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巻ノ百三

           巻ノ百三  霧を極め

 百地の霧隠への修行は続いていた、そうしていると。

 身体が消えた、そういう風に見えた。

 そして姿を現し着る、彼のその独特の剣術を観て百地は唸ってそのうえで弟子に対して言った。

「見事、前よりもな」

「腕が上がっていますか」

「うむ」

 その通りだというのだ。

「先程よりもな」

「それは何よりです」

「よいことじゃ、前にわしのところで修行した時も強くじゃ」

 そしてというのだ。

「また会った時はその時とは比べものにならぬまでに強くなっておってな」

「そして今も」

「さらに強くなっておる」

 今の様にというのだ。

「よきことじゃ」

「腕が常によくなっているからですな」

「鍛錬をしておるのう」

 よいそれをとだ、百地は霧隠に目を細めさせて答えた。

「よいことじゃ」

「やはり強くないとな」

「はい、殿と共に戦えませぬし」

「何かを為すこともな」

 それもというのだ。

「出来ぬ」

「左様ですか」

「実にな、それでじゃが」

「はい、こうして鍛錬を続け」

「免許皆伝になれ、その免許皆伝もな」

「近いですな」

「今のままじゃとな」 

 この流れで腕を上げていけばというのだ。

「間もなくじゃ」

「左様ですか」

「だからじゃ」

 それ故にというのだ。

「より強くなるのじゃ」

「わかり申した、鍛錬を続けます」

「そうせよ、そして免許皆伝の後でな」

「ここを後にしても」

「さらにじゃ」

「鍛錬を続け」

「強くなるのじゃ」

 こう弟子に言うのだった。

「よいな」

「強さに限りはないですな」

「天も地も底には限りがなかろう、あってもじゃ」

 限り、それがというのだ。

「果てしないものじゃ、人が辿り着けぬ様なまでにな」

「そして強さの限りも」

「ない」

 これもまた、というのだ。

「だからじゃ」

「このまま修行を続けていく」

「そうせよ、御主達十人が真田殿の下で戦えば」

 そうすればというのだ。

「相当なことが出来る筈じゃ」

「だからこそですじゃ」

「為してみよ」

 笑みを浮かべてだ、百地は霧隠に話した。

「よいな」

「はい、是非共」

「それがわしの望みじゃ、わしはもうここから出ぬ」

 伊賀の奥からというのだ。

「二度とな」

「では」

「うむ、隠棲してじゃ」

 そのうえでというのだ。

「世を去る時を待つ」

「そうされますか」

「もうこの世に未練はない」

 微笑み遠い目になっての言葉だった。

「やりたいことは全てやったしのう」

「そうなのですか」

「うむ、全てな」

 彼が思う限りのそれをというのだ。

「やった、だからな」

「それがしへのご教授を終えれば」

「それでじゃ」

「もう後はですか」

「ここにおってな」

 そしてというのだ。

「最期を待つ」

「そうされますか」

「ははは、不思議なものでじゃ」

 百地は明るい笑い声と共にこうも言った。

「この歳になると欲もなくなるわ」

「先程されたいことは全てと言われましたが」

「実際にじゃ」

 互いに霧を使い合いつつ霧隠と共に話していく。

「まことにやりたいことは全てやったしのう」

「ご自身が思われていた」

「身に着けたい忍術は全て身に着けた」

 そうしたというのだ。

「それも出来たしじゃ」

「他のことも」

「してきた、だからな」

「もうこの世にですな」

「思い残すこともない」

 実際に何の未練もなかった、彼のその顔と言葉には。

「だからな」

「それがしへの修行の後は」

「何時でもよい」

 この世を去るのはというのだ。

「一人世を去り何かに生まれ変わるわ」

「生まれ変わられますか」

「さて、何処の世に生まれ変わるか」

 幸村にも応えて言うのだった。

「楽しみではありまする」

「六界の何処かに」

「それが楽しみです」

