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巻ノ百

                 巻ノ百  後藤又兵衛

 後藤は服部達が見た通り細川家を出なくてはならなくなった、さしもの細川家も黒田家に執拗に言われて止むを得なくだった。

 それで後藤は再び浪人となったが幸村はその話を聞いてそのうえで彼が今何処にいるのかを知った。それでだった。

 すぐにだ、清海を呼んで彼に言った。

「次は御主じゃ」

「まさかと思いますが」

「そのまさかじゃ」

 まさにというのだ。

「御主を後藤殿の御前に連れて行ってな」

「そのうえで、ですな」

「あの方の槍術、もっと言えばじゃ」

「錫杖のですな」

「その術を身に着けてもらう」 

 こう言うのだった。

「よいな」

「はい、待っておりました」

 清海はその大きな口をさらに大きく開いて笑って応えた。

「わしもまた」

「今か今かとじゃな」

「はい」

 その通りという返事だった。

「ですから」

「そう言ってくれるか、ではな」

「これよりですな」

「御主を連れてじゃ」

 そうしてというのだ。

「後藤殿のところに参上するぞ」

「してその場所は」

「堺じゃ」

 そこだというのだ。

「今はそこにおられる」

「堺ですか」

「意外か」

「はい、細川殿のところから随分と離れられましたな」

「あの方は大層な母親思いでじゃ」

 幸村は後藤が堺にいると聞いていぶかしんだ清海に話した。

「母君が大坂の生まれでな」

「だから大坂に近い堺にですか」

「今はおられてな」

「そうしてですか」

「そこで母君を養わつつ暮らしておられるという」

「そうなのですか」

「そうじゃ、無論家を出る時の共の者達もおる」

 後藤の周りにはというのだ。

「そしてな」

「そのうえで、ですな」

「母君もおられる」

「そうですか、あの方はお強いだけでなく卑怯未練を卑しみ仁愛の心もお持ちと聞いていましたが」

「噂通りの方じゃな」

「まさに天下の豪傑ですな」

 文字通りのというのだ。

「見事な方ですな」

「そしてじゃ」

「その後藤殿のところにですな」

「今から行くぞ」

「わかり申した」

 清海は再び大きく笑って応えた。

「それではこれより」

「堺に行くぞ」

「そうしましょうぞ」

 こう話してだ、そのうえでだった。

 二人はすぐに九度山から堺に向かった、堺に入りすぐにだった。清海は何処か寂しげに堺の町を見つつ言った。

「どうもですな」

「以前よりもじゃな」

「はい、天下を見て回ってこの町も時々見ていますが」

「拙者もじゃがな」

「殿も思われますな」

「来る度にな」

 まさにとだ、幸村も微妙な顔で清海に答えた。

「寂しくなってくるな」

「そうですな」

「どうにも」

「何といいますか」

「この町は次第に中心でなくなってきておる」

「南蛮貿易も下火になってきて」

「利休殿もおられなくなりな」

 そうしたことが重なってというのだ。

「最早な」

「中心ではですな」

「なくなってきておる、商売の中心は堺からな」

「大坂、そして江戸ですな」

「二つの町になってきておる」

 天下の商いの中心はというのだ。

「そうなっておるな」

「はい、まさに」

「だからな」

「堺はですな」

「こうしてな」

「次第にですな」

「寂れてきておるのじゃ」

 そうなってきているというのだ。

「こうしてな」

「左様ですか」

「はい、ですから」

 それでというのだ。

「それを言うとな」

「仕方ないですな」

「そうじゃ、しかしじゃ」

「はい、そのことはまずは置いておいて」

「後藤殿にお会いしよう」

 まさにというのだ。

「ここにおられる」

「はい、それでは」

「これから行くぞ」

「そうしましょうぞ」

 清海は堺の寂れていく様子に戸惑いつつもだ、そのうえでだった。

 彼等は堺の中でもひっそりとした場所に来た、そこは広いがそれでも確かにひっそりとした場所にあった。

 その屋敷の前に来てだ、清海は幸村に問うた。

「殿、ここですな」

「うむ、この屋敷がじゃ」

「後藤又兵衛殿がおられますか」

「今な」

「そうですか」

