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巻ノ百一

           巻ノ百一  錫杖の冴え

 後藤は修行の中清海にこんなことを言った。

「錫杖を持たせてくれるか」

「拙僧のですか」

「どんなものか実際に手に取ってじゃ」

 そのうえでというのだ。

「確かめたい」

「だからですか」

「持たせてもらたい」

 こう言うのだった。

「そうさせてもらうか」

「それでは」

 清海はすぐにだ、後藤のその言葉に応え彼の錫杖を持ってみた。鉄で出来たそれを両手に持ってだ。後藤は言った。

「花和尚のものと遜色ないであろうな」

「魯智深ですな」

「水滸伝の豪傑のな」

「あれより軽いものにはならぬ様にとです」

「そう言って作らせたか」

「はい」

 清海は後藤に確かな声で答えた。

「左様です」

「そうか、やはりな」

「作ったものも苦笑いをしておりました」

「あまりにも重いとか」

「ですが」

「花和尚のものとじゃな」

「遜色ない重さです」

 自身の錫杖はというのだ。

「かなりの強さかと」

「そうじゃな、これを振り回せばな」

 それこそというのだ。

「並大抵な暴れ方では済まぬ」

「実際に拙僧の自慢の得物です」

「しかしこれはあまりにも重い」

 後藤は手に取り確かに言った。

「これを操れるのは本朝では御主だけじゃ」

「ですか、やはり」

「うむ、わしには無理じゃ」

 この錫杖を持って縦横に戦うことはというのだ。

「どうにもな」

「では後藤殿は」

「持ってみたがな」

「それでもですか」

「持てるだけでじゃ」

 それは出来てもというのだ。

「操るまでは出来ぬ」

「あまりにも重く」

「そこまでは無理じゃ」

 そうだというのだ。

「よくもこれだけのものを使える」

「そうも言われますか」

「御主はまさに花和尚じゃな」

 そこまでの者だというのだ。

「その力、これまで正しく使ってきたな」

「いや、そう言われますと」

 清海はその魯智深に生き写しの顔で苦笑いで答えた。

「どうにも」

「自信がないか」

「それがし酒も肉もたらふく食い修行も怠けて」

「ちょっとしたことでじゃな」

「暴れてきましたし」

「ははは、それこそがじゃ」 

 後藤は槍を繰り出し清海に防がせつつ話した。

「花和尚じゃ」

「そう言われますか」

「署の花和尚でもそうじゃ」

 清海の様に飲んで食い暴れてというのだ。

「それでいて人の道は外れておらぬ」

「だからですか」

「よい」

 こう言うのだった。

「御主もな」

「だといいのですが」

「そのままいけ、御主は花和尚じゃ」

「そのうえで、ですか」

「真田殿と共にありな」

「常に共に戦い」

「共に生きて共に死ぬのじゃ」

「ではそれこそが」

「わしがそなたに授ける真の免許皆伝じゃ」

 それになるというのだ。

「そしてもっと言えばな」

「我等全員へのですな」

 幸村が言ってきた、共に駆けつつ。

「願いですか」

「免許皆伝を授けるのは清海殿であるが」

 それでもというのだ。

「貴殿等十一人に望む」

「共にですか」

「最後までそうしてもらいたい」

「左様ですか」

「御主達なら出来るからな」

 だからこそというのだ。

「そうしてもらいたい」

「では」

「そうしてくれるか」

「これまで常に思ってきたことでござる」

 それ故にとだ、幸村は清海に答えた。

「ですから」

「ではな」

「はい、そして後藤殿も」

「もっと早く会いたかったわ」

 後藤は笑いこうも言った。

「貴殿達とな」

「そう言われますか」

「そして義兄弟の契りを結び友にもなりたかった」

「では今から」

「ははは、そうもいかぬであろう」

 後藤は笑って幸村の今の申し出を断った。

「それはな」

「それは何故でしょうか」

「わしはそこに入るに遅かった」

 だからだというのだ。

「だからじゃ」

「それで、ですか」

「御主達の間には決して入れぬ」

 絶対に、という言葉だった。

「だからじゃ」

「それで、ですか」

「わしは入らぬ」

 こう言うのだった。

「もっと言えば入れぬ」

「そう言われますか」

「御主達は十一人じゃ」 

 このことは変わらないというのだ。