「六つの世界の何処であろうと」

「地獄もまたよし」

 この世もというのだ。

「それもまた」

「そうですか」

「実に」

「地獄もよいとは」

「ははは、何処に生まれ変わろうとも楽しみしたいことをし尽くし」

「そのうえで」

「遊んできまする」

 こう言うのだった。

「どの界でも」

「そう言われますか」

「そしてです」

 さらに言うのだった。

「堪能してきます」

「地獄でもですか」

「忍としてです」

 その立場でというのだ。

「多くの者を殺めてきましたし」

「いやいや、それを言えばです」

「真田殿もと」

「はい、戦の中において」

「多くの者を殺めてきたと」

「左様です」 

 そうしてきたというのだ。

「ですから」

「真田殿もですか」

「地獄に堕ちます、しかし幼い頃こんなことを言われました」

 百地に穏やかな顔のまま言う。

「武士や忍が人を殺めるのは当然のこと」

「このことは」

「そうした立場なのですから。しかし大事なことは」

 それはというと。

「戦で必要だからこそ殺すのであり」

「そうではないと」

「はい、遊びで人を殺すことがです」 

 このことがというのだ。

「悪であると」

「ではそうした殺しをしなければ」

「よいとのことです」

「ふむ。では我等は」

「百地殿は遊びで人を殺されたことはおありでししょうか」

「いや」

 百地は首を横に振って答えた。

「一度も」

「ではです」

「よいですか」

「そう聞いておりまする」

「戦や働きで人を殺めるのは仕方ない」

「しかし遊びで殺すのは」

 それはというのだ。

「許されぬことだと」

「地獄に堕ちることだと」

「言われました」

 幼い頃にというのだ。

「ある高僧の方に」

「では我等は」

「はい」

 まさにというのだ。

「地獄には堕落ちぬと」

「そうですか」

「はい、それよりもです」

「そうしたことを気にせずにですな」

「鍛錬に励み」

 そしてというにだ。

「修行励むべきと」

「成程」

「どう思われますあ」

「有り難いことですな」

 百地も唸った、幸村のその話には。

「どうにも。しかし」

「それでもですな」

「遊びで人を殺めるなぞ」

「外道ですな」

「それがし一度もです」

 百地にしてもというのだ。

「したことはありませぬ」

「よきことですな」

「忍術はそうしたものではござらん」

「働きの為のものですな」

「はい」

 そちらに使う術だというのだ。

「悪事に使うものではありませぬ」

「全くですな」

「はい、ですから」 

 百地にしてもというのだ。

「それがしも弁えておるつもりです」

「それは何よりですな」

「そして真田殿もまた」

「はい、戦で人を殺めますが」

 だがそれでもというのだ。

「一度もです」

「ご自身の武芸をですな」

「悪しきことに使ったつもりはありませぬ」

「殿程それをわきまえた方はおられませぬ」

 霧隠も言う。

「全く以て」

「そうであろうな」

「師匠もそれがおわかりですな」

「うむ、目でわかる」

 幸村のその目を見ればというのだ。

「実にな」

「そうなのです」

「そうした方だからか」

「はい、それがし達もです」

 家臣としてというのだ。

「お仕えしております」

「そうであるな」

「弱き者をいたぶることも」

 そうしたこともというのだ。

「断じてされませぬ」

「そうした方だからこそ」

「はい、素晴らしいのです」

「よいことじゃ」

 百地も言う。

「そうした方に巡り会えてな」

「全くです」

「ではじゃ」

 百地はこうも言った。

「だからこそな」

「それがしにですな」

「術を授ける」

 そうするというのだ。

「奥義も全てな」

「霧の術の」

「わしが備えておるな」

 まさにというのだ。

「その全てをな」

「授けて頂いて」

「そうしてな」

 そのうえでというのだ。

「さらに修行に励んでもらいじゃ」

「強くなり」