「しかし」

 その屋敷を見つつだ、清海はまた寂しい顔になり言った。

「後藤殿は黒田家において万石取りの方で」

「しかもじゃな」

「はい、家老であられました」

「そうした方であられた」

「官位までお持ちでした」

「しかしな」

 それでもというのだ。

「今はじゃ」

「こうなっていますか」

「拙者もそうであろう」

 幸村は笑って清海に言った。

「大名であったぞ」

「あっ、そうでしたな」

「それが今ではじゃ」

「こうした浪人じゃ」

「左様でしたな」

「だからそれもじゃ」

「人の世ですか」

 清海はここで幸村が言いたいことがわかった。

「栄枯盛衰ですな」

「そうじゃ、栄える者もな」

「枯れる」

「そうなることもある、だから侘しいとは考えることじゃ」

「そうなりますか」

「うむ、それに儚さ等を感じるのも人じゃが」

 それでもというのだ。

「悲しいとも思うこともあるまい」

「それも人の世とですか」

「思うことじゃ」

「そうですか」

「そういうことじゃ、ではな」

「はい、それでは」

「入るぞ」

 道場の中にというのだ、そしてだった。

 実際にだ、幸村達は道場の中に入ろうとするがそれでもだった。ここで彼等の前に髭面の大男が出て来た。

 そのうえでだ、笑って言って来た。

「よく来られた」

「まさか」

「わしが後藤又兵衛基次じゃ」

 後藤は清海に自ら名乗ってきた。

「来られると思っておった」

「そうでしたか」

「うむ、気も感じておった」

「それでは」

「では真田殿」

 後藤は今度は幸村にも声をかけた。

「これよりじゃな」

「はい、稽古をつけて頂けます」

「こちらの者に」

「そうして頂けますか」

「こちらこそ願ってもないこと」

 後藤は笑って幸村に答えた。

「そのことは」

「そう言って頂けますか」

「三好清海殿と見た」

 後藤は清海を見て幸村に問うた。

「そうであるな」

「はい、そうです」

「それがしが三好清海です」

 清海も名乗った。

「左様です」

「そうであるな、ではだ」

「これよりですな」

「稽古をつけさせてもらう」

「宜しくお願いします」

「そうさせてもらう、錫杖じゃな」

 後藤は清海が手に持っているそれも見た。

「槍ではないが」

「突き、叩くのは同じですな」

「うむ、だから来られたな」

「はい、そうです」

「その通りじゃ、では中に入られよ」

 屋敷のそこにというのだ。

「そして我が屋敷の道場でじゃ」

「そこで、ですな」

「稽古をつけさせてもらう」

「それでは」

 こうしてだ、清海は幸村と共に後藤の屋敷に入った。そこは大きいが至って質素な内装であった。

 その内装を見てだ、幸村は後藤に言った。

「実にです」

「わしらしいか」

「はい、そう思いました」

「ははは、わしは贅沢は出来ぬ」

 後藤は幸村に豪快に笑って応えた。

「だからな」

「お屋敷の中もですか」

「この通りじゃ」

 何もないままに質素だというのだ。

「何もない」

「蓄えはおありですな」

「多少ある、それで供の者達もいてくれている」

 二十人程そうした者達がいるのだ。

「母上とな」

「お母上と供の者達を養うだけの蓄えは」

「持って来た、しかしな」

「それでも贅沢はされず」

「この通りじゃ」

 内装なぞ何もないというのだ。

「わしは武士でな」

「贅沢はせぬもの」

「だからじゃ」

 それでというのだ。

「こうしたものじゃ」

「左様ですか」

「それは真田殿も同じと思うが」

「贅沢はせぬと」

「そうしたものに興味はあるか」

「いえ」

 一言でだ、幸村は後藤に答えた。

「それがしも言われてみれば」

「左様じゃな」

「そうしたことに興味はありませぬ」

 実際にというのだ。

「どうにも」

「そうであるな、だからな」

「それがし達はですか」

「同じじゃ、生粋の武士だからな」

「贅沢はですか」

「せぬしじゃ」

 それにというのだ。

「出来ぬ」

「そしてそれはですか」

「真田殿も同じこと」

 幸村もというのだ。

「そうであろう」

「言われてみますと」

「そうじゃな」

「酒は好きですが」

「ははは、それはわしも同じこと」