「だからじゃ」

「後藤殿は入られぬと」

「その中には誰も入られぬ」

 十一人のその絆の中にはというのだ。

「だからじゃ」

「そう言われますか」

「これだけ強い絆はない」

 幸村達の様なものはというのだ。

「決してな」

「ううむ、ですが我等は」

「そう言わぬか」

「決して」

「そうか、しかしじゃ」

「我等の中にはですか」

「入らぬ」

 もっと言えば入られないというのだ。

「絶対にな」

「では後藤殿は」

「御主達と轡を並べたいがな」

 そう思う、だがそれでもというのだ。

「そうした思いはない」

「左様ですか」

「決してな」 

 こう言うのだった。

「このことは変わらぬであろう」

「しかし轡はですか」

「並べたい、それも最後の最後までじゃ」

 こうも思うというのだ。

「わしはな」

「では」

「うむ、それではな」

「またお会いすれば」

「宜しく頼む」

「こちらからも」

 幸村の方から言った。

「頼むぞ」

「さすればな」

「そうしてじゃが」 

 さらに言う後藤だった。

「今はじゃ」

「はい、このままですな」

「清海殿とな」

「修行をですな」

「させてもらう」

 こう言うのだった。

「是非な」

「それでは」

「それを続けようぞ」

 言葉通りにだった、彼等は修行を続けた。清海は汗を流しそうして修行に励んだ結果だった。

 清海はさらに腕をあげていた、棒を使う術だけでなく錫杖を操るそれもだった。後藤のところに来る前とは格段に違っていた。

 その錫杖の振りを見てだ、幸村は言った。

「見違える様じゃ」

「以前とはですか」

「うむ、これまでも凄かったがな」

「しかしですか」

「今は別格じゃ」 

 そこまでの腕になっているというのだ。

「しかも錫杖に気も入れておるな」

「はい」

「それも前からであったがな」

「今はよりですか」

「比べものにならぬまでに強い気を入れておる」

 錫杖にというのだ。

「そのせいか錫杖の威力が段違いに上がっておるわ」

「そこまでですか」

「その腕ならばじゃ」

 まさにというのだ。

「花和尚とも遜色ない」

「ははは、拙僧は花和尚の生まれ変わりと思っていましたが」

「しかしじゃな」

「生まれ変わっただけでなく」

「さらにか」

「強くなりたいですな」

「そのうえでか」

「はい、殿をお助けしたいです」

 こうも思っているというのだ。

「是非」

「そう言ってくれるか」

「確かに強くなりたいですが」

 しかしとだ、清海はそのとてつもなく重い錫杖を縦横にそれこそ棒切れを振り回すかの如く振りながら幸村に話した。

「しかしです」

「それでもか」

「はい、ただ強くないたいのではありませぬ」

「拙者の為にか」

「殿をお助けする為に」

 是非にというのだ。

「拙僧はその為にも強くないのです」

「そう言ってくれるか」

「はい」

 まさにというのだ。

「さもなければここまで張り合いがありませぬ」

「修行にじゃな」

「それはほかの十勇士の者達も同じですな」

「うむ、誰もがそう行ってくれる」

「拙僧たちは殿にお会いし主従となった時からです」

「そう決めておるか」

「ただ強くなりたいのではなく」

「拙者を助ける為にか」

「強くなりたいのです」

 そう考えているというのだ。

「我等も」

「そうか、では拙者もな」

「強くなられますな」

「そのつもりじゃ、拙者は槍と刀じゃが」

 幸村が得意とする術はこの二つだ、それと馬術に水練それに忍術を得意としている。

「御主はそちらじゃな」

「この錫杖と法力、それに」

「忍術じゃな」

「そうなります、そして今は」

「錫杖じゃな」

「それを鍛えております」

 後藤に教わってというのだ。

「そうしております」

「見事じゃ」

 清海のその錫杖の術を見つつだ、後藤は言った。

「それでこそ真の豪傑じゃな」

「ただ強くなりたい為に修行するのではなくですか」

「主の為にとも思うことはな」

 まさにというのだ。

「真の豪傑じゃ」

「左様ですか」

「まことにな、それでじゃが」

「錫杖の次はですな」

「また稽古の棒を振ってもらうが」

「しかしですな」

「その棒は御主には軽いであろう」

「実は」