「ことを為せ、真田殿にお仕えしてな」

「はい、しかし」

「しかし。何じゃ」

「師匠はそれがしが殿を裏切るとは」

「それは絶対にないわ」

 百地は笑って霧隠の今の言葉を否定した。

「絶対にな」

「そう言われますか」

「うむ」

 返事は明瞭だった。

「御主の目を見ればわかる」

「目ですか」

「よい具合に澄んでおる、その目ならばな」 

 強くそのうえで一途な光をたたえた目だ、その目ならというのだ。百地は霧隠にさらに言った。

「それはない」

「十勇士の他の者達も」

「そうした目だから今も共にいるな」

「二十年以上になります」

 それぞれ幸村と会い共にいる様になってだ。

「最早」

「そうじゃな、その間真田殿に二心を抱いたことはないな」

「一度も」

 まさにという返事だった。

「ありませぬ」

「そこまで想いが強いならな」

「殿を裏切ることはですか」

「ないわ」

 笑っての言葉だった、またしても。

「それはな、それにな」

「さらにありますか」

「真田殿は御主達を裏切らぬ」 

 幸村、彼もというのだ。

「それもまたない」

「殿が我等を裏切るなぞ」

 霧隠は百地に即座に答えた、それも全力で。

「天地がひっくり返ろうともです」

「ないな」

「はい」

 断言だった。

「それは絶対にありませぬ」

「そうじゃ、真田殿も御主を裏切らぬ」

「それならばですか」

「御主達も裏切らぬしな」

 このこともあってというのだ。

「共にそうであればな」

「裏切ることはですか」

「ない」

 そうだというのだ。

「共にそうであればな」

「だからですか」

「うむ、御主達と真田殿は決してじゃ」

「共に裏切らず」

「道を進む、この度の修行ではっきりとわかった」 

 彼等の絆の強さもというのだ、腕が立つという意味での強さだけでなく。そうしたこともわかったというのだ。

「よくな」

「そうですか」

「だからこそじゃ」

「備えた術で、ですな」

「戦うのじゃ、よいな」

「わかり申した」

「さらに強くなってな」 

 こう言ってだ、百地は霧隠を鍛え続けた。霧隠は主の教えた術を次から次に身に着けていった。

 そしてだった、遂にだった。

 免許皆伝になり広い範囲を濃い霧で覆いその中を縦横に動いてみせてだ。百地と互角に勝負をした時にだ。百地は彼に言った。

「うむ、これでよい」

「免許皆伝としてですな」

「無事に送り出せる」

 霧隠、彼をというのだ。

「よいことじゃ、ではな」

「これからもですな」

「鍛錬に励め」

 是非にというのだ。

「わかったな」

「勝利しております」

「ではよい、しかし迂闊にはな」

「はい、動くなですな」

「そうせよ、迂闊に動けばな」

 その時はというのだ。

「おかしな時になるからな」

「常にですな」

「そうじゃ、慎重にじゃ」

「ことを考え動き」

「下手にことを荒立てるな」

「戦の時も」

「当然じゃ、戦の時こそじゃ」

 むしろ普段よりもというのだ。

「考えも動きもそして言葉もな」

「全てですな」

「慎んでじゃ」

「そしてそのうえで」

「ことを進めよ」

「はい、そのことはです」

 幸村も百地に言ってきた、彼もまた霧の中で動いている。まるで見えている様に縦横に動いている。

「それがしもです」

「真田殿がそうであれば」

「主がですな」

「さらによいです」

 まさにそうだというのだ。

「やはり」

「ですな、それでは」

「真田殿は常に慎重であられますが」

「さらにですな」

「はい、慎重にされて下さい。ですが」

「慎重であり」

「それでいてです」

 それに加えてというのだ。

「果断にです」

「決めるべき時は決める」

「そうされて下され」

「将としてですな」

「左様です」

 まさにというのだ。

「決められて下され」

「しかも正しく」

「はい」

 ただ決めるだけでなくというのだ。

「そうされて下さい」

「間違った断をするとな」

「滅びます」

 そうなってしまうというのだ。