「贅沢はといいますと」

 あらゆることへのそれはというのだ。

「興味がありませぬ」

「左様じゃな」

「それよりもです」

「武芸や学問じゃな」

「そして武士としての素養を養うこと」

 そうしたものにというのだ。

「関心があります」

「それはわしも同じ、とはいってもわしは真田殿より学問はせぬがな」

「それでもですか」

「武芸が好きじゃ」

 やはり笑って言うのだった。

「だからな」

「贅沢にはですか」

「興味がない」

「では」

「うむ、そういうことじゃからな」

「このお屋敷にしても」

「この通りじゃ、これはずっとそうであった」

 この屋敷だけでなくというのだ。

「わしは贅沢には興味がない」

「武芸にこそですな」

「興味があるのじゃ、そしてじゃ」

「今はもですな」

「うむ、武芸をしようぞ」

 こう言うのだった。

「これからな」

「それでは」

「では清海殿」

「道場において」

「稽古をつけさせてもらう」

「そしてですな」

「免許皆伝までな」 

 まさにその時までというのだ。

「教えさせてもらう」

「それでは」

 こう話してだった、一行は道場に入ってだった。

 早速稽古をはじめた、後藤は激しい突きを繰り出しつつ相手をしている清海に対してこうしたことを言ったのだった。

「見事」

「左様ですか」

「うむ、これはじゃ」

 まさにというのだった。

「天下の豪傑のもの」

「そうした腕ですか」

「まさにな」

 そうだというのだ。

「これはな、しかしな」

「まだですな」

「そうじゃ」

 こう言うのだった。

「まだまだじゃ」

「そうですか、では」

「励まれよ」

 清海に槍を繰り出す、とはいっても先が袋になっている杖と同じものだ。清海も同じものを手にして振っている。

「こうしてな」

「はい、それでは」

「そしてじゃ」

 さらに言う後藤だった。

「然るべき強さになれば」

「その時は」

「免許皆伝を授けよう」

「わかり申した」

「早くそこまでになられよ」 

 後藤は天下一とさえ言われた槍の腕を披露していた、それはまさに変幻自在で前田慶次のそれにも引けを取らなかった。

 幸村もその槍を見てだ、思わず言った。

「前田殿は虎、しかし」

「わしの槍はじゃな」

「熊ですな」

「その槍の形じゃな」

「はい」

 そうした槍術だというのだ。

「そこに洗練さが合わさった」

「前田慶次殿のことは知らぬが」

「それでもですな」

「わしの槍は確かに熊じゃ」

「熊の様に強く逞しく」

「そしてそこにか」

「洗練されておりまする」

 そうした槍術だというのだ。

「見事です」

「そして貴殿の槍は」

 後藤は後藤で幸村の双槍のことを言った。

「炎じゃな」

「拙者の槍術は」

「ただの二本槍でなくな」

 慶次も後藤も使う槍は一本だ、一本の剛槍を使ってそうして縦横に暴れる。それが彼等の槍なのである。

 しかし幸村の二本槍はというのだ。

「炎じゃ」

「燃え上がる様に」

「うむ、そう見たが」

 幸村自身を見ての言葉だ、まだ槍術は見ていないがだ。

「わしはな」

「そうでござるか」

「そして清海殿に授けるのはな」

「熊の槍ですな」

「清海殿自身にも似合うであろう」

 こうも言ったのだった。

「やはりな」

「だからですな」

「うむ、清海殿にはわしの槍術を授ける」

「そして拙僧はですな」

 清海も槍を合わせつつ言った。

「それを錫杖としてですな」

「使ってな」

「戦えと」

「そうさせよ」

 こう言うのだった、清海には。

「是非な」

「わかっておりまする」

「しかしな」

「それでもですな」

「錫杖と槍は違うが同じものじゃ」

「先に刃があるかどうか」

「それだけの違うじゃ」

 このことも言うのだった。

「だからな」

「はい、是非」

「わしの術を身に着けるのじゃ」

「槍術を」

「そして錫杖の術とされよ」

「わかり申した」

「それが必ず力になる」

 清海のそれにというのだ。

「だからな」

「はい、それでは」

「わしの全てを教えるぞ」

「そしてその全てを備える」

「御主にはそれを頼む」

「そうさせて頂きます」