 その通りだとだ、清海は後藤に答えた。

「小さな木の枝の様で」

「やはりそうか」

「振り回していても足りぬ感じがしておりました」

「そうであろうな、しかしな」

「そこはですな」

「我慢してもらう、錫杖も振ってもらっておるが」

 それと共にというのだ。

「御主にはそちらも振ってもらう」

「そうですか」

「そうじゃ、では次はな」

「棒の稽古ですな」

「それをするぞ」

「わかり申した」

 清海は後藤に素直に頷いてそうしてだった、実際にそちらの稽古にも励んだがその振りを見て後藤はまた言った。

「うむ、その調子じゃ」

「腕がですか」

「また上がっておる」

「昨日に比べて」

「いや、一振りごとにじゃ」

 その度にというのだ。

「よくなっておる」

「一振りごとにです」

「うむ、凄いものじゃ」 

 その一振りごとに強くなっていっていることがというのだ。

「こうした者はまずおらぬわ」

「それでは」

「免許皆伝も近い」

 後藤は笑みを浮かべて言った。

「それもな」

「そうですか」

「そしてじゃが」

「はい」

「それからもな」

 免許皆伝からもというのだ。

「励むのじゃ」

「わかっております、免許皆伝は終わりではなく」

「はじまりじゃ」

「むしろそうですな」

「だからじゃ、励むのじゃ」

 免許皆伝を得てからもというのだ。

「そのことはくれぐれも頼む」

「免許皆伝で終わっては」

 そうなればとだ、清海は幸村を見てから後藤に答えた。

「どうして殿のお力になれましょうか」

「だからじゃな」

「それからもです」

 免許皆伝を授かってからもというのだ。

「他の者達と同じく」

「修行を続けてじゃな」

「より強くなり」

 そしてというのだ。

「殿のお力になります」

「そうせよ、わしもじゃ」

 かく言う後藤自身もというのだ。

「修行を続ける」

「そうされますか」

「そしてじゃ」

「さらに強くなられ」

「そのうえでな」

「戦の場で活躍されますか」

「時が来ればな」

 まさにその時になればというのだ。

「そうなる」

「そうされますか」

「うむ、ただな」

「ただとは」

「母上がおられるから今はここにおってな」

 それ故にというのだ、今の後藤は。

「他の家からも仕官の願いが来ておる」

「その様ですな」

 幸村は後藤のその言葉を聞いて彼に言った。

「後藤殿は天下の豪傑ですし」

「何かと申し出がある」

「それでは」

「うむ、おそらく幕府からも来るであろう」

 このことは後藤自身の読みだ、諸藩が声をかけているが幕府つまり家康もそれは同じということを。

「その時たまたま何処にも仕官しておらぬとな」

「その時はですか」

「母上と供の者達のこともある」

 だからだというのだ。

「わしは士官する」

「そうされますか」

「わしは一人ではない」

 それ故にというのだ。

「仕官を選ぶ」

「では」

「その時は真田殿と敵同士になるやも知れぬ」

 このことは確かに言うのだった。

「しかしな」

「はい、その時はですな」

「宜しく頼む」

 後藤は幸村を見て笑みを浮かべて言った。

「敵味方に別れ様ともな」

「お互い武士としてですな」

「戦いたい、しかし出来るならな」

 仕官はするがというのだ。

「真田殿とは戦いたくはない」

「そう言って頂けますか」

「共に轡を並べたい」

 これが幸村の心からの願いだった。

「是非な」

「それがしはおそらくはです」

 幸村はここでこう後藤に話した。

「幕府には仕えられませぬ」

「真田殿はそうであるな」

「それがし幕府とはどうも縁が浅からぬものがありまして」

 そのせいでというのだ。

「どうしてもです」

「幕府からも声はかからぬしか」

「はい、それがしから幕府に申し出ることもです」

 それもというのだ。

「ありませぬ」

「そうか、やはりな」

「それだけは」

「そうであろうな、真田殿は」

「どうしても」

「それが真田殿の事情であるな」

 後藤もこのことはわかった、幸村そして彼に絶対の忠義を誓って仕える十勇士達のことはだ。

「幕府には仕えられぬ」

「父上も含めて」

「他の藩ならと思うが」

「しかしそれもです」

「声がかからぬか」

「はい、どうにも」

「幕府に遠慮してであろうか」