「これまでそうなった者は多いです」

「そうであるな、そしてな」

「そしてとは」

「そうした方は今もおられるな」

「まさかと思いますが」 

 そう聞くとだ、山奥にいる百地も心当たりがあった。その心当たりは一体誰のことかというと。

「大坂の」

「うむ、茶々殿はな」

「あの方は確かに」

「百地殿もそう思われるな」

「聞く限りは」

 伊賀の奥にいても聞いてというのだ。

「どうにも」

「そうじゃ、あの方はな」

「果断でありますが」

「政がわかっておられぬ」 

 全くとだ、幸村は言った。

「戦もじゃ、ご存知なくな」

「わかってもおられない」

「ですから」

 そうした者だからだというのだ。

「間違ったことをな」

「されていかれますな」

「うむ、そしてじゃ」

「あのままいけば」

「大坂、豊臣家はな」

「滅びますか」

「それも有り得る」

 これが幸村の見立てだった。

「そうも思う、特にな」

「特に?」

「切支丹のことで誤れば」

 その時はというのだ。

「大変なことになりましょう」

「ですか」

「茶々殿は何もご存知なくわかっておられぬが」 

 しかしというのだ。

「決断は速くじゃ」

「それは尚悪いです」

 断が速いにしてもその断が悪ければというのだ。

「人の話も聞かれぬのですな」

「止められる人物が大阪にはおられぬ」

「お一人も」

「それだけにな」

「まずいですな、それは」

「そうであるな」

「はい、太閤様についても」

 百地も言う。

「やはり」

「大納言様がおられたからな」

「止められていましたな」

「それがおられなくなってな」

「ああなられましたし」

「止められる方がおられぬとな」

 幸村はさらに言った。

「そうした方が必要な方の場合は」

「まさに茶々様がそうであり」

「あのままではじゃ」

「大坂は、ですか」

「誤ってじゃ」

 そしてというのだ。

「厄介なことになるやも知れぬ」

「左様ですか」

「うむ、だからな」 

 それでというのだ。

「そのことはわかる」

「断は速く正しく」

「そうあるべきじゃな」

「誤った断をすぐにして変えぬとで」

「最悪じゃ」

 まさにというのだ。

「それはな」

「その通りですな」

「あの方をどうにかせねばな」

「大坂はまずいですか」

「そう思う、拙者はな」

「その通りでしょう」

 百地も否定しなかった。

「やはりです」

「誤った断をすぐにどんどん下されてはな」

「滅びぬものも滅びます」

「拙者も気をつける」

「そうされて下され、では」

「師匠はこれからもですか」

 今度は霧隠が師に問うた。

「ここに隠棲されて」

「そしてじゃ」

「最期の時を迎えられますか」

「そのつもりじゃ、ではな」

「はい、それでは」

「おそらくもう会うことはあるまい」

 百地は微笑み弟子に話した。

「しかし話は風が伝えてくれる」

「それでは」

「御主達が働く時があれば」

 その時はというのだ。

「楽しみにさせてもらう」

「それではな」

「はい、それでは」

「では」

 幸村も百地に挨拶をした。

「我等はこれで」

「それでは」

 お互いに挨拶をしてだ、そしてだった。 

 幸村達は百地の前を後にして九度山に戻った。そうしてそこでまた大坂の話を聞いてそれで思った。

「やはりな」

「危ういですか」

「うむ」

 こう幸村に言った。

「日増しにじゃ」

「茶々様のご勘気は強くなり」

「それを誰も止められぬ、しかもじゃ」 

 昌幸はさらに言った。

「近頃大御所殿を呪われておる」

「呪いを」

「うむ、丑の刻参りがあるな」

「あれをですか」

「夜な夜なされておるとかな」

「馬鹿な、呪術の類はです」

 幸村はその話を聞いて眉を驚かせて言った。

「まさに左道」

「左道をすればな」

「はい、それでです」

「相手にかかるよりもな」

「ご自身にかかります」

「そうじゃな」

「人を呪えば穴二つです」 

 幸村はこうも言った。