 大柄な二人の男が言い合った、そしてだった。  

 彼等ははぶつかり合ってそうしてだった、清海は後藤が自らに授ける術を身に付けていった。それは道場にいる時だけでなく。

 堺の外でも行われた、そこでは山の中でも激しい打ち合いになっていたが。

 そこでだ、後藤は清海に激しい攻めを加えつつ野山を駆け回っていた、清海はその後藤についていきつつ言った。

「後藤殿は忍の術は」

「一応武芸は一通りしておるからな」

「だからですか」

「知らぬ訳ではない」

 そうだというのだ。

「とはいっても御主達程ではないぞ」

「いえ、それは」

「違うか」

「見事なお動きです」 

 見ればその通りだった、大柄だが幸村にもひけを取っていない。忍としても天下随一である清海にも互角だ。

「武士の方とは思えぬまでに」

「ははは、武士であってもな」

「鍛錬を積めばですな」

「こうして動ける」

「忍の術を身に着けられる」

「そうなるな」

「忍術まで備えてですな」

 そのうえでと言うのだった。

「こうして野山においても」

「御主達は野山で戦うことも多いな」

「忍故に」

「それが今役に立っておるわ」

 清海は野山を激しく駆けつつ清海と戦の様に打ち合いつつ笑みを浮かべた。

「お陰で御主にも稽古をつけられる」

「そう言って頂けますか」

「うむ、この様にな」

「この時の為と言われますか」

「忍術も嫌いではない」 

 だがそれでもという言葉だった。

「武芸のうちだからな」

「そうでしたか」

「それなりに備えておる、しかしな」

「それなりですか」

「やはりわしは馬に乗って戦う者」

 自分は何かとだ、後藤は清海に話した。

「それは真田殿も同じであるな」

「はい、それがしも忍術は極めていますが」

 真田流のそれをだ、幸村もまた武芸十八般を極めている。しかし彼はその真田家の者即ち武士としても上にある者だ。

 真田家の次男、だからだというのだ。

「やはりです」

「馬に乗って戦われるな」

「はい」

 実際にというのだ。

「ですから」

「それ故にじゃな」

「こうして山の中で駆けることも好きですが」

「それでもじゃな」

「馬に乗って戦うのが第一です」

「そうじゃな」

「はい、しかし」

 ここでだ、幸村は後藤に話した。

「我等は時によっては」

「馬を降りてじゃな」

「戦うこともあります」

「そうか」

「ですからその時に備えるべきかと」

「ふむ」

 後藤は幸村の言葉を受けて考える顔になった、修行をしつつそのうえで言った。

「ではわしもこれからはな」

「忍術をですか」

「その鍛錬をより励むとしよう」

「そうされますか」

「確かに馬から降りて戦う時もある」

 思いなおしてだ、後藤は答えた。

「ではな」

「はい、忍術もですな」

「より学ぶ、そしてな」

「馬から降りられても」

「戦える様にする、そしてな」

「そのうえで、ですな」

「最後の最後まで戦うとしよう」

 こう言うのだった。

「そしてな」

「そのうえで、ですな」

「武士として生きよう、真田殿と同じか」

「ですな、武士として生きるならば」

「馬から降りてもな、では今は」

 清海に激しい突きや払いを駆けつつ繰り出しつつ言った。

「清海殿に鍛錬をつけよう」

「はい、では」

「これはどうじゃ」

 後藤は数えきれないだけ連続して突きを繰り出した、そうして激しい攻撃を受けてもだった。清海はその突きの一つ一つを防いでだった。

 後藤に攻撃を浴びせる、そうして言った。

「これはどうでしょうか」

「よい、しかしな」

「これでもですか」

「槍にはこうした攻め方もある」

 槍を繰り出しながらだ、今度はだった。

 体当たりも浴びせた、これには清海も何とか防ぐので精一杯だった。

 だがここで後藤は突きだけでなく払いも加えて攻める、そのうえで言うのだった。

「これはどうじゃ」

「何と、体当たりからですか」

「うむ、相手の姿勢を崩してな」

「そのうえで、ですか」

「こうした攻め方もある」

「槍だけを使うものではない」

「わしはこれを馬術と共に行うこともある」

 こう言うのだった。

「だからな」

「拙僧もですな」

「こうした攻めも身に着けてもらう」

「それでは」