「そうでしょうな」

 真田家自体が幕府にとって鬼門と言える相手だ、それで流石に諸藩もというのだ。

「それは」

「やはりそうか、だからか」

「今は浪人のままです」

 九度山においてその立場だというのだ。

「今も」

「そうか、しかしな」

「時が来れば」

「また飛び立つ時もあろう」

「それまでですか」

「誰しも潜む時がある」

 後藤は幸村に確かな声で話した。

「だからな」

「今は潜みですか」

「時を待つべきじゃ」

「そして時を待つ間にですな」

「鍛錬と学問を忘れることのない様にな」

 是非というのだ。

「わかったな」

「はい、それでは」

「今は修行じゃ」

「それでは」

 幸村も頷き清海と共に修行に励んだ、そうして熱心に汗をかき続け夜は学問に励んだ。今は確かに潜んでいるが。

 すべきことはしていた、そしてだった。

 清海は遂に免許皆伝となった、そこで後藤に言われた。

「ではな」

「はい、これからも」

「励みじゃ」

 修行、それにだ。

「そのうえでな」

「より、ですな」

「強くなることじゃ」 

 そうあるべきだというのだ。

「よいな」

「承知しております」

 清海もこう答えた。

「拙僧は死ぬまでです」

「修行を続けるか」

「そうします」

 強い言葉での返事だった。

「殿と共に」

「そうじゃ、悟ってもじゃな」

 後藤は清海が僧でもあることから仏門の話もした。

「それで終わりではないな」

「そこから先もありと聞いておりまする」

「だからか」

「はい、拙僧もです」

 まさにというのだ。

「これからもです」

「修行に励むな」

「免許皆伝となりましたが」

 それでもというのだ。

「そうしていきまする」

「その意気じゃ」

 後藤もその意気をよしとした。

「ではな」

「はい、日々錫杖を振り」

 彼しか振れないそれをだ。

「忍術も法力もです」

「どちらもじゃな」

「励みまする」

「それでよい、しかし法力は」

「そちらですか」

「御主は」

「ははは、実は弟もそうですが」

 清海は僧侶としてのそれについては笑って言った。

「術としてはともかく」

「悟りはか」

「全くです」

 まさにそれはというのだ。

「至れていませぬ」

「そうであるか」

「いや、全く」

「悟りはか」

「拙僧も弟もそちらは縁がないやもです」

「僧としてよりもじゃな」

「はい、忍として武芸者として」

 この二つの立場でというのだ。

「励んでいまして」

「だからじゃな」

「はい、ですから」

 それでというのだ。

「僧侶としては」

「やはりそうか」

「しかしです」 

 それでもとだ、彼はこう言ったのだった。

「何時かは」

「左様か」

「はい、そうも思っています」

 僧侶であるからこそというのだ。

「まあそれよりもです」

「やはり真田殿とか」

「共にいたいです」

 悟りを開くよりもというのだ。

「悟りを開き殿と共に同じ場所で同じ時に死ぬなぞ難しいです」

 そこまで津國よく出来ないだろうというのだ。

「ですから」

「それでか」

「はい、そこまではです」

 悟りまではというのだ。

「望んでおりませぬ」

「ではやはり」

「はい、それがしは殿の家臣です」 

 幸村を見て強い声で言った。

「その立場は絶対ですから」

「それ故にじゃな」

「悟りを第一にはしませぬ」

「欲は張らぬか」

「欲は十分張っております」

「だから真田殿と共にか」

「生きて死にたいのです」

 己の欲をそちらに集中させているというのだ。

「そうなっております」

「そういうことか」

「左様です」

 こう後藤に答えた。

「拙僧は」

「弟君もじゃな」

「ひいては十勇士全てが」

 彼等の全てがわかっているからこその言葉だった。友であり義兄弟であり長きに渡って共にいるからこそ。

「左様です」

「そうした欲が強いか」

「富や位には興味がありませぬが」

「強くなりじゃな」

「はい」

 そしてというのだ。

「殿と共に」

「そうした欲か。確かに強いな」

「後藤殿もそう思われますな」

「確かにわかった」

 後藤もこう答えた。

「わしもな」

「それは何よりです」

「ではな」

「はい、それでは」

「また機会があれば会おう」 