「まず自分がかかるものです」

「だからな」

「はい、それはしてはなりませぬ」

「しかも丑の刻参りはじゃ」

 それはというのだ。

「誰かに観られてはならん」

「そうした呪術ですな」

「そうじゃ」

 そうしたものだというのだ。

「自分に返って来る」

「では」

「我等がこれを知っておるからじゃ」

「もうこれはですな」

「茶々様ご自身に返って来る」

「そうなりますか」

「まさに人を呪わば穴二つじゃ」

「左様ですな」

「まず自分に返って来る」

 相手にかかる前にというのだ。

「そうなる、しかもな」

「はい、大御所殿はです」

 彼もっと言えば徳川家と対する立場である幸村から見てもだ。家康のその考えはというのだ。

「豊臣家に対して配慮をされています」

「残る様にな」

「その様にされています」

「大坂から出ればよいじゃからな」

「それだけです」

 即ち転封だけを望んでいるというのだ。

「茶々様を江戸に入れられることも」

「大名なら当然じゃしな」

「それにご自身のご正室にどうかとは」

「破格であろう」

「はい、しかし」

「それをですな」

「茶々様は全くわかっておられずな」

 そしてというのだ。

「そうしたことをされる」

「呪術まで」

「そうじゃ、これではじゃ」

 苦い顔でだ、昌幸はこうも言った。

「滅びぬものもな」

「滅びますか」

「人を呪う様では」

「そして左道にかかろうとは」

「そんなことをすればじゃ」

 とてもというのだ。

「滅びてしまうわ」

「それがわからぬとは」

「大坂も先が見えたと思うか」

「はい、しかしですな」

「我等は幕府には入れぬ」

 それは到底というのだ。

「そうであるな」

「はい、とても」

「ならばじゃ」

「あの方がおられても」

「若し何かあればじゃ」

「大坂で戦うしかありませぬか」

「そうじゃ、だからな」

 昌幸は我が子に言った。

「それでもじゃ」

「茶々様をですな」

「そうした方とわかってじゃ」

 そのうえでというのだ。

「戦うしかない」

「では何としても」

「茶々様をじゃ」

「お止めすることですな」

「うむ」

 その通りだというのだ。

「よいな」

「わかり申した」

 幸村も頷いて答えた。

「さすれば」

「それではな」

「そうしていきましょう」

 その時はというのだ。

「それがしも」

「よくな、してじゃ」

「して?」

「話を変えるが」

「はい」

「大助じゃが」

 昌幸は彼から見て孫の話もした。

「わしが思うにな」

「何か」

「すくすくと育っておるな」

「そう言われますか」

「このままいけばじゃ」

「無事に育ち」

「よい者になる」 

 こう言うのだった。

「健康なな」

「左様ですか」

「身体あってこそじゃ」

 まずはそこからだとだ、昌幸は述べた。

「何かが出来る」

「頑健な身体があってこそ」

「御主も源三郎もじゃ」

「兄上もですか」

「特に源三郎は頑健じゃ」

 その身体はというのだ。

「そうした身体があってこそな」

「武芸も学問もですか」

「出来る」 

 そうだというのだ。

「それは御主もわかるであろう」

「はい、確かな身体があれば」 

 まさにとだ、幸村も父に答えた。

「どれも出来ます」

「そうじゃ、そして大助もじゃ」

「確かな身体がある」

「だからな」

「よいことですか」

「そうじゃ」

 まさにというのだ。

「武芸も学問もふんだんに出来る」

「それでは」

「うむ、しかし御主はな」

「大助を育てるにしては」

「甘いのう」

 幸村のその気質についてはだ、昌幸は少し苦笑いになってそのうえで彼自身に述べた。

「どうもな」

「そのことは」

「自覚しておってもか」

「それがし十勇士達にもです」

「甘いな」

「厳しいことを言ったことがありませぬ」

 そもそも一度もその必要を感じたことはない、彼等が強く素直な気質であり尚且つ彼に絶対の忠義を誓っているからだ。