「御主達はこれを忍術と共に行えるか」

「はい」

 清海は後藤に確かな声で答えた。

「必ず」

「ではそうしてもらうぞ」

「それでは」

 清海も頷いてだ、彼もまた状況を見て体当たりも交えた。槍だけでなく身体全体を使いそれからさらにだった。

 気も使い槍にそれを込めて戦いもする、それで言うのだった。

「これはどうでしょうか」

「それもよい、わしも気は使えるが」

「これはいざという時ですな」

「気を込めれば確かに強い」

 槍、清海の場合は錫杖の威力がさらに増す。

「そして遠間にもな」

「気を放ってですな」

「攻めることも出来るし守りもな」

「それもですな」

「出来る」 

 そちらにも使えるというのだ。

「確かにな」

「しかしですな」

「うむ、無闇に使えるものか」

「そういうことですな」

「気を使うと疲れが違う」

「はい、確かに」

「だからじゃ」

 それ故にというのだ。

「無闇に使うな」

「いざという時にですな」96

「使うのじゃ」

 気、それはというのだ。

「そうしたものじゃ、そして気はな」

「修行で幾らでも増え大きくなる」

「そうじゃ、だから肝心な時に使うものじゃが」

「大きく強ければそれだけよい」

「どんどん増やすのじゃ」

 気もというのだ。

「よいな」

「わかり申した」

「さすればさらによく戦える」

 気が大きく強ければというのだ。

「術と共にな」

「では」

「うむ、これは御主だけでなくな」

「我等全員に言える」

「そうじゃ」

「そうですか、では」

「気も含めて強くなるのじゃ」

 こう言って自らもだった、後藤は気の鍛錬もした。とかく彼もまた修行に余念がないのがよくわかることだった。

 その中で堺の町を歩く時もあったが。

 ふとだ、後藤は後ろを振り向いてこんなことを言った。

「ふむ、またか」

「先程の気配はまさか」

「そうじゃ、清海殿もわかったか」

「はい、それがしもそうですし」 

 清海は後藤に答えてこう言った。

「殿もです」

「確かに」

 幸村も答えた。

「感じました」

「そうじゃな、真田殿もと思っておった」

「この気配は刺客ですか」

「そうじゃ、どうも殿が送られたらしいのう」

「殿といいますと」

 清海はそれを聞いてすぐにこう言った。

「黒田殿ですか」

「うむ、藩を出たがな」

「まだですか」

「わしも殿とお呼びしている」

 それだけの絆は残っているというのだ。

「他の呼び名が出来ぬこともあってな」

「そうしてですか」

「こうお呼びしているのじゃ」

「左様ですか」

「うむ、それでな」

「刺客をですか」

「送られて来ておる、しかしこれまでは只の雇い者でな」

 藩士ではなくそうした者達だというのだ。

「刺客と言っても実は見張り位の者達じゃ」

「この程度の気の者達なら」

 どうかとだ、清海が述べた。

「後藤殿のお相手ではありませぬな」

「それは殿も承知、わしの動きが気になっておられるのだ」

「だからですか」

「こうして隙あらばと告げられてな」

 そのうえでというのだ。

「見張りを命じられておられるのじゃ」

「雇った者達に」

「そうじゃ、まあ何処におるかはわかっておるが」 

 見れば彼等が今いる道に連なっている店と店の間から覗き見をしている浪人がいる、その者を見て言うのだった。

「あの程度ならな」

「特に、ですな」

「放っておいてもよい、むしろな」

 こうも言った後藤だった。

「あの者にの糧になるかそれが縁で召し抱えることになればな」

「あの浪人にとってよいこと」

「だからな」

「このまま放っておかれますか」

「うむ、わしに隙はない」

 後藤はこのことには絶対の自信があった、言葉にそれが出ていた。

「並大抵の者達では襲い掛かれぬわ」

「ではあの浪人の稼ぎにもなるから」

「別によい、放っておくわ」

 後藤は清海に話した。

「気にすることもない」

「ううむ、そうお考えですか」

「わしの首を取ろうと思えばそれこそ天下の豪傑か数多の兵達でなければな」 

 それこそというのだ。

「取れぬわ」

「ですな、後藤殿ならば」 

 幸村も後藤に言った。

「一騎当千の者かです」

「多くの兵で鉄砲で撃つなりせねばな」