 後藤ににかりと笑って清海に告げた。

「そして出来ればな」

「その時が来れば」

「轡を並べて戦おう」

 共にというのだ。

「そして敵同士になっても」

「それでもですな」

「武士として恥じぬ戦をしよう」

 そうしようと約するのだった。

「是非な」

「さすれば」

「それでは」

 幸村も言った、ここで。

「お互いに武士として」

「恥じぬ様にしようぞ」

「それでは」

 双方笑顔で別れた、そしてだった。

 幸村主従は九度山に戻った、するとだった。幸村はすぐに十勇士達に対してこうしたことを言った。

「後藤殿のことじゃが」

「殿がこれまで清海と共に会っていた」

「あの方ですな」

「天下の豪傑といいますが」

「あの方がですか」

「うむ、あの方は見事な方じゃ」

 天下の豪傑だというのだ。

「噂に違わぬな、しかしな」

「しかし?」

「しかしといいますと」

「残何ながらな」

 こう前置きして言うのだった。

「あの方は一つの家の下にはおられぬだろうな」

「黒田様が横槍を入れられて」

「それで、ですな」

「どうしてもですな」

「一つの家にはおられませぬか」

「長い間は」

「幕府か豊臣家でもなければ」

 それこそというのだ。

「あの方を最後まで召し抱えていられぬ」

「黒田様の横槍故に」

「それで、ですな」

「その家も手放してしまう」

「だからですな」

「うむ、多くの大名家が是非にと思うが」

 そして声をかけるがというのだ。

「それでもな」

「幕府か豊臣家でもなければ」

「あの方を最後まで召し抱えられぬ」

「それで流れていかれますか」

「浪人として」

「うむ、しかしおそらく幕府はな」

 つまり家康はというのだ。

「あの御仁のことを承知じゃ」

「では幕府が、ですか」

「あの方を召し抱えられますか」

「そうされますか」

「機があればな」

 その時はというのだ。

「大御所殿はされよう、しかしな」

「それも機があれば」

「その時にですな」

「幕府も出来る」

「左様ですか」

「幕府は他の家の臣を取ることはせぬ」

 それは決してしないというのだ、この辺り節度を守っているというのだ。

「大御所殿もな」

「ですな、あの方はです」

「そこまでされる方ではありませぬ」

「他人、他家のものには決して手を出されぬ」

「そうした方ですな」

「そうじゃ、節度のある方だからな」

 それ故にというにだ。

「あの方もな」

「決してですな」

「後藤殿が他家におられれば」

「その時はですな」

「閲して手を出されぬ」

「そうされますな」

「浪人となられた時じゃが」

 その時には家康も声をかけるがというのだ。

「しかしな」

「要はその機があるか」

「それが問題ですな」

「幕府にとっても」

「うむ、果たしてどうなるか」 

 こう幸村も言った。

「それがな」

「幕府が召し抱えることが出来るか」

「それがですな」

「幕府とっても大事で」

「後藤殿にとても」

「うむ、それでじゃ」

 幸村はさらに言った。

「そうなれば運もある」

「機会があればですな」

「幕府は召し抱えることは出来ますが」

「しかしですな

「機会がなければ」

「それはまさに運ですな」

「幕府にしましても」

「そうじゃ、しかし後藤殿はやがてはじゃ」 

 後藤のその器を見ての言葉だ。

「世に出られる、再びな」

「そうした方ですか」

「あの方についてはですか」

「殿はそう言われますか」

「袋に大きなものを入れればじゃ」

 そうすればというのだ。

「出てしまうな」

「はい、確かに」

「そうなりますな」

「袋に大きなものを入れれば」

「後藤殿もそれは同じ」

「そういうことですか」

「そうじゃ」

 まさにというのだ。

「だからじゃ」

「あの方はですか」

「やはり世にですか」

「再び出られますか」

「そうなられますか」

「拙者はそう見る、そしてじゃ」

 それにというのだった。

「それが何処であっても」

「幕府でもですな」

「他の家でもですな」

「あの方はやがてはですか」

「召し抱えられ」

「また世に出られ」

「名を馳せられますか」

「うむ」

 その通りだというのだ。

「あの方は」

「わかりました」

「それでは」