「他の家臣達にも」

「そうであるな」

「そして大助も」

 我が子もというのだ。

「どうもな」

「そうじゃな、だから厳しくすることはな」

 それはというのだ。

「止めておく」

「そうされますか」

「うむ」

「これまで言われた通りに」

「そうする」

「左様ですか」

「そしてじゃ」

「そのうえで」

「大助をしかと育てていこう」

「それがしが人の優しさを教え」

 そして十勇士達もだ、彼等にしても大助には極めて優しい。甘いと言っても過言ではない程にだ。

「そしてじゃ」

「父上が人の厳しさを」

「教えよう」 

「それでは」

「大助も然るべき時が来れば」

 その時はというのだ。

「働いてもらおう」

「さすれば」

「御主達とわしが育てればな」

「しかとした者になり」

「必ずな」

「よき者になりますな」

「そうしてよき働きをする」

「さすれば」

 幸村も確かな顔で答えた。

「やりましょう」

「大助を育てることもな」

「わかり申した」

 こうしてだ、幼い大助も育てられていった。彼もまた日一日と育っていてよき者になろうとしていた。

 その大助を見てだ、また言った幸村だった。

「親となるのはよきことじゃな」

「子が育つのを観られるから」

「だからですか」

「うむ」

 そのG通りだというのだ。

「実にな」

「そうですか、殿もですな」

「親となられてですな」

「お子の大事さを感じられる」

「そうなっておられるのですな」

「うむ、子は銀や金よりも尊いというが」

 万葉集の山上憶良の言葉も思い出していた。

「やはりな」

「その通りですな」

「子は尊い」

「どの様な宝よりもですな」

「尊いですな」

「そうしたものですな」

「そうじゃ」

 まさにとだ、幸村は十勇士達に答えた。

「そう思う、だから元服まで育ってな」

「そして、ですな」

「そのうえで、ですな」

「さらにじゃ」

 元服してからもというのだ。

「長生きして欲しい、そして拙者もじゃ」

「長生きされたい」

「そう思われていますか」

「そうじゃ」

 まさにというのだ。

「そう思っておる」

「では命を無駄にせず」

「そのうえで、ですな」

「これからも生きていかれる」

「そうされますか」

「是非な」

 こう十勇士達に答えた。

「そう思っておる」

「ではです」

「命を大事にしていきましょう」

「何かとありますが」

「それでも」

「そうじゃな」

 幸村は微笑み家臣達に応えた。

「生きなくてはな」

「はい、それでは」

「大助様のご成長も見守りましょう」

「中々楽しみがない山なのは事実ですが」

「それは楽しみですな」

「うむ、楽しみな」

 そしてというのだった、幸村も。

「育てていこう」

「我が子を育てるのもまた人の楽しみですな」

「親となることも」

「そうなのですな」

「そうじゃな、真田家は昔から親子の絆が強かった」

 そうした家だというのだ。

「親子でよく話をして育ててな」

「そうしているからこそですな」

「親子の絆も強い」

「そうした家ですな」

「小さい家じゃしな」

 大名の家といってもだ、真田家はやはり小さいのだ。十万石といってもその石高よりも家は小さいのだ。

「だからな」

「小さい分互いに顔を見合わせ」

「そして帆突になり戦ってきた」

「だからですな」

「真田家は絆が強く深い」

「そうした家ですな」

「そうじゃ、だからな」

 大助もというのだ。

「大事に育てていってじゃ」

「よき方になってもらいますか」

「武士として人として」

「そうなってもらいますか」

「是非な」

 こう話してだ、幸村は大助も育てていった。幸いにして健康に恵まれている大助はすくすくと育ちそれも幸村の喜びになっていた。



巻ノ百三   完



                  2017・4・16

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