「討ち取れませぬな」

「この首安くはないわ」

 後藤は笑って言った、もうその浪人を見ておらず幸村そして清海と共に連れ立ってそのうえである店に向かっていた。

「値千金、いや万金やもな」

「そう言われますか」

「戦の場でわしを討ち取れば大名じゃ」

 そこまでの武勲になるというのだ。

「まあそう言うと大袈裟か」

「いえいえ、大袈裟ではないかと」

「それだけの価値があるか」

「実際に」

「だといいがな」

「しかしですな」

「わしの首は安くはない」

 後藤はまたこう言った。

「だから滅多なことではやらぬわ」

「討ち取られるおつもりはないですか」

「決してな」

「では若しもですが」

 幸村は大柄な後藤を見上げて彼に申し出た。

「それがしと共に轡を並べる時があれば」

「その時はか」

「はい、共に武士の道を歩み」

「そうしてじゃな」

「最後まで生き抜いてみせませぬか」

「ふむ」

 幸村の申し出を受けてだった、後藤はまずは考える顔になった。それから幸村に対して答えたがその言葉はというと。

「無駄死にはせず、か」

「最後の最後まで戦いませぬか」

「貴殿は清海殿達十人の家臣と死ぬ時と場所は同じと誓っておられるな」

「友、そして兄弟達として」

「桃園の誓いの様に」

「そうしております」

「わしは死ぬべき時に死ぬつもりじゃが」

 それでもとだ、後藤は言った。

「しかしな」

「それでもですな」

「うむ、わしも無駄死にはせぬ様にしよう」

「それは何よりです」

「そして真田殿と共に戦えば」

 そうした時になればというのだ。

「とことんまで戦うか」

「そうして頂けますか」

「そうしたくなった、真田殿と最後までな」

「では」

「うむ、義兄弟にはならぬが」

 それでもというのだ。

「友になってよいか」

「是非」

 幸村は後藤に微笑んで答えた。

「そうして頂ければ」

「ではな」

 こうした話をしてだった、そのうえで。

 彼等は堺のある居酒屋に入った、そこで堺の前にある海で採れた新鮮な魚を刺身にしてもらいそれを肴にしてだった。

 酒を飲みはじめた、その酒の席で後藤は言った。

「酒は大好きでのう」

「こうしてですか」

「よく飲んでおる」

 そうしているというのだ。

「こうしてな」

「暇があればですな」

「そうじゃ、酒はよい」

 笑いながらだ、後藤は言った。

「飲むと気分がよくなる」

「ですな、非常に」

「それに憂いも消える」

「李白の様に」

 幸村は飲みつつこの詩人の名前も出した。

「左様ですな」

「そうじゃな、人は生きておるとな」

「どうしてもですな」

「憂いも出来る」

 そうなってしまうというのだ。

「それは避けられぬ」

「因果なもので」

「いつも明るくはいられぬ」

 後藤は飲みつつ実際にその顔に憂いも見せていた。

「残念ながらな」

「憂いは人の友の一つです」

「いいか悪いかは別にしてな」

「ですから」

「わしは自分では明るい者だと思っておる」

 後藤は自分自身のことも話した。

「しかしな」

「それでもですな」

「うむ、時としてじゃ」

「憂いを持たれますか」

「色々と思ってしまう」

 そうだというのだ。

「それでじゃ」

「こうしてですか」

「気分が楽しい時も飲むが」

「憂いがある時もですな」

「飲む」

 そうしているというのだ。

「そして憂いを消している」

「それがしもです、どうにもです」

「憂いを持たれるな、真田殿も」

「そうした時があります」

「同じじゃな、まことに」

「そうした時の酒も有り難いですな」

「実にな」

「ううむ、どうも拙僧達は」

 清海は後藤と同じ位豪快に飲んでいる、そうしながら彼は後藤に対してこんなことを言ったのだった。その憂いに語る彼に。

「そうしたことはありませぬ」

「憂いはか」

「はい、持つこともありますが」

 それでもというのだ。

「すぐに消えてです」

「そしてか」

「楽しく飲んでおります」

「憂いがあってもすぐに消えるか」

「我等は皆です」

 十勇士全員がというのだ。

「そうした者達です」

「それはよいのう」

「この者達と共にいまして」