「うむ、しかし幕府はな」

 幸村は今度は幕府のことについても話した。

「切支丹について厳しくなるやもな」

「ですな、どうにも」

「天下を巡っていても感じます」

「諸藩を巡っていても」

「そして幕府の領地にいますと特にです」

 十勇士達も言う。

「何かです」

「これまでも切支丹に思うところはあったと感じていましたが」

「どうもです」

「幕府も考えを決めた様ですな」

「切支丹を禁ずる」

「その様に」

「うむ、切支丹は本朝の民を海の外に売り奴隷として使うしな」

 それにというのだ。

「切支丹を増やし国を乗っ取ろうと考えている者もおる」

「そうした怪しい者達もいますな」

「民を奴隷にしたり国を乗っ取ろうとする」

「そうした考えの者達も」

「他の教えも認めませぬし」

「厄介な者達ですな」

「そうじゃ、だからな」

 それ故にというのだ。

「幕府もじゃ」

「どうしてもですな」

「切支丹を認められぬ」

「そうした者達はですな」

「どうしてもですな」

「そうした風になりますな」

「このことは諸藩もわかっておる」

 幕府のその動きを見てだ。

「それで切支丹を禁じだす、若しもじゃ」

「切支丹達と手を結んだなら」

「その者達はですな」

「例え誰であろうと」

「幕府は許す訳にはいかぬ」

「幕府は民を護るのが務めじゃ」 

 即ち天下の泰平をだ、まさにそれをだ。

「だからこそな」

「民、国を害そうとする切支丹達を許せぬ」

「そしてですな」

「切支丹達と結ぶ者達も許さぬ」

「そうしていきますか」

「そうなる、このことは天下の大事となる」

 幸村はこのことがわかっていた、天下を見ているが故に。

「このことを踏まえて我等もな」

「動いていくべきですな」

「切支丹は天下にとって危うい者達である」

「そのことを踏まえてですな」

「動いていくべきですな」

「我等も」

「そうじゃ、拙者もあの者達に危うさを感じておるからな」

 幸村自身もというのだ。

「中には純粋に信じておる御仁もおられるから厄介じゃ」

「高山殿ですな」

「あの方はひたすら純粋ですな」

「切支丹の教えを守られていましたな」

「ひたすら信じられ」

「細川殿の奥方もじゃった」

 明智光秀の娘であったたまだ、洗礼名はガラシャといいその美貌は天下に広く知られていた。

「純粋に信じておられる方も多い」

「ですな、そうした方もおられる」

「それが余計に厄介ですな」

「教え自体の素晴らしさに触れて」

「そうなられる方も」

「実は伴天連の書も読んだことがある」

 この辺り学問に励む幸村らしかった。

「よき教えである、しかし問題はじゃ」

「その教えを悪用してですな」

「そのうえで国や民を脅かす」

「そうした邪な者がおる」

「それが問題ですな」

「太閤様はそれ故に切支丹を禁じられた」

 そうしたものを見た、特に民達が他の国で奴隷として売られ働かされていると知って驚いて買い戻したことからだ。

 家康はその秀吉の傍にいた、それでよく知っていているのだ。このことも。

「そしてじゃ」

「大御所殿もですな」

「そうされますな」

「間もなく」

「切支丹の教えの問題ではなく」

「教えはよいのじゃ」

 切支丹のそれ自体はというのだ。

「問題はそのよき教えを隠れ蓑に悪を行う者達じゃ」

「では幕府のこの行いは善」

「そうなりますか」

「うむ、多少手荒くともじゃ」

 それでもというのだ。

「幕府は本気で国と民を護るつもりじゃ」

「ならば善ですな」

「幕府のその政は」

「そうなりますな」

「うむ」

 その通りだというのだ。

「民、国を護る為には必要じゃ」

「多少手荒くとも」

「それでも」

「しかし伴天連より酷くはならぬ」

 その手荒なこともというのだ。

「ああして神社仏閣を壊したり神主や僧を追放したりな」

「そこまではせぬ」

「そうですか」

「確かに立ち退かぬ者達は死罪にもしようが」 

 しかしというのだ。

「立ち去る、教えを捨てるならよし」

「そうしていきますか、幕府も」

「人の命は無暗に奪いませぬか」

「そこまではせぬ」

 幕府としてもというのだ。

「幾ら何でもな、しかし禁じることは禁じる」

「それは絶対として」

「天下に広まる」

