃ」
このことは言うまでもないというのだ。
「天下で対することが出来る者は僅か」
「そのお一人が父上ですか」
「お主もであろうが」
幸村にも言うのだった。
「お主と十勇士達ならな、しかしな」
「それがしが大坂では知られていないので」
「聞かれぬのじゃ、だからな」
「父上が、ですか」
「そう思っておる、わしも縦横に采配を振るいたい」
「もう一度ですな」
「そうも思っておるからな」
何としてもというのだ。
「執念じゃ、しかし間に合わぬ時は」
「それがしだけで」
「行くことになるがそれではな」
茶々がというのだ。
「聞かれぬ、そしてじゃ」
「そのことが仇となり」
「大坂は敗れる」
「やはり戦をするならば」
幸村はいくさ人として言った。
「どうしましても」
「そう思うのが道理じゃ」
「だからですな」
「そのことが気になってじゃ」
「父上は養生され」
「時が来れば思う存分と思っておる、その念でじゃ」
「今もですな」
「身を慎んでおる、そして上田じゃが」
真田家代々の料理の話もした。
「源三郎がおり孫達もおるからな」
「安心出来ますな」
「真田の家は残る」
「幕府の下で」
「だからそのことは安心しておる」
実際にこのことは落ち着いて話す昌幸だった。
「至ってな」
「それがしもです」
「源三郎なら安心してな」
「真田の家が続く土台を築かれますな」
「あ奴ならばな」
間違いなくというのだ。
「そうしてくれるわ」
「ですな、では」
「我等は我等の道を進むぞ」
「そしてその道の為にも」
「生きるのじゃ、生きてこそと言っておるな」
「何かが出来る」
「それでじゃ」
「父上も。ひいてはそれがしも」
「生きるのじゃ」
「わかり申した」
幸村も頷いて応えた。
「身に着けた術も使い」
「その術は生きる為にも使えるな」
「はい」
その通りという返事だった。
「間違いなく」
「ではな」
「はい、この術も使い」
「生きるのじゃ」
「何としても」
「武士道は死ぬものか」
「少なくとも当家では違いますな」
「恥は忘れるな、しかしな」
「生き恥を晒してもですな」
「生きることじゃ」
「望みがあれば」
「その望みを果たす為にじゃ」
まさにというのだ。
「あらゆる手、力を使ってな」
「生きるのが当家」
「わかっていればよい、ではな」
「その時のことも頭に入れておきまする」
「そうせよ、それとどうもじゃ」
ここで昌幸はこうした話もした。
「幕府の中でいざかいが起こっておるな」
「幕府の中で」
「お主は聞いておらぬか」
「江戸、駿府のどちらで」
「その両方でじゃ」
「まさかと思いますが大御所殿と公方殿が」
「いや、そうでうはないらしい」
駿府の家康と江戸の秀忠がいがみ合う、戦国の世では常の肉親同士のいざかいではとだ。幸村が言うとだ。
昌幸は否定した、そのうえで言うのだった。
「幕臣の間でな」
「権勢を競い」
「起こっている様じゃ」
「そうした動きがありますか」
「わしの配下の者達が江戸や駿府を歩いてな」
「そのことをですか」
「感じた」
そうだというのだ。
「そう言っておる」
「では十勇士達にもです」
「送ってか」
「調べさせましょう」
「それがよい、何か気になる」
「はい、幕府はこれまで一枚板と言ってよいですが」
「徳川家はそもそも乱れることが少なかった」
家康への一途な忠義でまとまっている、このこともまた徳川家の強さの要因であったのだ。
「大御所殿が主となられてからな」
「そのことは天下によく知られていますが」
「それがじゃ」
「いざかいが起こっていますか」
「どうもな」
「そうですか、では」
「うむ、幕府のことを見ていこうぞ」
「わかり申した」
十勇士の全てと幸村も修行を終えて強くなった、しかしその間にまた天下は動こうとしていたのだった。今度は幕府の中で。
巻ノ百七 完
2017・5・17