 幸村は清海の言葉を受けて後藤にあらためて話した。

「それがしもです」

「憂いがあってもか」

「はい、消えまする」

 その憂いがというのだ。

「この者達といますと」

「そうか、よい家臣達じゃな」

「そう思いまする」

「友であり義兄弟であり」

「実に頼りになります」

 そうだというのだ。

「それがしもこの者達にどれだけ助けられた」

「いやいや、我等の方こそです」

 清海は幸村の今の言葉に驚いて言った。

「殿にいつも助けて頂いております」

「そう言ってくれるか」

「まことのことですから」

 だからだというのだ。

「我々はです」

「そうなのか」

「どれだけ助けて頂いているか」

 幸村に仕えていてというのだ。

「我等十人嫌な思い一つしたこともありませぬ」

「拙者と共にいて」

「はい、もう二十年以上になりますが」

「そうなのか」

「殿と共にいて何一つとしてです」

 まさにというのだ。

「悪い思いをしたことがありませぬ」

「御主達はまさにじゃな」

 後藤も彼等の話を聞いて言った。

「互いが支えじゃな」

「そうなりますな」

「確かに」

 幸村も清海も共に後藤に答えた。

「それぞれの言葉を聞きますと」

「まさに」

「ではじゃ」

 後藤はまた言った。

「貴殿等はな」

「これからもですな」

「十一人で」

「共に生きることじゃ」

 そうせよというのだ。

「そして共にな」

「同じ場所、同じ時にですな」

「死ねと」

「そうすべきじゃ」

 こう言うのだった。

「それが貴殿達の生き方じゃ」

「そうですか、では」

「これからも」

「うむ、そうされよ」

 ここで後藤はこうも言った。

「わしも迂闊に死なぬ様にする」

「そうされますか」

「必ずな」

 後藤自身もというのだ。

「だからな」

「はい、それでは共に」

「そうして轡を並べる時があればな」

「思う存分に戦いましょうぞ」

「そうしようぞ」

 二人で笑って話した、そして清海も言うのだった。

「ですな、後藤殿がお味方ならば」

「御主もそう言ってくれるか」

「はい、百人力です」

「そうか、そもそもわしが思うに」

「と、いいますと」

「わし等は争うべきではないな」

 飲みつつだ、後藤は清海に言った。

「互いにな」

「それは何故でしょうか」

「うむ、似ておる」

 自分と幸村達はというのだ。

「己を曲げず卑怯未練は嫌いじゃな」

「はい、そう言われますと」

「権威や冨貴も求めておらぬな」

「そうしたものには興味がありませぬ」

 一切という言葉だった。

「我等は」

「そうじゃな、それも同じじゃ。そうした者達が互いに争っていいことはない」

「だからですか」

「争うよりもじゃ」

「共に戦うべきですか」

「そう思う、わしは武士として生きたい」

 これが後藤の第一の願いだった。

「殿の下にいてはそれが出来ぬ」

「そう思われてですか」

「これが一番大きかった」

 出奔の理由は一つではないがというのだ。

「だから出たしのう」

「だからですか」

「うむ、わしは家を出た」

 一万石以上あった禄も捨ててだ、当然家老の地位も官位もだ。

「そうしてここにおる」

「そして時が来られれば」

「戦う」

「武士として」

「そう考えておる」

「そうですか」

「そうじゃ、御主達と共に戦いたい」

 後藤はまた言った。

「心から思っておる」

「そうですな、では戦になれば」

「出来れば共に戦おうぞ」

「そうしましょうぞ」

「そしてじゃが」

 後藤は清海にあらためて言った。

「御主にわしの槍術の全てを教えるからな」

「免許皆伝になり」

「そしてじゃ」

 そのうえでというのだ。

「縦横に働くのじゃ」

「戦の際は」

「よいな、戦になれば見せてもらうぞ」

「わかり申した」

「免許皆伝まであと少しじゃ」 

 清海の腕から見ればというのだ。

「だからな」

「はい、修行をですな」

「これからもしてもらうぞ」

「楽しみにしております」

「修行は好きか」

「身体を動かすことなら」

 清海は後藤に笑って答えた。

「何でもでござる」

「そうか、ではな」

「はい、明日もですな」

「今日は皆しこたま飲んでおるからせぬが」