「ではそれに伴いですな」

「天下は動きますな」

「あらゆることがな」 

 幕府の政も諸藩の政もというのだ。

「そうなっていく、切支丹禁制が一つの軸じゃ」

「幕政のですな」

「それになる」

「そしてそれに触れればよくはない」

「到底ですな」

「手荒なことはせぬに限るが」

 しかしというのだ。

「必要とあらばな」

「そうしたこともせねばですか」

「民も国も守れぬ」

「そうした相手ですか」

「そう思う、だからじゃ」

 それでというのだ。

「拙者もそこまでせぬといかんと思う」

「多少手荒でも」

「それでもですか」

「そうしてですか」

「民も天下も守るべきですか」

「そうすべきじゃ、切支丹は危うい」 

 実にだ、こう言ったのだった。そうしてだった。

 幸村は天下万民のことも考えて切支丹のことはそうするしかないと考えていた。だがそれでもだった。

 大坂ではだ、茶々が周りの者達にこんなことを言っていた。

「大坂に切支丹が来ておるとな」

「はい、そうなってきております」

「近頃はです」

「そうなっております」

「幕府や諸藩の動きを見てです」

「大坂に逃れてです」

「そこで生きようとしております」

 周りの女房達が茶々に話した。

「それで伴天連の教会も建っております」

「その数が増えております」

「左様か」

 そう聞いてだ、茶々は言った。

「わかった」

「それでどうされますか」

「切支丹のことは」

「幕府は嫌いはじめていますが」

「どうされますか」

「幕府なぞ関係ないわ」

 顔を背ける様にしてだ、茶々は答えた。

「それこそのう」

「それでは、ですか」

「このことは別に構わない」

「そう言われますか」

「何故か太閤様は嫌われておったが」

 それが何故かまではだ、茶々は知らなかった。そしてもっと言えば考えようともしていなかった。

「叔父上は違っておられた」

「はい、元右府様はです」

「確かにそうでした」

「フロイスという者を大事にしており」

「色々と知識を得ていました」

「それで何故幕府は禁じるのか」

 茶々は何もわからないまま言う。

「妾にはわからぬ」

「では切支丹は」

「このままですか」

「そうされますか」

「幕府は幕府じゃ」

 茶々は本音を出した。

「ではじゃ」

「はい、それでは」

「このことはよしとされますか」

「その様に」

「修理達にもそう言うのじゃ」

 家を取り仕切る彼等にもというのだ。

「幕府は幕府じゃ」

「我等は我等」

「むしろ幕府が従うべき」

「左様ですな」

「太閤様のお家じゃ」

 豊臣家はというのだ。

「それで何故幕府に従うのじゃ」

「むしろ幕府がですな」

「あちらが従うべきですな」

「何かと勝手をしていますが」

「それでも」

「右府殿もじゃ」

 家康、彼もというのだ。

「太閤様の家臣であられたのじゃ」

「ではお拾様にもですな」

「従うべきですな」

「近頃逆らってばかりですが」

「それもまた」

「そうじゃ、姫の祖父殿といってもじゃ」

 千姫、秀頼の正室の彼女のだ。

「勝手はならん」

「ましてやまだ茶々様にご自身の正室にと言われています」

「駿府からその様に」

「不遜極まりまい」

「全く以てです」

「全くじゃ、妾はお拾殿の母であるぞ」 

 彼女が思う天下人のだ。

「その妾にそうした話をしてくるなぞ」

「無礼にも程があります」

「しかも何度も行って来るとは」

「何処まで図々しいのか」

「恥知らずにも程があります」

「その様なことは絶対にせぬ」

 茶々は強い声で言いきった。

「妾はな」

「そうされるべきです」

「ここは是非です」

「そうされてです」

「天下人が誰か見せるべきです」

「必ずや」

「わかっておる」

 茶々はまた言った。

「それものう」

「では切支丹も」

「そちらのことも」

「このままですね」

「やっていきましょう」

「そう、このままじゃ」

 変えぬというのだ。

「そうしていく」

「わかり申した」

「さすれば」

 女房達も頷く、そしてだった。

 大坂は切支丹達についても特に変えないことにした、服部はそのことを駿府で聞いて呆れて言った。

「何もわかっておられぬな」

「左様ですな」

「我等も驚いています」

「大坂のそのことを見てです」

「茶々様のそのお言葉をその耳で聞きましたが」

「いや、全くです」

「切支丹のことがわかっておられませぬ」

 そうだとだ、十二神将達も言う。

「他のこともそうですが」

「とかく政に疎いです」

「豊臣家の領内では善政ですが」

「それも片桐殿達あってのこと」

 彼等がそうしたことを仕切っていてこそというのだ。

「しかしです」

「それ以外はです」

「全く出来ませぬ」

「何もかもです」

「わかってもおられませぬ」

「そして切支丹のこともです」

「全くわかっておられませぬ」

「そうじゃな、あれではな」

 服部はこれ以上はないまでに難しい顔で言った。

「下手をすればな」

「戦ですな」

「幕府と豊臣家の」

「それになりますな」

「わしも避けたいと思っておる」

 服部にしてもというのだ。

「それはな、しかしな」

「大坂がああでは」

「相変わらず幕府の話を聞きませぬし」

「このままではです」

「戦は避けらませぬな」

「どうしても」

「ここは少しじゃ」

 服部は今は普通の着物を着ている、その服の袖の中で腕を組みながらそのうえでこう言ったのだった。

「加藤殿にお話をしてもらうか」

「熊本のですか」

「あの方に」

「そうしてもらうか」

 加藤清正、彼にというのだ。

「そしてな」

「何とかですか」

「両家の間に立って頂き」

「そしてですな」

「茶々様もですな」

「石田殿や大谷殿なら茶々様を抑えられたが」

 それが出来たがというのだ。

「今それが出来るとすればな」

「加藤殿か福島殿か」

「どちらかの方だけですな」

「太閤様に幼き頃からお仕えしていた」

「あの方だけですな」

「そうじゃ、だからな」

 それでというのだ。

「ここはじゃ」

「何とかですな」

「加藤殿に動いてもらいますか」

「そして双方にどうにかしてもらう」

「話を抑えてもらいますか」

「さもなけば戦じゃ」

 それになるというのだ。

「茶々様のせいでな」

「それでは」

「これからですな」

「何とかしますか」

「これから」

「そうしよう、それとじゃ」

 ここでだ、服部は十二神将達にこうも言った。

「今の状況でも大御所様からお話はない」

「だからですな」

「大坂城の隅から隅まで見られても」

「それでもですな」

「この状況でも」

「うむ、軽挙はするな」 

 こう言うのだった。

「例え茶々様のお命を奪えてもな」

「それでもですな」

「大御所様からのお話がないので」

「それで」

「それは簡単に出来る」

 茶々を急死に見せかけて亡き者にすることはというのだ、これは言うまでもなく秀頼に対しても同じだ。

「それこそな」

「実に楽にですな」

「手の平を返す様に出来ます」

「我等十二神将ならば」

「そして棟梁様ならば」

「そうじゃ、しかしな」

 それでもというのだった、服部はあくまで。

「大御所様は出来る限りじゃ」

「穏やかに進めていきたい」

「我等に対してもですな」

「そこまでするなと」

「うむ、何かするのは最後の最後じゃ」

 まさにというのだ。

「それまではな」

「我等もですな」

「城の中を見るまでで」

「毒等はですな」

「使わぬことですか」

「うむ、確かにそれは楽じゃ」

 茶々や秀頼への暗殺はというのだ。

「しかしな」

「大御所様がお許しになられぬ」

「だからですな」

「してはならぬ」

 それは絶対にというのだ。

「だからよいな」

「はい、我等もです」

「その様にします」

「必ず」

「ではな」

 服部はあらためて頷いた、そしてだった。この話が終わって十二神将達に対してこう言った。

「今はやるべきことをしていく」

「大御所様、上様の言われるままに」

「動くだけですな」

「そうじゃ、我等は幕臣じゃ」

 それ故にというのだ。

「大御所様と上様のご命令に従うじ」

「はい、それでは」

「その様に」

 十二神将達も応えそうしてだった、彼等は大坂のことに不安も抱いていたがそれでもだった。今は果たすべきことを果たすのだった。



巻ノ百一   完



            2017・4・1

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