 朝から夕方まで動き通しだった、この日も修行することはしているのだ。それも普通の修行よりも遥かに激しい密なものをだ。

「明日も日の出から起きてな」

「そうしてですな」

「修行じゃ」

 それをはじめるというのだ。

「よいな」

「わかり申した、それでは」

「明日も楽しむぞ」

「ははは、修行と三度の飯と酒は大好きですぞ」

 清海の笑みは後藤に負けないだけ大きなものだった、口も声も。

「それでは」

「うむ、共に楽しもうぞ」

「拙者も」

 幸村も笑って言った。

「そうさせて頂きます」

「三人でじゃな」

「それがしも修行が好きです」

「真田殿は学問もじゃな」

 後藤は幸村のこのことも指摘した。

「左様ですな」

「学問もですか」

「毎日読んでおられよう」

 このことも言うのだった。

「書を」

「お気付きでしたか」

「気付かぬ筈がないわ、毎夜遅くまで読まれておるからのう」

 だからだというのだ。

「気配でわかったわ」

「学ぶそれで」

「そうじゃ、毎夜遅くまで学んでおられるな」

「身体を動かすとどうにもです」

「書を読みたくなるか」

「幼き頃からそうした性分でして」

 それでというのだ。

「ですから」

「それでか」

「それに学問もなければ」

「戦では満足に戦えぬ」

「父上や兄上程ではありませぬが政のこともありますし」

 今はそれとは無縁だが大名の子としてそれに携わってきた頃はというのだ。

「ですから」

「今もか」

「読んでおりまする」

 そうしているというのだ。

「日々」

「わしもそれなりに読んできたが」 

 それでもとだ、後藤は幸村に言った。

「貴殿には遥かに及ばぬ」

「そこまで言われますか」

「実際のことじゃからな」

 だからだというのだ。

「そう思う」

「左様ですか」

「文武両道じゃな」

 幸村こそまさにというのだ。

「貴殿は」

「ではそう言われますと」

「余計にか」

「奮起しました」

 そうなったとだ、幸村は後藤に微笑んで答えた。

「まさに」

「では今宵もか」

「はい、酒は飲みましたが」

 しかしというのだ。

「読みまする」

「読まぬ日はないか」

「まあ一日のうちには必ず」

 読む時があるというのだ。

「そうしております」

「そうか、酒を飲んでも学問は忘れぬか」

「はい」

 その通りだというのだ。

「そうしております」

「わかった、では今宵もな」

「そう致します」

 こう言うのだった、飲みながらも。

 そして実際に幸村は飲んだ後でも学問に励んだ、そして翌朝起きるとすぐに修行に入る。そうした彼を見て清海は言った。

「拙僧は学問は苦手故」

「拙者の様にはというか」

「出来ませぬな、修行だけです」

 日々の学問は出来ぬというのだ。

「そこはどうしてもですな」

「いやいや、せねばならんというものではない」

「学問は」

「己の得意とすることをしてじゃ」

 そしてというのだ。

「磨くのがよいのじゃ」

「自分自身を」

「そうじゃ」

 こう清海に言うのだった。

「だから御主もな」

「修行にですか」

「励めばよい」

「今の棒術をですか」

「そして忍術もじゃ」

 それもというのだ。

「それでよいのじゃ」

「殿の様に学問までせずとも」

「字は読めた方がよいが御主位の学があればな」

「よいですか」

「それなりに経も読めよう」

「まあこれでも坊主ですし」

 実は法力も備えている、伊佐もこちらも備えている。

「自信はあります」

「そうじゃな、ではその法力も使いな」

「やっていけばいいですか」

「うむ」

 そうだというのだ。

「だから拙者について思わずな」

「拙僧の修行をですか」

「励め、よいな」

「わかり申した、では今日も」

「修行に励むな」

「そうします」

 確かな笑みでだ、清海が応えてだ。そしてだった。

 彼はこの日も駆け回り棒を振り後藤の修行を受けた、そうして免許皆伝をひたすら目指すのだった。



巻ノ百   完



                        2017・3・23


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